・エピローグ 今の本当の気持ち
おっさんとの別れが、クロナに対する曖昧な感情に答えをくれた。
実際のところ彼は年下に手を出そうとはしなかったし、クロナだって面白いおじさん以上の感情を持っていなかった。
俺が1人で関係を想像して、飛躍させて、嫉妬していただけだった。
今ではそんな自分自身を恥ずかしく思っている。
しかし管理人の物部与一と、その居住者である藤原黒那の関係は簡単とは言えない。
俺は彼女に恋心を抱いている。けれどもこの恋心と、爺ちゃんの家を守りたい意志は両立しない。
俺たちが家でベタベタしていたら、次の入居希望者は嬉しく思わないだろう。
俺はクロナだけではなく、次の入居者も平等に歓迎しなくてはならないのだから。
茶畑さんは素直になれと言った。
だがそれは難しい。素直になったら成り立たない物が多かった。
だから俺は一致の距離を保ちながら、彼女との毎日を過ごす。
一線を越えるわけにはいかないけれど、彼女と一緒の生活は楽しくてたまらなかった。
そこには茶畑さんという兄貴分を失って、寂しさに拍車が掛かっていたのもきっとあるだろう。
「クロナに話があるんだ。ちょっと、そこの公園に寄らないか……?」
「は、話……っ!? わ、わかった……いいよ……」
だからそのままの気持ちを彼女に伝えることにした。
言葉にして伝えないと、茶畑さんが言うように、彼女にいつか逃げられてしまう。
いつまでも親しい関係でいるには、気持ちを伝えることも大切だと、彼に教わった。
それは1日の学校生活を終えて、スーパーに寄った帰りのことだった。
人気のない宵の公園で、クロナはブランコに座ってたたずみ、俺はその正面から向かい合った。
俺がそうであるように、彼女も緊張しているようだった。
「茶畑さんに言われたんだ、素直にならないと、いつか後悔するって……」
「うん……」
普段あれだけ騒がしいクロナが静かだった。
ユカナに見せられた眼鏡でお下げのクロナが本物なのか、それとも現在の明るいクロナが本物なのか、最近はわからなくなることがある。
「だから、ありのままの気持ちを伝えることにした。今言える範囲に限るけど、本当の気持ちを伝えておきたい」
「聞く。聞きたい。与一はどう思ってるの……?」
曖昧な言葉に、クロナは曖昧な言葉で返した。
もう俺の中で考えの整理は付いていて、伝えるべき言葉は決まっている。
勇気を出して、俺はありのままの気持ちを伝えた。
「茶畑さんみたいに出て行かないでくれ。それぞれの道が分かたれるその日まで、俺はクロナと一緒に暮らしていきたい。お前と一緒にいると楽しくて、今の生活がなくなるなんて、俺はとても考えられない」
「だったらうちも、同じだよ……。おっさんがいなくなって、ますますそう思うようになったよ……」
ただの言葉のやり取りに過ぎないけれど、俺たちは己の目が熱くなるのを感じた。
クロナもうつむいて、袖で顔を拭ったのでそのはずだ。
「一緒にいたい」
「うん……うちもずっと一緒がいい。この先どうなるかなんてわからないけど、うちも同じ気持ちだよ。……大人になるとそうもいかないのかもしれないけど、ずっと与一とカマタリと、あの家に居たいって思ってる」
永遠に続く関係なんてきっとない。
いつかはどちらかが心変わりして、いつかは事情が変わって、それぞれが別の道を歩んでゆく。
でも今の俺たちは一緒にいたいと願っている。
それが恋人以下、友人以上の中途半端な関係だとわかっていても、今はそうするしかない。
だったら伝えよう。気持ちを伝えなければ、ちょっとした事件で俺たちの関係は壊れてしまいかねない。
「俺はお前が気になってしょうがない。最初の頃は見とれる程度だったが、徐々に気持ちが高ぶっていって、最後は学園祭のあの姿に、俺はお前に魅了されてしまった。あんなにかわいい女の子が世界にいるなんて、二次元の嫁よりかわいい子がいるなんて、俺は知らなかった」
……二次元に触れるのは、口説き文句としてイマイチだ。
しかしこれが俺の気持ちだ。伝えたいことを全て伝えてスッキリしたかった。
「へへ……それって、つまり……。うちのこと、好きってことだよね……?」
