・う、うち、お嬢様じゃ、ないよ……?
今どき古風な引き戸を開くと、我が家はいきなり焦げ臭かった。
まさか火事ではないかと大急ぎで台所へと飛び込むと、そこには
それと掘りコタツの中から、聞き間違えでなければ子猫のクシャミも聞こえたような気もした。
とにかく火事ではなくてよかった。
「与一ぃ……やっちゃったよぉ……」
「しれっと二日目の午後にして『くん』を外してきたな……。で、何を作ってたんだ?」
こっちは最初からクロナと呼び捨てているので、そこはお互い様だ。
止まっている換気扇を引いて、彼女の握るフライパンの中を見下ろしてみると――ほれぼれするほどに真っ黒だった。
「晩ご飯、うちが作ってね、与一にお礼しようと思ったの……。けど……作り方よくわかんない……。それでね、テレビの画面見てたらね、焦げた……」
「レシピも決まってないのに料理を始めるなよ……。って、テレビ? あっ!?」
居間の方に目を向けると、砂嵐発生装置の画面に料理番組が映っていた。
ついつい画面に飛びついて、その背面をのぞいてみると、デジタルチューナーがテレビから勝手に生えてきていた。
ちなみにテレビ画面には、美味しそうな酢豚が映っている。
「初心者に酢豚は難しいだろ……」
「うん……わけわかんなかった……」
「ミャー!」
換気扇が回って空気がよくなったからか、あるいは出迎えの挨拶なのか、コタツからカマタリが這い出てきた。
学生ズボンに爪を立てて登ろうとしたので、悪ガキに手を伸ばすとあっさり胸の中に収まってくれた。
子猫を抱いて台所へと引き返す。
どうやら自分で食材を買ってきたようで、普段俺が買わないようなお高い物がちらほらと並んでいた。
クロナは何も言わないで失敗に縮こまっている。
カマタリを下ろして、黒こげの肉らしき部分だけ摘まんでかじってみると、塩気ゼロの焦げ味という独創的な味付けだった。
「ごめん……」
うちの妹でもこんなダイナミックな失敗はしない。
するとカマタリがクロナの足下に進んで、ざらざらとした舌で足首を舐めた。
慰めのつもりだろうか。だとすれば、まだ子猫なのに賢い。
クロナに抱き上げられると、子猫は幸せそうに喉を鳴らして瞳を閉じていた。
味を付け直せば肉の方は食べれそうだ。野菜はすっかり炭化しているが……。
そんなわけで肉だけ拾い集めて、残りを捨ててフライパンを水に漬けた。
「よければ料理を教えるか?」
「ほんと……? 勝手なことして、怒ってない……?」
「この程度で怒ってたら切りがねーだろ。怒る理由も特にない。いや、むしろテレビのお礼がしたいな。強情を張ったが……アニメが見れるのは嬉しい!」
「よかった……。店の人に取り付け方聞いて、がんばったかいがあったよーっ」
うわ、コイツ想像以上にコミュ力高っ……。
大人の店員さんに詳しく聞くとか、勇気と決断力が必要な一大ミッションじゃねーか……。
「意外としっかりしてるんだな、お前……」
「そうかな、それはこっちのセリフのような気もするけど。でっ、何を教えてくれるのっ?」
「ああ、そうだな……」
クロナの買ってきた食材はまだだいぶ余っていた。
これなら冷蔵庫の中身と組み合わせて、牛肉を使ったポトフとサラダくらいなら作れそうだ。
「クロナってマヨネーズ好き?」
「大好き!」
「んじゃ、ポトフと、マヨネーズぶっかけた大根サラダなんてどうだ?」
「いいねいいねっ、賛成! うち手伝うよっ!」
クロナの声がとにかくでかいので、眠っていたカマタリが起きてしまったようだ。
遊びに行くと言わんばかりにもがいて、テーブルの上へと飛び降りた。
「サラダは後回しにして先にポトフにしよう。クロナは――まずはジャガイモをむいてくれ」
「おっけー! ん、んん……難しい……」
「……いや、ちょっと、何やってんの? 何も手でむけなんて誰も言ってねーよっ! いやウソだろ、家庭科で習っただろ!?」
「だ、だって、うち……そういうの、習ってないから……」
これを使えとピーラーを渡すと、不思議そうにピーラーを見上げるばかりだ。
しかし、家庭科を習っていないというのは、もしかしてコイツ訳ありなのだろうか……。
「惜しい、向きが逆だ……」
「こ、こう? おっおーーっっ、スルスルむけたぁっ! すごっ、何これ便利過ぎないっ!?」
「いや、ピーラー一つで感動するとか、どんなお嬢様だよ……」
「う、うち、お嬢様じゃ、ないよ……? あは、あははっ、ただの、ギャルだよ……っ!?」
片方はまだ不器用だが、二人で調理するのは楽でよかった。
一人だとあっちやったりこっちやったりと、混乱して忙しないからな。こういうのもなかなか悪くない。
「それフリか? 詮索した方がいいのか?」
「い、いい、いらないっ! 聞いちゃダメだからっ!」
「じゃあ聞かねーよ」
ただの高校生が財布に諭吉を10枚近く入れてるとかあり得ないしな……。
デジタルチューナーをポンと買ってくるあたりからして、金回りがいいのは間違いない。
沸騰した鍋に牛もも肉と、小さくしたジャガイモとタマネギとニンジンなどなどを入れた。
隣を見ると、ギャルがニコニコと嬉しそうに俺に微笑みかけてくる。
まるで初めてお母さんの料理を手伝っている女の子みたいだった。
しかし一歩引いた目でこの状況を捉えなおしてみると、これって――
「ねぇねぇ、与一。これってさ……これってなんか、なんかさ……へへへ……♪ まるで新婚さんみたいだね……♪」
「何言ってんだ? 新婦さんはもうちょっと調理スキルとかあるだろ?」
「グサァァーッッ?! もぉーっ、本当のことでもハッキリ言っちゃダメだよっ、そういうことっ!」
「お前がおかしなこと言うのが悪いだろ」
「そんなこと言って、あっ、ホントは嬉しいんでしょっ!? ほらほら、正直になーれーっ♪」
「く、くっつくな……。フラグ無しで変なとこくっつけるなっ!」
また馴れ馴れしく腕にしがみついてきたので、引きはがすのに苦労した。
やはり標準を超える十分な大きさを持っておられた……。
しかしこれはまずいな。
本格的に俺も流されかけていて、このままではズルズルと引きずり込まれてしまいそうだ……。
まともに知り合って二日目に、スキンシップで男女がベタベタくっつくなど、あり得ない、お前は欧米育ちかっ!
「あのな、クロナ……」
「なあに、与一?」
ルームシェアをしているからこそ、俺たちには適切な距離感が必要だ。
こういうのはお互いの関係にもよくない。
「いや、その、あのだな……。お前は――お前は大根の皮むきを頼む……」
言わなければいけないのに、天使みたいな明るい笑顔で懐いてくるからどうも言えなかった。
「うんっ、任せて! 与一のためならなんだってする!」
この好感度の高さはどこからくるんだ……?
たかだか未成年なのを承知で部屋を貸して、腹を壊した子猫の面倒を見ただけだろう……。
「ねぇねぇ、ポトフに大根は入れないの?」
「ダメだ。それをやると醤油味にしたくなるから、ダメだ」
大根を入れたらそれはもうポトフではない。
俺たちはなんだかんだ互いに笑い合いながら、今夜の晩飯を一緒に作っていった。
クロナと一緒に料理をするのは楽しい。悔しいがそれは認める。
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