23 何故
君だけ訛りが違ったからな。あっ、やっぱりそうでしたか。ああ。青森の者ではないね? はい、新潟で。新潟か。どのあたり? 長岡です。へえ、いいところだね。どうしてまた青森連隊に? えっと、本当は長岡造形大学に入りたかったんですけど……あの震災があって。母方の実家が被災して、戻らなきゃいけなくなって。働き手として、か。はい、もともと母が祖母の介護でつきっきりだったんですが、そのうえあんなことになって、家を回せる人間がいなくなったんです。父はとっくの昔に死んでるし……なので僕が実家に帰って、なんとか収入を得なきゃって、それで自衛隊に。そうか……災難だったね。いえ、よくある話です。
いかがなものかと思われます。何が。何がではありません、あのように下士官とくだけた態度で接することが、です。いいじゃないか、部下の心身の調子を慮るのも上官の役目だろう。しかし、あのように喫煙しながら腰掛けて談笑など……肉体労働者の昼休憩ではないのですから。ははっ、意外だね
しかしまったく、一週間もすれば慣れるのだから恐ろしい。ジュバでの宿営にも、一二月のアフリカの空気にも。しかし夜には夜の涼しさがある、もちろん青森のそれに比べればぬるま湯みたいなもんだが……申し上げます。ん。数分前、トンピン地区にて銃声があり、哨戒中の隊員二名が撃たれました。銃……SPLA-IOか? 発砲者の素性が認識できなかったため、詳細は不明です。すぐに応援を送るようにと……応援、銃を持って、か。
政府軍の反主流派による国連軍への攻撃なら、これまでに何度も起こっている。しかしよりによって自衛隊を……准尉。何だ。あの建物です、こちらに散発的な銃撃を加えたあと、あの小屋に立て籠もった模様です。あの小屋……くそっ、この暗さでは。照明は? 当てると中に立て籠もった勢力を刺激するおそれがあります、すでに小屋を囲んで警戒しておりますが、いかがいたしますか。ご指示を。指示……撃つのか。撃つのか? それはそうだ、撃たれたなら撃ち返すしかない。しかしそれは、避難民への緊急支援などとはわけがちがう。自衛隊による積極的な戦闘介入ではないか……准尉。くそっ……各官へ通達。対象から警戒を怠るな。各自あるいは部隊の判断によって、正当防衛や緊急避難に該当する場合には撃て。了解。
了解、一体何を了解したと……なん、なんだ。八時の方向! 爆発、手榴弾か。に、銃声。どちらのだ、あの音は
どういうこと、ですか。言ったとおりだ。言ったとおりって……隊長のご判断だ、SPLAはこの程度の戦闘など意に介さないだろう、と。こちらが発砲を受けた以上は明らかな正当防衛であり、隊員の即時の対処にも何ら問題はないと。対処って……指揮系統さえ失って突入しただけじゃないですか。SPLA-IOによる戦闘行為は日常茶飯で起こっていることだから、国連も今夜の事態だけを特に取り沙汰しはしないだろう、との判断、らしい……ありえません、だいいちあの屍体はどうするんです、二七名もの犠牲者の……あれは、もう、ない。えっ。隊長から国連軍に通達済みで、もう、ない。ない、って。焼かれた。小屋ごと、無かったことになった。
犯人はふたたび犯行現場を訪れる、という法則を愚直に果たしている自分自身を幾重にも陳腐に思いながら、焼却された建物の残骸を眺める。地に黒々と象嵌されている、この四方の稜線だけが、昨夜殺された人々の存在を証し立てる唯一の痕跡なのか。准尉、と引き留められ、初めて自分が焼跡の中央に跪いているのを発見した。ここか、陸曹、たしかにここなのか。昨夜、我々があのことをしてしまった場所は。はい。夜目がきかなかったのだ、どうしようもなかったのだ、そもそも土地勘もあるわけがないし……しかたなかった……准尉……准尉。
私たちがやりました。私たちが、昨晩、この小屋の中の全員を殺害しました。
