11 ἴδιος κοινός
私は残る。えっ? 出場代表者は私で登録してるから、結果発表まで私が会場にいないと棄権になる。
えっと、なんでそんなに落ち着いてるんすか。そんなことはどうでもいい。よくないっすよ、ねえさんあんなことになったんすよ? いま私たちが思い煩ったところで、
……ああ、懐かしいな。いや、
なんすかその言いかたは!! この子のこんな顔は初めて見るな。あたし、はか、あんたがそんなん……ああもういいっすよ、じゃあ行ってきますよ、どこの病院っすか! あ、ええと、今からマップで送る。
あ。うん。……えっと、勝てたらしいっすね。ええ。なんつうか、こんな誇らしくない勝利があるなんて。まあね……
丸椅子をもう一つ寄せ、伏せっている
じゃあ、と丸椅子を引く音。お願いします、ねえさんのこと……あたし、あした朝から動かなきゃいけないんで。タトゥーショップ、でしたっけ。そうす、あーもうせっかくの初タトゥーなのになー。もしχορόςで
痛かった? いや、初めての感覚だったんで痛くはないんすよ、でも二回目からは慣れてきて痛み感じるらしいすね。そういうものなの。あと彫る部位の肉の厚さにもよるらしいす、今回あたしは腕でしたけど、首筋とかだったらけっこー痛みあるのかも。知念さんはどうだった。ちぬんは別のとこで彫ってたんで途中経過きいただけっすけど、全然痛くなかったらしいすよ。なんかチャクラとか、瞑想のあれとか使ったんじゃないすかねー。ふふっ、完成は明日だっけ。そうす、明日もう半分終わらせるっす。あの……ねえさんは? 命に別状はないはずだって。脳死の心配もないらしいけど、今まで通りに目を覚まして意識を回復できるかは、そればかりはわからない、って。そうすか……あーもう、タトゥー途中経過の写真もインスタ載せたかったのになー、今めっちゃχορός関連のコメントばっかつきますもん。大丈夫か、やっちゃったな、とかいって。返信しちゃ駄目だよ。しないすよ、あそうだ、ニセキュウゾウから謝罪のメールみたいなの来ましたよあたしのほうに。無視しなさい。しますけど、あの子もかわいそうすねなんか……どこが? 自分でしたことの
喪服、か。そういえば着たことがないな、葬式に参列したこと自体一度も。母の死に際してさえ、仕事が忙しいと遁辞を立てて、薄情者、それでも人間か、と北九州の親戚から罵られたのだった。娘か、ですらなく人間か、とは、相当な侮蔑だったのだろう。そしてそれは当然の
All aboard! と
え、なんもないじゃん。さっきはやけに凝った内装の客席だったのに、列車の先頭に位置するこの部屋には、席どころか窓も
どういうこと? どういうって、みんなで座って話そうってこと。椅子も用意せず客人を迎えるとは、ずいぶん野蛮な作法ね。いやこれが一番いいじゃん、ちゃんと掃除させたから床は汚れてないし。もしどうしても他より高い目線で座りたいってんなら、ウェンダに跪いて椅子になってもらいな。と言われたエリザベスも、さすがにその通りにするつもりはないらしく、大きく慨嘆を漏らしたのちに膝を折った。傍らに控えていたスーツ姿の女性もそれに続く。
じゃあ、χορόςラテンアメリカツアー参加者全員の初顔合わせってことで。にんまり笑うイネスから時計回りに、エリザベス、先程ウェンダと呼ばれてた人、
さて、ここらで93に一言もらおうか。え、なんでいきなり。だって
パシャ、という音が部屋の片隅から。いい感じに撮れた? と言うイネスに、はい、と微笑で返す
一時間も経たずに、サン・ディエゴ港に到着。停泊していたYonahに乗船するわたしたちの姿を、列車に乗り合わせていたファンたちが見送る。いかがでしたか、初顔合わせの印象は。と
朝、目を覚まし、やることがない、わけがない。顔を洗い、歯を磨き、枕にプレスされた髪を
もうミックスは大丈夫っすね。そうね、ライブ用にはこれが最適でしょう。PA機材どんな感じだろうねー。港に接岸してライブ会場にするって話だったから、かなり音が散る感じとは思うけど。そうだな、ビートとベースはきっちり聴こえるようにしないとな。と先のことを慮っても、肝心のことが抜けていた。『Grace & Gravity』のファーストヴァースの書き直しが、まったく進んでいないのだ。
ふう、とタバコも出さないうちから溜息。目の前の大海原を眺めながら、せめて何か着想のようなものが落ちていないか探す……が、あるわけもない。地も海も同じだな、この果てしのなさにおいては。
