第3話 押し問答


 こうして俺は、所謂〝未知との遭遇〟を果たしたわけだが、彼女の方は俺の顔を見つめるだけで一向に襲いかかる素振りを見せない。それでも油断は出来ない状況である事には変わりなく、隙を見せていきなり首元へとガブリと噛みつかれては堪ったもんじゃない。相手の真意がわからない以上、どうにかこの硬直した現状を打開する必要があった。


 扉に向かって全力疾走するか? いや、背を向けた瞬間に後ろから襲われるだろう。周りの小物や食器を投げて窓を割って日光を部屋に入れるか? もし窓が外側から板で補強されていたら計画は失敗。ヘタに機嫌を損ねでもしたら弄り殺しにされるかも知れない。蝋燭を全部倒して館に火をつけるか? いや、俺までローストになるのはゴメンだ。安全かつ、確実に逃げられる方法は無いものかと考えていると、彼女の方から俺に話しかけてきた。


「そんなに怖い顔しなくても大丈夫よ。あたし、血を吸わない吸血鬼なの。だから巷で噂の殺人鬼とは違うわ」


 うん? 彼女が仰っている意味が理解し兼ねるぞ。血を吸う鬼だから〝吸血鬼〟なのであって、血を吸わないのであればただの鬼じゃないか。いや、ただの鬼でも充分に脅威なのだが。それともアレか? 自称、吸血鬼という少々頭が残念な子なのか?


「信じていないって顔ね」

「少し可哀相な子なのかな、って思ってます」 

「……正直過ぎるのも考えものね。まぁ、信じられないのも無理はないけどね。どう証明したらいいものかしら」


 彼女は辺りをキョロキョロと見渡すと、壁にかかっている西洋刀サーベルを一本取り、こちらへと投げ寄こした。


「その剣であたしの左胸を刺しなさい」

「嫌です」

「はあ? なんでよ」

「いやいや、なんではこっちの台詞なんですが」


  彼女曰く、吸血鬼である自分は銀製の武器や白木の杭を心臓に刺されるくらいじゃないと死なないそうだ。しかし、そんな事を言われても「ハイ、わかりました」と首を縦に振るわけがない。それにもし、仮に刺したとして、それが原因で死なれでもしたら警察沙汰じゃないか。犯罪者なんかにはなりたくない。そんなこんなで「刺せ」「嫌だ」の押し問答がしばらく続いた。


「あーもう、じゃあわかったわよ。サーベルは置いていいから手を出して。大丈夫よ。いきなり噛みつくなんてしないから」


 そう言われて、俺は用心しながら左手を差し出す。


「ほら、これでどう?」


 ぽよん


 掌に柔らかい感触。彼女は俺の手を取ると、いきなり自分の左胸へと押し付けたのだ。


「ちょっ! それは流石にマズイ……あれ?」


 俺は直ぐに彼女の体の異常に気づいた。彼女の左胸の奥から響くはずの微かな鼓動が、俺の手には感じられなかった。脈打つ生命のリズム。心臓の鼓動が彼女には無かったのだ。


「これでわかったでしょ? あたしが人間じゃないって事が」


 顔を紅潮させるわけでも恥じらうわけでもなく、彼女はそう言った。俺は彼女の胸から離れた手を痛いほど強く握る。俺の手の感覚が麻痺しているわけではない。信じがたい事ではあるが、どうやら本当に心機能が停止しているようだ。


「驚いたな。吸血鬼なんて物語の中だけの存在だとばかり思っていたのに」

「あら奇遇ね。あたしも同じこと考えてたのよ。あなたみたいな人って、フィクションじゃなかったのね」

「な、何がです?」

「足音を一切立てずに歩く人間に出会ったのは、これが初めてよ」


 心臓が飛び出るほど仰天した。まさか気付かれるとは思わなかった。幼い頃からのクセで、意識しないと歩く時に足音を消してしまうのだ。


 都会に来て自分では治ったと思っていたのだが……いや、今はそれどころではない。一体どういうつもりだろうか。彼女は先ほどのサーベルを手に取り、鞘から抜くと俺に切っ先を向けて構えた。うおっ、目が刺す気満々じゃないか。


「今度はあたしに確かめさせて。あなたが何者なのか」


 勢いよく床を踏む音がしたかと思えば彼女は俺の心臓目掛けて何の躊躇も無く凄まじい突きを放った。普通なら串刺しになってご臨終。だが、俺も彼女ほどレアではないが〝類い稀な存在〟なのだ。


「へえ、お見事」


 サーベルの切っ先に俺の死体は無い。あるのは俺がさっきまで着ていた薄手の上着一枚が、洗濯物を干すように刺さっていた。俺はと言うと、シャンデリアの上に足を引っかけて宙ぶらりの状態で息を整えていた。


「あ、危ないだろ! 死ぬかと思ったわ!」

「こんな芸当が出来るのに、それはないでしょう」


 相手の攻撃が当たる寸前で自分の衣服を素早く脱ぎ、瞬時に身代りに仕立てる護身術。所謂いわゆる、〝空蝉うつせみの術〟というやつだ。


「あなたが只者じゃないって事はよくわかったから、早く降りて来なさい。それと、コレちゃんと片付けてよね。誤ってお客様が踏んづけたら大変だから」


 彼女の言うコレとは、俺が頭上のシャンデリアに跳び移る際に彼女の周りにばら撒いた撒菱まきびしの事だ。地元である甲賀の里秘伝の痺れ薬を塗り込んである為、踏んだらしばらく足の感覚が麻痺して歩けなくなる代物なのだが、この薄暗い中で黒い撒菱をよく見つけられたものだ。吸血鬼の名は伊達じゃないといったところだろうか。


