14 The Family of Black Sheep
いいヒントを与えてくれた、パンゲア。じゃあ次のブエノスアイレス公演では、新曲多めのセットリストにしよう。誰にやってもらおうかな……と唇に指を当てて黙り込むのだが、ええと何から問い
つまりこういうことだよ、と言いながらバンズを取り出し、カッティングボードのうえに並べはじめる。
いつもの調子で、いやいつも毎回違う調子で、こうしてやり込められる。イネス・ンデュマ。彼女の舌先三寸には実質的なものは何も無いように思われるのだが、会社の意向を連絡するだけの我々の生真面目さは、毎回こうして
ひとつどうだね?
できた、けど、さあ。うん……ちょっと、できすぎちゃったかもしれないね。アルバム二枚とEP一枚くらいの分量だよなー。それに加えて今まで揃えた分もあるわけだから、そろそろまとめに入らないと……と言うヤスミンの表情が
とりあえずは、リードトラックを決めようか。とヤスミンが言う。うん、次のセットリストに入れるのでも将来的に作品出すのでも、これが
「エル・パソのカルチャーに傾倒するならエル・パソを離れなきゃいけない」と、マーズ・ヴォルタの二人が言っていた。これは「預言者は故郷には
そんなやつらをまとめるのが
実際、贔屓の引き倒しでなく、あのユニティはエル・パソにおける真の意味でのカウンターカルチャーを花開かせたと思う。
そんな調子で楽しく暮らしつつも、なんせ西暦二〇一九年のアメリカだ、どうしても暗雲らしきものは視野から離れない。テレビにしてもネットにしてもあらゆるニュースにうんざりしはじめていた夏、 N’Dumas’ の仲間が一枚のフライヤーを持ってきた。「χορός第二回開催決定 出場者募集中」。詳細を読んでみると、東南アジアの会社が北米で展開する音楽オーディションらしかった。アメリカ全州から募集をかけ、最終的にはアメリカとロシアからひとりずつ優勝者を選出し、それによってユニットを結成する。前回の優勝者たるイングランドのユニットを打倒するために……これだ! と思わずにいられなかった。イングランドのやつらと闘うためのユニットをロシア人と、それも東南アジア企業の主催で。という一筋縄ではいかない趣向にハートを射抜かれたのだ。このオーディションこそ
しかし、ロシアか。政治的にも文化的にも、近いようで遠い国だ。あらゆる分野の藝術──とくに音楽と文学と映画──で優れた国だという認識はあるが、ソビエト連邦解体以降のロシアについては判断材料が少なかった。むしろプッシー・ライオットの件とか、ウェントワース・ミラーがロシアの映画祭からの招待を断った件とか、そういった話題から容易ならざる反動の時期にあることは察せられた。ロシア連邦。今回のオーディション参加に際して、かの国で
「なんだこれは、ロバの尻尾で描かれた絵かね」と抽象画を嘲笑したフルシチョフに対し、前衛主義のアーティストたちが事を構えていた六〇年代初頭。私の母は共産圏内のポーランドに生を受けた。ポーランドときいて何を連想するか、によって個々人のある種の文化的傾向が窺い知れはするのだろう。常識的なことでは一八世紀の分割から一次大戦を経て独立さらにナチスとソ連による苦艱の時期を
そんな娘も長じ、母と同じクラクフ音楽アカデミーに留学する次第となった。あんたも音楽やるなら楽理はもちろん作曲と演奏もできなきゃだめ、そうじゃなきゃ若いうちに
母の助言通りジャズ科に入学し、テナーサックスの演奏と音楽理論を専攻した。在学中からポーランドの音楽シーンにどっぷり浸かるようになり、瞬く間にそのアメーバ的な流動性の虜となった。ジャズはもちろん、ファンク、ノーウェイヴを経たパンク、さらにはクラブカルチャーと融和した音源制作まで何もかもが雑多に混ざり合った様相は、ようやく思春期を終えたばかりの私にとって知的鉱山のように思われた。母にとってそんなシーンはジャズの本流を見失った美学的堕落として映ったらしいけども、ジャンルを横断する混血性こそが
クラクフでの学課を終え、卒業後にはペテルブルクのクァルテットに参加しつつ、自身のプロジェクトも主催した。
