第11話 人外を狩る者

 くたびれたスーツ姿で電車に揺られながら、俺は溜息交じりにネクタイを緩める。改めて己の服装を見ると、なかなかひどい有様だった。しばらくリュックに突っ込んであったものを朝イチでアイロンをかけて仕上げたものだから、あちこちに皺が目立つ。


「後は採用通知を待つばかり、だな」


 本日の予定の一つである仕事の面接を何とか無事終えた。応募した先は有楽町にあるフレンチレストランだ。手応えは……五分五分といったところか。奇縁と成り行きで当面の働き口を見つけたので衣食住に困っているというわけではないのだが、目的を持って上京した以上、一日でも早く一人前の料理人とならなくてはならない。だからこそ、俺はここで立ち止まっているわけにはいかないのだ。立派なシェフとなり、胸を張って里に帰ろう。珍しく郷愁に浸ってしまうのは、鉄骨の木々が立ち並ぶこの都会に少しずつ慣れてきたからかも知れない。


「里の皆、元気にしているかなぁ……」


 電車の窓から見える高層ビル。辺り一面山々に囲まれた地図にも載っていない隠れ里である地元では、まずお目にかかれない光景だ。唯一変わらないでいてくれているのは、この夕焼けくらいだろうか。沈みゆく橙色の輝きが、夜の訪れを告げていた。


 外の景色が夜景に変わったのとほぼ同時に目的地の渋谷に着いた。店に戻る前に本日の予定その二を済ませる為、俺は店に戻る前にそこで途中下車。若者が犇めき合うセンター街を抜け、大型レコード店へ向かった。そこでミーシャに頼まれていたCDを幾つか購入し、店を出る。


「しかし、吸血鬼といえばてっきりクラシックやオペラのイメージがあったから、まさかこんなモノを買わされるとは思わなかったな」


 俺がミーシャに頼まれて購入したのは、『人気男性声優百選。イケメン執事たちによる魅惑のお嬢様ボイスCD』。俺はこういう類のものは疎いのでまったくわからんのだが、店のポップによると色んな男性声優さんたちが召使いを演じ、聞き手を〝お嬢様〟と呼んで持て囃してくれるのだとか。隣の部屋から音楽が漏れているのを一度も聞いたことがないので、おそらく小型のCDプレーヤーを棺桶の中に入れてイヤホンで聞いているのだろう。楽しみにしていた様子だったので、急いで持って帰ることにしよう。


「おい! そこのお前!」


 ぶっきらぼうな声に呼び止められ、俺は横断中の大通りの中心で立ち止まる。振り向けば、そこには一人の少女が立っていた。


 金髪碧眼に黒い修道服。少女は鋭い目付きで俺を睨んでいた。こんな都会の街中でシスターに因縁をふっかけられるのも珍しいが、それよりも何よりもそのシスターの異様さは背に担いだ巨大はモノにあった。


「かっ、棺桶?」


 ミーシャの寝室にあったような黒く重量感のある洋風の棺を背負っていたのだ。何故シスター? 何故棺桶? 疑問が疑問を呼び俺の思考は複雑に交錯する。依然と少女は俺をじっと睨んで目を逸らさない。とりあえずお互いここは話し合う事が必要だと俺は判断した。だが、何分ここは横断歩道のド真ん中。既に信号は点滅を始めている。とりあえず場所を移そうと思い、少女に話しかけようとするとそれに割り込むように少女が沈黙を破った。


「お前今吸血鬼って言ったよな? それはつまり、お前自身が吸血鬼ってコトだよな? 遂に見つけたぞ。神様はお怒りだよファック野郎。世の為人の為。己の非業を悔い改め、とっととくたばるがいいさ!」


 何故そうなる、とツッコむより早くズドンと重く鈍い音が響く。気付けば、目の前にはあの巨大で黒い棺桶があった。もし、俺があの時不穏な空気を察知し、一歩後ろへと下がっていなければ今頃この棺桶に潰され圧死していただろう。俺が先ほどまで立っていた地面は盛大に抉れ、ひび割れていた。その威力からこの棺桶がどれだけ重厚で頑丈か、そして如何に危険な代物かが伺えた。そして、それを片手で振り下ろした彼女の腕力もまた然りだ。


「ふん、この〝黒きシュヴァルツ・ザルグ〟の一撃を避けるなんてなかなかやるじゃないさ。こっちも本気でいくかんね! 『システムを通常状態ノーマルから戦闘状態アサルトへ移行。現時刻をもって標的をヴァンパイアと断定し、これを即座に殲滅せん』」


