10 칠월보다 더운


 どうしてこう泣くか、と思っていた。この国の人たちは。テレビドラマでも映画でも、なぜこうも屈託なく泣くことができるか。父さんも母さんもあたしも泣く必要がなかった。それより適切な表し方があると知っていたから。父さんはただ死に、母さんは狂い、そしてあたしは音楽に走った。

 初めて聴いた音楽はなんだったろうか。もちろん母胎内の鼓動だったろうけども、そんなジョン・ケージみたいな話がしたいわけじゃない。取り上げられた後の世界は音に満ちていて、どこから何を選び取ったら良いのかすらわからない。赤子がやたらと泣きじゃくるのは、あれはこの世があまりにも音楽で溢れすぎていて、怖くてたまらないからではないか。レコード屋のドアを開けるたびに、ああ、きっとこの一部屋の盤を聴き尽くすことはできないだろうな、と詠嘆するように。レコードをディグるときの情緒が生まれたての赤子と同じとは。そういえばピーター・ガブリエルが娘に捧げたアルバム、その収録曲の歌詞にこういう一節がある、“I’m digging in the dirt to find the places I got hurt”, そして彼自身が赤ん坊を叱るように繰り返す、“This time you've gone too far. This time you've gone too far. This time you've gone too far. I told you, I told you, I told you, I told you”.


 それはそれとして、あたしは生まれた瞬間に音楽を刻まれた。文字で。ハングルで。ハン、とくに華美な名とも思わないが、父が入隊中の銃器暴発事故で死んで、そのあと母がああなって、自然な成り行きで地元の孤児院に引き取られたとき、教会の人々がうれしそうにこの名を唱えていたのを憶えている。ハンハン、Hosanna, Hosanna, と。

 それがおそらく、あたしにとって最初の音楽。




 で、な、ほら、北のあれが。将軍? じゃなくて、なんかあったろ、北朝鮮のレストランで働いとったのが韓国に亡命したとか。ああ、あったね先月。それだよお、それもだよお。あたしのひとがやってくれたんだ。苦しんでる北朝鮮の人々を世話してやったのさ。あたしらの見てないところで、おおきな仕事に携わってるのさ。そうだね。あんた気をつけなよ、近いうちにでかいことが起きるよ。でも安心しな、あたしのひとがいるからには間違いない、すべてはいいふうにいくはずさ、なあ。うん、そう思う。なあんだあいつらがバンバン打ち上げたって、こっちにはあたしのひとがいるんだから。最後にはきれいさっぱりかたがつくはずさ。なあ。だね。なあハン、あんただけじゃなく……なんてったかあんた。ションウィンションウィンもなあ、備えときなよ。そのうちでかいことが起きるからな、でも大丈夫、うちのひとがいるからなあ。どんな悪玉だって、きいっとやっつけてくれるんだから……最後には大丈夫さ、そうなる、そうなるなあ。うん、最後にはね。なあ、ションウィンなあ。は、はい。最後には……そうなる、そうなるなあ。


 いいかげん話合わせるのやめたら。んー、でもいつもと同じ感じだったし。そういうことじゃなくて、あの妄想に付き合うのはあんたの母さんにとっても毒だって言ってんの。いいじゃん、相変わらず元気そうだったし。元気ならいいってもんじゃないでしょ、担当医も症状を昂進させるようなことは控えろって。症状ねえ、そもそもあたし、母さんのあれを病気だって思ったことないよ。じゃあ何。防衛策、みたいな? こわくて耐えがたいことがあって、その恐怖から自分を護るために、仕方なくやってる。それが症状だっての。でもさあ、そんなに悪いことかな、恐怖に負けて妄想の世界に逃げ込むって。悪いに決まってんじゃん。ションウィは強いからなあ、そう言い切れるけどさ。なに、強さ弱さの問題じゃないって。でもさ、純福音派のあれも妄想っちゃあ妄想じゃん。携挙raptureだあ世界の終わりだあって外側に救いを求めるのも、だいぶ深刻な妄想でしょ。まあ、ね。それも仕方ないと思うけど、教会は集団になって影響力を持ちすぎちゃうかもだから、あんまよくないよね。だからさ、母さんは独りの妄想世界に完結してるだけ、まだえらいなって思うんだよ。だからさって、前後の文がつながってないから。あはは、そうか。

 で、どうするの。と言いながら、スターバックスのカップに取り付けられたスリーブをぜわしげにさすっている。どうするって何を。もうそろそろ期限じゃん、いっぱしの人間になるって誓いの。ああ、そうだっけ。そうだっけって、と語気が昂ると同時に握られたカップがパキッと音を立てる。あんた、本当にあたしと結婚する気あるの。あたしが大学出るまでに音楽で生計立てられるようにするって言ったの、あんたでしょ。確かに言ったよ、でもさあ、音楽って一番プロとアマチュアの境界がゆるい世界だからさ。何それ、翻訳の世界とは違うって言いたいの。そうじゃなくて、と語尾を保留しながらカフェモカをひとくち啜る。そうじゃなくて、その場その場で出来ることをしたいだけなんだよ。ふつうに生きながら作るべきものを作って、いつのまにかおばあちゃんになれたらいいなあって。と言ってみても、依然として視線を逸らさないまま、不機嫌そうに頬杖をつく。それって、人生を棒に振りたいって言ってるのと同じだけど。同じかなあ。同じだよバカ、なに「ふつうに生きながら」って。そもそも音楽だけでふつうに生活するのが困難だってわかんないの。でもスタバ来れる程度には生活できてるよ、こうして今。ずっとスタジオのインターンで通すつもり? 何十年経っても! 突然大きくなった会話の音量に驚く隣席の客に、大丈夫ですよ、の目配せを送る。さすがに雑務だけで終わるつもりはないって、そのうちエンジニアリングとかプロデュースとかの仕事もやりたい。そのうち、そのうちってねえ……ションウィの業界とは違うかもだけど、音楽ってそうやって続けてた人たちが、いつの間にか大きな仕事に巻き込まれるものなんだよ。だからあたしは怠りなく備えてたらいいと思う。違う? と笑ってみても、違う。の断固とした拒絶が置かれる。翻訳の仕事で大成した人は、もう在学中からすでに携わってたよ、お、お、き、な、し、ご、と、に。ろくに働かずタラタラやってた奴なんか、相手にされるわけないじゃん。ええ、そうかなあ? でもヘンリー・ミラーとかさあ……それは作家であって、翻訳家じゃないでしょうが!! ああ、やっちゃった。そうだよな、自分の進路を作家のそれと引き比べると怒っちゃうんだよなションウィン。でもそれって、自分が文学部じゃなく国際関係学部を選んだことへの後悔、のように思えるんだけど、これ言っちゃったら怒鳴られるだけじゃ済まされないからやめとく。ごめんごめん、でもあたしが選んだのはこういう道だからさ。もうちょっと待ってなんて言わないよ。こいつ見込みないなって思ったら、いつでも見捨ててくれていい。でも、これだけは確かだから言わせて。あたしは音楽を続けながら、ションウィンと幸せに暮らす覚悟がある。一生、そのどっちも疎かにはしない。だから、今の仕事を続けさせてよ。ションウィが自分の好きな仕事を選んだようにさ。

 そこであたしとションウィンの会話は一段落つき、店内の客たちの会話がBGMのようになる。頰杖はいつの間にかフェイスパームに変わり、小さなため息ひとつ吐いたあと、苦虫をひとつひとつ噛むように話し始める。「でも、」とか「だから、」とか、接続詞の使い方が毎回おかしいんだけど。つながってない話を延々とされてる気がする、あんたと話してると。そっか。そうだよ。不機嫌そうにカップを持ち上げるも、もう内容物は残ってなかったらしく、コトっと音を立ててテーブルに置く。とにかく、もう一年ないんだからね。あたしが大学を出る頃にもパッとしないままだったら、本当に見捨てられても仕方ないと思って。言い終わると立ち上がり、可燃ゴミのシューターにカップを投げ入れ、自動ドアの方へと歩いていく。のを見ながら、ションウィ、愛してるよー! と聞こえよがしに言う。さてここでいつも、言ったほうも言われたほうもどちらも女性であることを認識した客たちが、心得顔で微笑したり不可解に侮蔑したりするのだ。あたしはその反応の比率を計るのが好きだ。今回はそうだな、前者が七割:後者が三割ってとこか。また要らんことしやがって、みたいな顔したあたしの婚約者は、エントランスのマットを蹴るようにして出ていくのだ。

