Interlude I XXXmas
そりゃあ、「何度でも使ってくれていい」と言ったのは私だけれど、だからといってこんな役目まで負わされるとは。おー見晴らしいいねーさすが女性向け売りにするだけあるねーとはしゃぐ
フォークリフト運転技能講習の修了を祝してご褒美がほしい。と言うのだが、ものの数日で終わる講習にさしたる達成感も無かろうし、そもそも受講のための費用を捻出したのは私である。ご褒美ね、豚の角煮でもつくろうか。
クリスマス……別にいいけれど。どこか行きたい場所でもあるの。あるのってそりゃあれですよ、と言いながら人差指で宙を攪拌する。「言わなくても察しろ」の仕草だが、あれって何、はっきり言いなさい。とまどろっこしさに耐えかねてしまった。人差指を下げ、顔も伏せた
ラブホテル。がある場所なら、どこでもいい。
とても上等な冗談とは言えないなそれは。冗談じゃねーっつのー、と今度は正面を見据えながらの嘆息である。クリスマスにすることったらそりゃーそれでしょー、それしかないでしょー、わたしらあんときのキス以外は何も恋人らしいことしてないじゃんー。私があなたの恋人だとは知らなかった。だって
ねえ、
あ。
なに。
あ、あそこか。そう……あれの、階段出たとこのホテルか。
大丈夫だよ行こう。おー部屋の画像あるよ
ここでいいじゃん。そうだね、行こうか。そう応えていた。
そろそろ二〇一六年のベストアルバム一〇選きめなきゃねー、とギネスの泡で
と、いつも通りの他愛ない会話を過ぎ行かせるうちに、うわーもう
さっき飲んだのにまだ飲むの。と茶化されながらも、やはり缶ビール一本くらいの用心は必要かと思われた。
やっぱムード出すには音楽ですよ音楽、とわざわざ持参したBluetoothスピーカーとiPod nanoをペアリングしながら、
いやーしかしトーリ様の歌声はいつどこで聴いてもクるねー。まあね。レイプ経験持ちの歌手ってどういう感じなんだろ、幻聴幻視あったりするのかな。さすがにわからないよ。でも、公言してるってことは過去につけられた傷も武器にしてるってことだからね、すごいと思う。そこはやっぱりヴァージニア・ウルフとは違うのかな。ああ……義理の兄から、だっけ。そう、彼女の外傷記憶は大戦だけじゃない、実際に受けた性暴力も。『灯台へ』のあれさあ……すごいよね。「ラムジー夫人、ラムジー夫人!」のとことか、つらすぎて読めないもんね。それもだし、大戦のことを直接書いていないにも拘らず残酷すぎるほどに作中の傷として刻印されてるのが──これは適切な賛辞なのかはわからないけど──天才だと思う。だね……あー、もし今夜さ、してる最中に幻聴はじまったらどうしようね。精神医学の知見では幻聴が頻発する時間帯は昼間から夕方って話だから、夜なら問題ないはず。ははは、そんな
どうだろ、そういうムードになってきたかな。いや、特には。というか、ムードほしいなら自分でそう言っちゃダメでしょう。あ、そうか。下手だねあなた。
Look I'm standing naked before you. / Don't you want more than my sex. との唄い出しをハミングしてみる。すげえこと言うよなあ、ピューリタン真っ青。まあね。 weather と leather で踏むってのも、聴かされた後ではああなるほどって思うけどすごいよなあ。本当にね。ケイト・ブッシュの asunder と thunder の韻に匹敵すると思う……しかし、この曲は久しぶりに聴いたけれど、なんて緻密で謙譲な伴奏。の上に乗る、なんて不思議な凝視に貫かれた歌声。ああ、
閉じていてくれたほうが気が楽だけども、こちらから強いて
唇を離すと、目の前の頰がほのかに
ねえ、
服、
痛かったら言って。倒してもいいんだよ。いや、そこまで深く
やっ。何、ごめん。やめようか。いや、いいよ。いいけど、なんかやたらと考え込んでるみたいだったからさ。ごめん、集中するから──逆に集中しすぎてるんじゃないの。そうかな。この枕、脇に置いたら楽になるよ。うん……
や、ぁ。ごめんなさい、痛かった。え、も、もー
え。え……違うよ。過保護には、してない。え、ええ、
愛することは殺すことではない。そのふたつは同じではない。どう考えても違うのだった。しかし、どう違うのかは誰も教えてくれなかった。殺さずに愛する方法なんて、一体どうすればよいか。ほとんど曲芸ではないのか、お互いの身体を