 シスターの目が発光したかと思えば、何やら物騒な事を呟いた。刹那、眼前にあった黒くて巨大な棺と、それの所持者である口の悪いチビッ子は忽然と姿を消していた。俺はふと足元に目をやれば、自分の影に重なるもう一つの影を見た。


「なっ、上か!?」


 五メートル上空には、月を背に棺桶を担ぎ上げたシスターが俺を見下ろしていた。


「どんなに救い難い化け物にも、我らが主は平等に救いの手を差し伸べてくださる。だからさっさと死ねやおらぁあああ! 魔女に下す鉄槌ヘクセンハンマー!」


 凄まじい速度で投げ放たれた黒い棺は再び地面を穿つ。コンクリートで固められた大地は隆起し、道路は瞬く間に凄惨な荒れ地と化した。


「はははっ。なんつーか、冗談みたいな光景だな」


 相手の動作が大振りで隙が多かったのが幸いだった。おかげで棺桶が衝突するよりも前に避ける事が出来た。空中で一回転しつつ割れたコンクリートに着地し、この惨状をじっくり眺める暇もなく敵の容赦ない追撃が俺を襲う。


「こんのー、よーけーるーなー!」


 土煙を切り裂き、またもや力いっぱい振るわれる棺桶。こめかみ狙いのフルスイング。俺は慌てて身を屈めこれを避ける。頭の上で凄まじい風切り音を聞いた。どうやら相手は完全に俺を殺しにかかっているようだ。こうなったら説得や話し合いは無理だと判断した俺は、上着の内ポケットから煙玉数個を取り出し、地面へ向かって投げつける。ここは人が多い故、いらぬ巻き添えは極力避けたい。今は迅速にこの場から遁走するのが吉。俺は荒れ果てた大地を蹴って夜空を縫うように、高い建物から建物へと跳び移りながら俺はなるべく人気の無い場所を目指す。


「こらぁー、逃げんなー! お前それでも男かー! このタマ無し野郎!」


 背後からは俺を苛む甲高い罵声が響いている。嗚呼、振り向きたくないなぁ。というか、女の子なんだからタマとか言うもんじゃありません。


「ちょいとお灸が必要だな」


 俺はクナイを五本取り出し、空中で振り返りつつそれをシスター目掛けて投げる。


「ハン、当たらないんだよ!」


 シスターは担いでいる棺桶を盾代わりにし、俺のクナイを防いだ。それでいい。まさに予想通りの行動だ。


「爆!」


 俺が印を結ぶと同時に五本のクナイ全てが爆散し白煙を上げる。甲賀名物、炸裂式クナイだ。今回使ったものは火力を少量に抑えている為、威力はせいぜい爆竹程度のものだ。ちなみに、起爆に印は一切関係ない。単なる雰囲気作りの為であって数秒で勝手に起爆する仕組みだ。威嚇や牽制。せめて足止め程度にでもなればと思ったが、あんなモノを軽々と振り回し、忍である俺の移動速度に着いて来る子がオモチャのこけおどしでどうにかなるわけはないか。


「うらぁあああ! 天誅!」


 弾ける火花を物ともせずシスターは戦法を突きや蹴りなどの徒手空拳に切り替え、激しい連撃を繰り出す。そのキレやスピードは常人のものを遥かに超えている。想像したくはないが、一発でも当たればその華奢そうに見える拳は容易に俺の体を貫くだろう。だからこそ、一発たりとも受けてはならない。俺は昔経験した、いくつもの砲弾を避けながら敵地に乗り込むという設定で行われた模擬演習を思い出していた。あれは確か、まだ俺が十代半ばの頃だったか。


「――って、危なっ!」


 思い出を懐かしんでいる時間すらこのシスターは与えてくれないご様子。この調子だと懺悔やお祈りの時間もくれるかどうか怪しいものだ。まあ、そんなことする気なんてサラサラ無いんですけどね。しかし妙だな。最初に出会った時から違和感を覚えたが、こうして一戦交えているとそれを余計に感じる。この子、どうにも動きが読めないぞ。目で動きを追う事もそうだが、俺たち忍は相手の気配を何より重視する。殺気や敵意、生命本来が持つ気の流れを読み、相手の動きを予測する。それがどうだ。彼女からはその気配がまるで感じられない。おかげでこちらの反応が普段より数秒遅れてしまうのだ。戦い方を見る限りではまったくの素人同然。本来であれば目を瞑っていても避けられるのだが……。


