・親フラグ

「あのね、実は文化祭の実行委員、前から一度やってみたかったんだ」

「それは少し意外だな」


「うちの家って、ちょっと厳しいの。カマタリのことも、それで揉めまくっちゃって……」

「それはわかってた」


 再び横目でクロナの表情をうかがうと、家庭の問題は彼女にとってかなり深刻な悩みのようで、みるみると暗く打ち沈んでいった。

 きっと世の中では、上手くやっている家庭の方が少ないんだろうな……。


「ねぇ……あの時さ、うちのこと、バカなやつだと思った……?」

「まさか。率直に言えば、なんて愛情深いやつだと思った。お前はやさしくていいやつだ。俺なら揉めるとわかっているのに子猫を助けようなんて、そうは考えない」


 シーズンはいつも蜜柑が入っていた網かごを、カマタリは我が物顔で占領している。

 猫を拾ってもなんの利益にもならないが、この寝顔を見ていると理屈ではないとわかる。


 きっとクロナと家族は、元から上手くいってなかったのだろう。

 そこに水を差すように玄関のチャイムが鳴り響き、子猫とギャルを飛び上がらせていた。


「ま、まさか親……っ!?」

「この場所教えたの?」


「そんなわけないよ!」

「だったら違うだろ」


 掘りゴタツから立ち上がると、クロナとカマタリも一緒になって身を起こした。


「え、出るの……!? 居留守使おうよ……っ」

「何を大げさな……確率的にあり得ないよ」


「だったらうち隠れるっ! 帰りたくないもんっ!」

「別に隠れなくてもいいと思うけどな……」


 再びチャイムが押されたので、俺は玄関先に出て靴をはいた。

 それから引き戸を開くと、そこにいたのはガリガリに頬骨が尖った妙齢のおばさんだった。


「夜分失礼します。今お時間よろしいですか?」

「え、ええまあ……」


 仮にこれが本当にクロナの親だったとしたら、心証を害する行動は大きなマイナスとなる。


「良かった。私は神の言葉を広めて回っている者です。貴方は、聖なる書を読んだことがおありですか?」

「え、いや……。え、神……?」


「見ればだいぶ不幸そうな顔をされていますね。何か悩みがあるのでは?」

「いえ、そんなことはないですけど……」


 いきなり現れていきなりよくわかんないけど、そんなの余計なお世話じゃないか……。

 というよりこれは違うな。どう見たって状況的に、クロナの親じゃないぞ。


 これは宗教のオバちゃんだ……。

 しかもこんな時間にやって来るなんて、非常識にもほどがあるだろう……。


「そんな貴方に、神様の言葉を教えて差し上げましょう。なぜ人間が苦しむのか、ご存じないですよね?」

「ご存じないですけど、そんなことどうでもいいような……」


「神は言われました――」


 いやマジで余計なお世話だから……っ!


「すみませんっ、今猛烈にう○こしたいので失礼しますっ!」

「――あっ!?」


 引き戸と鍵を一方的に閉めて、俺は温かい居間へと引き返した。

 そこにクロナの姿はない。本当にどこかに隠れてしまったみたいだった。


「アイツ、どこに消えたんだ……?」


 外で宗教のおばちゃんが聞き耳を立てているかもしれない。

 俺はクロナの姿を探して、家を歩き回った。


 こたつの中。いない。二階の部屋。いない。トイレ。いない。


「アイツ、どこに消えたんだ……」


 もしかして裏口から逃げたのだろうか。

 だとしたら探したところで見つかるわけがない。……そういえばカマタリの姿もないな。


 時計を見るともう7時過ぎだ。

 早めに風呂を洗うことにして、脱衣所で上着とズボンを脱いだ。


 続いて風呂用のスポンジを取って肌寒い浴室に入り、銀色の万能釜のふたを開けた。


「うおわっ?!」

「ミャッ?」


 そこにしゃがみ込んで丸くなったJKと、愛想よく挨拶をしてくれるカマタリの姿があった。


「イヤだからっ! うちっ、絶対にあんな家になんか帰らないんだからっ!」

「何やってんだ、お前……」


「え……ぁ……っ。はぁぁ……っ、なんだぁ、与一かぁ……って、裸ぁっ!?」

「そりゃ脱がないと汚れるし」


 釜の中で縮こまったクロナが俺を見上げたまま固まっている。

 いや正確には、顔ではなくむき出しの上半身に視線を合わせて、ピタリともその凝視を動かさずにガン見してくれていた。


「うち……よく考えたら今、男の子の家に泊まってるんだね……」

「いきなり、んなこと言われても反応に困る」


 無性に恥ずかしくなってきて、今すぐ脱衣所に戻って服を着たかった。

 しかしここで恥じらったらクロナのペースだ。


「ほら、風呂掃除始めるからお客様は出てけ」

「あ、それ、うちがやる」


「いや、お前は一応お客様だし、それはちょっとな……」


 俺は管理人としての立場を守る必要がある。

 もしも管理人としての役割を捨てれば、ズルズルと流されてしまいそうな気がするからこそだ。


「いいからいいから、うちに任せてよっ!」

「どうしても?」


「どうしても手伝いたい!」

「……そこまで言うなら、じゃあ頼む」


「任された!」


 ただチラチラと身体を見られているような気がして、俺はスポンジを彼女に突き渡して、暖かな居間へと引き返した。


「ビックリした……。アイツ、いくらなんでも見すぎだろ……。あ、洗剤の場所言ってないな」


 なぜこんなにドキドキしているのだろうかと、自分の反応をいぶかしみながら脱衣所に戻る。

 ……だが、その選択は軽率であり、とんだ大失敗だった。


「ギャーッ、痴漢っっ!? 待って待って、うち、そんな、心の準備が……っ」

「な……なんでお前こそ脱いでるんだよっ?!」


 脱衣所には下着姿のクロナと、着やせする驚愕のボディラインがあった。

 ついでにカマタリが足下にからみついている。


「お風呂洗うからに決まってるじゃんっ、与一だってさっき脱いでたじゃんっ!」

「うっ……」


 白いふとももに、ふっくらと隠しきれない谷間がまぶし過ぎる。

 情けないことに喉から言葉が出てこなくて、挙動不審状態の俺は彼女を凝視したまま動けなくなっていた。


「見過ぎだってば……っ! うぅぅっ……早くっ、早く出てけぇーっ!」

「お風呂の洗剤そこの奥だからっ、ごめんっ!」


 クロナが背中を向けて風呂場に逃げてゆくと、俺の頭には彼女のお尻が焼き付いてしまっていた……。

 ああ、とんでもない大失態を冒してしまった……。もしクロナに嫌われたらどうしよう……。


 俺は脱衣所からコタツに戻って、裸を見た興奮よりも失敗に落ち込んだ……。

 この生活は、刺激があまりに強烈過ぎる……。


 いつまで経っても彼女のまぶしい姿が頭から消えず、頭の中では罪悪感と興奮がグチャ混ぜになっていた。

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