・もうお父さんとお母さんに言うからっっ!

「お兄、ちゃん……?」


 その現場をのぞき見ている者がいなければ、その晩はまだ平和な方だった。

 まだ少しのあどけなさを残す少女の声に、急に回りにくくなった首を曲げて背後を振り返れば、それはうちの下から二番目の妹だった。


「さ、咲耶さくや……いや、これは……」


 俯瞰的に現在の状況を述べればこうだ。

 知らぬうちに、うちの下から二番目の妹の物部咲耶が家へと上がり込み、クロナに腕を組まれてデレデレしている俺を冷めた目で見ていた!


 ちなみにうちの妹は、兄のひいき目を差し引いてもなおかわいい。

 ツインテールを伸ばした少学5年生が、お兄ちゃんを軽蔑混じりで見ている……。


「え、妹? 与一の?」

「そうですよー、妹ですけどぉー、お邪魔して悪かったですねー、彼女さんっ! お兄ちゃん最低っ! みんな信じてたのにっ、もうお父さんとお母さんに言うからっっ!」

「ちょ、待てって!? これは俺の意思じゃないっ、誤解なんだ咲耶っ、それだけは止めてくれっ!」


 なぜこうなるかというと、うちの一家は愛情深い。

 家は狭くて貧乏だが、みんなで助け合って兄弟同士仲良く暮らしてきた。


「こんなの裏切りだよ! みんなお兄ちゃんが出てくの、寂しくても見守ることにしたのに! お爺ちゃんの家を守るためだって、咲耶たちずっと信じてたのにーっ!」


 その輪から長男に続いて次男の俺が抜けたら、こうなる……。


「あれ、これって、修羅場……? 家族会議とか始まっちゃう系?」

「お前がベタベタくっついてきたのが発端だってのっ!」


「え、そうだったの?」

「ここまできて自覚ねーのかよっ!?」


 ところがそこに灰色の救世主現る。

 子猫のカマタリがうちの咲耶に興味を持ったようで、子猫にしては剛胆にも足下から靴下に爪を立てた。


「あっ……これ、お母さんが言ってた子!? かわいいっ!」


 すぐに小学5年生は膝を丸めて、やわらかくふわふわの毛並みに触れてみたりと夢中になった。

 その手つきはおっかなびっくりとした動きで、まだカマタリとの距離感を計りかねているようだ。


「ヤバたん……。咲耶ちゃん、マジメくんの妹とは思えないほどかわいいじゃん……っ」

「それどういう意味だよ……」


「これ、お姉ちゃんの子っ!?」

「そうだよ。うちが拾ったの! 公園でね、一匹だけ寂しそうに捨てられてたから、飼うことにしたの! ねね、ヤバかわいいっしょっ!」


 多分その後にカマタリを家に連れ帰ったところで、飼う飼わないでクロナは親と揉めたんだろうな……。

 でなきゃ泣き顔でここに現れる前に、家で飼っているだろうしな……。


「そうなんだ! お姉ちゃん、偉い! 咲耶、お姉ちゃんのこと誤解してた、偉い!」

「えへへへ……そうかなぁ……♪」


「でもイチお兄ちゃんと何してたの?」

「あ、それは晩ご飯を――」


「イチ兄ちゃんは黙ってて!」

「……はい」


 昔はもっと素直でおとなしかったのに、うちの妹は最近どんどんパワフルになっていて辛い……。

 学校生活って虚勢と虚勢の張り合いみたいなところあるし、この先も揉まれて強くなってゆくんだろな……。


「抱っこしたい?」

「い、いいのーっ!?」


「いいよ、この子、抱っこされるの大好きだから。ほら、こうやって……どうぞ」

「あ、ありがと……。わぁぁ……っ♪」


「ふふふ……喉鳴らしてる。喜んでるみたい」

「ほんとだっ! すっごい鳴ってる、喉! かわいいーっ!」


 明るい声色ではなく、やさしい声を選んだクロナはまるでホンモノのお嬢様みたいに清楚に見えた。

 だがこれはギャルだ。スカートが短くて、ボタンをろくにはめない女だ。よって幻覚だろう。


 カマタリに夢中になっているうちの妹に、今もやさしくて穏やかな微笑みを向けているけれど、ギャルでお嬢様だなんて属性がハチャメチャになるので、何も見なかったことにした。


「うちね、与一に料理教わってたの」

「わ……もう呼び捨てなんだ……。そこまで、関係が……わぁ、大変……」

「誤解だ……」


「えー、あやしい、あやしいよー……っ」

「だったらうちらのこと、疑ってもいいよ?」

「いやよくねーよ……っ」


 何もないところに火と煙を立てようとするな。

 俺が疲れた目で抗議すると、クロナは楽しそうに微笑み返してきた。


「ますますあやしい……」

「ミャ……ミャー……」


「でも、かわいい……っ! お兄ちゃんっ、咲耶、今日はここに泊まる! だって、あやしいからっ!」

「そんなこと言ってお前、子猫に釣られただけだろ……」


「ち、違うもん……っ」


 ここで帰れと言ったら、咲耶の疑惑が深まるばかりで、実家におかしな告げ口をされかねない。

 俺の口から母さんに電話を入れるしかなかった。

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