02 聖なる海と感化院
また死のうとしたら殺すから。と、こちらの
お前は失敗した。その失敗のしかたですら拙かった。いくらなんでも、もっと上手い失敗のしかたもあったろうに、こうして自分の死さえ
別れは急に来る。来た。幸せは歩いて来ない、不幸せも走って来ない。でも別れは急に来る、今日のように。
あの、先輩。消毒用アルコールを棚に戻しながら小さく伸びをするその背中に投げかける。わかってます、わたしみたいなのが、
ふりむい、てくれ、た。呼吸が止まりそうだ。もう一〇月だっていうのに脇腹に汗が滲む。先輩、その
──あなた自身が、と、唇が開かれた瞬間のノイズだけで身が凍りそうになる。は、はいっ、と甲高い声を漏らすわたしを前にしても、先輩は訥々と続けた。「あなた自身が書こうとしている言葉そのものに打ち砕かれることが必要です」って、ヴァージニア・ウルフが言ってた。私もそれが一番正しいと思う。言い終わると、また背を向けて歩き出してしまう。あの、あの、先輩っ、もうひとつだけお願いします。わたしも、わたしもなんです。先輩があのコラムでやっつけていたような──そのまんまの人間なんです。もう、わからないんです。一体どう書けばいいのか、何を書けば──まるきり子供めいた泣き言を並べてしまっているわたし自身を発見し、遅れて、目の前に
あ。行ってしまう、先輩、まだ訊きたかったことが──て。うわ。うわあ。来ちゃった。なんで来るのおおお。いつもオフィス到着は
本当に辞めるんだね。と、まるで合成音声のように無機質な声が響く。寂しくなるよ。そうあってほしいものです。淡々とした会話を背に他の社員たちも黙々とデスクに着き始めるが、無関心を装っているだけなのがバレバレだ。ひとつだけいいかな。君の一〇
考えが変わったんです。
こんな笑い方をする人だったんだな。両頬を
二年は、長すぎます。その間、ただ
すう、とまた一呼吸。置いたのち、先輩は
そうですね。一生は、長すぎます。
私の人生は長く恐ろしいものになるでしょう。それでも、あなたがたの人生ほど恐ろしくはないでしょう。
言い終わる、と、目の前の男性に背を向け、足下の鞄を拾い上げる。まるでタップダンスのように軽快な響きを伴いながら、出口扉まで歩いてゆく。と、小首だけこちらへ傾けながら言った。
私の幸福、などは知りません。幸福のことは、あなたがたに任せます。
ばたん、という無機質な音とともに、縁は切れた。うしなわれてしまった、わたしと先輩の関係は。もう戻らない、のに、不思議だな。なんでこんなに涼しいんだろう。この涼しさは、きっと一〇月のせいだけじゃない。
取り巻きたちでさえ、井出さんに何を言ったらいいのかわからないんだろう。いたたまれないとはこのことだ。もう、いいよね。空気も読まず言っちゃおう。
今のやつ、歌詞に使ったら、盗作になっちゃいますかね?
