第2話 未知との遭遇②
駅付近の繁華街を抜け、十五分ほど歩いて閑静な高級住宅街へと辿り着いた。周りには立派な一軒家や綺麗なマンションが多く立ち並んでいる。こういうところに住める人というのは、世間で言うところの富裕層だったりするのだろうか。土地の値段は田舎者の俺には考えられないほど高いだろうし、都内でマンションを借りると、余程の例外が無い限り数十万が最低ラインだと聞く。俺の横を歩く外套の女性もお金持ちなのかも知れない。
「……」
「……」
しかし、ここまで一切会話が無いというのもどうなのだろうか。これは気を利かせて俺から話かけた方がいいのだろうか。
「えーっと、あ、暑いですね」
「ええ、本当に」
「……」
「……」
会話が続かない! うーん、これは困ったな。「つまらない人」とか思われていたらどうしよう。ここは手探りでもいいから何か会話を……そういえば、暑いと言いながらこの人は何故フード付きの黒い外套を頭からすっぽり被っているのだろうか。
「このローブ、気になりますか?」
「えっ、いや、その」
それほど不思議そうな顔をしていたのだろうか。背丈が頭一つ分ほど違うその女性は俺を見上げるようにして尋ねた。相変わらず彼女の素顔は伺えない。
「私、生まれつき肌が弱いので太陽の光が苦手なんです」
太陽が苦手? 確か西洋の吸血鬼と言えば、日光を浴びたら灰になると聞いたことがある。あれ? ちょっぴり嫌な予感がしますぞ。
「着きました。ここが私の家です」
「ここ……ですか」
辿り着いた先。周りを高級住宅に囲まれて、そこだけ切り取られた異世界の産物のように古びた洋館が建っていた。外壁は、まるで少し前の甲子園球場のように植物の蔦がびっしりと生い茂っており、不気味さをより一層演出している。
「さあ、中へどうぞ。お礼に冷たいお茶でもお出ししますわ」
女性は扉を開け、ニッコリ微笑んだ。開いた口から覗く八重歯。いや、牙が俺の背筋を凍らせる。もしかして、もしかしちゃう感じですか?
「お、お邪魔します……」
それでも俺はお言葉に甘えることにした。ここまで荷物を運んで来て喉はカラカラだ。今ここで逃げても缶ジュース一つ買えないので、どのみち道端で干物になるのがオチだ。お茶を飲んで隙を見て逃げよう。そう思った。
招かれるまま中へ入ると、まず俺を出迎えたのはひんやりとした涼しい空気。空調なのか、それともこの妖しげな雰囲気がそう感じさせているのか定かではないが、汗が一気に引いていくのが分かった。中は遮光カーテンを閉め切ってあるらしく、随分薄暗い。照明といえば、天井に今時珍しい蝋燭式の古風なシャンデリアが吊るされており、他にも様々な形のキャンドルスタンドが到る所に置かれており、その上で炎がゆらゆらと揺れていた。
「荷物はその辺に置いていただいて結構です。今お茶の用意をしますので、好きなところへお掛けください」
周りにはいくつものテーブルと椅子が並んでいた。ヨーロッパからの輸入家具だろうか。どれも見た感じかなりの年代物と思われる。隅っこにあるテーブルに着き、椅子に腰を落ち着けたところでようやく周りを見渡す余裕が出来た。壁にかかっている奇妙な絵画や黒い染みの着いた柱時計、雑貨や小物に至る、ここにある全てがどうやら海外輸入の骨董品のようだ。古めかしくて、どこか不気味な印象を強く受けた。
「ははっ、これじゃまるで本当に――」
「
俺は背後からの声に驚き、すぐさま振り返った。そこに立っていたのは先ほどの黒い外套の女性。不思議な事にまったく気配を感じなかった。まるで闇に溶けていて、闇から流れ出てきたかのような感じだった。女性はこれまたアンティーク調のトレーの上から変わった形のグラスとケーキを俺の前へ差し出した。
「甘いものがお嫌いでなければ、どうぞお召し上がりください」
正直、手を出すのが躊躇われた。甘いものは嫌いじゃないし、何より暑い中を歩いてきた俺には冷たい飲み物は非常に魅力的だ。彼女はそれを察したらしく、くすくすと笑いながらこう言った。
