・不漁中年が住み着きました

 2階の部屋に茶畑さんを通してしばらくすると、彼が居間に降りてきた。


「あ、茶畑さん。よかったら夕飯どうですか?」

「奢ってくれるのかよ?」


「自炊ですけど、せめて初日くらいは歓迎させて下さい」

「ははは、与一くんはいいやつだねぇ……。だったら俺が台所に立つよ」


「えっ、いや、悪いですよそれはっ!?」

「親切にするくせに、人の親切は拒むのか? 矛盾してるだろ」


 最初は何気ない善意だったのに、気づいたら包丁を奪われていて、冷蔵庫を漁られていた……。


「このへん使っていいか?」

「い、いいですけど……いいんですか?」


「お前さん感じいいからな。お近付きに飯でも作らせてくれ」

「じゃあ、明日は俺が作ります」


 メッシュの入った不良中年がニヒルに笑った。

 いかにもモテそうなカッコイイ人だ。


 俺はお言葉に甘えて、コタツの上で教科書とノートを開く。

 テレビを見ながら今日の授業の復習をした。


「実は俺な、この前まではこっち系の仕事してたんだよ」

「それって、料理人ってことですか?」


「いや、ナウなヤングが集まるバーの店長だ。これでもバカウケしてたんだぜ」

「あの、それって、俺たちのお爺ちゃんくらいの世代の言葉ですよね……?」


「おっさんが若者言葉無理して使っても、ウゼーだろ」

「まあ、確かに」


 素直に首を縦に振ると、茶畑さんは苦笑いを浮かべた。

 それにしても仕事が早い。店長というのは本当みたいだ。


「ただいまーっ、あ……!」


 玄関の引き戸が元気良く鳴って、帰ってきたクロナが茶畑さんの靴に気づいた。


「おっ、愛しの彼女が帰ってきたな」

「誤解されるようなこと言わないで下さいよ……っ」


 それと同時に隠れていたカマタリが主人の帰宅に反応して、寂しそうに鳴きながら廊下へと続く引き戸を引っかく。

 俺が開けてやると、目の前にクロナの顔が現れることになった。


「ただいま……」

「お、お帰り……」


 クロナは不意打ちの急接近に恥じらってくれた。


「ただいま、カマタリーッ♪」

  

 それから足下に絡み付くカマタリを抱き上げて、胸に抱いて頬ずりをする。

 カマタリはちょっと迷惑そうだった。


「クロナ、あそこでプライパン握ってるのが茶畑薫さん。見た目はちょっと派手だけど、良い人みたい」

「んん? 俺ってそんなに派手か?」

「おわっ、なんかカッコイイおじさん増えてるっ!?」


「JKにそう言ってもらえると光栄だぜ」

「うちは黒那。ねぇねぇ、それより何作ってるのっ!?」


「これか? ささみ肉のオニオンサラダと、地中海風チキンソテーだ」

「何それ、美味しそう……!」


 クロナが一瞬で茶畑さんと打ち解けて、台所の彼の隣に飛び込んだ。

 どちらもコミュ力が高すぎる。二人が笑い合い、クロナがオニオンサラダを摘まみ食いした。


「与一っ、このおっさんのご飯美味しいよーっ!?」

「おいこら、おっさん言うな、せめておじさんと言え……」


「そんなの変わんないよ?」

「変わるっての! 俺はおじさんだが、まだおっさんじゃねぇ!」


「えー、意味わかんない……」


 そんな二人のやり取りを見ていると、どうしてか胸がざわついた。

 元バーの店長とギャル。それがしっくりとくる組み合わせだったからだろうか……。


「与一、なんとか言ってくれ……。お前だってその歳で、おっさんとか言われるのヤダろ……?」

「そんなの一度も言われたことないですよ……」


 構ってもらえなくなったカマタリは、俺の隣にやってきて甘い声を上げた。

 寂しそうなので膝に乗せる。すると胸の中のもやもやが少し薄らいだ。


 今日からは、昨日までと同じ生活は出来ない。

 俺はどうしてか急に焦りを感じ始めて、そのせいで復習が手に付かなくなって困ってしまった。


「うし、出来た。俺はこれから仕事に行くから先に食ってくれ」

「え、もう行っちゃうの?」


「夜の仕事でな。もうちょい大人になったら店にきてくれ」

「あ、そうだった、待って下さい。……これ、家の合い鍵です」


「おお、悪ぃな。んじゃ、後で感想聞かせてくれよ」


 茶畑さんは俺から合い鍵を受け取って二階の部屋に一度戻ると、すぐに寒空の下へと出て行った。

 彼は感じの良い人だったのに、どうして俺は彼がいなくなったことを、愚かにも喜んでしまっているのだろう……。


 それが嫉妬の感情だと気づいたのは、それからだいぶ後のことだった。


「あのね、与一。今日あそこのドラッグストアでねー!」

「あ、うん……美味しいね」


「ちゃんと話聞いてよ!? そうじゃなくて、補導員っぽい人見かけてヒヤッときちゃった……」

「それは――もっと気を付けた方がいいかもな」


「だよね……。日が暮れてからの外出は止めよっかな……。今の生活、楽しいし……」

「ていうか、やっぱ家出娘だったんだ……?」


「わっ、しまったっ!?」


 もしクロナが補導されて、ここを離れなければならなくなったら痛手だ。

 カマタリの面倒を見る者がオレしかいなくなって、せっかくの楽しい日々が壊れてしまう。


 クロナの親御さんには悪いけど、そんな結末だけは避けたかった。

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