・うちのせいじゃん……

 それから少し自習を進めると、時計がもう19時を示していた。

 そこで俺は脂の多いソーセージを使って、キャベツとピーマンの簡単な野菜炒めと、味噌汁を作って夕飯の準備することにした。


 コツはソーセージに切り目をちゃんと入れるところだ。

 そうするだけで、肉の脂が野菜に回って格段に美味くなる――と俺は思う。


「何してるんだろな、クロナ……」


 一人で生活していると、恥ずかしい独り言が増えてゆく。

 これは直さないと、やはりギャルにキモいと言われて致命的な心の傷を負いかねないので、悔い改めることに決めた。


 あれっきり、うちの二階に居着いたギャルは部屋から下りてこない。

 トイレとかどうしているのだろう。下りてこないということは、もしかして寝ているのか……?


 そこでようやく俺は、彼女との距離感を間違えかけていることに気づいた。

 あくまで彼女と自分は同居人だ。お金の付き合いに過ぎない。踏み込み過ぎると、収入を失うことになる。


「あ……。しまった、あ……」


 余計なことを考えていたせいで、無意識に四、五人前も野菜炒めを作ってしまっていた。

 うちの実家は大家族なので、一度に一気に作って一席で食い尽くすスタイルだ。


 しかしな、『作りすぎたからどうぞお裾分けです』なんて言って、皿を彼女の部屋に持ってゆく根性なんて俺にはない。

 米と一緒に野菜炒めと味噌汁をかっ食らって、腹が満たされると大皿にラップをかけた。


 その後は――やることもないので、自習を再開した。

 居間にテレビはあるが、あいにくとデジタルに対応していない。


 これはスイッチを付けると、今どき物珍しい砂嵐ってやつを見られる装置だ。便利ではないが趣はある。


 こうして広々とゆったりとした生活を手に入れた反面、俺は実家の兄弟との時間を失った。

 ゲーム機もパソコンも兄弟共用で、ここに持ってくるわけにはいかなかった。


 スマホ? うちの家にそんな金はない。

 兄ちゃんが端末だけ買ってくれると言ってくれたが、下の兄弟に何か買ってやれと断った。うちの兄ちゃんは立派な人だ。


 なので俺は古めかしいラジオだけ付けて、退屈しのぎの自習を進めた。

 だって他にやることねーし……。遊ぶ金もねーし、マンガ本も兄弟が読みたがるので全て実家だ。


 ところがほどなくして静寂が破られた。

 うちの同居人により階段が激しく暴れ回り、居間の戸が蹴破らんばかりに開け放たれた。


「なんだよ、ビックリさせるなよ……。ん、どうした?」


 様子が変だ。クロナがネコ用トイレを抱えてそこにカマタリを乗せたまま、戸を開けたくせにその場で立ち尽くしていた。

 寒いから早く閉めてくれ。とはとても言えそうもない、青ざめた表情だった。


「どうしよう……ねぇ、どうしよう……っ」


 動揺の原因は子猫のカマタリだろう。

 コタツを立ち上がって子猫の様子を見ると、どうも元気がないようだった。


「どうもこうも事情がわからん。先に説明してくれ」

「う、うん……あのね……」


 なぜ俺はギャルの背中を軽く叩いて慰めて、立ち尽くす彼女からトイレごと子猫を受け取っているのだろう。

 トイレを地に置くと、彼女の動揺の理由がわかった。


「吐いたのか?」

「うん……それに、下痢もしちゃったの……」


 まるで純粋な子供みたいな素直さと弱さだった。

 嘔吐に下痢か。何か変な物を食べさせたのだろうか。


「子猫だから、ちゃんと、牛乳あげたのに……どうしてっ!?」

「……牛乳?」


「そうだよっ、子猫と言ったら牛乳でしょ!? アニメとかドラマで見たもん!」


 ギャルってアニメも見るのか……? 知らなかった……。

 オタクにマウント取ってくるタイプかと思いきや、コイツ、まさか同類……?


「詳しくないけど、牛乳って、ダメなんじゃなかったか?」

「ぇ……」


「ほら、小学校の頃、牛乳がダメなやつとかいただろ? あれだよ、あれ」


 俺がそう説明すると、クロナはすがるような手つきでスマホを取り出して操作した。

 スマホの方はいかにもギャルっぽかった。


 というか、いいなぁ、スマホ……。やっぱり兄ちゃんに甘えるべきだったかな……。


「マ……マジだ……。じゃあ、この子がお腹痛いの、うちのせいじゃん……」


 それはクロナにとって不意打ちにして追い打ちだった。

 罪悪感に彼女は膝からたたみに崩れ落ちて、泣きそうな顔でトイレにうずくまる子猫を見た。


「知らなかったんだからしょうがないだろ」

「違う……そういう問題じゃ、ないよ……。だって、うち……この子だけは、うちが守ってあげるって、決めたのに……」


 半泣きだった綺麗な顔が、グシャグシャのモロ泣きに変わっていった。

 やっぱクロナって、俺が思い込んでたイメージと違うな……。

 愛情深いというか、それでいて脆いというか、けど明るくて……やっぱいいやつだ。


「下痢なら水分補給だな。確か、どこかに弟たちが使ってた、哺乳瓶を片付けたような……」


 彼女はカマタリの前にやってくると、小声で謝罪を繰り返しながら鼻をすすった。

 哺乳瓶は台所の一番上の棚にあった。


「ただの下痢だろ。ちょっと元気がないけど、たぶん大丈夫だ」

「治る……? それでカマタリ、元気になる……?」


「たぶん。てか、その名前暫定じゃなかったのか……?」

「だって……かわいい名前が浮かばないんだもん……」


「カマタリはかわいくねーだろ……」


 ぬるま湯を作って哺乳瓶に詰めて、世話の焼ける同級生に手渡した。

 彼女の手で与えれば、少しは罪滅ぼしにもなって気が紛れる。


「飲んでる……」


 子猫の小さな口が哺乳瓶からぬるま湯をすすった。

 その光景に俺まで安心してしまった。


「んじゃ、ちょっとドラッグストア行ってくる。確か子猫用のミルクとか、オムツも売ってたような……」

「本当……っ!? じゃ、じゃあっ……これっ!」


 今のは、なんだ……?

 クロナの財布の中に、諭吉さんを10名ほど見たのは俺の見間違えか……?


「あ、ああ……。では、少し待っててくれ……」

「うん、ごめんね、与一くん……」


 実家が金持ちなのだろうか……?

 諭吉さんを一枚受け取って、俺は真夜中の町に出た。

 彼女の不安げな表情が頭から消えない。

 仕方がないので駆け足に切り替えて、帰りは大股で家まで走った。

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