おざまーす。おーう、悪いねー散らかってるけど。いや全然じゃないすかー、ていうか、うわー、モノが無い! あはは、褒められてんのかなそれ。いや良いことじゃないすかー、あたしの部屋なんか段ボールとか梱包材で溢れかえってるすもん。機材の? そうす。1LDKだよね、部屋の改造どうなった? あれあたしの部屋じゃなくて、知り合いの物件みんなで改造してスタジオにしようて話なんす。そういうこと。なんかわたしより良い暮らししてる感プンプンだなー。あはは。あねえさん、これお土産っす。おーありがとう、なに? ひよ子っす。え。え、嫌いでした? いや好きだけど。あ、あ、ねえさん福岡住みのひとじゃないっすかー! あははそうだよ。しくったー! とりあえず福岡空港でお土産買って東京帰ろうて考えてたから、一緒にしちゃったすもん。いやいいよ、ひよ子好きだし。でも福岡住んでて県外の人からひよ子贈られるって、すげえ斬新だな。あははー。ありがとう、冷蔵庫入れとこ。あと途中で差し入れ持った奴がひとり来るから。
九州旅行どうだった? とりあえず全部の県まわれたんでよかったすよー、次は別府の温泉制覇したいす。あれでも結構あるよー。やっぱ九州のひとって県外いくすか? いや、仕事ではそりゃ行くけどねー、旅行では大分と長崎くらい。
母が泣いているからといって、私が泣かせたとは限らない。のだが、居ない父の投影として私が愛されていたというのはありそうな話だった。佐世保基地駐留のアイルランド系アメリカ人と、大正創業の蕎麦屋の一人娘との間に生まれた子供、それが私らしかった。らしかったというのは、その由緒を伝えてくれる筋がどれも不確かだったからなのだが。そもそも父と母が尋常の
産後すぐに母の親戚を頼って北九州に移り、
知恵をつけるに越したことはないと思った。受け容れられないものがあるとして、それがどのような機構でどのように動いているかを知ることができれば、正面衝突を避けることができるはずだから。最も愚かなのは相手がどのように
仮退院のために反省の色を示す材料が必要なので、何かまとまった作文をせよという。とりあえず院の図書室で参照できる限りの資料を用い、「音楽の実践と訓育」に関する小論文を書いた。たしかバッハのミサ曲とドイツ・コラールに関する試論だったように思う。院長は「なぜこんなしっかりした文章を書ける子がここに来たのかわからない」と眼を丸くしていたが、それは話が逆で、音楽が私の暴力衝動を吸い上げてくれたのだ。小論文を読んだ学校の担任は、内申書はズタズタでも試験と作文で取り返せるから高校進学を考えろと言ってきた。そもそも義務教育で充分な身からすれば不服だったが、母も高校くらい出ておけと言うので従った。
人を殴るより鍵盤を叩く方がおもしろいと知った私は問題集よりも
高校に進んで一番の収穫は、もちろん
彼女がヒップホップのCDを一〇枚貸してくれるたびに、私はマルボロ一箱を進呈した。私による和声理論初等講義の授業料として、彼女はブッシュミルズ一瓶を献上した。おそらく、私たちは互いが辛うじて持っていたものを分け与えていたのだろう。私はヤンキーのシュプレヒコールでしかないと
で、そのモードってのはダイアトニックとどう違うん。ドレミファをどの音から弾き始めたか、ってだけでしょ。音列的にはそう。でもモードはトニックに解決することを問題にしてないって言ったでしょう。ドミナントの不調和段階からトニックの制動状態に帰結する、ってエンジンがそもそも無いの。ずーっと不調和でいいってことか。精確には、調和・不調和という二分法自体を相手にしてない。だから同じ一つのモードでもいいってわけ。えー、でもそれつまんなくねえ? そんなこと無い……というか、あなたヒップホップ好きでしょう。うん。ヒップホップってモードだよ、と言うよりも、ヒップホップの