 精神病院からスターバックスへの、お決まりのデートコース。だいたいこうして終わるんだ、あたしとションウィンおうは。

 あたしはこの時間が大好きだ。




 それにしても「パッとしないままだったら」ねえ。パッとするってなんだろ、ヒット曲でもありゃいいのかな。共同作曲co-writeではけっこうメジャーどこにも携わってるんだけどな、でも同業者にしか知られてないしな。ここらで一発ソロアルバム出すかねえ。でもミックステープならいくつも出してるし、なら個人製作でいいじゃんってなるし……やっぱスタジオ使わせてもらいたいな、でもインターンの身でソロアルバムのためにスタジオ使うって、難しいか。こいつはできるやつだって認められない限りは……

 みたいなことを考えながら歩く汝矣島ヨイド公園、この時間もたまらなく好きだ。夕方からの仕事までのひととき、プレイリストをシャッフル再生しながらの散歩。これこそ至福の時ってやつじゃないかね……と言いたいとこなのだが、今日の公園はいつもと雰囲気が違っていた。セウォル号事件の究明と、パク槿恵クネ大統領の退陣を求める市民の集会が開かれ、その声はヘッドフォンをしていても聞こえるほどだった。プレイヤーの再生を止め、人混みをうろつき、集会で配布されているパンフレットを一部受け取ってみる。デモンストレーションは今夜か。あたしは仕事で行けないけど、だいぶでかくなりそうだな。辺りを眺めると、集会には学生ふうの小綺麗な若者はもちろん、鋲のついたレザージャケット着用のパンクスもいれば、その辺に買い物に出かけるような軽装で熱心にパンフレットを配布している主婦層もいる。いつもあたしがつるんでるスケーターやグラフィティアーティストなんかは、時間帯のせいか少なかったけど。でも、なんか初めてだな、この公園でここまで幅広い世代のユニティが……とか思いながら再びヘッドフォンをつけ、プレイリストのシャッフルボタンを押す。そこで流れてきたのは、スティーヴィー・ワンダーの『Master Blaster (Jammin’)』。

 あ。

 これだ。これだろ。イントロのキックとハイハットとリムショットを聴いた瞬間、あたしは全てを理解した。西暦二〇一六年五月、大韓民国、汝矣島ヨイド公園。そこで押したシャッフルボタンがこの曲を選んだ理由。「君は光を見たか!?」とジェームズ・ブラウンに呼び掛けられたジョン・ベルーシも、こんな感覚だったんだろうか。何百回となく聴いたはずの曲が、新たに胸腔の下に発生した臓器のように、あたしの身体言語そのものとして打音を始めた。まだ晩春の爽やかさを残した五月の風も、膝裏から流れ落ちるあたしの汗を止めることはできなかった。


“Everyone's feeling pretty.

It's hotter than July.

Though the world's full of problems.

They couldn't touch us even if they tried.”


 そうだ、その通りだ。偉大なるSW、あなたはこの曲に時限爆弾を仕込んでいたのか。未だに世界はこの通りだ、あたしの生まれた国だけじゃなく、地球儀にべったり重油が塗られたかのような世相だ。でも嘆く必要はない、殊更に憤る必要もない。まずはリズムを感じるんだ、そこから始めるべきだったんだ。そしてこの曲はあたしを選んだ。ただ公園を散歩してただけのやつに、お前が今、この曲で踊れと。

 レゲエのリズムに揺られ、内側から衝き動かす力に四肢を任せながら、あたしははっきりと理解した。今この土地に流れている、いや、おそらくはSWがこの曲を作った八〇年代から絶えず流れていたのであろう、大地を貫くグルーヴの存在を。

 いまに歌垣jamが始まる。そこらじゅうで始まる。




── ではあの『Sister Blaster』は、公園を散歩していた時に思いついたのですか?

ハン ええ、まったくの偶然でした。あのとき汝矣島ヨイド公園を散歩していて、朴大統領の退陣を求める集会が開かれていたのを見たのです。そのとき私のミュージックプレイヤーが『Master Blaster』を再生し始めて、これだ! と思いました。抗議行動に臨まんとする市民たちの意気と、八〇年代にレゲエの楽曲で南アフリカとの連帯を呼びかけたスティーヴィー・ワンダーの創意とが、私の中で一挙に結びついたのです。慌てて家に帰り、レコードから曲をサンプリングし、簡素なビートを打ち込み──余計な音を付け加える必要はありませんでした、なぜならSWバンドの演奏は完璧ですから──、数十分でリリックを書き上げ、そして何日かに分けてあのビデオを撮影したわけです。

── 楽曲の着想からして、抗議行動に沸く市民の姿をバックにしたビデオが付けられたのも、当然の成り行きだったのですね。

ハン ええ、私はまだ汝矣島ヨイドでのデモしか目にしてはいませんが、確実に言えるのは、この国は大きな変化に差し掛かっているということです。あのとき私がSWの楽曲に着想を得たのも、音楽に携わる仕事をしていた者として当然だったのでしょう。いま私にとって最も関心があるのは、年代や性別や出身によって分断されている人々の魂を、音楽によって結びつけることです。それこそがソウル・ミュージックやヒップホップが教えてくれたことですし、こうして私が『Sister Blaster』で注目されるようになったのも、その連帯の賜物と言えるでしょうね。


 突如として現れた漢江ハンガンのフェミールラッパー、ハン。今や説明不要のヴァイラルヒット『Sister Blaster』で一躍有名となった彼女だが、それ以前にソロ名義で出していたミックステープや、トラックメイカーとして携わっていた楽曲の質の高さにも注目が集まっている。まさに時代と鳴動するように名を挙げた彼女の存在によって、文字通り東アジアのヒップホップシーンは「七月より暑い」ものとなりそうだ。


 自分で自分のインタビュー記事読むの気持ちわりー! 全然違うやつが喋ってるみたいだ! スマートフォンの画面に表示されたWebジンの記事を読み終えたションウィンは、そもそもさ、勝手に他人の楽曲使った作品で有名になってうれしい? とやけに低い声で訊く。それがヒップホップイズムなんだから仕方ないだろ、YouTubeに動画アップしただけで音源売ったわけじゃないし。そのへんがそもそもわかんないんだよね、創作なのか遊びなのかさあ……そんなん翻訳だって似たようなもんじゃん、と言うとまた柳眉を吊り上げるので、いやちがう、言いたいのは、翻訳も誰かがつくったものを再編集して作品にするじゃん、ヒップホップと似てるでしょ。と説明する。それは、まあ……と不服げに引き取るションウィンをよそに、あのっ、とまた女の子が話しかけてくる。あのっ、『Sister Blaster』ですよね? そうだよーハン。うわーほんとにいた、たまにこのスタバにいるらしいって聞いて! あの、一緒にセルフィーいいですか。もちろん、とスマートフォンを受け取り撮影する。ありがとうございます、あの動画ほんと最高です。ありがと、できればハンって名前まで憶えてほしいなー。はい、あの、お仕事頑張ってください! ありがとー。

 ね。ねって何が。すっかり有名人になっちゃったよーションウィの婚約者は。バカらしい、動画で有名になるだけなら万引き少年でもできるっての。なんだとー!? 今のは聞き捨てならないんだけどー! と今日はあたしが怒る番になる。ご、ごめん、たしかに今のはないわ。と認めつつ、でも現状のあんたはただの一発屋、それも動画だけのこと。と続ける。うん、まあ、それは事実。だから、これだけでいっぱしになれたと思わないで。確かにあんたは時代の空気をうまく察知したんでしょう、そしたら次は自分自身で手を打たなきゃ。あーそれね、まだ話してなかったけどね……打ち明けようかと思ったその瞬間、なに? と眼を丸くするションウィンの顔を見て、あーこの顔がいちばん好き、怒ってるのも好きだけどきょとんってしてるのがいちばん好き。どうしよこのままずっと見てようかな、この話ずっと先延ばしにしようかな……と思いながら首を揺らしてるうちに、さっさと言え。と右手チョップが喉元に叩き込まれる。ぁゎ、わかったって、あのね。うん。ミックステープじゃない、正式なソロアルバム。いま働いてるスタジオのバックアップで出せることになった。と言うと、眼どころか口まで丸くして、それって、認められた、ってこと。とほうけてくれる。一応はね。インターンから同格のラッパーおよびプロデューサーとして認識された、とは言えるんじゃないかな。と控えめに言ってみると、声ならぬ声で詠嘆しながら、やったよー思ったより早かったじゃんー! と絵文字のような顔で喜んでくれる。あははありがと、ってかどれくらいかかると思ってたの。少なくとも今年中には無理だと思ってたー! ついに自分の作品が出せるんだね、妥協しちゃだめだよ! もちろん、あたしなりのオールドスクール回帰でいこうと思う。少量だけどCDでもプレスすると思うから、完成したらクレジットのスペシャルサンクスにションウィの名前入れとくね。ありがとーハン愛してるー! と両腕であたしの頭を掻き抱く姿に向けられているスマートフォンの数がやけに多い気がするが、まあ気にすることじゃない。あたしは信じてたよ、あんたには本当に藝術の才能があるって! あはは、まだアルバム制作決まっただけじゃん。いやまさにそれが証でしょ、認めてもらったわけだから! もー孤児院で初めて会った時から思ってた、あんたには本当に、本当に、