わたしたちが起居しているキャビンの向かい側に案内され、Defiantの署名がなされた扉の前に至る。こちらです、の言とともに
ってことになった。面白そうすね、配信かー。それはいいけれど……あなたの仕事もちゃんと済ませなさいよ。わかってるよ、ちゃんと書き上げる。じゃあ、ちょっとキッチンの在庫調べてくるから。アイデア固まったらすぐ戻るよ。
じゃあ、はっきりさせようか。と前置きすると、イリチも前のめりになる。たった一度、そういうことがあっただけ。その時期は
そう、っすかあー! とカウチの幅いっぱいに四肢を広げて嘆息している。あーやっとかたついたあー、言い出すまでしんどかったっすー。そんなに……? あーじゃあこれからベッドルームどうしましょ。昨日エル・パソからひとつ運び入れてもらったよ。え、じゃあもうみっつあるんすか、なんで言ってくれなかったんすかー! そりゃ、あなたがそんな気遣ってたなんて知らなかったから。まあ、そのおかげで徹夜でミキシング仕事済ませられたんで、結果としてはよかったすけどね。ふふっ、あははは。
いやーでも、正直言うとあたしもねえさんのこと大好きっすから。知ってるよ、恋愛以外の意味ででしょう。そうすよ、あたしだけじゃなくてちぬんとか
で、何が好き? チキンとか肉料理あれば嬉しいかな、立食会だし。グリル系かー、あ、チキンって焼くんじゃなくて揚げるほう? そうそう、スパイスいっぱい効いた感じの。なるほど、ヤスミンは? うーん、あんまり豪華な感じでなくても……冷凍庫に春巻きとかコロッケとかあったけど、そのへんの惣菜でもいいかな? いいと思う。そのかわり調味料には凝っときなよ。オッケー、じゃ、あとは飲み物。ハイト! ビールね、立って喰うわけだから瓶のほうがいいな。あとワインを赤白デキャンタで置いといて、グラスで持ってってもらえばいいか。そんな感じじゃん。オッケーありがと、また訊きにくるかも。おう。お疲れ様。
そうだな、あたしに関してはあまり肉料理は要らないかもな。あ菜食主義だっけ? そういうわけでもない、単にあまり好きじゃなくて。そっか。その代わり、サラダの量を増やしといてくれ。オッケー。あと、他の人らにアレルギー無いか訊いた? えっ、あっそうか、大事なこと忘れてた。訊いといたほうがいいよ、わたしと
とりあえず次の寄港地で、挽肉料理に合いそうなスパイスいっぱい入れといて。はい。それで材料は十分だと思うけど、野菜と果物は新鮮なの使いたいから当日の午前にでも。時間的には余裕あるよね? 問題ないと思います。よし、じゃあ残すところは当日の準備だなー……わたしと
失礼します、と艦長室の扉を開けると、制服姿の男性が迎えた。
あの、
とりあえず準備は整ったな、イネスにもオッケーもらったし。あとは、まだ一言も話せてないあの……おっ。なんて偶然、向かい側の通路から。ウェンダ、だよね。どうも! ちょっといいですか。歩み寄ると、銀髪碧眼の人が足を留める。うわあ立ち姿だけでなんかすごいな、俳優みたい。あっ日本語で話しかけちゃったけど、この人そもそも
大丈夫? これ、ちゃんと動いてる? 目の前でハンディカメラを構えているゾフィアに確認すると、オッケー、それじゃこのまま追っていくから、段取通り始めて。と応えてくれた。よし、じゃあいくか。
Wassup! ヘッズのみんな調子はどうだ? ご存知93の SupaDupaMadaFaka キュウゾウだ。今回は初の動画コンテンツ配信ということで、来週からラテンアメリカを巡るクルーの全員を一室に集めたぞお。それじゃ行ってみようか……
お、始まってるな。いいじゃんいいじゃん、香港あたりの雑然としたフードコートを意識したテーブルセット。 Wassup
あ、れ。いないな。
……doがいるはずなんだけど、ええと、どこかな? 場内を見回すと、カメラを構えるゾフィアの向こうに立っている
おっけーじゃあ、えっと……と言葉に詰まっていると、プァプァプァプァー、と突然入口付近で音が。あ、そうだ、こっちの段取忘れてた。一目散にDJブースへと走り寄るわたし、を小走りで追いかけるゾフィア。すでに会場には一曲目、シルヴェスターの『You Make Me Feel』がドロップされていた。
ゾフィアがようやく追いつくと、そいじゃパーティーの始まりだ! と言いながら正面のカメラを見据える。なに、肝心のやつらがいないって? そんなん知ったことか! いいか、この動画見てるやつらはたぶんInnuendoかDefiantのファンってことになるんだろうが、次の三公演で93、
