第13話 雨上がり、月語り

 店に戻る頃には雨はすっかり上がっていた。店の扉にはクローズのプレートがかかっている。時刻は深夜零時。日付は変わってしまったが、まだ営業時間内であるはずだ。俺は不思議に思いながらそっと店の扉を開けた。


「ただいまー」


 店の中は閑散としており、店を閉めてしばらく経っているようだった。厨房を覗くが、ミーシャはいなかった。


「まさか、また空腹で倒れたんじゃ……!」


 俺は慌てて厨房へ向かったが、そこにミーシャの姿は無かった。風呂場、リビング、トイレと見て回ったが、どこにも姿が見当たらない。


「あとは俺かミーシャの部屋くらいだな」


 二回へ上がると、ミーシャの部屋の扉が少しだけ開いているのが見えた。


「入るぞ、ミーシャ」


 半開きのドアを数回ノックし、部屋の中へ。中は女の子特有の甘い香りと洋菓子の甘い香りの混ざった何とも言えない良い香りがした。相変わらず殺風景な部屋にはミーシャの寝床である棺桶が中央に鎮座していた。いつ見ても異様な光景だ。そういえば、さっき壊してきたシスターロボもでっかい棺桶を背負っていたっけ。俺が知らないだけで、もしかして来てるの? 棺桶ムーブメント。


「……ったく、心配しちゃったじゃないか」


 棺桶の蓋は開いていた。中を覗くと、小さく蹲るように膝を抱えて愛らしい顔で寝息を立てているミーシャがそこにいた。パジャマ姿ではなくコックスーツのままであるのを見るに、うたた寝してしまったのだろう。辺りには空のペットボトルがいくつも転がっていた。何にせよ、空腹で倒れたわけではないらしい。


「すー、すー」

「満腹になったらすぐにおやすみかい? お姫様」


 無防備な寝顔はやはり年相応の人間の少女そのもの。触れた髪はサラサラで、まるで金を練り込んだ上質な糸のようだった。淡いピンクの唇にそっと触れてみる。柔らかいが、冷たかった。


 枕元を見れば、写真立てが置いてあり、中には一枚の写真が入っていた。若い夫婦の写真だろうか。品格のある男性と美しい女性。その女性が抱く小さな赤子が一人。仲睦まじい幸せそうな家族の写真だ。十中八九、幼い頃のミーシャとその両親だろう。


「父さま、母さま……」


 ミーシャは俺の忍装束の裾を掴んで泣いた。夢の中で父と母を見ているだろう。捨てられた子猫のように小さく震えて泣いている吸血鬼の少女。俺はそっと目尻に溜まった涙を人差し指で拭ってやった。ぴくんと体が反応する度その仕草が妙に愛おしく感じ、ずっとこうしていたいとさえ思えた。


「う……ん……、京……介?」

「ただいま。遅くなってごめんな」

「ううん、大丈夫。ちゃんと帰って来てくれた。それだけで、充分」


 ミーシャはゆっくり体を起こすと、そっと写真立てを手に取り悲しげに微笑んだ。


「ねえ、少しだけ外を歩かない? 多分、今夜は月がキレイよ」


 夏場だというのに外は涼しい風が吹いていた。雨上がりの空にはミーシャが言っていた通り大きく丸い月が浮かんでいる。何故外を見ること無く月の様子がわかったのかと問うと、「ヴァンパイアの勘が教えてくれるのよ」と返された。時刻は夜中の一時を過ぎているだろうか。辺りはしんと静まり返り、俺たち以外誰もこの街にいないような気さえした。俺はミーシャの後ろを三歩離れて歩く。なんとなく、この距離が一番良いように思えたから。強いてそこにもう一つ理由を添えるとするならば、ミーシャが泣いているような気がしたからだ。俺は今にも泣き出しそうな背中の三歩後ろを歩く。ミーシャの心に触れる三歩後ろを。


 静かな夜に二人分の靴音だけが響く。最初に沈黙を破ったのはミーシャからだった。


「ねえ、なんであたしがヴァンパイアになったのか、知りたい?」

「え、生まれつきじゃないのか?」

「当たり前でしょ。噛まれたのよ。とあるヴァンパイアにね。ホラ、ここ。暗いけど見えるかしら?」


 こちらを振り返ったミーシャは肩にかかっている長い髪を掻き上げ、首を少し横へ傾けた。そこには二つ歯型があった。


「ということは、元は人間だったのか」

「……少しだけ、退屈な昔話を聞いてくれない? とある哀れな少女の死と、呪われし再誕の物語を」


 僅かに憫笑を浮かべ、月を見上げたミーシャは静かに語った。

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