「うーむ……。気配を完全に絶てるなんて武道の達人クラスなんだけどなぁ……」

「何を一人でゴチャゴチャ言っている! 避けてばかりいないで男らしく戦え!」


 と、言われましても俺としては女の子を殴るのは気が引けるわけで。やはりここは傷をつけない組み技がベストだろう。俺は適当なビルの屋上で一旦立ち止まり、少女に背を向けて無形の構えを取る。背中を見せて呆然と立つ様は一見無防備に思えるが、これが攻める側に立つとなかなかどうして侮り難い。虚の状態から烈火の如く反撃に転じる事が出来る為、何の策も無しに仕掛ければ即座に返り討ちとなる。どちらも迂闊に攻めることは出来ないが故に、武に練達せし者同士の戦いならば互いに硬直は必至。しかしながら有り難い事に、俺の背後ではシスターが何やら叫びながら近づいて来ている。おそらく、これぞ好機とばかりに勢い任せで攻撃を仕掛けるだろう。敵の姿は見えないが、近づく音や空気の流れで大まかな距離くらいは把握出来るものだ。今、少女が俺の間合いへと入った。一張羅が台無しになるが、致し方ない。


「もらったぁ!」


 体ごと突っ込むようなシスターの正拳突きは俺の背広の上着だけを貫く。俺本体はと言うと、彼女のすぐ後ろ。か細い腕を即座に絡め取り、地面へと押さえつけた。


「はい、捕まえたっと」

「あっ、てめーコラ! 放せヘンタイ! チカン!」


 気配の読めぬ攻めには存外に手こずったが、こうもあっさり背後を捕れてしまうと拍子抜けだ。


「あのさ、何か誤解しているようだから言っておくけど、俺は吸血鬼じゃないんだよ。だからこれ以上付け狙うのはやめて……えっ?」


 俺は押さえつけている少女の体が発熱している事に気付いた。風邪でも引いているのかと思ったが、どうやらそうではない。ぐんぐんと熱は上がっていくのに発汗は一切ないのだ。これは明らかに異常。すぐに少女の体は、まるで熱したフライパンを掴んでいるような熱さになった。流石にこれ以上は触っていられない。手を放そうとした時、少女は小さな声で呟いた。


火葬インシネレイト


 刹那、視界に広がる真紅の炎。高熱を放っていた少女の体が煌々と燃え始めたのだ。これは世に聞く人体発火というやつだろうか。俺は思わず火だるまとなった少女から跳び退き距離を取った。


「――って、しまった! 思わず逃げちゃったけど、このままだとあの子、焼け死ぬぞ!」


 どこかに貯水槽でも無いものかと探していると、燃え盛る拳が俺のわき腹へ突き刺さるように叩きつけられた。


「がはっ!」


 凄まじい勢いで吹っ飛ばされた俺はフェンスにぶつかり地面へと倒れる。か細い腕から放たれた打撃の衝撃はまるで車の衝突。加えて、炎の熱により殴られた個所はうっ血と火傷が混ざり皮膚の色が濃い赤紫色に変色していた。喉の奥からせり上がってきた不快感に堪らず地面へと嘔吐するも、吐しゃ物には血で真っ赤に染まっておりまるで損傷した内蔵をそのままブチ撒けた様相だった。


 完全に油断していた。まさかあんな状態でも構わず攻撃を仕掛けてくるなんて誰が想像出来ようか。普通なら、身を焼く炎に身をよじらせ、悲痛な叫びを上げるものだが、少女は猛る炎をその身に纏っていながらも至って平然としていたのだ。


「この状態はエネルギーの消耗が激しいからあまり長くは保てないんだ。だから速攻で終わらせるよ!」


 爆ぜるように飛び掛かってきたシスターは、炎を纏った回し蹴りを立ち上がった俺へ向けて放つ。軋む体を無理やり動かし、間一髪のところで直撃は避けられたが、蹴りの風圧が俺の肌をじりじりと焼く。こんなの絶対に当たるわけにはいかない。しかし、動けば動くほどわき腹に激痛が走る。多分、折れたアバラが内臓を傷つけているのだろう。駄目だ、痛みで意識が遠退く。俺はとうとう立っていられなくなり、地に片膝をついた。


「今度こそもらったぁあああ!」


真上から振り下ろされる炎の拳。もう避ける事は無理だ。


「正当防衛だ。悪く思わんでくれよ」


 キンと小さく響く張り詰めた金属音。俺の脳天にシスターの拳が触れることはなかった。


「なっ!?」


 驚愕の表情を浮かべたシスター。彼女の腕が、ボトリと地面へ落ちた。

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