 俺はシャンデリアにかけている足を外して一回転しながら降り、落ちている撒菱を拾う。しかし、自分で撒いた撒菱を拾うなんて情けないったらありゃしない。地元の連中には絶対見られたくない光景だ。


「お客様って、誰か来るの?」

「今から三時間後に開店なのよ。それまでに色々準備しないといけないの」

「ごめん、サッパリ話が見えないんだけど……」

「あなた気付いてなかったわけ? ここ、あたしの経営している洋菓子店なのよ」


 彼女が指を指す先には大きなショーケース。ここに来た時に何度か目に入っていたが、中身が空だったのであまり気に留めなかった。なるほど、あれはそういう事だったのか。


「ひょっとして、今から作るの? 開店って三時間後なんだろ?」


「そうよ。まあ、作るっていっても残り二種類だけだから少し急げば何とでもなるわ。さっき途中で材料切らしちゃったからわざわざ買い出しに外へ出たのよ。そうでなきゃ、あんな気持ち悪い晴天の下を歩こうなんて絶対思わないわ。じゃあ、あたしはそろそろ厨房に入るから、あなたはどうぞごゆっくり」


 彼女はそれだけ言い残し、外では重そうに持っていた大量の紙袋を片手で軽々と持って店の奥へと消えていった。なるほど、さっきは太陽の下にいたから力が出なかったのか。流石は吸血鬼。女性らしい華奢な体付きだがとんでもない怪力を秘めているようだ。彼女が本気で襲ってきていたら俺でも危なかったかも知れない。俺は胸を撫で下ろしつつ、再び椅子に腰かけて何をするわけでもなく再び店内を見渡した。


 女吸血鬼の営むケーキ屋だけあってゴシックホラーな雰囲気の中にもオシャレでどこか可愛らしさを感じる。


 カボチャを刳り抜いたジャック・オ・ランタンや愛嬌のある顔をしたコウモリのぬいぐるみ、ピンクのリボンをつけたドクロの置物などの小物がたくさん飾られていて、まるでハロウィンのパーティー会場のようだ。そして店内の清掃も隅々まで行き届いている。


 高所にあるシャンデリアに埃が溜まっていなかったのがその証拠だ。テーブルの上に埃が落ちないように配慮して小まめに脚立か何かで登ってきれいに拭いているのだろう。提供している紅茶の質やケーキの味。見落としがちな細かい気配りなどを怠らない姿勢、どれを取っても最高の店だという事は理解出来た。


「ん、何の音だ?」


 彼女が入って行った店の奥から、調理器具を落っことしたような派手な物音がした。しばらく耳をすましていたが、拾い上げる音や誰かが動いているような物音は一向に聞えてこない。不安が俺の心を過ぎる。職人にとって聖域にも等しい厨房に無断で入るのは悪いと知りつつも、俺は厨房内へと足を踏み入れた。


「おい、だ、大丈夫か!?」


 案の定、俺の不安は的中した。吸血鬼と名乗った少女は、厨房の床に倒れていたのだ。つい先ほど落としたであろうボウルからこぼれた苺のソースが白い作業着に飛び散り、まるで鮮血のようだった。俺は彼女を抱き抱え、慌てて母家の二階へと上がる。


 寝室はどこだ。ベッド、ソファー、なんでもいい。どこか安静に横にさせられるスペースがあればいい。しかし、やたら広い洋館だな。どんだけ部屋数があるんだよ。書斎はもちろん、ビリヤードなんかの遊戯部屋まであるとは。


 いくつかの部屋を巡り、俺はようやくそれらしい部屋を見つけた。少し子供っぽいファンシーなウサちゃんのネームプレートに『あたしの部屋』と書かれていたのだ。


「わかり易過ぎるだろ!」


 ツッコミのテンションを殺さず、蹴破るかのように勢いよくドアを開けた。


「って、なんだこの部屋は……」


 ネームプレートの可愛らしさとは裏腹に、中はとても殺風景なものだった。十畳ほどの室内にはでかい棺桶がひとつ置いてあるだけだった。まさかこれで寝ているのだろうか。女の子の部屋だから少なからず緊張していたのだが、まあいい。そんな事より早く横にしてあげなければ。両手が塞がっている俺は、蹴り上げるように棺桶のフタを開けた。


 中にはピンクのシーツと白いレースのひらひらがついた枕。愛くるしい動物のぬいぐるみがいくつも入っていた。どうやら間違いなくこの中で寝ているらしい。俺は抱き抱えていた彼女を棺桶の中へ下ろした。


「お……お……」


 口をぱくぱくさせて何かを伝えようとしているが、声がまったく出ていない。それほど衰弱しているのだろう。俺は唇の動きだけで彼女が言わんとしている事を読み取る事にした。まさか幼少の頃に習った読唇術どくしんじゅつがこんなところで役に立つとは思わなんだ。


 薄いピンク色の艶かしい唇が微かに動く度にどうしても鋭い牙に目がいく。イカンイカン。集中しないと何を言いたいのかわからなくなってしまう。


(お、な、か、す、い、た)


 ひょっとしてこの娘、空腹でブッ倒れたのか? 何かに没頭すると食事すら忘れるタイプなのだろうか。まあいい。そうとわかれば話は早い。俺は見習いといえど料理人。腕の見せ所ですな。


「ちょいとキッチンを借りるよ」


 返事は返って来ない。それもそうか。声も出せないほど空腹なのだから仕方ない。なるべく胃に負担をかけずに栄養のあるものを作ってやろう。そう考え、俺は一階へと下りた。

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