 藝術の才能だけが無いね。と母に言われたのは一〇年前だったか、おそらく初等教育を終えた頃のこと。ちょうようの節句に、父の傘下企業の重役たちとの会食が催され、その場の流れで即席の韻文をむ座興が催されたのだ。父たちが酔余に冗句混じりの詩を詠んでいくと、今度はその子息たちに御鉢が回ってきた。日頃培った教養を惜しげもなく披露した彼らの詩文は、少なくともその場の大人たちの感興を買った。しかし私、肝心の竹林電脳の社長令嬢たるツァイモォリィのそれは、詠むと同時に万座の表情を凍らせた。詩趣やユーモアを欠くどころか、韻もろくに踏めていない、文字通りひょうそくがあっていない代物だったからだ。それでも周囲の大人たちは、いやあ見事ですねえさすがツァイ社長の娘さんだほんとぐっときましたなあ女性ならではの感性があらわれていますよ、と、その場しのぎのそらごとむくいたのだった。ただ一人、その場で何も言葉を発しなかった母を除いては。


 あなたには本当に、藝術の才能だけが無いね。ほとんど無慈悲に響きかねないその言が、私にとってはむしろ慰めになった。そういうとこもわたしに似たんだよ。と、散会後の寝室で頭を撫でてくれた、その気遣いが母にできる最良のことだった、に違いない。わたしの悪いところが遺伝しちゃったんだ。でも安心して、良いところもちゃんと伝えてやったつもりだからね。とは実務的な才覚を謂っていたのだろう、おそらくは。一代で台北最大級のエレクトロニクス企業の社長となり、同じく台湾の大手出版業の社長と結婚して裕福な家庭を築いた母の如才なさは、私にも受け継がれているのだろう。

 あの後、私は自己表現めいた一切を捨てた。音楽、文学、舞踏、演劇、服飾、いわゆる藝術的創造性の発揮を必要とする場に居合わせないことを旨とした。それで何の問題もなかった、両親いずれも大企業の社長として生を受けた娘の創造性など、誰にとってもうるさいものには違いないだろうから。誰も私を切って開こうとはしなかったし、私も一生このまま貝のようでありたいと思った。


 そんな私が。いやあね、でもこうして実際にお会いしてみると、想像よりずっと奥ゆかしい方ですねえ。なぜこんな場に居合わせているのか。いやわかっている、大学卒業を控えての懇親会だ。といっても多くの学生に開かれているわけではなく、卒業後に親の会社への重役就任が確定している子息たちや、留学先のシリコンバレーで知り合わざるを得なかった英語圏の人々を招いての会合。つまり有り体に言ってしまえば、箔をつけるために最高学府に送り込まれた温室育ちの若者たちの社交場。ありがとうございます、と最小限の返答だけしておけばいい、はずなのだ。専攻は経営学でしたか。はい。東アジアは国際的な市場として力を強めていますからね、頑張っていただかないと。はい。頑張るって何をだろう、母のような辣腕の発揮をか。しかしそんなこと、本当に望まれているか。一〇年前までは確固たるものだった垂直分業の構造も揺らぎ、その反動として遊撃隊のような複合業種が生まれては消えている昨今にあっては、むしろ母を社長とする竹林電脳のような川上部門は、新進にとって目の敵なのではないか。

 立食の時間が終わり、少人数での晩餐に移る。ああ、居合わせたくなかったな。あの半導体生産業の子息だ。最初から答えのわかりきった問いを投げて、自分だけがそれに満点の答えを出せていると、会うたびに露骨な自己演出を見せつけてくる彼。話したくないな。しかし大学が同じという都合上、他人として振る舞うわけにもいかない。

 ツァイさんも、ドローン以降のサイバネティクス市場の急進ぶりにはご注目なさっていると思いますが……と前提から優位に立ちたがる彼の話題を、ええ、一応は、とかわす、こともできず、しかし軍事的に使用可能なテクノロジーを取り扱うにあたって、一般市民の感情的な抵抗に遭うのは必至でしょう。では我が国が、AIやドローンの市場に参与するにあたって、どのようにして倫理的障壁を和らげるべきだと思いますか。と、うんざりするような硬直した問いを投げられる。「軍事的に使用可能」も何も、最初から軍事目的だろう。監視や算用や攻撃を、できるだけ生身の罪悪感なしに行おうとする倒錯だろう。じゃなきゃあれらの研究分野に莫大な予算が投入されていることの説明がつかない。自分の手を汚さずに済ませるテクノロジー、その出来を競って椅子取りゲームに終始しているわけだろう、今のあなたの問いだってそういうことだ。などと言えるはずがなく、ええと、ちょっと私の専門外ですので……と語尾を濁すと、またぞろ鬼の首でも取ったように、そうですよ、ツァイさんは現社長の箱入娘なのですから、このような話題には適しません。と、向かいの席の別の男が言う。もはや無礼だとすら思わないのだろうな、この言い草が許される場で育ってきたのだろうな。そうだね、と隣の席の彼が一息置き、それでは話題を変えようか、きみが一番よく知っているはずの、台北におけるエレクトロニクスについて。とまた仕切り始める。はい。エレクトロニクス産業を振興するにおいて、やはり中華民国のプレゼンスは無視できない。これから世界は東アジアの底力を思い知ることになるわけで、我々も余すことなくその技量を発揮しなければならないわけです。そこで訊きますが、あなたが世界を視野に入れて、これだけは台北にしか担えない! と思える強みはありますか? 

 わかりません。

 えっ?

 私にはもう、何もわかりません。


 沈黙。

 何なんだこいつらは。エレクトロニクス、企業、東アジア、中国、台北、世界、と。その無闇に大きい言い方は何なんだ。そんな言い方で何が言えるんだ、ctrとAのキーを同時に押して、それですべて見遥かしたつもりか。そもそもすべてって何だ。そんな簡単にひとまとめにできるものか。そんなんで世界を云々するつもりか、全体を見たつもりなのか。どうして個物に目を向けないのか。なぜ個物の軋り呻きを、まさに音を立てているその場で聴こうとしないのか。

 ひとつだけわかるとしたら、と唇を開いた瞬間、頭の中で線が切れるような音がした気がするが、構いはしない。私にはこの管理経営が早々に破綻するとしか思えません。台北のみならず世界的に、あらゆる生産業で目下の犠牲となっているのは輸送業です。それも非正規雇用の、組合もなく保護を受けられない労働者が信じがたい境遇で使われています。我々の生産物がいかに大層なものであれ、その品をカスタマーに届けるための労働環境が劣悪なまま等閑に付されているとあっては、我々自身も早晩に足元から崩れ去ることになる、と思わざるを得ません。へ、へえ……それで、その問題を解決する方策は。まずは、輸送業のみならず、非正規雇用が多数を占める事業を財団化すべきです。複数の企業が労働者を登録し派遣するのではなく、直接雇用の数を増加させることが必須です。はは、そんなことをしては、労働者のための福祉や休暇手当でコストが……複数の企業に業務委託する経費に比べたら安いものです。加えて委託業者に付加している税までもが削減されるのだから、それらの費用を非正規雇用者の福祉に充当することは現実的にも可能ではありませんか。

 言い終わると、まるで異星人でも見るような眼。そうだ、望まれてはいなかったんだ。あなたたちは最初から、私が何かを言えるとすら思っていなかったのだろう。藝術の才能と同様、私の意見など、もともと求められてさえいないこと。じゃあこれで仕舞わせてもらう。もういい加減、黙らせてほしい。

