第10話 閑古鳥の鳴く頃に
「南雲さん、紅茶のおかわりお願いします」
静琉ちゃんに紅茶をオーダーされ、俺は急いで静琉ちゃんのカップへ紅茶を注ぎ足す。アプリコットのフルーティーな香りが湯気に乗って俺の鼻腔をくすぐった。そろそろ夜の九時を過ぎた頃だろうか。店は昨日同様の賑わいを見せるかと思いきや、意外にもそんな事はなかった。
「なぁんで今日はお客様が全然来ないのぉ?」
店主のミーシャは、たくさんのケーキが入ったショーケースに頬杖を突いて項垂れている。開店してから三時間が経ったが、客足は昨日に比べて伸び悩んでいるように見えた。そんな中、二時間ほど前から入店していた客の四名が口を開く。
「ひどいですよ、ミーシャさん。私たちはお客様じゃないんですか?」
「そーだよミーちゅわん。俺なんて法事をすっ飛ばしてまで会いに来たって言うのに」
「でも、今日は確かにいつもに比べて少ないわよね。なんでかしら?」
「はっはっは、気心知れた者だけで静かなティータイムを満喫するというのも、これまた一興。ケッコーケッコー」
罰当たりなことを平然と抜かした生臭坊主とは身体が仕上がり切っている鳥人間の間に挟まれて、優雅にティーカップを傾けるゴスロリ美少女と清楚で可憐な女子大生。何度見ても異様な光景だ。何の集まりだよコレ。
「はぁ……やる気無くすわぁ。テンション下がるわぁ」
「おいおい、だからってダラけたらイカンだろ」
そう言ってはみたものの、ミーシャの言うこともわからんでもない。昨日は女性客で賑わっていた広い店内に客がたった四人というのも少し淋しい。
「あ、ひょっとしてこれのせいじゃないですか? お客さんが来ないのって」
何かを思い出したように、静琉ちゃんはバッグから一枚のチラシを取り出す。どうやら、他の洋菓子店の新規オープンを知らせるチラシみたいだ。
「なになに、洋菓子店インペラトリーチェ、グランドオープン。記念セールとして全品半額? へー、すごいな」
「あ、SNSにも載ってます。なんでも、すっごくオシャレなケーキ屋さんらしいですよ。オーナーさんも若くて美人の方で、海外ではとても名のある方だそうです。お店の設計も有名なデザイナーの方が手掛けたとかでオープン前から雑誌やテレビでも紹介されていたんですよ。それが駅前に出来たってことで大半のお客さんはそこへ流れている可能性大ですね」
「ああ、そこなら知ってるわ。私の父がそこのオーナーさんとお知り合いだから、何度か彼女のケーキを食べたことがあるけれど、とっても上品で美味しかったわ。日本に支店を出すとは聞いていたけれど、まさかこの近くだなんて」
外観や店内の写真が載っているが、ル・ベーゼとは対照的な方向性のデザインだった。アンティーク品やゴシックホラー調の雰囲気で統一したうちとは違い、白を強調した開放感と高級感溢れるデザイン。天井の拭き抜けや道路側はすべてガラス張になっており、太陽や夜景の光などを店内へ取り込める設計となっていた。確かにこれは女性が喜びそうだ。
「むむむ、これはうちとしても徹底抗戦の構えを示すしかないわね。良い機会だから今日はこのル・ベーゼがどうしたら駅前にオープンした新しいケーキ店に勝てるのか作戦会議を始めたいと思います」
「いや、何もお客さんのいる前でしなくても……」
「わかってないわね。お客様がいるからこそじゃない。店側とお客様側では見えているものが違うはずよ。貴重な意見を聞けるまたとないチャンスよ。というわけで、皆。どうか協力してちょうだい。そのお礼として、今日のお代は特別割引してあげるから」
そんなわけで俺たちは急遽、「第一回ル・ベーゼ緊急作戦会議」と銘打って話し合いを始めることになった。
「さあ、みんな。今後どうしたらル・ベーゼがこのライバル店を相手に渡り合えるのかどんどんアイディアを出してちょうだい。皆の意見は前向きに検討していこうと思うわ。ちなみに、あたしの意見を言わせてもらうなら、この牙で向こうの店の従業員すべてをあたしの下僕に変えて寝返させるっていう手がやっぱり素敵だと思うんだけど、どうかしら?」
「いやぁ、どうかと思うぞ?」
若干興奮気味に息を荒げてこちらを見るミーシャ。やっぱ血を吸いたいんじゃねぇか。それと、女の子なんだからヨダレを拭きなさい。
「やはり、ここはコスプレなんてどうでしょう? ありきたりですがメイド姿でお客様をお出迎え、なんていうのもアリじゃないかなと。男性客も増えると思いますよ」
「メイド服ねぇ。でもあたし、ああいうの趣味じゃないのよねぇ。それに多分似合わないわよ」
「そんなことないわ! ミーシャちゃん可愛いからきっと似合うよ!」
「そうだぜ! ミーちゃんのメイド服姿が拝めたら、俺きっと悟りの境地へ辿りつけるかも」
「あらそう? じゃあ、従業員全員に着用を義務付けることも考慮しないとね」
ミーシャが俺をからかうように俺を見る。ほほう〝従業員全員〟ときたか。何とも意地の悪い言い方だ。ここで働いている人間なんて実質俺一人だというのに。店主様はどうやら俺まで道連れにする気満々らしい。冗談じゃない。野郎のメイド服姿なんて誰が喜ぶというのか。例え誰かが喜んだとしても俺は御免蒙る。しかし、ミーシャのメイド姿か。敢えて口にはしないが、なかなか似合うんじゃないか? そうすれば確かに男性客は増えるかも知れない。
「しかし、やはりこちらの立地条件があちらと比べると圧倒的に不利なのが痛いですな。人が常に行き交う駅前とこの住宅地とでは、否応にも差が出てしまいますしね」
鳥野さんのご意見はもっともだ。駐車場などがあれば多少は違うのだろうが、駅前と比べれば集客率に大きく開きが出るのも必然というもの。となれば当然、売り上げに大きく影響してくるのもまた然りだ。
「よよよ、このままこのお店はお客を取られてどんどん寂れていくんだわ」
しおらしく涙を流すミーシャ。しかし、俺はしっかり見ていたぞ。お前が後ろを振り向いて目薬を差していたのを。そんな嘘泣きで引っ掛かるヤツなんて――
「あ、俺、少々外で煙草を……」
「ふう、久々に激しい運動でもしますか」
「宗善さん。喫煙は結構ですが、その握り締めた物騒な錫杖は置いて行ってもらいましょうか。それから鳥野さん。筋肉でスーツがはち切れそうになっているんであまり力まない方がいいですよ」
この後、俺は五分間の説得を経てなんとか二人を椅子へと座らせることに成功した。
「てゆーか、京介。あなたも従業員ならちょっとは協力しなさいよ。せめて相手の店に忍び込んで全ケーキに毒薬を混入してくるとか」
「発想が物騒だな。完全にテロじゃないか。出来なくはないけどさ」
敵の屋敷に忍び込み、相手に気付かれないように服毒させる事なんて俺にとっては赤子の手を捻るのと同じくらい簡単なこと――っておいおい、何やら話が逸れ過ぎて危ない方向に向かいつつあるぞ。なんの会議だよコレ。
結局、その後は徐々に客足も回復し、第一回作戦会議はお開き。それまでの話し合いの結果、店の制服にメイド服を新たに追加する方向で検討することと相成った。俺の反対意見は悉く却下されたのは、言うまでも無いだろう。
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