第12話 斬鋼線

 暗くてよく見えないだろうが、雲間から覗く微かな月光を受けて輝く一筋の線。これこそ、俺が最も得意とする暗器だ。


「鋼鉄より硬くゴムのように伸縮自在の糸。その名も斬鋼線ざんこうせん。一度振るえば鋼をも斬り裂き、圧重ねの鉄板をも貫く」


 ピアノ線の幾百倍の強度を持つこの斬鋼線にかかれば、人体の切断など羊羹を切り分けるようなもの。迂闊に触れただけで指が落ちるほど切れ味の鋭い糸なのだ。いくら切羽詰まった状態だったからと言って、女性に用いるにはあまりにも酷な代物。きっと地面は大量の血溜まりが――


「って、あれぇ?」


 地面に落ちたシスターの腕の断面からは何やら無数のコードが出ており、バチバチと火花を散らしている。どう見ても人間の腕ではなかった。


「フン、腕一本のくらいくれてやるさ。お前を倒した後で修理してもらえばいいだけだしな!」


 ああ、そういうことか。相手は人間ではなく機械。つまりロボットだったのだ。どうりで気配がないわけだ。ロボットであるなら華奢な見た目に反した腕力や俊敏さを備えていても不思議ではない。そうかそうか。そうとわかればもう加減する事もあるまい。


「目が光った時点で気づくべきだったよ。いや良かった。やられっぱなしは性に合わないんだ。この傷のお礼くらいはさせてもらえそうだな」


 斬鋼線は別名〝蜘蛛糸くもし〟と呼ばれ、斬撃、刺突、捕縛、防御をこれ一つで担う事が出来る汎用性の高い武器である。それにも関わらず手裏剣やクナイに比べてまったくその名が知られていないのは、単純に扱いの難しさから実戦で用いられた記録があまりにも少ないことに起因している。忍の二大勢力、伊賀と甲賀の歴史でも自分の手足のように扱えたのは十人もいなかったという。俺が斬鋼線と出会った頃は里でこれを扱えるものは一人もおらず、文献を読み漁って独学で体得したのだ。数ある暗器の中でもこれが一番俺の性に合っていた。


「片腕一本取ったくらいで調子に乗らない事だな。そんな細い糸なんてちりちりに燃やしてやるさ!」


 再びシスターは体から炎を発し、俺の斬鋼線を焼き払おうとする。だが、斬鋼線は耐熱にも優れており、燃え盛る釜戸に投げ込んでも焼けたり溶けたりはしない。


「くっ! だったら、糸は無視して本体を直接葬るだけだ!」


 炎を纏ったシスターはクラウチング・スタートの姿勢からさながらロケットのように飛び出す。それを迎え撃つべく、俺は右手を大きく振るう。激しく波打つ斬鋼線は、まるで蜘蛛の巣状に複雑に編み込まれ、瞬く間にシスターを捕縛した。


「ヘタに動かない方がいいぞ。ちょっとした体重移動だけで体がバラバラになるから」


 俺の警告おどしに観念したのかシスターは炎を消し、不服そうな面を下げたままピタリと身動きを止めた。そうそう、人もロボットも素直が一番です。


「さて、このまま網を揺らして金属の体ごとバラバラにしてあげてもいいんだが、いくら機械でも女性の姿をしている以上、それは流石に心苦しい。そこで、お兄さんは考えました」


 俺は張り巡らせた網の上に立ち、おもむろに天を仰ぐ。空には暗雲が立ち込め月が陰る。ぽつり、ぽつりと水滴が頬に落ちる。


「午前中は晴天に恵まれますが、大気の状態は不安定。夜から関東全域で雷を伴う激しい雨が一時的に降るでしょう」


 今朝、テレビで見た天気予報で言っていた内容をそのまま口にする。直後、雷鳴が轟き、雨はますます強くなった。蜘蛛の巣のように張り巡らせた斬鋼線が雨粒を滴らせる。天候を利用し、相手を誘い、罠へと導く。そして今、必滅必中の結界の完成である。


「もし次があったら天気予報をよく見ておくといいよ」


 そろそろ良い頃合いと見た俺は、斬鋼線を手放し網の上から即座に跳び退く。その際に一本の針をシスターへ向けて放つ。


シスターの額に刺さった細い針は〝召雷針(しょうらいしん)〟と呼ばれる代物で、小型の避雷針のようなものだ。古来より、雷雨多き霧深い山陰を本拠とする甲賀忍軍が落雷を誘う為に用いたとされ、扱いを間違えれば己が身を滅ぼす諸刃の剣。しかし、使いようによってはこれほど凄まじい忍具も他には無い。


「ちょ、ちょっと待っ――」


 激しい雷鳴がシスターの叫びをかき消す。雷の落ちた網の中心には、体から黒煙を上げぐったりとしているシスターがいた。ふむ、流石はロボット。普通の人間なら一瞬で炭になっていただろうが、彼女は人の形をしっかり残していた。所々肌に裂傷が目立つのは落雷の直前で網の中で最後の抵抗を見せたのだろう。だが、それも虚しく今やこの有様というわけだ。


 これぞ忍法、〝地雷蜘蛛じらいぐも〟。


 斬鋼線で編み上げた網で動きを封じ、そこへ雷が落ちれば即座に感電死。逃げようともがけば体は斬り刻まれスプラッタ。決まれば正に一撃必殺。流石にこの術は人間に仕掛けるにはオーバーキル気味である為、実戦で用いたのはこれが初めてだ。まあ、人ならざるものが相手ならこれくらいの大技でなければ動きを封じることは出来なかっただろう。なんにせよ、上手くいって良かったです。


 ビルの階段を駆け上がって来る音が聞えた。その音からわかることは、人数は二人。大方、今し方起こった落雷の確認にでも来たのだろう。時計で時間を確認すると夜の十時を過ぎていた。


「さて、人目に着く前に引き上げますか」


 俺はボロボロになったシャツとスラックスを脱ぎ捨て、中に着ていた忍装束のまま再び闇夜を縫うようにビルの谷間を飛びながら帰路に着いた。

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