おお、日本のバンドも聴くんだ。いいよねこのアルバム。うん、本当に作曲が優れてる。この曲ね、イントロからBメロ前半までならF#mキーでしょう。ちょっと待って音取らせて……ん、そうだね。ただBメロ後半のサビ直前で、F#mつまりエオリアンからドリアンにモードが変わる。どこ? 「なにを・しんじ・あおうか」の所よく聴いて。この「しんじ・あ」の「じ」と「あ」の音がF#の長六度。エオリアンの短六度を半音上げるとこのドリアンモードになる。それで……あ、サビはずっとこれか。え、これ単にC#mキーに転調したんじゃないの? 音列は同じだからそう考えてもいい、けど、私は明らかにこの曲はモードの理論で作られてると思う。なんで。イントロとAメロまでのコンピングが明らかにF#センターなのと、サビでこの……ピアノの音が入るでしょう。「テーレーン」てやつ? そう。これは長六度と短七度の音で、ドリアンをドリアンたらしめる音。わざわざこんなフレーズを入れてまで強調したかったってことは、F#センターのモーダルとして解釈しうるってこと。ああ、そこの違いか……しかしまあ良い曲だなあこれ、海行きたくなるね。ふふっ、
と、飲んだり吸ったり読んだり唄ったりしているうちに高校生活が終わった。
などと漫然と過ごしているうちに一年が経ち、大学の同期との縁も薄まりゆく頃、例によって
イランの出身で、居住地区での政治的迫害を逃れて日本に移民した、その家系の
この世界は変えられる。
ねえ、面白いやつっしょー。と晩に電話を
そして行ってしまった。私が言葉に詰まっているうちに、
何故止められなかったのか、今ならわかる。怖かったからだ。あの女の、異様なまでに冷徹な世界認識と、壁を壁として認識した上でそれを
東欧を渡り歩く旅費全額を、その新共産主義者とやらのカンパのみで賄っていたというのだから、まったく肝の太さに恐れ入る。とは言っても、その旅程すべては
止むに止まれず身元引受人となった私は、
って感じかなあ。思ったよりハードすね。あの……なに? その、
おっ。きたきた。
また死のうとしたら殺すから。あの言葉は効いたらしい。自殺はいけません皆が悲しむし道徳的にまずいし天国に行けなくなりますなんて、そんな説教が役に立ちはしないことはアイリッシュの血を引く娘なりに弁えていた。だから前もって共犯者になることにした。どうせ自分も死ぬとはいえ、死後に腐れ縁の友人が犯罪者になってしまうことを
あ、また鳴ってるすよ。お、あいつだ。同時に来たか。あーい、ようよう差し入れ持ってきたろうね。ならさっさと上がってこーい。
思ったより綺麗な物件だな。家賃いくらだろう。
しかし、あれほどまで思い詰める前にどうにかできたはずではないか。私のせいでもある、が、私だけでもない……みな手詰まりだった。異国を放浪する途上で同性の伴侶に棄てられた者への気遣いの言葉なんて、一体どう工夫すればいいものか。もし満足な言葉をかけてやれたとしたら、それは彼しか……と、こんな辛気臭い回想はもうよそう。作曲に頭を切り替えなければ、
え? あれ、あの人も同じ部屋か。あ、もしかして、たしか動画で見た。彼女か。
ならない。と思っていたら、
インターホンを押した指先が拳に変わるまでに、一秒もかからなかった。
ドアを開けたら、元カレが音楽仲間に殴り倒されていました。
なぜ教科書調だ。いや教科書調にもなるわ、目の前にその通りの光景が展開されてたんだから。止めなきゃか。ちょっと
どこにいた。言ってみろ、お前はどこにいた。私が
ちょっ、とまっ、こぼっくのぁ、しもんきオッケーオッケー、ちょっとマジで落ち着こう
頰に一発くらった男性の肩を組んで帰ってくる、という光景に漁火ちゃんは慣れていないらしく、うわあどうしたんすか誰すかと狼狽していた。えーっとね前話したでしょ、元カレ。あねえさんの! ファンク好きの! と不意をつかれた
ぶんなぐられたんすか、来る途中すか。よっぱらいに? いや、
とりあえず、三人と一人でのブレイクタイムが流れる。いたたまれない空気は好きじゃない、から小石でも投げる。焼肉連れていった? え? 生徒さんを。いや……おいー秋から受験勉強シーズンでしょそれくらいやってあげなよ。お前な一体何人いると思ってんだうちの生徒。え何人?