よし、配信のときはここ編集点にして、DJをバックにパーティーの風景を入れたらいいか。よくやったよ
うん、吹っ切れたんじゃないかな。足りなかったのはこのグルーヴだったのかも。黙々と音を聴いて頭をひねるだけの毎日では、袋小路に陥るのも無理もない。人と交わり語らうことなしには、詞は訪わない。そうだ、これはそもそも
それっすよ。えっ。その眼っすよ、あたしが言ってたの……え、あ、ああ、なに、撮られてたわけじゃないよね。撮られてはないすけど、はかるん自分がどう見られてるかに関しては無神経だなー……な、なに、そんなのわかるわけないでしょう、眼は自分の外側についてないんだから。ぶっ、自分の外側に。あはは、たしかにっすね。なに、そんなに面白いこと言った。いやあ、はかるんらしいっす。
いいなあ、
そんじゃ次からお願いねミッシー。おっけー、あー久しぶりだな
まずは上出来、だな。と広間の片隅で腕を組むイネスの傍らで、カメラのスイッチを切る。とりあえずはこれで、最初の三公演では新進の三組にフォーカスが絞られる。撮影ありがとうソーニャ。いいけど、一つ訊いていいイネス? なんだ? 今回のツアーでA-Primeが私たちに課してる役割、つまりInnuendoの対抗馬としてツアーを盛り上げること、だけど……そもそも最初から果たすつもり無いよね? と言ってみると、にやあ、と満面の笑みになり、当たり前だろお。と返された。やっぱりね、あなたの性格ならやりかねないと思ってたけど。せっかく五組も集まったんだから、ごちゃ混ぜにしないと面白くないだろ。お仕着せの強者VS強者のシナリオになんて、
と話してるうちに、あのお、と
実際わたしも、と、イネスと私を順に見比べながら話し出す
ああ、いい顔だな。まずい、カメラ回してなかったぞ。今の絵、あとでツアードキュメンタリーでも作るなら良い場面になったろうに。とか思ってるうちに、広間のサウンドセットから聴き慣れたコーラスが。オージェイズの『Love Train』だ。ぶははは、いきなり大ネタ! あーだめだソーニャ、無理です、踊ってきます! と
朝、目を覚まし、やることがない、わけがない。顔を洗い、歯を磨き、枕にプレスされた髪を
まだ二人が眠る部屋の中で、一枚のルーズリーフを前にする。この時間、わたしだけが言葉に取り残される、ことを許される時間。来てくれたか言葉よ。何度となくわたしを打ち砕き、そしてまた作り直してくれたあなたよ。
「今日も受難のみ 救済なし
そうだ 何も言わずにただ苦しめ」
大歓声、といっていいだろう。ラテンアメリカツアー一発目、まさに劈頭を飾る93の新曲は、ツアーの開幕を待ちに待ったメキシコの観客たちに熱狂をもって迎えられた。もちろん、この国での93の知名度など皆無に近いのだろう。しかし『Grace & Gravity』、デフトーンズとトゥールが結婚したようなギターリフに、精緻なコーラスワーク、そして雄弁なラップの三つ巴から成るこの曲は、初めて直面する人々への名刺代わりであると同時に、既に厚い支持を寄せていたファンたちにさえ新機軸として記憶されることになるだろう。もちろん、これくらいやってくれないと困るが。
いいじゃないか、アジアの無名アーティストをオープニングに据えるのは不安もあったが。ああ、ハッシュタグでのツイートも軒並み高評価だ。と、さっきまで不安げな
五組の全曲目が終わり、観客全員による投票が始まる。先ほどまで港の特設会場に集っていた群集が一斉に退き、チケット半券に記名する原始的な投票を一斉に行う姿はなかなか壮観だが、なるほど、この方式なら終演後に効率よく退場させられるわけだ。
さあ、結果発表──の音声とともに、Yonahの船体横に取り付けられたLEDモニターに結果が表示される。五位:
そうすれば、あなたもすぐにわかってくるでしょう。そこで何が起こりうるのか、自分は何をすべきなのか、が。
あの手紙を受け取ったときは意味もわからなかったし、
とりあえずは晴天。さしあたっては波もなし。それではワタシは、忍耐強く見極めるとしましょう。この先に何があるのか、何をすることになるのか、そして旅路の果てにアナタのもとへ辿り着いたとき、
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