・さよなら、おっさん
「俺のベトナム行きに乾杯!」
「うわぁ……自分で自分の送迎祝ってる……」
6人掛けのテーブルに所狭しと注文が並ぶと、俺たちはオレンジジュースとジンジャエールと生ビールで祝杯を上げた。
肉と揚げ物の香りが入り交る中、白桃のパフェと餡蜜がクロナの目前に鎮座していた。
お腹が空いていたので、まずは目の前の晩餐に俺たちはかぶり付いていった。
「んむぅっ……?!」
ふとクロナのパフェに羨望の目を向けると、クリームの乗ったスプーンが俺の唇を不意打ちで突き刺した。
クリームは口の中ですぐに溶けて、甘くコクのある味わいがまだ食べ切っていないイカリングと混じり合う。
「おー、妬けるねぇ。間接チッスの味はどうだよ、与一よー?」
「……そうやって年下をからかうところだけは、どうかと思いますよ……」
「そこはまあそうなんだが……。お前らがかわいくてついやっちまうんだわ、わははは!」
「与一って、からかうとサイコーに面白いもんねっ」
「だよなーっ!」
「何結託してんだよ、お前ら……」
最後の夜と思うと、いつもに増してウキウキとした気分になった。
いやそれ以上に深い寂しさや悲しみを抱いたけれど、それは今は受け止めても仕方のない感情だ。
茶畑さんも同じ気持ちになったのか、一瞬だけ寂しそうな顔を見せてから、また笑った。
「与一、これ食え! 黒那は甘い物ばっか食ってないで野菜を食えっての!」
「そんなの酔っぱらいに言われたくないよっ! 大人ってすぐ自分のこと棚に上げるんだからーっ!」
「言うじゃねーか……。まあ、実際のところ大人なんてそんなもんだろ。偉そうなこと言いながら、矛盾した行動をするのが人間だからな。そこはガキもオヤジも関係ねーさ」
何気ない持論にクロナが示したのは沈黙だった。
「うん……。そうだね、うちもそう思う……」
きっと実家のことを思い出してしまっただろう。
さらに付け加えるならば、クロナにとって茶畑さんは信じられる家族だったのだろう。
それが俺たちの前からいなくなってしまう。仕方ないとはいえ、とても悲しいことだった。
「ところで、向こうでなんの仕事するんですか?」
「そりゃベトナムって言ったら、輸入――どうした、黒那?」
傾いた太陽が翌朝まで昇ることがないように、クロナはそのまま黙り込んでしまっていた。
深くうつむいたその姿からは表情を上手くうかがえない。
茶畑さんと俺が顔を見合わせていると、すぐに彼女の涙が白い受け皿へとこぼれ落ちた。
「ごめん……これっきりと思ったら、超寂しくなってきちゃった……。やっぱりお別れするの、悲しいよ、つらいよ、うち……」
悲しいのはみんな一緒だ。
そう返そうと言葉が喉までやってきて、それを引っ込めた。
「大げさだろ。別に死にに行くわけじゃねーんだから、また会えるっての」
「そうだよ。ただしばらく会えなくなるだけだよ」
自分で言っておいて矛盾を感じた。
学校から帰ってきたそのときに、茶畑さんが微笑みながら迎えてくれる生活はもう来ない。俺だって悲しい……。
「与一ぃ……」
しだれかかってくるクロナを、俺は肩を抱いて慰めた。
おっさんは苦笑いしながらやさしくクロナを見ている。決断には犠牲が伴うんだと、そう思った。
「お前らとお別れするなんて、俺だって寂しいさ……。だが決めたことだ、向こうのアオザイのおねーちゃんの写真送るからよ、勘弁してくれよ」
「じゃあ……それおっさんが着るなら、面白いから許す……」
「袖通んねーよっ、中年の体型舐めんなっ!」
「いや、どういうやり取りですか……」
「ふ……あはは……。うち、顔洗ってくるね……」
クロナが席を立つと、どうにか収拾が付いたかなと俺たちは揃ってため息を吐いた。
クロナみたいに気持ちを素直に表現できる人は、きっと得る物も多いのだろう。