ふふっ、と、風巻きのように聞こえた音が目の前の人物の唇から発せられたと認めるのにも、数秒の時間を要した。そうだったの。まあね、よくあることだよ。微笑みながら言う相手を見据えて
果たしてそうなった。国連軍どころか、当事者であるはずの自衛隊の公式記録にさえ、あの夜の惨事は影を留めなかった。
しかし、祖国の土を踏んでも、何ら現実感らしきものは戻らなかった。あれは夢だったのか。違う、私たちは確かにしてしまったはずだ。なのに誰も責めない、誰も問題にしない、そもそも記録にさえ残っていない。私たちが偶然に巻き込まれた、確かに在ったはずの流血は、跡形もなく消え去ってしまったかのようだ。当事者として居合わせた、私たちの胸の
「そんなよくある凡庸なことにも、人間の心身は耐えられない」。そうなった、果たしてそうなった。夜がくるたびに、あの声が聞こえる。本当に殺されたのかもわからない、存在したのかも定かでない、無辜の人々の声が。
惨事後ミーティング──そう名付けられた集会、在任中の外傷記憶を癒すための会合への出席も、私たちにとって何の助けにもならなかった。ばかりか、ミーティングの出席者が回を増すごとに少なくなってゆくのを見て、一体どういうことかと
新潟の子だったんだよ。
Peterloo。あのヒジャブ姿の女性から渡されたカードだけが、私たちの記憶をつなぎとめる唯一の物証だった。事の次第を英語で
そうか、マキは祖母がフランス人だったな。ええ。そういえば訊いたことがなかったな、なぜ自衛隊に。規律が欲しくて。規律……ええ。仏文学の翻訳をやってた両親の、なんていうか気取った雰囲気に、どうもなじめなくて。二世の学者として褒めそやされるのも鬱陶しかったし、だったら親から相続するの自体放棄しようと思って……そうか。恵まれた家庭に育つのも大変だな。でも……まさかこんなかたちで、何もかも一から始めることになるなんてね。ああ。なあマキ……何。俺は、恥ずかしい……あんなことがあって、まだ聞こえるしまだ視えるのに、その一方で身体は、こう、なるなんて……それは、人間だから当たり前でしょう。むしろ何も感じなくなったら、それは人間じゃなくなりつつあるってこと。そう、なのか。きっとそう。それに、身体が、こう、なるのは、男も女も同じでしょう。そのこと自体を抑えちゃいけない。恥の意識さえ手放さなければ、それでいい……はず。そう、か。ふたりで治しましょう。どちらかだけではいけないはず、私たちがやってしまったことを忘れずにいるためには……ふたりで。そう、ふたりで。
帰ってくればそこにいる。もう三日目になるか、彼女が私の住居に居座るようになってから。おかえり、では続きをしよう。と座位のままこちらへ呼ばわるのだが、今日も礼拝の時間を除いては一日中話し続けるつもりらしい。パールムッター。ズラミート、でいい。ズラミート……いい加減にしてくれないかな、いつまで続けるつもりなのか知らないが……もちろん、君との話題が尽きるまでだ。もう十分話したろう、ガザやヨルダン西岸の現状も、イスラエルにおけるムスリムの窮状も、君がシオニズムについて胸懐することも理解した。理解したなら行動に移すまでだ。アーイシャ、君と私の問題意識は同じだろう。つまり、なぜ我らの共同体はこれほどまでに女性を侮蔑しているのか、ということだ。ああ、君の書いた記事も読んだよ……『母なる祖国』への愛、だろう。そうだ、そもそも聖典で禁じられている聖地への回帰を、あろうことか女性に見立てて正当化している。一方で現実に生きる我々の容姿や振舞に対する侮蔑は止むことがない……それはダンサーとして活動する君が一番よくわかっているはずだろう。それは確かだが……ならば行動すべきだ。内部にいる者として、内部の病巣を攻撃する。君はイランから移ってきたが、イスラーム共同体の内部者という意味では同じだろう。私もユダヤの