他所の血、だろうか。そうだ、祖母と母がやって私がまだしていないこと、それは他所の血を混ぜて何かを産むこと。そりゃ結婚さえしていないのだから当然だが、もしかしたらそれは──音楽でもできるのでは。自分にはないものを混ぜて新しい何かを。そうだシュルツが表明してやまなかった女性がらみの劣等感、あれは一体なんだろうと思っていたけど。自身では子どもを産むことができない、その劣等感が藝術家をして表現に向かわせる、そんな機微もあるのだろうか。ならば私は、それをもっと──フロウさせ、グルーヴさせればいいのでは。まさにそれを行うべきでは、祖母や母の時代とは比較にならないほど──今のところは──表現の自由が保障されている、この娘の代において。
いやあ惜しかったってえ。でもよお
で、これがそのときの映像。おお、残ってるのか。『Funky Presidenta』……え、この曲ってあれじゃん、『The People』? そう。ザ・ミュージックの曲を下敷きにして、イネスがラップ、ゾフィアがサックスで
失礼します。と、
さて、とゾフィアが両掌を叩いて切り出す。おおかたこんな感じでしょう、作曲は十分すぎるほど進んだけど、どのネタで勝負すべきか迷ってる……みたいな。そうそう、まさにそのアドバイス欲しくて呼んだんだよ。と
おお……えらい緻密なコードだなー。でしょー、でもこれベースとテンションいじってるだけで基本は王道進行なんだよ。たしかに、でもサビの転調もあまり聴かない感じで斬新だね、F#マイナーから半音下のFマイナーに、って。えっ、一回聴いただけでわかるんですか。ある程度はね。すごい……絶対音感? じゃなくて、ソーニャの場合は「メガ相対音感」よ。なにそれ。ははっ、楽曲分析は学校で習ったから、繰り返し実践すれば耳が慣れるってこと。へえ……
で、この曲だけど。はい。何かが足りないって言ってたけど、たとえばどんな要素? えっと、メロディとハーモニーはかなりうまくできたと思うんですけど、ちょっとグルーヴのほうが欠けてるっていうか……ヒップホップの要素が、って言った方が正確なんじゃん? えっ? 八〇年代シンセポップとヒップホップの融合、ってのが
そこは、と言いながら画面をスクロールするゾフィア。このフレーズを使ったらいいんじゃない。どれ……あ、コーラスのハモリのとこに入れてたやつ? そう、このキメはすごくいいと思う。おお、
いつのまにか、決定打に欠けると思っていた私たちの曲が、新たな色を纏っている。しかも、私たちが書いたにも拘らず真価に気付けずにいたフレーズを活用して。まさか、同じ曲を他の誰かに聴いてもらうだけで、ここまで斬新に生まれ変わるなんて、まるで……魔法みたいだ。
これでしょ、これでしょー! ルーズリーフを握りしめて立ち上がる
『
おいこの前の約束は何だったんだ、結局新曲も何も無かったじゃないか! スマートフォン越しに声を荒げるパンゲアに、なに観てたんよ、ヤバかったろ
あーまったく、これじゃせっかくの一服が不味くなる。なんて言ってた? 大したことじゃない、ほいソーニャ。ジョイントを回し、テキーラのボトルとショットグラスを卓上に置く。それじゃ、
改めてだけど、ほんとありがと。ん? まさか今回ここまで協力してくれるなんて。いやいやこっちこそ、
いやーしかし、もうブエノスアイレスまで来たかあ。ラテンアメリカ巡りも終盤だね。観光する時間あったらよかったのになー、街の写真撮りたかったなー『春光乍洩』みたいな。なんそれ? ウォン・カーウァイの映画だよ、ブエノスアイレス舞台の香港映画。え、それ観たことあるかもだぞ……あれか、『Happy Together』ってタイトルの? 英題それだっけ? たぶん。
おいーどうしよう最下位だぞわたしら! 今更慌てるようなこと。いやーでも切実じゃん、つい先月まで四位だったのに! お前らは別に優勝狙いってわけじゃないだろう。そうだけどさー
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