 ……と、母が言ってるのを聞きました。でも私には、一体何のことなのか、さっぱりわかりません。




 じゃあ荷物そっちで、時間あるときにでもほどいといて。玄関に靴を揃えながら、言われるままにキャリーバッグを靴箱前に横たえる。ベッドそこね、あたしがいないときは自由に使っていいから。まあほぼいないと思うけど。と笑いながら天井に取り付けられた小型のクローゼットを開く。マットレスもあるから、二人いる日はこっちで寝てもらうことになるかな。いいよね? との問いに、ああ、もちろん、と答える。

 逃れたかった。とにかくどこかへ行きたかった、故郷以外ならどこでもよかった。論文も書きあがり、あとは卒業までの形式的な儀礼を残すのみとなれば、この機会をおいて他にありそうもなかった。それにしてもはるばる韓国までとは、野放図によく決めたものだと、我が身の行いが遅れて訝しくなった。初めて招かれる部屋の、自分とは異なる生活の痕跡が染み付いたねぐらの匂いがそうさせたのかもしれない。

 台湾からだっけ。うん。どのへん? ていってもほぼ地理知らないけど。北の方だよ、信義区……大学は隣の大安区にあるけど。へー、学生さんか。うん、といっても年度末で卒業だよ。同居者、いや住まわせてもらうのだから世帯主ということになるのか、ともかく韓国滞在中の宿泊先として間取りを割いてくれた者は、あらゆる意味で私とは別種の人間に見えた。ホテルの個室に連泊するのも味気ないように思われて、Web上のルームシェアリング募集を検索してたどりついたのがこの部屋。ヨンサン区ではなかなか見つからず、漢江ハンガンをまたいだ永登ヨンドゥン区に一ヶ月滞在する成り行きとなった。

 内装を見回すのも不躾に思え、室内を片付けるスポーツウェア姿の世帯主の背中をずっと見ている。と、ごめん換気扇回して、と言われるので、えっとスイッチは。とうろたえるようになり、そのキッチンの下の、右のほう。と言われるがままに押す。悪いね埃っぽくて、掃除くらい前もってやっときゃよかったなー。いや、気にしなくても。真冬に部屋の換気扇回すのもなかなかないよな、この国は初めて? うん。台湾と比べたら寒いんじゃないの。まあ確かに、もっと厚着してきたらよかったかも。と正直なところを言うと、ははっ、とくしゃみのような笑みが漏れた。

 おーしこんなもんか。両手を腰に当てて室内を見回す、その姿が一八〇度向き直る。つーわけで、今日からここはあんたの部屋。じゃない、ここもあんたの部屋。あれ? 違うか、あんたもここの部屋、の住人。で、合ってるよね? うん。外国人に母国語の文法訊くなってね、あはは。と笑うのにつられて私の口角も上がってしまう。いいなーあたしも外国語できたらな、いろんな国旅して回れるんだろうなー。そう簡単でもないよ、どこにでも制約はあるものだし……そう? でも韓国語も英語も、あと日本語も? できるってすごいよな、やっぱ良いガッコー出てる人は違うなー。そんなんじゃないよ……そう、本当にそんなんじゃない。年頃の子なら夢中になるはずの何事にも無感覚なまま長じた自分には語学くらいしか残されていなかった、などと言えるわけもなかった。実はあたしの婚約者も語学やってるんだけどね、もしかしたら話あうかもしんないなー。えっ、婚約者。ああ、いつかそいつと一緒になるために頑張ってんだよ。とはにかむ姿で、室内が輝度を増したように思えた。そっ、か。

 はい鍵。私の左手をとる暖かい指と、手のひらに当てられた冷たい鍵の感触が、ふいに微睡んでいた意識を澄ませた。あ、はい。とりあえずあたしは今夜帰らないから、この部屋全部好きに使っていいよ、冷蔵庫のもんも。火の始末だけは気ぃつけといて。事務的な説明で私を頷かせると、にいっと次の瞬間には笑顔に変わり、それじゃー着いて一発目のめしにしますかー。あたし一時間後に出るから、一緒につくっとくよ。と言う。ジャージャー麺でいい? とさっそく準備に取り掛かっている横顔を見ながら、うん、えっとそれくらい自分でやるよ、と通り一遍の返事をする。いいのいいの、おもてなしだよ。えーと……モォリィ? と名前で呼ばれ、うん。と返すしかない。なんかすごいキレイな字だよね、どういう由来? 花の種類……ジャスミン。へえ、ジャスミンかあ。あれでしょ、お茶とかの。うん。じゃあジャスミンって呼んでいい? と言い出すので、いや、そんなキレイな呼び方……と慌てて取り下げる。もともとそういう意味なんだからいいじゃん。だめだよ、私には似合わない……自分の名前なのにー? じゃあ、ヤスミンでいい? なにそれ……全然変わってないし。いやこっちはヤスミン・アフマドっていう、あたしの好きなマレーシアの映画監督の名前。こっちならアジアっぽいからオッケーでしょ? とよくわからない理屈をこねる。よくはないけど……まあ、どうしてもそう呼びたいなら。やったー。じゃあよろしくねヤスミン、あたしのことはハンでいいよ。と言い終える頃には、もうジャージャー麺の盛り付けが済んでいた。

 二人で1Rワンルームの床に座り込んでの夕食。その椅子座っていいよ。いや、ハンが座りなよ。いいよすぐ済むし、あそうだシンクに浸けてる食器だけ洗っといてね。うん……一人暮らしなのに食器類がずいぶん多いね。最初のうちは同棲してたからなー。えっ、それって、婚約者さんと。うん、ただやっぱり大学が遠いってんであいつも部屋見つけてさ。そう、か……じゃあ私がいま使ってるこれも婚約者さんのもの……すごいんだよ、大学入った頃からすでに出版社と仕事しててさー、英語とかドイツ語とかの小説のアンソロジーに携わってた。へえ……外国文学の翻訳、か。実はうちの父親も出版社の社長で、などと言ったところで虚しくなるだけなのでやめた。だからあたしとは比べ物にならないくらい収入あって、お前もはやくいっぱしになれーってどやされてたんだよ。はは……ま、最近ではさすがにマシになってきたけどね。音楽の仕事……だっけ。丼から立つ湯気を吹きやりながら頷き、汝矣島ヨイドで一番わかってる人たちが集まるスタジオでね。R&Bとかファンクとかヒップホップとかやる連中は、だいたいあそこに集まるんだよ。と言うとともにひとくち啜る。へえ、ヒップホップ……韓国にもあるんだ。と返した途端に箸が止まり、あるに決まってんじゃん。と短く言われた。う、うん、まあそうだよね、アメリカ発祥の音楽だけど、ロックとかもアジアのミュージシャンいるもんね。と付け加えてみても、ハンの顔から渋味は去らなかった。あのさ……と言いながら丼を床に置く。あのさ、もしかして根本こんぽんのとこわかってない? ヒップホップは世界的なムーヴメントなんだよ。アメリカがどうとかじゃなくて、二〇世紀の音楽史で一番でかい革命なんだよ! と急に大きくなった声に気圧され、え、そうなの、と呟くしかなくなる。そうだよ! ヒップホップの革命は、どこのいつの音楽でも好きに再編集して新しいものを生み出す、そんな創造性もありうるって証明したことだよ。つまり世界そのものが素材集で、どこから何を持ってきてもいいってこと! う、うん、そうなんだ。でも、やっぱりアメリカのヒップホップと比べるとさ、他の国のは、ほら何というか、違和感がないかな。違和感ー!? そっからか!! あ、まずい、いけないスイッチを押してしまった気がする。あのね、確かにヒップホップが生まれたのはアメリカ合衆国のブロンクスだよ。でもまさにムーヴメントが生まれてたその時、パーティを仕切ってたのは誰だったと思う? クール・ハーク、ジャマイカからの移民がDJをやってたんだ。生まれたてのヒップホップで使われたサウンドセットって、レゲエからの転用だったんだよ。だったらヒップホップは全部レゲエのパクリだってなる? ならないだろ! う、うん。それでも納得しないってんならまだ証拠がある。同じくヒップホップ草創期の最重要人物、アフリカ・バンバータってDJがいる。もしヒップホップがアメリカ黒人だけの文化だとしたら、そりゃもう全部ブラックミュージックだけで盛り上がってたはずだよね。違うんだよ。ドイツのクラフトワークとか日本のYMOとか、デジタルな機材を使ったテクノミュージックも混ぜてたの。なぜかって、生活のなかで見つけた面白いものを混ぜ合わせて楽しんでたから。ヒップホップは最初からそうなの。アメリカだけのものじゃない、最初から混ざってんの! だから世界中でどこの誰がやってもそれはヒップホップなの!! と、ほとんど鼻と鼻がくっつきそうな距離で捲し立てる。わ、わかった、わかったよ。下手なことしたな、深追いすべきじゃなかった。そもそも私なんかが音楽とその文化を云々できるわけがないのに……と、後悔のあまり沈黙を流していることに気づき、いやに気まずくなったので、ごめんほらジャージャー麺食べなよ伸びるでしょ、と床の丼を持ち上げようとすると、それより先にハンは立ち上がり、椅子に腰掛けて何やら端末を操作し始めた。まずい機嫌を損ねすぎたか、と固まっていると、スピーカーからピアノの音が。どう反応したらいいのか戸惑っていると、ドンドンとドラムのような音、に続き、おそらくラップと呼ばれるのであろう歌唱法の男性ボーカルが流れ始めた。中国語で。