そうだ、彼女はずっとこうなのだ。二日前に突然現れて私は親パレスティナ系紙の記者をしている者だ貴女はアーイシャ・ウムァジジだろう話がしたいと申し出てきたときから、ずっとこうして鬼気を剥いている。私は五度の礼拝とワークショップをこなさねばならないのに、彼女はずっと対話をやめようとしない。おそらく──後が無いのだ、彼女には。テル=アヴィヴにおいて当局を批判する、その困難を維持するための手立てが。ズラミート。と呼びかけると、顎をすこし上向きにする。どうして──私なんだ。テル=アヴィヴ在住のイスラーム「文化人」などいくらでもいるだろう。どうしてよりによって、こうして三日間も対話を続けようと思えるほど私に執着するんだ。と、それ自体不遜に聞こえてもおかしくはない問いを投げると、それは、君が──ダンサーだからだ。と、先ほどにも聞いた気がする答えが戻った。君が、表現によって変革を訴えているアーティストだからだ。ズラミート、昨日も言ったが私は自分のダンスが表現だとは──修辞を弄するのはよしてくれ。君のダンスは明らかな表現だ、人の心を動かす、真の意味においての。私は知っている、いや教えられたのだ、音楽やダンスこそ、文筆や報道よりも根本的に人の心を動かす表現だと。教えられた……ああ、クラクフで音楽を勉強していた時、親友から教わった。では、君は音楽ができるのか。作曲とチェロの演奏ならばできる。アーイシャ、私には君の力が必要だ。私一人ではだめなのだ、しかし君一人でもいけない。私たちふたりで始められる変革があるはずだ、そのことに気づいたまま目を背けるのであれば、私はもはや
息急切って呼吸を整える人を前に、数秒の沈黙が垂れる。ズラミート。なんだ……わかった、我々は共闘する必要がある。と言うと、初めて顔相に明るみが
閉じたドアの向こうから水音が聞こえる。まったく、無体な客人もあったものだ。しかし、
これは誰の血だろう。何人死んだ。何人負傷した。わからない、この爆煙と叫喚の中では。我が友、と呼ぶアーイシャの声、のほうへ向き直る。楽屋は、楽屋はどうだった。と率直に聞いても、なにも応えない。あの敏活にして闊達な友が、何も言わない。アーイシャ。視線を逸らしたままの友は、静かに口を開き、二人。とだけ応えた。二人、がどうした。友はようやく視線を合わせ、二人、死んだ。即死だったそうだ。と呻くように言った。
何故だ。何故こうなった。私は何故だと問うているのだから、誰か答えろ。何故、アーイシャと私が作品を上演するだけの場で、人が殺されなくてはならない。それもユダヤもムスリムも関係なく害する、爆破などという手段によって。何故だ。ズラミート。友が私の手をとりながら言う。ここは危険だ、すでに観衆の混乱も昂っている……皆を連れてどこかへ移らなくては。どこかって……どこだ。逃げ場所があるとでもいうのか、我々が自由に表現するための場所自体が爆破されたというのに。
私の性急な問いに、友はもはや応えない。
逃げなくてはならない、ということだけが確かだった。
それでは、君は今日からうちの子だ。と、この台詞を吐くのは二度目か。最初はそう、シーラ・オサリヴァン、彼女に対してだった。馴れ馴れしさは免れないのだろう。そもそも血の繋がりさえない、それも「無宗教」な国に育った私などには、彼女に親愛の情を示すこと自体が不相応なのだろう。しかし、それでも。アーイシャ・ウムァジジ、あなたに教えたい。この地上にはまだ居場所があるのだと教えたい。それが私の、手前勝手な
もう、時間がないように、思われるのだから。
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