「め、明言はしない……。それはあの家の管理人として、出来ない!」
「えーっ、ここまできてそれはないよーっ! もっと正直になろうよーっ!?」
「だから、俺には立場があると言っている!」
「だったら投げ捨てちゃお? 欲望に身を任せて『好きだーっ、クロナーッ』って叫んでよっ!」
「言わない。それを言ったら、きっと理性が吹っ飛ぶ。次の入居者の前で、お前とベタベタとしてしまいそうだ……」
「それの何が問題なのさーっ!」
「全部だ。さあ帰るぞ、今日は親子丼の作り方を教えてやる」
クロナに背を向けて歩き出すと、彼女がブランコから跳ね上がって駆けてきた。
気持ちは伝えた。今のところはこれでいいはずだ。
「ねぇねぇ、帰ったらあの服、また着てあげよっか? 理性吹っ飛ぶかもよ……?」
「……うっ!? そ、それは……。そういうのは遠慮するっ!」
背中に感じるクロナの温もりを振り払って、俺は日に日に成長してゆく子猫の待つ自宅へと歩き出した。
……障子、今度の休日にでも張り直さないとな……。
「与一!」
「いちいち大声を出すな。なん――んなぁっっ?!」
ふいに呼びかけられて隣を振り返ると、クロナが俺の肩に飛びついて来て、それから――
「へへへ……雰囲気的にアリかなって」
「あ、う、ぁ……。ア、アリなわけねーだろっっ!!」
「ごめん、知ってた」
「くっ……」
その唇の感触はとても信じられないほどにやわらかで、冷たい秋風の下だというのに身体を熱くさせた。
自宅の玄関をくぐるその瞬間まで、俺はクロナに一度も顔を向けられなかった。
もし彼女の姿を直視すれば、彼女の情熱に身を焼かれてしまう。
そうなったらおしまいだ。
俺はクロナへの好意を抑えきれなくなり、管理人としてのモラルから逸脱して、この強い衝動に身を任せた行動を取るだろう。
彼女が好きだと確信した。
●◎(ΦωΦ)◎●
「ウゲェ……ッッ?!」
全てを吐き出した翌日の朝、藤原黒那は俺を馬乗りで踏み潰した。
気持ちを伝えたのは間違いだったのかもしれないと、寝ぼけた頭で思いながらも、彼女の魅力にコロリとやられそうな俺がいた。
「おはよっ、もう9時だよ! うち午後からバイトだし、今から一緒にお出かけしようよっ!」
「お、お前、それ、全部お前の都合じゃねーか……」
「だってせっかくの休みだよっ、バイト行ったら今日は遊べないじゃんっ!」
「それも、お前の都合だろ……」
むっちりとした感触が布団越しに感じられて、色々と生理現象面も含めて、大変によろしくない。
俺は内股になって、荒れ狂う青い山脈をどうにかこうにかした。
彼女は朝シャンをしたようだ。湿った髪がしがだれかかっていて、シャンプーの爽やかな香りがを鼻孔をくすぐる。
「ちょっと待て、明らかに一線越えてるだろこれっ!?」
「そう? でも与一の方から越えてこなきゃ、セーフじゃない? ……うちは越えてくれてもいいんだけど♪」
「ウミャーッ」
そこに救世主……かよくわからんけど、カマタリまで俺の胸に這い上がって丸くなった。
子猫の安眠を妨害してまで、アレコレするほどの理由も動機もない。
「もう10分寝かせてくれ。そしたらどこにでも付き合うから……」
「あ、だったらお昼回転寿司いかないっ!? うちが奢るから!」
「……なんか俺、気のせいかお前の紐っぽくなってないか? だが行く!」
「おわっ、ちょ、いきなり起きあがるなぁーっ!」
子猫を抱いて、馬乗りになったクロナをひっくり返した。
頭の中は1皿100円で食べられる寿司ネタのシミュレーションに入っている。
今夜はちらし寿司もいいな……。
胸の中の子猫の毛はふわふわで、余りがちな皮がクニクニとしていてやわらかい。
「急いで支度する。寿司を俺に奢ってくれ。100円のやつを5皿程度でいい!」
「貧乏くさっ!? うち、与一になら1万だって貢げるよっ!」
「……やっぱり、俺って紐じゃないか?」
「気のせい、気のせい。これからもよろしくね、管理人さん」
俺たちは今を今なりに楽しく生きている。
あの告白から、少し関係性が紐方向に傾いてしまったような気もしないでもないが、彼女と出かけるのは何よりも楽しかった。