 えっ。

 にいっ、と左頬をほころばせ、腰をかがめて丼を持ち上げ、椅子に座ったまま端末の画面を見ている。

 顏社KAO!INC所属のラッパー、蛋堡ダンバオの『過程』。

 台湾の、あんたの国のヒップホップだよ、ヤスミン。


 その夜は、ハンが書き残していった「とりあえずこれだけは聴いておけベスト一〇選」を聴くことに費やした。驚いたのは、英語はもちろんハングルや漢字、さらにサンスクリット語源東南アジア諸語にいたるまで、あらゆる国のヒップホップが揃っていたことだ。なるほどその選曲は、アメリカのヒップホップだけが真正で他の国のものは違和感があるという先入観を払拭してあまりあるものだった。それにしても、この顏社KAO!INCという名のヒップホップレーベル……まさかこんな人たちが私の生まれ故郷に存在していたとは。単なる素人の感想だけども、彼らの楽曲は他の国のそれにも増してメロディというか、叙情の肌理きめが細やかな気がする。ベッドに寝そべりながらコンピレーションをリピートしていると、心身両方の硬化したところが解きほぐされていくようだった。韓国で過ごす最初の夜から、思わぬ特別講義を受けてしまったな。そしてハンの熱弁と選曲が分け与えてくれた教養は、ほかならぬわたしじしんの、だいがくでつちかったににもかふわからわず……




 あ。

 え、朝。うわ昼前。寝落ちしちゃったのか、しかもオーディオつけっぱなしで。いくら旅路で疲れて寝不足だったとはいえ、初日から電気代の無駄遣いを……あっそうだ食器まだ洗ってない。

 お昼どうしよう、自分で作らなきゃ。でも何から手をつけたらいいのか、自炊なんて一度もしたことないのに。ああーどうしようジャージャー麺でいいかな……と思っていると、スマートフォンに通知。見ると、連絡用のWeChatアカウントに「夕方には帰るからゆっくりしといて」とハンからのメッセージが。ゆっくり、か。仕方ない、さすがに全部賄ってもらうわけにもいかないし、とりあえず一週間分の食料は買ってこよう。


 お帰り。ただいまー、おっいい匂い。とぱたぱた音を立てて駆け寄ってくる。닭개장タッケジャンかー、スーパーで材料買ってきたの。うん、うまくできてるかはわかんないけどね……材料刻んで煮るだけだから失敗するほうが難しいよー、と笑いながらコートを脱ぎ捨てる。ちゃんとハンガーに掛けなよ。いいよまたすぐ着るし。あ、これからすぐ仕事。と訊くと、いやそういうわけじゃない、とだけ答える。ねえそれあたしのぶんもあんの。もちろん、二〜三人分って書いてあるから。よーしじゃあめしにしますかー。

 どうだった昨日のリスト。うん、まだ全部は聴けてないけど、あの顏社KAO!INCのはすごくよかった。でしょー、ジャジーヒップホップのいいとこしか詰まってないっていうか、あのバランスって世界でもあんま聴かないんだよねー。そうなの。うん、コードのボイシングとか演奏のアクセントの位置とか複雑すぎてさ、ちょっと聴いてて疲れるなーってのが多いの。それと比べると顏社KAO!INCのバランスはほんと絶妙だよ。そうなんだ……専門用語はよくわからないけど。

 で、今夜はどうするの。仕事、ではないって言ってたけど。と訊くと、うん、そろそろ出た方がいいな。と時計を確認しながら立ち上がる。出掛けるの。仕事ではないけど、ね。毎週土曜に集まる場所があるから。と言いながらコートを羽織るので、クラブとかパーティとかかな、と思っていると、座ったままの私の目を覗き込み、そうだヤスミンも行く? せっかく卒業旅行で韓国まで来たんだもん、いい刺激になるかもよ。と言う。いやそんな私なんか場違いだよ、と即座に謝絶すると、いつのまにかクローゼットから小さな箱が取り出されていた。その中にはうっすら朱色の、細長い棒状のものが。えっ、何しにいくの、遊びにいくんじゃないの? と呆けたように言う私を前にして、ハンは静かに首を横に振り、しかし微笑は絶やさずにこう言った。

 ちょっと火を灯しに。


 汝矣島ヨイド駅から鷺梁津ノリャンジン京釜キョンプ線に乗り換え、わずか三駅またぎでヨンサン区のソウル駅に到着する。こっち、と手を引かれながらも、私は周囲の人々が何か特異な指向性に突き動かされているのを感じていた。これって……そうだよ、午後六時から光化門広場でメイン行事。と正面を向きながら話すハンに、光化門広場って……たしか、抗議行動? 去年の一二月には一六〇万人集まったとか、ニュースで見たけど……と周囲の人混みに切り離されないよう袖を掴みながら言うと、一二月にはっていうか、毎週やってるよ。と返事が。毎週。そう、去年の一〇月末から毎週ね。毎週……大統領の退陣を求めるためだけに? そうだよ。

 駅舎を出て北に進むと、すでに数え切れないほどの市民で溢れていた。二月の空の宵闇に、人々の持ち寄った灯火が、点々と、しかし確固として線と結びうるような密度でほのめいていた。主立った参加者は安全な電灯のキャンドルライトを持参し、直接点火する場合でもプラスチックカップの保護で火事を防ぐ工夫がなされていた。そして人々が掲げるプラカードは、パク槿恵クネとセヌリ党に退陣を求めるメッセージが大書されたものはもちろんのこと、どこかファンシーな書体のハングルでユーモア混じりに集会を鼓舞するようなものも目立っていた。そして私自身も今、その只中にいる。キャンドル抗議行動。ニュース番組の一部でしか見知っていなかった、あのデモンストレーションに立ち会っている。

 午後六時前、光化門広場にもうけられたステージでは、ハンドマイクを握った女性がスピーチを行っていた。みなさんね、ちょっとわたしの話も聞いてくださいな。わたしぁね、恩平ウンピョンで食堂を営んどるんですけども、食堂ってのは土曜が一番忙しいですよね、稼ぎどきなんですよ。市井の人らしい言葉選びと話し方でも、その語り口には寒空の下集まった群衆の耳をそばだてる何かが備わっていた。だから食堂に戻って働いてろって話なんですけどね、と一呼吸おいて周囲の笑いを誘ったのち、でも、でもこの国をね、こんな有様で子どもたちに譲り渡すわけにはいかないと思ってね、こうしてやって来ましたよ! と言うと同時に、群衆から賛意を示す声が上がった。

 ねえハン。うん? これ、誰が集めてるの。誰がってそりゃデモの主催団体だけど、見ての通り集まってる市民は一枚岩じゃないよ。まあ、ね……ずいぶんとぼけた名前の看板もあるし……でもさ、ああして壇上でスピーチしてる人は。あれもただの市民だよ、フェスじゃあるまいし、タイムテーブルなんか決まってない。ってことは、本当に言いたいことがあってここに来た、ってこと……当たり前じゃん、抗議行動なんだから。

 当たり前、なんだろうか。一市民として暮らしているだけの人が、祖国の危機と聞きつけて広場に集まる、それはまるでギリシアの──そうだ、民主主義の語源はそもそも、人民デモス支配クラティア──