「ルームシェアの件、一月で満了することになって悪かったな」
「別にいいんです。最初は不安でしたけど、俺も楽しかったですから」
「ああ……最高だった。あの家での生活は、一生の思い出にするよ」
「つまんない返しかもしれないですけど、ご一緒できて光栄でした」
茶畑さんはグビリと残りのビールを飲み干して、アルコール任せに俺の肩を叩く。
兄ちゃんとは全然違うタイプだけど、彼は俺の兄貴分だと感じた。
「お前もこれからもがんばれよ。あの立地、あの建物なら、またすぐに次が入ると思うぜ。……がんばりな」
「はい。茶畑さん以上の変わり者はいないと思えば、気楽になってきますよ」
「はははは! 俺ってそんなに変か?」
「変です。カッコイイけど、凄く変なおじさんです」
同性に面と向かってそう伝えたのは初めてだった。
次の入居者も、彼みたいな良い人だったらいいな……。率直な返答に、おっさんは顎を撫でて不思議がっている。
「ああそれと、JKが戻ってくる前に行っておくが」
「え、クロナですか?」
「……余計なお世話かもしれねーが、もうちょい素直になった方がいいぜ」
「素直ですか……。いや、ですけどそれは……」
彼女に惹かれているのは事実だ。
けれどもそうも行かないのも事実だ。
変わらない共同生活を守るなら、なんと言われても距離を間違えてはいけなかった。
「けどよー、そうやって無理して距離を置いているうちに、他の男にかっさらわれるかもしれねーぜ?」
「え……」
「いつまでも彼女や友達が自分の隣にいると思わない方がいい。後悔するくらいなら素直になれ。年長者として言うが、素直にならねーと、ぜってー、後から後悔することになるぜ……?」
茶畑さんがそうしたように、人は自ら変化を望むことがある。
居心地の良いぬるま湯の生活を捨てて、彼は厳しい方の道を選んだ。
そんな彼の言葉だからこそ、今の生活と関係が永遠に続くことはないことを肌身で実感できた。
「考えておきます」
「そうしとけ。あの時、誘いに乗っておけば良かったってな、後から思うもんだからよ……」
そこにクロナが戻ってきた。まだ目元が少し赤かったけれど、化粧でごまかしたみたいだ。
「なんの話してたの?」
「おっさんからの援護射撃だ。がんばれよ、黒那」
「だからそうやって焚き付けないで下さいよ……」
「ふーん……。あ、それより大事なこと忘れてた! うちら全然写真とか撮ってないよ! 今から撮ろっ!」
「……言われてみりゃそうだな」
それって裏を返せば、高校生を夜中に連れ歩いた証拠写真だ。
茶畑さんは一瞬迷ったみたいだけど、いつものように豪快に笑った。
「与一、お前が真ん中だ!」
「うんうんっ、さんせー!」
「ちょっと、お店で行儀悪いですよ2人とも……っ!」
クロナがスマホを掲げて、俺の左右をおっさんとJKが頬を寄せて囲んだ。
みんなでレンズを見上げて、とにかくこれを見た茶畑さんがベトナムでもがんばれるようにと、微笑み返した。
カシャリと撮影音が三度鳴った。
「また会おうね、おっさん! 絶対だよっ!」
「ああ、約束だ。戻ったら真っ先にお前らに会いに行く。約束する」
俺たちはその晩、別れを惜しむあまりに夜遅くまでファミレスにしがみついて、子猫に申し訳ない気持ちを抱えながら家に帰った。
●◎(ΦωΦ)◎●
「じゃなあ、与一。黒那。楽しかったぜ、ここ10年で一番な」
「ミャ……」
その翌週、茶畑のおっさんは晴れやかな笑顔を浮かべてこの家を出て行った。
おっさんがいなくなった家は静かで、寂しくて、カマタリもとても悲しそうだった。
さよなら、おっさん。必ずまた会おう。
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