「大丈夫ですよ、恩人に毒を盛るなんて
俺は恐る恐るグラスを口につけ、ほんの少しだけ中身で喉を潤した。
「うわっ、美味しい」
紅茶より緑茶派の俺だが、これほど美味い紅茶は初めてだ。渋みも少なくスッキリとしていて、実に飲みやすい。レモンの爽やかな香りが鼻を抜けていくようだ。グラスをテーブルにある蝋燭の灯りにかざして見れば、どれだけこの紅茶が濁りなく澄んでいるかが分かる。まるで琥珀のように美しい色合いだ。
「スリランカ産の『キャンディ』という品種の特級茶葉を使用しております。アイスティーにしても濁りが少ないので見た目にも涼しいでしょう? レモンの酸味や香りは暑い夏には最適です。甘さは抑えていますので、そちらのケーキと一緒にどうぞ」
白地に青い花柄の模様が描かれた高そうな皿の上には、可愛らしくデコレーションされた丸いケーキ。さっきからこの室内はどうも甘い香りで包まれていると思ったらケーキの香りだったのか。てっきりバニラ系のアロマでも焚いているのか思っていたが、違ったらしい。
「ムース・オ・フランボワーズ。家の庭で採れた木苺を使ったムースです。今月の始めに実をつけたんですよ」
果肉入りの赤いソースがかけられた美しいムース。銀製のスプーンでひとすくい。口に運べば甘酸っぱい芳醇な味わいが広がった。文句無しに美味だ。
「お気に召していただけました?」
「はい、紅茶もケーキもすごくおいしいです」
女性は室内でも外套を取らないで、ただじっと俺が食べている姿を眺めているようだった。スプーンが皿に当たる音だけが室内に響いている。この沈黙が少し息苦しくて、俺は彼女に今持っている疑問を投げかけた。
「付かぬ事をお伺いしてもよろしいですか?」
「何でしょう?」
「えっと、その、外国の方……ですか?」
言葉に何重にもオブラードをかけた結果、聞きたかった事とだいぶ違う内容になってしまった。そんな俺の突拍子もない質問が可笑しかったのか、女性は妖しく、そして楽しそうに笑った。
「そんな遠回しな言い方をなさらないでもっとストレートに仰ったらよろしいのに」
彼女は知っていたのだ。俺が聞きたかった事を。そして、その問いを彼女は待っている。どんなリアクションが返ってくるのか怖い。でも、好奇心というものは一旦動き出せば歯止めが利かなくなるものである。〝怖いもの見たさ〟とは万人に等しく存在するのだ。
「つい最近、人とか殺しました?」
例えるなら、フルスロットルでバイクを飛ばしてブレーキをかけずに勢いよく崖へと飛び出したチキンレースのようなもの。行き着くべき場所を通り越し、極論を投げかけてしまった。女性は口を半開きで固まった。そりゃそうだ。いきなり人殺し扱いされれば誰だって「は? なにこいつ」と機嫌を損ねるに決まっている。彼女は何も言わず俯き、体を微かに震わせていた。当然だ。こんなに失礼な事は無い。彼女の怒りは
「ぷっ、くくくっ、あはははっ! あー、お腹痛い。いやぁ、あなた相当おもしろいわよ。そうきたかっ! ってカンジ? あたしの予想の斜め上を行く問いかけだわ」
彼女から
「あー、久々に笑い過ぎてなんだか暑くなってきた気がするわ。そろそろこれ脱いじゃおうかなっと」
そう言うと、女性は纏っていた外套を勢いよく脱ぎ払った。中から現れたのは俺の予想よりもずっと若い少女だった。髪は長く
俺はしばらく言葉を失い、彼女に見惚れていた。
「ん、なあに? 素顔が可愛くてビックリした?」
「あ、いや、なんていうか、ちょっと安心しました」
「なにが?」
「正直、ここに来る道中からずっとあなたが吸血鬼なんじゃないかって思っていて」
予感が外れてほっと胸を撫で下ろす俺の安堵をブッタ切るように、彼女はさらりとこう告げた。
「いや、あたしは正真正銘の吸血鬼よ。ほら」
開かれた口内には、真っ白に輝く鋭い牙が上下に二本ずつ生えていた。これが、俺と彼女の初めての出会いだった。
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