 ごめんこれ持ってて。え。ハンの握っていたキャンドルライトが渡される。ありがとうございました、さあ次にマイク握る方、おられませんか。言いたいことがある人は。と、気がつくと壇上のスピーチも終わっている。あれ、ハン、どこ。と前方を見ると、おー『Sister Blaster』! やっぱ来てたのか! おいちょっと道開けてやって! すいませんありがとうございますー、と穏健に人々の間を通り抜けて壇上の人となっていた。ちょっと、ハン。と気後れする私をよそに、彼女はマイクを握り、咳払いひとつ、口を開いた。

 Wassup! 今週もみんな元気そうだね! 初めて見る顔ばっかだから挨拶しとく、漢江ハンガンのほとり汝矣島ヨイドから来ましたハンです! とにこやかに話し始めると、知ってるよー、待ってたぞー、と合いの手がいくつか上がる。ああ、やっぱり壇上で話すのは初めてじゃないのか。他にマイク握りたい人もいるだろうから、今日も手短に。こうしてデモに出てくるのが初めてだって人も、この中にはいると思う。怖い思いするんじゃないかな、興味はあるけど家にいたほうが安全じゃないかなって、そんな不安を抱いて来た人もいると思うんだ。でも、あたしはできるだけシンプルにいきたい。あたしたちがここに集まった目的、大統領への国会の弾劾案発議を求めるために、暴力や恫喝なんかは要らない。じゃあ必要なのは何か? あたしたちが生きるための場所を、あたしたちの手で作り出す、その連帯と友愛の念だと思うんだ。と言い切ったのち一呼吸が置かれ、周囲の人々は黙して頷く。言わば、あたしたちは住居を共にする家族だ。しかし、どうも最近キッチンの調子がおかしい。ときどきガスが漏れたり、冷凍庫の氷が溶けたり、キッチンの設備が不安定らしい。そうだろ? ジェスチャーを交えながら話すハンに笑みを向ける聴衆。いいか、与党なんてのは電化製品と同じだ。ボロくなってガタが来たら、買い換えていいんだ。もちろんそれは高くつくし、新しい機械の使い方も覚えなきゃいけない。でも機械が故障したまま放置したなら、いつ火事になるかわかったもんじゃない。家ごとこんがり焼けちまわないように、捨てるべきものを捨て、新しいものに替えるべきなんだ。それがあたしら、同じ家で暮らす家族が共同で取り組むべき仕事だ。そうだろ? と応答を求める声に、そうだ! の声が波のように伝わる。これはソウルのやつらだけじゃない、この国で生まれ育ったすべての人に関わることなんだ。そうだろ? の呼びかけにも、そうだ! の声が応える。主権者は誰だ? と問うと、国民だ! と応える。主権者は誰だ? とふたたび問うと、国民だ! と先程よりも大きな声が応える。ところで、この中に大邱テグ出身のやついるか? と唐突に話題を変えたハンにも、聴衆は笑い混じりに手を挙げる。おお、やっぱりいるな。ひとつ言っとくが、あんたらのとこのフライドチキンは最高だ! 歓声が口笛混じりに鳴り響く。本当に美味いよな大邱テグのチキンは。でも、毎日ちゃんとチキンを揚げるには、安全に油を熱するキッチンの存在が不可欠だ。No chicken without kitchen だし No Seoul without soul なんだ y’know I’m sayin’? これはみんなの生活に直接関係あることだ。あたしには聞こえる、新しいキッチンの音が聞こえる。それは今日ここに集まってくれたみんなの声だ。あたしには聞こえる、新しいキッチンでチキンが揚がる音が聞こえる。それはこれからみんなで挙げる変革の声だ。だからさ、みんなでやろうぜ。みんなで掃除しようぜ。溜まり溜まって腐りきった油汚れを落として、まずい事故起こしそうな機械捨てて、みんなで綺麗にしたキッチンで美味いメシ喰おうぜ! あたしたちが作る料理の名前は「ソウルの市民民主主義」だ y'know what I mean!? と叫ぶと、広場を貫く大歓声が上がった。主権者は誰だ? と問うと、国民だ! と応える。主権者は誰だ? とふたたび問うと、国民だ! と聴衆も壇上も一丸となって応える。その通りだ、だからみんなで変えようぜ、みんなで考えようぜ。京畿道キョンギド、One Love! 江原道カンウォンド、One Love! 忠清北チュンチョンプク南道ナムド、One Love! 慶尚北キョンサンプク南道ナムド、One Love! 全羅北チョルラプク南道ナムド、One Love! 済州道チェジュド、One Love! みんなで作ろうぜ。今や世界がこのデモに注目してる。そもそもキャンドルデモは一五年前、二人の少女がむごい事故の犠牲になったことへの抗議として始められたものだ。何度だって声を上げよう。あたしらの生活を、あたしらの手で、何度だって立て直してやろうぜ。民主主義は何も白人の専売特許じゃないってことを思い知らせてやろうぜ。 Power to the people! ありがとう、ハンでした!

 演説が終わるとともに波濤のような歓声が響き渡り、海嘯のような拍手がそれに続いた。握っていたマイクを離し、片方の手の親指と人差指でハートをつくり、ふたたび群衆の間をかき分けながらハンは戻ってきた。おつかれ、と呟く自分の声のなんと間抜けに聞こえることか。ありがと持っててくれて。と言いながらキャンドルライトを取る。ねえハン、あの演説って全部考えて……と訊こうとすると、しいっ、と人差指を唇に押し当てている。えっ、と思っているとすぐに人差指が壇上へ向けられる。あ、次の登壇者の話を聞けということか、さっきハンのを聞いていたように。それはそうだ、当然のことだ。

 午後六時に予定されていた集会が予定通りに終わると、引き続き複数のルートで抗議の声を挙げる、都心行進のフェーズへと移った。デモ隊の中には、抗議のメッセージではなく太極旗を掲げている者もいる。あれって、保守派の団体なんじゃ……そうかもね。衝突になるのではと不安にかられたが、都心行進は徹底してアジテーションが抑えられ、今回の抗議行動の枢要である「大統領の憲法違反行為の弾劾」にのみフォーカスが絞られていた。国民主権、そうか。言ってみれば初等教育で習う概念だ、しかしそれだけのことを、これだけ実際的に、具体的に、文字通りに行うことができるとは。

 午後七時を回り、増え続ける参加者と対峙する警官隊の姿を窺いながら、これ、放水車とか出るんじゃないか……とつい弱気が漏れてしまう。しかしハンは怯みもせず、放水車? あるわけないよ、消火栓止まってるし。と事も無げに言った。えっ。去年、警察がデモ鎮圧のために消火栓から放水してるって話が出て、その水は火災鎮圧のためだからって供給止めたんだよ。止めたって、市が……? そりゃ消防災難本部はソウル市の傘下機関だもん、言うこと聞くに決まってるっしょ。市が、市民の抗議行動のフェアネスのために計らう……そんなことが? いや、これは「行政区とは市民を登記し捕獲するものだ」と勝手に内面化している者にとってのみ衝撃的なだけなのかもしれない。ソウル市は、大統領や腐敗した与党の内情の忖度よりも、この地で生活する市民の抵抗権をこそ尊重している……

 とすれば、これは。

 デモスのクラティアそのものではないか。




 一ヶ月後、西暦二〇一七年三月一〇日。大韓民国憲法裁判所は、大統領への弾劾を全員一致で妥当とし、パク槿恵クネは大統領職を罷免された。

 今になっても思い出す、あの広場に集まった市民たちの、知性とユーモアに裏打ちされた政治的鳴動を。そして強靭なデモスを生み育てた、ソウルという土地の精神genius lociを。

 そう、市民たちの力、だけではない。勝たせたのはこの街だ。この街が勝たせた。




 短い間だったけど、ちゃんとおもてなしできたかなあ。と笑うハンの隣で、もちろん、と短く応える私は、恥じていた。何を。いつまでも客人でいることしかできない自分自身を。

 台湾へと帰る前日に、ハンの生まれ育った場所を訪れる成り行きとなった。彼女自身が一日休みをとって帰省するということで、私も伴うことにしたのだった。ハンのご両親って……父ちゃんがだいぶ前に入隊中の事故で死んで、それで母ちゃんもちょっと具合悪くしちゃって入院中。そうなの、ごめん訊いて……いいよ、よくあることだよ。ただ母ちゃんの手じゃ育てられないなってことで、地元の教会の孤児院に引き取られて。孤児院……前に話した婚約者とだって、そこで会ったんだよ。そうなのか……生まれも育ちも両親とともに、しかも潤沢な経済的余裕を脅かされずに過ごした私などには、一言も差し挟む余地があるとは思われなかった。