二年前、入社してね。え、その話か。
The 最も誇らしげに言うべきではない thing I've ever had なのだが、なにか清々しささえ感じる。そっか、まあ、よかったじゃん。よかったのかな。
なに書いてるの。仕事。文筆? まあ。あ、譜面だ。これ聴きながらやるの。もしかして、歌詞? まあね。
野菜鍋の雑炊に発泡酒って、ザ・貧民の晩餐って感じがするよねー。と軽口を叩ける程度には情緒的に安定したらしく、もう自殺未遂を心配する域ではなくなっていた。以前どおりの暮らしを以前どおりに行える状態を回復すること。それが傷心した人間への最も基本的で重要な療法であることは精神科医ならずとも解る。まずは一日に最低二食摂れるようにすること、決まった時間に寝起できるようにすること、さらに重要だと思われたのは今までの
しかし、当然ながら自己申告できる
わかりきっていた、
じゃ明日も九時起きね。おやすみー。ええ、私も。あ、今日は夜まで
沈黙。
そういう目で見てたんだ。まさか、そんなわけないでしょう。あの塾講師にしても
寝るよ、もう。ひとりで寝るから。戸を閉めようとする、その手をとる。何なの。
沈黙。
夢にさあ、と、薄らな自嘲の笑みを浮かべながら言う。夢に出てきてくれるかな、と思ったんだよ、
沈黙。
愛してたんでしょう。不意打ちだったのか、
えっ、と不審がる顔に一歩近づく。あなたがしたみたいに、してみたらいい。あるいは
沈黙。
忘れろって、こと。忘れられはしないと思う。ただ、普通に傷つけばいい。特別な痛みじゃなく、ありふれた痛みとして。はは、スティーヴィー・ワンダーの歌詞にあったな。ありふれた痛み……
沈黙。
接吻というのは
歯茎を探るように
声らしい声はなく、
何もかも言う必要なんて無い。まあね。そんじゃそろそろ始めますか。うわー初めての
じゃ
じゃあ、と
いざとなると出てこないなー。ビートから決めるのはアリだと思うすよ。いきなり高望み言うようだけど、どーせならこうアンセムーって感じにしたいよね。本当に高望みね。だってバトルつかコンペティションで使う曲だしさー、特別感ほしいじゃん。特別感、すか。お、漁火ちゃんなんかある。いや、さっき言った
て、おい、いいのか。何が。ヒップホップとは程遠い名前ばっかり出てるけど。程遠くねえよ、つかヒップホップと無縁な音楽ジャンルなんてありませんー定義上。いや、明らかにジャンル違いじゃないか。ヒップホップて言ったらファンクかR&Bの流れだろう。出たーヒップホップ部外者が抱きがちな先入観。ヒップホップは生まれたての頃からテクノとかディスコとか色々混ざってたのー、バンバータのデスミックスから聴きなおせ。
えと、じゃあ……まとめるぞ。『Can't Take My Eyes off You』みたいな、歌メロと同じくらいインストが印象的な曲つくればいいってことか。フランキー・ヴァリねえ……なんか逆差別みたいなこと言っちゃうけど、アメリカのイタリア移民って音楽の神に愛されやすい人種だよね。シナトラ、ディーン・マーティン、トニー・ベネット、シルヴェスター・スタローン……なんでスタローン? ばっかすげえ歌うまいんだよスタローン。あとボン・ジョヴィな。『Livin' On A Prayer』って実はすごい曲だぞ。みんな知ってるわ。いや、ちゃんと具体的にわかってるか? あれまずベースラインがショッキング・ブルーの『Venus』だし──そういえばバナナラマ版と同時期に出てるな──それにパティ・スミスの『Dancing Barefoot』を足したような曲だろ。パティ・スミス関係な……あ、そういえばあいつら『You Give Love A Bad Name』のサビで『Because The Night』まんまパクってたわ。関係あるかも。ていうかデズモンド・チャイルドがそういう趣味なんだよ。デズモンドが唄ってるデモ版の『Livin' On A Prayer』聴いたことあるか? ほとんどローラ・ニーロだぞあれ。マジ? YouTubeにあるから聴いてみろ、ちょっといいか、これ。え、ピアノ弾き語り。マジだー! ローラ・ニーロだ! そーだローラもイタリア系だ。だろ。全部のピースはまったろ。はまった! ええと、何のすか。脱線しすぎでしょう戻りなさい。この脱線、に、意味があるんだろ! つまりこういうことだよ、ピアノ弾き語りでもできるようなシンプルさで、でも編曲はいろんなとこから持ってきて踊れる感じにして、そしてキラーなインストゥルメンタルパートが入ってる曲! あ、あー、今すげえ具体的にイメージが。でしょ、でしょ! 浮かんできたっしょ漁火ちゃん。どうよ
こんなに……すぐ、それっぽくなるもんなんだな。いやまだワンループできただけだよ、ヴァースどうすっかな。いま歌詞書いてみます? ていうか、実は……既に書いてるんだよね。おお、
シンプルなコンピングの上で、手探りのメロディが弾かれる。なんかなー……これ転調してないやつね? そう……近親調に移るならこんな感じ。うーん。
モードかもね。モード?