かの学園祭で、衆目の注目を集めた歌姫と、プライベートでこんな生活ができるなんて俺は幸せ者だ。
日に日に成長してゆく子猫を抱きながら、俺はこう思った。
どうかこの関係がいつまでも続きますように、と。
胸の中ですくすくと成長してゆく子猫は、その願いと大きく相反していた。
学生同士の恋心なんて泡沫の夢みたいなものだ。
ある日、ふと我に返り、どちらかがどちらかに飽きてしまうかもしれない。
だからそうならないように願った。
いつか彼女が、茶畑さんのようにここを去ってしまう日が来ませんようにと。
「むー、勇気を出して誘惑してみたのに、カマタリのせいで台無しだよ……」
「猫とはそういうものだ。構いたくない時に限ってすり寄ってくる。それが猫だ」
「つまり、うちの最大のライバルは……この子?」
「そうなるのかもな」
もうじき冬に入る。白く透明度の高い朝日と、少し肌寒い外気に包まれた世界へと、俺たちは玄関の引き戸をガラリと開けて、高く寒々しい空を見上げた。
さて、やはりコスパで考えるならばアジは欠かせない。上限600円以内で、休日の小さな贅沢を楽しむとしよう。
「与一。贅沢してもいいんだよ……? むしろ贅沢させて、うちに依存させたらいい気がしてきた!」
「バカ言ってないで行くぞ」
彼女の手を引いて歩き出すと、楽しい気持ちが胸いっぱいに広がった。
茶畑さんは行ってしまったけど、俺たちは大丈夫だ。
時々誘惑に負けてしまいそうになるけど、今のところは、きっと大丈夫だ……。
冬目前の空はどこまでも高く澄み渡り、鱗雲の向こうは果てしない青に染まっていた。
●◎(ΦωΦ)◎●
後日談――それから半月ほどが経ったある日、兄ちゃんから電話がかかってきた。
「与一、これから新しい入居希望者がそちらに行く。次は彼のように融通の利く人間とは限らない、しっかりとな」
「あ、ああ……見つかったんだ……」
「不満か?」
「まさか。ただ茶畑さんが良い人だった分、どんな人が来るか余計おっかなくて」
「大丈夫だ。……藤原さんと一緒にがんばれ」
「そうするよ。ありがとな、兄ちゃん」
新しい住民が今日やってくる。
どんな人かはわからない。付き合い難い皮肉屋だったり、社交性のない変人かもしれない。
どうしてもこればかりは緊張した。
「あれ、どうしたの、与一?」
「察しがいいな。新しい入居希望者がこれからくるみたいだ。よかったら歓迎、手伝ってくれないか……?」
「へーっ、どんな人かなっ! 面白い人だといいねっ、おっさんみたいに!」
「あの人以上は望み薄だろう。ほんと、良い人だったな……」
「うん。だから大丈夫だよっ、次も大丈夫! 二人でお出迎えしようっ!」
最初からこうすればよかったのだろうか。
こうやってクロナと一緒に入居者を歓迎して、打ち解けてしまえばいいのだろうか。……いや、物事はそうも簡単ではない。
すると予定よりもずっとチャイムが鳴った。
緊張した面持ちで俺たちは向かい合い、2人一緒に玄関へと立つ。引き戸を開けた。
「こんなお時間にすみません、少しよろしいですか? 私こういうものでして、貴方たちは神を信じていますか? あっ……」
ピシャッと引き戸を閉めて、俺たちは深いため息を吐いた。
「もーっ、緊張して損したよっ! ただの宗教のおばちゃんじゃんっ!」
「状況が状況だけに迷惑過ぎる……」
次にチャイムが鳴ったら、こうやって一緒に出よう。一緒に歓迎しよう。
俺たちはこの予想もしないデモンストレーションに笑い合って、何が起きても二人一緒なら大丈夫だと確認し合った。
次だって茶畑さんみたいな面白い人がくるに違いない。
あの日、目を泣き腫らしてやってきたギャルは、障子に突撃しようとするヤンチャ小僧を抱き上げて、心を許し切った微笑みを浮かべていた。
「あ、雄かな……」
「ああ、たぶん雄だ……」
蛇足だが、どうやらカマタリは雄のようだったと、付け加えておく。
――終わり――
古民家でルームシェアを始めたら、目元を泣き腫らしたギャルが子猫を抱えてやって来た ふつうのにーちゃん @normal_oni-tyan
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