 が。

 その孤児院、純福音派教会の名が掲げられた施設の前で待ち合わせた、ハンの婚約者。と名乗る人物が、えっと、その、どう見ても女性だったことについては、さすがに私にも何らかの発言が許されるかと思われた。

 ハン、そいつ? ルームシェアとかなんとか。そうそう、紹介するよ、台北から来たヤスミン……本名なんだっけ? ヤスミンでいいよね。ヤスミン、こいつがキムションウィン、あたしの婚約者。なんでまたルームシェア募集なんか。だってシャワールーム使うの以外では一週間に一回帰るかどうかだったもん、人がいないといろいろ心配じゃん? あんたの部屋に盗むものなんかありますかって。泥棒とかじゃなくてさー人が生活してない部屋の匂いってあるじゃん、あれがいやでさー、と雑談を交わす二人の間に、ちょっと、いいですか。と割って入る勇気が自分にあったとは。なに。あの、キムションウィン……遅れてとかつけなくていいよ、ヤスミン、。と腕組みしたまま皮肉げに言う。は、はい……あの、女性名、ですよね。女性名だし、現にこうして女性ですけど。と傲然と応える相手に背を向け、で、ハン……うん。ごめん、一ヶ月間部屋にいたけど、きみはずっと留守がちだったし、もちろん一緒にシャワールームに入ったこともなかったし……あってたまるか。との声が背中に刺さるが、意に介さず続ける。だから、だから気づかなかったよ。婚約者がいるって話だったけど……きみ、きみ男の子だったのか!


 えっ? とハン

 えっ? と私。

 何それ、ダサっ! と噴き出したのはションウィンだった。


 女性同士で、って発想すらない環境で育ったんだろうね、とても二一世紀人とは思えないおめでたさだわ。と揶揄からかションウィンに返す言葉もない。実際にそうなのだ、何も知らずに育ったのだ。自分の外にある世界の、文化も営みもその変動も、何も知らずに。と気が塞いでいたせいで、でも寂しくなるなあ、ここもなくなるなんて。というハンの一言も聞き逃すところだった。えっ、なくなるって。ん、前からだいぶ困難とは聞いてたんだけどね。でも、ここの牧師がやらかしちゃった一件のせいで、もう閉鎖が決まったらしい。やらかしたって……ま、やらかしたとしか言いようがないわありゃ。とションウィンも呆れ混じりに言うので、深追いはしないことにする。でも、建物としては何も問題ないように見えるけど……そうなんだけどね、宗教法人が使ってた物件だからおいそれと買い手はつかないだろう、って言ってたよ園長。え、その園長さんは別にいるの。うん、教会が金出して民間の業者に委託してただけだからね。ということは、金さえあれば、ってこと。え?

 ハン。なに? その園長さんと、連絡とってくれないかな。なんで? なんとか……できるかも。この孤児院運営のための出費を、教会でなく他の誰かが引き受けたら存続できる、ってことでしょう。たぶん。私が出す。え? は? 私の……えっと、父は、慈善事業にも積極的に出資してるから、おそらく出せるはず。マジか! うわーほんとヤスミン、それアリなの? ハンにはお世話になったから、恩返しがしたい……いいかな? いいに決まってるよ! うわーちょっと待ってて、いま事務所いるはずだから呼んでくる!

 と駆け出すハン、の背中を見つめる私、の背中に突き刺さる視線。もう何を言われるかは、わかっていた。

 あのさ、自己満足ならやめてくれない? 氷塊が伝うような感覚が背筋に走る。ボンボンの娘さんがさ、何を勘違いしたのか知らないけどさ。あんたのちっぽけな博愛精神を満たすためのネタに、あたしたちを使わないでほしいんだけど。だいたい何、父親が、って。自分の金ですらないのかよ。私のパパは大金持ちなので貧しいあなたたちを救ってあげられます、ってか。どんだけ思い上がってんだよ。何不自由なく育った金持ちがさ、その金であたしたちみたいな育ちの悪いガキどもにおまんま喰わせてあげますって、それさ、侮辱どころの話じゃないよ。ナメてんだろ。金さえやりゃ簡単になびくと思ってんだろ。そうやってどんな問題も解決してきたろ、お前らみたいなもんは。おい、こっち向けよ。なんとか言えよ、お嬢様。

 振り返る。相対する者の剣幕を正面から見据える。そうだよ。ぴく、と片眉が動くのが見えた。自己満足じゃない、なんて言えない。きみが言ったことはすべて正しい。そうだ、私が与えられるものといったら金しかない、それも親から相続したぶんの。でも……だから何だ。怨悪に吊り上がっていたションウィンの両眼がまるく見開かれた。金しかないからって、それが何だ。少なくとも私は、他の誰かにそれを正しく使ってほしい。孤児院に存続してほしいからって金を出すのが、それが悪か。自分は藝術家になれないから藝術家のために出資するパトロンがいるからといって、それが悪か。オペラを上演してほしい、映画を作ってほしい、肖像画を描いてほしいコンサートホールを造ってほしい墓を建ててほしいって自分以外の誰かに金を出すことが、それが悪なのか。私はただ、ハンが今日こうやって生きているように他の誰かにも生きてほしいって、そのための場所があってほしいって、それだけのために金を出すんだ。それが嫌ならそう言えよ、それが悪ならそう言え。そしたら私も何もしない、自分が安穏に暮らすためだけに金を使うさ。それできみは満足なんだろう。この孤児院が無かったせいで誰かが路頭に迷うことが、きみにとっては正しいことなんだろう。だったらそう言えよ、自分だけ何の負い目も無いみたいな顔して。きみだって誰かに助けられて育ったくせに、なんとか言えよ、お嬢様!


 言い終わるのと、ハンが園長さんを連れて帰ってきたのがほぼ同時だったらしく、私とションウィンが対峙している姿が遠巻きに眺められる、はめになる。えと、なんか、あったの。と不審がって小声になる婚約者に対して、ションウィンはくすっと笑い、私の方を親指で差した。なかなか言うじゃん、こいつ。気に入った。




 うん、そういうこと。そうだね。ははっ、そうかも。うん……ごめんなさい。ありがとう。でさ……憶えてるかな、母さん。一〇年くらい前に、ちょうようの節句の……そう。いや、謝らないで。本当に似てると思うよ、私は、母さんに。うんざりするくらいに……だから、ってわけじゃないけど、この道を選んだのも、たぶん関係があるんだと思うの。母さんができなかったことを、私がしてみたら……じゃない、してみたい、できるようになりたい、って。多分これが、私から母さんへの、最初で最後のわがまま……だと、思う。うん。ははっ、そうだね、遅すぎるよね。あははは。うん……いや、こちらこそごめん。でも、私も気付かなかった、こうして自分の意志で外に出てみなかったら……何事も、そうだね。うん。ありがとう。父さんにも伝えておいて、何も心配いらないって。何より、私はあなたの娘ですって。でしょ? 母さん、本当にそうでしょ? ぶっ、あははは、これからはこういう冗談も言えなきゃいけないんだよ。うん。わかった、かならず連絡する。え? ああ、最終的に、か……何事にも最後なんてものは無いと思うけど……あるよ。ひとつある。母さん、私ね。詩が書けるようになりたいんだ。




 四月から二年の就労ビザを取り、韓国での語学教師としての日々が始まった。交通の利便性を考えてヨンサン区に部屋をとったため、汝矣島ヨイドハンとはやや距離があるが、連絡を欠かしたことは一日もなかった。音楽を教えてほしい。あなたが持っているすべてのことを、私に学び取らせてほしい。もちろんハンは屈託なく応えてくれた。R&B、ファンク、ヒップホップ、彼女が愛する音楽をキャプション付きで受け取り、その精髄を身につけようとした。しかしハンの専門技術はすべて独学によるものらしく、作曲や歌唱に関しては私程度の底の浅さでは話にもならなかった。ボーカルのレッスンに通い、音楽理論の教本も買ってみたが、なかなか身体に馴染んでくれない。当たり前だ、練習もせずに上手くなるものか。日々の生計たつきをこなしながら少しでも芸事を身につけようと足掻く私の扼腕に、毎日届くハンからの叱咤──に頃合いを見計ったかのように紛れるションウィンの毒舌──は、こよなき滋養のように感じられた。


