・フジワラさん
学校から帰宅すると『ジリリリ……』と半世紀前の黒い遺物がベルを鳴らしていた。
「よかった、出たか」
受話器を取ってみると、案の定それはうちの兄ちゃんからの電話だった。
「これからルームシェア希望者のフジワラさんがそっちに行く。
「わかってるって。ありがとな、兄ちゃん」
「一応言っておくが敬語を使えよ、敬語を」
「兄ちゃんは少しは弟を信用しろって。この家を守るためなんだし、ちゃんとやるに決まってるだろ」
「お前は口が悪いから心配だ……。重ね重ね言うが、先方に失礼がないようにな……」
「だからわかってるって」
「心配だ……」
要するにルームシェア希望者のフジワラさんが、今日の18時にここを訪ねてくるそうだ。
心配性の兄ちゃんを適当になだめて、俺は受話器を置いた。
「よしっ、まずはソイツに気に入ってもらわなきゃな……!」
どうせやることもなかったので、俺は掃除をしながらフジワラさんを待つことにした。
この家の持ち主はもういない。他界した爺ちゃんから俺が引き継いだ。
もう古い家なので、うちの親は売るか取り壊すつもりだったらしいけど、俺は爺ちゃんと婆ちゃんとの思い出を手放したくなかった。
幸いここはそれなりに賑わうベッドタウンだ。同じ町に小さな温泉もあって、駅からのアクセスも極悪というほどでもない。
なので俺が相続して、維持費をルームシェアという形で捻出することにした。
そういったわけで俺はこれから、記念すべき同居人・第一号のフジワラさんを案内しなければならない。
少しでもここを気に入ってもらおうと、玄関と、貸し与える予定の二階の掃除に本腰を入れた。
それからほどなくして、約束の時間より30分も早く玄関のチャイムが鳴った。
ヤバい、緊張する……。
敬語、敬語、失礼がないようにして、誠実な家主だと思わせないと……。
俺は二階から下りると、意を決して玄関の引き戸をガラリと開けた。ところが――
「ぁ……っ」
「……えっ?」
俺の想像していたフジワラさんは幻想だった。
だってそうじゃないか。ルームシェアの募集に応募してくる人なんて、普通に考えたら収入のある大人に決まっている。でも違った。
玄関の向こうに、目元を赤く泣き腫らした女の子がいた。
しかもその胸に灰色の子猫を大切そうに抱き抱えていて、俺の姿にとても驚いているみたいだった。
「あの、ここって、物部さんの家、だよね……?」
「ミー……」
子猫が小さな声で鳴くと、彼女はあやすように頬を寄せた。
それからどう見たって訳ありの、赤くなった目元を恥ずかしそうに擦って、俺をまた見つめてきた。
「そうだけど……。ならそっちはまさか……」
実は学校で知っている顔だった。
彼女は俺の同級生で、オタクの俺とはまるで縁のない陽キャで、いつも綺麗な化粧をして通学してくるギャルだ。
ブレザーの下のYシャツはルーズにもボタンが3つも外され、補導間違い無しの豊かな谷間を露出させている。
それに加えて、信じられないほどにスカートが短くて脚が眩しいとくる……。
そんなかわいい子が、泣き腫らした顔で子猫を抱いてうちを家を訪ねてきた。驚かないわけがなかった……。
「思い出したっ、君って確かユカナのクラスの……えっと、与一くんだっけっ!? ウソッ、うちら同級じゃん!」
「そういうそっちは……ああっと……。シロナ、さんだっけ?」
「ブッブーッ、惜しいけど外れー! ま、思い出すまではシロナでも別にいいよ」
「いや自分の名前だろ……? んないい加減でいいのかよ……」
そう俺が突っ込むと、どこか寂しそうにしていた子が明るく笑って一歩を踏み出してきた。
「いいのいいの。へ、へへへ……なんか安心しちゃった……」
「え、なんで?」
相手はギャルだ。不意打ちで嫌みのボディブローを入れてくるかもしれない。
俺はそういうのに詳しいんだ、陰キャ代表として警戒態勢に入った。
「だって、同級生の家だと思ったら、安心しちゃって……。はぁ、よかったぁ……」
シロナ?は大きな胸を撫で下ろして、また親しみのこもった笑顔をこちらに向けてきた。
だ、騙されないぞ……。俺みたいなオタクに、なんでそんないい笑顔を向けてくるんだ!
「それどういう理屈だよ」
「だって……。さっき電話に出た人、凄くお堅そうな大人の人だったから……うち、身構えちゃってた……。はぁ、なんだ、与一くんかぁ……」
兄ちゃんはうちのやさしい長男だけど、真面目過ぎるところは確かにある。
「えーっと……まさかとは思うけど、フジワラさん? ルームシェア希望者の?」
俺が指を指すと、彼女は子猫を抱いたままうなずいた。
「あ、この子ね、うちが拾ったの……。名前はまだ暫定だけど、カマタリ」
「マ……マジか……」
指先の震えが俺の戸惑いを物語っていた。
名前は後で書類を確認すればわかるけれど、まさかシェアハウスする相手がギャルになるなんて想像もしてなかった。
しかもそれはうちの同級生で、実のところ前からちょっと怖いというか、苦手意識を覚えていた子だった……。
だってギャルって怖くない?
ほら大人の世界を知ってて、なんでもかんでもズケズケと言ってくるイメージとかもあって、究極的にオタクをバカにする集合的無意識が実体化したかのような存在というか――全部偏見なのわかってるけど、とにかく俺は苦手だ……!
「あははっ、驚いちゃったよね!」
「あ、ああ……驚いた、驚きまくった……。けどとりま、とにかく中に入ってよ」
ギャルのフジワラさんを居間に通して、ヤカンを火にかけた。
やっぱりギャルは苦手だ……。彼女に背中を向けたまま、俺は沸騰を待って、用意しておいた来客用の紅茶を煎れた。
「お待たせ……」
「あ、悪いね。この子にお水もお願いできる?」
「もちろんそのつもりだ……」
「へへへ、気が利くね。ありがと!」
その間、彼女はジロジロと爺ちゃんの家を物色していた。
この日のために掃除はキッチリとしてきたが、古さばかりはどうしても隠せない。
子猫の方は既に彼女のたわわな胸から解放されて、一帯の探検に旅立ったようだ。
腫らした目に子猫か……。しかもギャルで同級生で、今はうちの家を値踏みしている。どうもおかしなことになっていた……。
「ここで暮らしてるの、もしかして与一くんだけ?」
「そうだが、なんでわかるんだ?」
満足したのか彼女は掘りゴタツにに腰掛けて、テーブルの紅茶を口に運んだ。
今のは作法か何かなのか、ソーサーの上でカップをくるりと回して、意外や意外にも上品に飲んでいた。
「家具の配置とか、食器とか、色々だよ。ペットOKって聞いたし」
「あ、ああ……何せ古い家だからな。こっちだって注文を付けられる立場じゃない。とはいえ、子猫な……」
いくら古い家とはいえ、壁紙や柱で爪とぎをされたら困る。
俺は隣室の窓辺に飛び乗ろうとしているヤンチャ者を凝視しながら、兄ちゃんのいないこの状況でどう判断したものやら悩んだ。
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