一呼吸ぶんの黙考ののち、静かにメロディが奏でられる。B♭のドリアン……で弾いてみてるけど。いい感じじゃん。ただオクターヴ上でいいよ。こうかな。おーあれだ、フレーミング・リップスっぽい! フレーミング・リップスじゃだめでしょう。いいんだよせっかく回ってきたんだから。振れ振れサイコロを。シーケンスをMIDIで入力し、メロディをループさせながら、微妙にテンポを調整してみる。こんくらい、こんくらいでさ。そんでこのケツのとこを……そう、シンコペする。そうそうそう。おお、いいじゃないすかー。
ちょっと待って。シーケンサの停止ボタンが押される。どしたん、いい感じだったのに。これもうサビでしょう、フックじゃない。サビとフックて同じ意味だよ。歌謡曲フォーマットすぎるって言ってるの。さっき言ったろ、キラーなインストゥルメンタルパートが入ってる曲だって。それがこれだよ。あ……これボーカルパートじゃないの? べつに唄ってもいいよ。唄ってもらってもいい。『Can't Take My Eyes off You』だってそういうことだろ。好きなように唄いやがれ、だ。きた、曲名決まったすね。ええ……『Sing It As You Like』? 英語じゃなくてもいいだろ、『好きなように唄いやがれ』。ええ……? あはは、ますますマイルスっぽいすー。
その後、フックのメロにベースラインを付け、ボイシングを丁寧に選び、ヴァースともどもにビートを調整した。で……きた? できてない。目指したやつと全然違う。当たり前だろ
録ってみましょ。えっ。さっき、リリックある程度できてるって話だったでしょ。四八小節くらいでやってみたらいいすよ。そう、だね。たぶん得意なBPMのはず……でも、うわあ、みんなが見てる前で録るのか。あはは。なんか変な汗、ごめんわたし普段録り直しまくるほうだから、みっともなかったらごめんね。そんなエクスキューズいらない、唄えばいい。と言いながらマイクホルダーを調整する
で、でえ、フックのメロの入りがこう。おー! きたー! 強、引、でしょう。強引じゃなきゃどうするよ! 1MCだけじゃ絶対に足りないってリリックなんだからさ、『好きなように唄いやがれ』! モードの使い方がまた効いてきたっすねー、暑苦しいのにクールな感じ。あたし正直、リリックのおかげでモード使った意味がやっとわかったっす。でしょー!
できた。としか、言いようがない。
時計を見ると午後五時過ぎ。いつのまにか三時間もやってたのか。何度やっても慣れないな、時が飛んでるこの感じ。同じ曲の同じパートを何度も繰り返し、繰り返し肉付けして、失敗し続けて、いつのまにか失敗が失敗じゃなくなって──作品と呼ばれるものになっていく。
できた。
沈黙。
これさ。
成功しちゃったら、どうする。
爆笑。
なんだよ、なにがおかしいんだよ。そっちこそ何だよ「しちゃったら」って、いけないことなのかよ、こちとら遊びでやってねえよ。そういう意味じゃない、たださ。これってさ……誰かに聴かせなきゃ、いけないものなのかな。
沈黙。
たしかに、ね。一理あるかも。そうだろ。どういうことっすか。いや、これさ……結局、
そしてその時が、もうすぐ終わろうとしている。
ぺし、と側頭を叩かれる。そんな腑抜けでは困る。こちとら会社辞めてるんだから、もっと殺りにいくつもりで
へんな感じ、わかる。わかるすー。そうかな、発表しなきゃいけないから
沈黙。
ミスドもうないな。ひよ子あるすよ。え! いきなり大声出すな。いや、高級菓子だろ。そんな高くないすよ。それに、久々に名前聞いたなあと思って。あはは、せっかくだしお茶煎れるか、冷茶よりあついのが合うよ。ええ、このカップに煎茶かよ。他にないんだから文句言うなー。ほい、楽曲完成祝いのひよ子だよー、ひとり一個ずつだよ。まだ完成じゃない。じゃ着想祝い! あはは、これ買ってきてよかったっすー。さあ、いま
「初めて見る光景ばかりで楽しかったよ、また是非」だってさ。そんな面白い見世物だったかなー。作曲中の現場って、そんな見られるもんじゃないすからね。「
お、
実際さ。何。ほんとに思わなかったよ、わたしがひとりで唄って録ってるだけの部屋に、誰かを呼ぶことになるなんて。えへへ、こちらこそうれしっす、まさかキュウゾウのプライベートスタジオで作業できるなんてー。そんなかっこいいもんじゃないっしょー。個人制作用のスペースなんだからそう呼ばれるに値すると思うけど。実際、ここならベーシックトラックのプリプロまで出来そうじゃない。まあ、今日の感じならね。でさ、ここで作ったやつをさ、漁火ちゃんのスタジオでブラッシュアップできないかな? いいすね! チーフじゃないすけどあたしもそのスタジオのエンジニアなんで、色々融通できるはずすよ。よし、じゃあ二日後くらいにミックス送るよ。了解っす!