 いつのまにか一年が経ち、久しぶりに汝矣島ヨイドのスタジオに遊びに行った際、二人でユニットを組んだらどうだ、とチーフプロデューサーから提案された。私にとっては願ってもないことだったけれど、一番の不安事は、ハンの作った楽曲に私がついていけるかどうかだった。まずはコンセプトから決めることだな、との助言を受け取った私たちは、ハンの部屋で夜通し作戦会議の成り行きとなった。

 ヒップホップ、はハンの持ち場だから、私が入る余地ないもんね……もちろん、それ一本でやる気はないよ。いま考えてるのはさ、ヒップホップとシンセポップの融合。シンセ……八〇年代とかの? そうそう、人によってはニューウェーヴとも言うんだろうけど、ここはシンセポップのほうが的確かな。なんでそのふたつなの。だって、ヒップホップと八〇年代シンセポップってどっちも「素人の音楽」なんだよ。え……? ヒップホップに関してはなんとなくわかるけど。たとえば、シンセポップのキーボーディストのフレーズって一本指で弾けるじゃん。ああ、デペッシュ・モードみたいな? そうそうそう。ピアノって本来左手でベースを、右手でハーモニーを演奏するじゃん。そうやってコード感を保持しなきゃいけないのに、シンセポップでは指一本でテンッ、テンテテッテテッテンッテンッて単音のフレーズをループさせる。なぜなら素人だから。まあね……そのイズムはヒップホップでも同じなんだよ。ブギー・ダウン・プロダクションの『The Bridge Is Over』は聴いたでしょ? えっと……あ、なんかすっごいヨレヨレしたピアノ。あれKRSワン本人がスタジオのピアノ使って弾いたんだよ。確かにヨレてるんだけど、あれが独特の味になってる。そういう意味でヒップホップとシンセポップは同じ「素人の音楽」。なるほど……そしたら、私みたいな未熟者にも参与する余地がある……か。とりあえず、このコンセプトで何曲か作ってみるよ。


 シィグゥという、Japanのアルバムから名を採ったプロジェクトは、作曲からレコーディングまですべてハンと私の共同で行われた。ヒップホップ meets 八〇年代シンセポップ。スキル偏重の時代において「素人の音楽」をブレイクスルーの糸口として見出さんとする私たちの目論見は、さしあたっては奏功したと言えるのだろう。練習と制作に半年をかけ、パフォーマンスのクオリティも定まったところで発表した第一集1stは、Webジンで高評価を得、配信販売やサブスクリプションによる収益もそれなりに上がった。何よりχορόςという、韓国を含む全世界で展開される音楽コンペティションの出場者としてリクルートされた事実は、少なからず私の自尊心を満たしてくれた。


 しかし、真の陥穽はその先に待ち受けていた。汝矣島ヨイド予選、ソウル市大会、と順調に勝ち上がったはいいものの、よりによって韓国代表決定戦の前日にインフルエンザを発症した私は、シィグゥのクルーとしてステージに上がることが不可能となった。代表者登録は私の名ではなかったので棄権にはならなかったが、ハンのソロパフォーマンスだけで並いる競合者を抑え優勝することができた事実は、インフルエンザによる高熱よりも重篤な何かを、私のうちに残した。


 うん、もう下がりはじめたから大丈夫。でもまだ保菌者だから自宅謹慎だけど、来週には会いに行くから。うん、おめでとう、本当に。

 スタジオの皆と一緒に撮影したセルフィーを、なにか遠い風景画のように見ながら、ふいに捨て鉢のようになりスマートフォンをソファに投げる。代わりに、枕元の本棚から一冊取り出し、仰臥のまま頁を開く。なつかしい、成人祝いに父からもらった、東アジア近代文学選集のなかの一冊だ。とくに思い出深いこの短編、初読時にいわく言いがたい感興を残し、原語版も入手し、まさかここまで融通無碍な漢文体が日本人の作家によって成され得たとは、と詠嘆を漏らしつつ再読することとなった短編。中島敦の『悟浄歎異』、その頁を眼で追った。


 まだまだ、俺はくうからほとんど何ものをも学び取っておりはせぬ。流沙河りゅうさがの水を出てから、いったいどれほど進歩したか? 依然たる呉下ごか旧阿蒙きゅうあもうではないのか。この旅行における俺の役割にしたって、そうだ。平穏無事のときに悟空の行きすぎを引き留め、毎日の八戒のたいいましめること。それだけではないか。何も積極的な役割がないのだ。俺みたいな者は、いつどこの世に生まれても、結局は、調節者、忠告者、観測者にとどまるのだろうか。けっして行動者にはなれないのだろうか?


 お前は私だ。悟浄よ、私もこの通りの有様なのだ。ハンの、彼女の屈託ない人柄や、該博きわまる音楽の知識や、明視と情熱と鼓舞と連帯とを一挙に迸らせる弁舌の才能にあこがれてもなお、彼女の足元に及びもしないのだ。住居を韓国に移したところで、彼女が分け与えてくれたものを存分に吸収し得たとはとても言い難い。むしろ私は、一箇の自足した存在の周囲を回遊する衛星のようでしかありえないのでは、と思うことしきりになった。回転している間だけ、独楽こまは立っていられる。ハンは自らに巻かれる紐の筋道まですべて知り尽くした独楽こまだ。私はといえば、紐がどのような細工かも知らず、自らに刻まれてあるはずの窪みすら定かでなく、したがって紐を纏うことができず、回転という行為から自ずと見放される、そのような独楽こまであるかもしれない。ハンが回転を止めて倒れることがあったとしても、出立すらままならず紐をこんがらせたまま横になっている私とは、全く異なった倒れ方をするに違いない。


 ではどのようで、誰のようであればいいのだろう。行き場のない焦慮をくゆらせながら、χορόςのYouTubeチャンネルを無為のまま渉猟していたところ、前大会優勝者のアーカイブにたどり着いた。Innuendo。ドレス姿で金髪翠眼の女性と、スーツ姿で銀髪碧眼の男性のように見える女性、その二人組によるパフォーマンスは、私にとって遠い国の御伽話のような非現実感と、しかし確固たる血肉をもった実在感の両方を与えた。未知の事柄をウィキペディアで検索せずにはいられない貧しい習慣に呆れながらも、エリザベス・エリオット、彼女の公開されている限りのプロフィールは眩さを覚えずして読めないものだった。マンチェスター大学で演劇と文学を専攻し、女性であるにもかかわらずシェイクスピア四大悲劇の主演をすべて成功裡に納め、そして音楽と舞踏の技術はローザスのケースマイケルから直接入団のオファーを受けるほど高い。さらにはネット上の噂話でしかないが、そのケースマイケルからの誘いも嘲笑混じりに撥ね付けたという……独立、自恃、不羈。エリザベス・エリオットの存在はいつしか、私に無いものを総て揃えた者として君臨していた。


 では、私は。どうする。どうすればいい、居並ぶχορός出場者たちの中で、素人も同然の私が名乗りを上げるには。実力が足りていないなどわかりきったことだ、しかし、だからこそ、私だけの勝ち方を見出さねばならない。と、Yonah客室内のベッドに腰掛けながら沈思していると、どうしたの、と声がかかる。ああ、そうだ、私だけではなかった。私たちの、だった。いや、なんでもない。ただ、ずいぶん時間があるな、と思って。時間。頷いて立ち上がる。ハン。うん。次の停泊地、日本には二四時間以内に到着するって聞いた。それまでに作ってみよう。曲を? ただの曲じゃなく、私たちはこれで勝ちにいくんだっていう、入魂の曲たちを。言うと、ハンは船内の制作ブースを見回す。これだけ環境が整ってると、良くも悪くもプロっぽく聴こえちゃうかもしれないね……でも、うん、やってみよう。あたしたちでしかできない「素人の音楽」。


 そして指は、おずおずと鍵盤を撫でる。この指が、私のでもハンのでもなく、シィグゥの指となってくれたなら。既存の価値を転ずる逆立ちの舞が、私たちの四肢に舞い降りてくれたなら。素人の脚が鍵盤を叩く。ぎこちなくおぼつかず、それだけに初山踏みの感悦に満ちた、恐れ知らずの素人が舞う。


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