・エッチ……

「あっ、お帰り! 与一くんのおかげで、ちょっと元気になったみたい……!」

「そうみたいだな」


 クロナも元気になったみたいでよかった。

 そっくりそのまま返したい気持ちを堪えて、俺は袋ごとミルクとオムツとお釣りを彼女に渡した。


「ごめんね、お騒がせしちゃって……」

「同じ状況になったら誰だって動揺する。元気になってよかった」


 カマタリは元気を取り戻して、ヤンチャとまではいかないがクロナの膝の上で甘えていた。

 その尻にまずはクロナがオムツを巻き付けて、その間に俺がミルクを哺乳瓶に移して温めた。


「ごめんね……うちのせいでごめんね……」

「辛気くさいからそれはもう止めろ。お前のキャラっぽくないぞ」


「あ、寝そう……」


 子猫用のミルクを与えると、まだ数目盛りほどしか飲んでいないのに、カマタリはそのまま幸せそうに眠ってしまった。

 やっと一安心といったところだ。俺は自習に戻ることにして、コタツでペンを取った。


「ありがと、マジメくん……」

「だから見た目ほどマジメじゃないって言ってんだろ」


 子猫を起こさないように小声で言葉を交わした。

 自然と言葉を聞き分けるために、クロナが俺のすぐ隣に身を寄せてくることになった。


「へーー。だったら今何してるのさ……」

「勉強」


「やっぱマジメじゃんっっ!」

「んなでかい声出すと起こしちまうぞ?」


「あっ……そうだった……」


 俺は真面目なのだろうか。

 眠くもない、娯楽もない、何もない環境なのでなんとなく教材を開いているだけなのに。


「これは……うちの兄ちゃんの真似事だ。うちは金がないからな、独学でがんばるしかない」

「うわ……まとも過ぎ……。まともさに引くレベルだから……」


 どうやらクロナの方も元気になったようだ。

 弱った子猫を抱えて半泣きになっていた顔が嘘のように、何かとデリケートな陰キャにジト目を向けていた。なぜか悪い気はしない。


 しかしその感情もしばらくの間だけだった。

 俺には何が面白いのかわからんのだが、クロナはスマホもいじらずにこちらを眺めていた。


 他愛のないラジオ番組をBGMに、黙々と……やっていきたかったんだが、これはどうも気が散る……。

 それに甘くふんわりとした匂いがした。


 これは女の匂い? それとも化粧の匂い? 童貞の俺が知るすべもない。


「何見てるんだよ……?」

「あ、いや……だって、ここ何もないんだもん。つい見つめちゃった……。ねぇ、あれって動かないの?」


 クロナの目線はテレビの方に向けられていた。


「あれな、あれはアナログなんだ」

「マジで!? すご、骨董品じゃん……。あれ、けど与一くんって、友達とアニメの話とかしてなかった?」


「な……なぜ、そのことを……」


 その時、俺の頭の中では不思議な脳内変換が起こった。

 ギャル = オタク嫌い = アニメも嫌い → ディスられる……!


『うわぁっ、やっぱりアニメとか見てるんだぁ……与一くんって超キモーイッ♪』


 そう言われたような気がしたが、それは卑屈な陰キャオタクの精神が生み出した白昼夢だ……。

 恐る恐る隣を確認すると、クロナはニコニコと明るい笑顔で俺を見つめるばかりだ。


 そういえばさっき、アニメを見てるって言ってたっけ……。


「ねぇ、デジタルチューナーとか……買ってあげよっか……?」

「本当かっ!? ……っと、すまん、やはり結構だ。そこまでしてもらう理由が――」


「あるよっ、あるに決まってるよっ、だってカマタリ助けてくれたもんっ!! うち、与一くんに死ぬほど感謝してる!! 未成年なの知ってるのに契約するふりしてくれたし!!」


 あの契約書がガバガバなのは、彼女もわかっていたようだ。


「いや、だけど……俺がアニメとか見てたら、クロナは、笑ったりしないか……?」

「へ、なんで?」


「いや、やっぱりなんでもない。チューナーの話は嬉しいが、そこまでしてもらうわけにはいかない。気にしないでくれ」

「でもさー? さっき、話にちょ~飛びついてなかったー? ホントは欲しいんでしょ、正直に言ってみ?」


 欲しい……。テレビ見たい、アニメ見たい、ラジオだけの生活はやっぱ物足りない……。


「悪いな、俺は四桁を超える施しは受けない。それより風呂を入れよう、先に入ってくれ」

「ぇ……」


 話をごまかすのもかねて、一日の終わりを象徴する儀式を提案した。

 ところが何を間違えたのか、クロナの顔がみるみるうちに赤くなってゆく……。


 しかも嫌そうではない。どことなく嬉しそうに、あれだけクソ明るい女が慎ましくしているとくる……。


「エッチ……」

「お前の言うマジメくんが、エロい意味で言うわけがないだろ……。ガス代がもったいないからさっさと順番に入ろう」


「でもうち、お礼がしたいよっ! この子助けてくれたもん!」

「だったらその子猫だって、お前に感謝してるだろ。どういう経緯か知らないが、お前、意外といいやつだなって思ったぞ……」


「でもそれじゃうちの気が済まないよっ!」

「そっちの都合なんて俺が知るか!」


 俺は照れ隠しに居間を離れて、いつもよりも腰を入れて風呂を洗った。

 風呂が沸くと取り決め通り彼女が先に入って、その後に俺は――湯上がりの後れ毛という今日まで気づくことがなかった女性の魅力に、心臓を鷲掴みにされたりもした。


 風呂上がりの彼女は、ギャルというよりも普通の美少女――い、いや、なんでもない。

 その後は風呂入って寝た。寝たといったら、寝た!

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