ねえねえせっかくだからみんなで吸おうよー。なんすか、ガンジャ? なわけない、煙草。そんな貧乏くさいこと。いいじゃん初めて過ごす夜なんだしー。せめてバルコニーで吸いなさいよ。いいの、曲流しながら吸いたい。ちょっとまって何にしようかな、おあつらえ向きのないかな……あった、これだな!
おー、これの演奏 Mountain Mocha Kilimanjaro じゃないすかー! さすがよく知ってるねー。超イイすよね、キメッキメなのにベースのエッジがまろやかなとことかー。そうなんだよー聴き疲れしないんだよ不思議に。ほい漁火ちゃん。はい、わーあたし煙草吸うの初めてだー。そうなの! ちょっと初めてだってよ
あ、次の曲行っちゃった。わーカノン進行だー、ヒップホップなのにすごいすね。『Grateful Days』があるでしょう。いやあんなのとは比べ物にならないよ悪いけど。この曲でアルバム全体がぐっと引き締まってるよなー。
眠らぬ街の 眠れぬ夜に
コトバの神よ 与えたもう ひらめきを
何か産まれそうな そんな気がしてる
きっと あともう少し あともう少し あともう少しで
「コトバの神」ってのが、もうハンパなく冴えてるよなー。そうね、もともと言葉は神だし。そうなんすか? 神は言葉、つまり合理性。一神教だけの話だけどね。はかるんクリスチャンなんすか? 父親がそうだっただけ。そうすか。あの、訊いていいすか? どうぞ。神って本当にいるんすか? その問い自体が間違ってる。そもそも神は存在。何かが存在する、という出来事自体。なぜ人間が言葉を持ってしまったかも、神を使って説明するのが一番早い。なぜなら神はロゴスだから。神なしに言葉はなく、言葉なくては人間ではない。なんかピンとこないっすー。一神教ってそういうものだから仕方ない。ほら
こういう話してるとさ、
……そうかもね。後悔はあるよ。あんな奴といなきゃよかったじゃなくて、あの人に見合う人になれなかった意味でね。そんなに大した奴じゃない。いや、大した奴だったよ。色んなことを、あまりにも色んなことを教えてくれた。私からも訊いていい。お、何。あなたは、あの頃に
……どうだかね。そもそも全部を憶えてるわけじゃないしね。でもね、わたし、
沈黙。
煙草、もう一本ちょうだい。おーなんだ
たとえキミが出したのがオレとは違うアンサーでも
星の下 似たステップを踊り続けるダンサー
またはタフなボクサー この世は残酷さ
だが何度打ちのめされようとも懲りずに立っとくさ
だから今はただじっと 傷を癒してる
そして胸の奥で火種をまた静かに燃やしてる
眠らぬ街の 眠れぬ夜に
コトバの神よ 与えたもう ひらめきを
何か産まれそうな そんな気がしてる
きっと あともう少し あともう少し あともう少しで
眠らぬ街の 眠れぬ夜に
リズムの神よ 与えたもう ときめきを
何か産まれそうな そんな気がしてる
きっと あともう少し あともう少し あともう少しで
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