大丈夫かな、隣の部屋に聞こえなかったかな。知ったことじゃない。あれ、スピーカー落ちてた……電源切れてるし。ムード出すために音楽かけたはずなのにな、全然気付かなかったな。行為自体が音楽だからでしょう。
まあ、何にしてもね
あ、はは、よーやくわかったぞーこの場にぴったりの選曲。と、ベッドの上を跳ねながらiPodに飛びつく。何。あったあったキンキのベスト盤。あはは見てよ
でもさ、作詞家の
いや、釣られて何を言ってるんだ私は。作詞家としての技量では彼らの足元にも及ばない私が、いったい何を偉そうに。ごめんなさい、聞かなかったことにして。いや、正しいと思うよ、
ああ……そう、かもね。でしょ。ごめんなさい、本当にその通りだね。えっやめてよ言い負かそうとしたんじゃないよ。わかってる。でも……少し驚いた。なに。
そうか、
ちょっといいかな。なに。大事な話があるから、こっちに来て、ちゃんと座って。なんだろ。スピーカーこのままでいい? うん。
生真面目に正座するその姿が、なんだか仔猫めいていじらしくなり、つい頭を撫でてしまう。なーにやめろっての。
うん……そうだね。年度末までに見つかればいいけど。きっとうまくいく、はず、これからはね。うん……あのさ、あは、こんなにちゃんと言うの照れくさいけどさ。何。本当にありがとう、
その代わりさ、
思い出したいんだ。朝に目覚めて、好きな人の肩が見えるって光景が、どんな感じだったか。
祈りなのかもしれない、と思った。明日の朝にも、あなたが変わらずにここにいてほしいと望むことは。少なくとも、今すぐいなくなりはしない、と信じることは。
聖夜とやらに男どうしでやりあうこと自体、ひとつの報復なのかもしれない。何に対しての。こういうふうに産んだ誰かに対しての、か。たぶん違うな。もっとどうしようもない、抗いようもないけど抗うしかない何かに対しての。
よかったよ。そうか。よかったならよかった。済んだものを枕元のゴミ箱に放りながら、個室の錠に手をかける、と、ちょっと待って、の声で制された。もうちょっと話してかないか、な。語尾で急に弱気になったのがわかり、不意に噴き出してしまう。いや、いやならいいんだけど。いや、いいよ。いやじゃねえよ。言いながら、また人工皮革張りのマットに寝そべる。
どこ住み。
ロッカー前まで一緒に戻りながら、連絡先いいですか、とおずおず言うから、なんで丁寧語だよ、と返す。えっ。いいに決まってんだろ。
LINEのQRコードをスキャンしながら、あの、引かずに聞いてほしいんだけど、と言い出すから、なんだよ、と返す。いや、むしろ引いてくれていいんだけど……何だよ、さっさと言えよ。あの……やけにでかいサングラスをかけながら言う。おれ、本当はゲイじゃないんだよな。は? 突っ込まれるの好きなのにノンケなのか、無理があるだろそれ。いやそうじゃなくて……とサングラスにかかった指先が慄えている。ああ、そういうことか。LGBTの、T? 首の脂肪に深いシワが刻まれる。どうでもいいよ。首の脂肪がアルパカみたいに伸びる。穴があいてるって意味ではゲイもトランスも同じだろ、まあ同じ人間どうし大した違いはねえさ。え、今の言いかた……あれだろ、 SIMI LAB の『Show Off』の MARIA ヴァースだろ。え、なんで知ってんだ、 SIMI LAB 好きなのか。うん。珍しいな、ヒップホップ好きでこういうとこ来るって。はは、それはお互い様だろ。まあ、な。
今日は泊まりか。まあ。
それは、違うだろ。サングラス越しの表情は窺えない、が、
ヒップホップ好きの……男ふたりが。
そうか。まだ、誰もいないはずだ。ゲイのヒップホップクルーなんか。いや西新宿パンティーズがいるけど、少なくとも福岡には。
ってことは、これ、あれか。勝算、なのか。
そうだな。えっ。いける、かも、な……ほんとうか。お前こそ本当なんだろうな、いちからラップ始めるって。当たり前だろ、言った通りだよ。よし、そしたらな、うちの姉貴がクラブDJやってるから……トラックなんとかなるかもしれねえ。そうなのか! ちょっと話してみるよ。できあがったら送る。そのかわりお前、本気でやれよ。ヘタクソとは組まねえぞ。もちろん! すぐにいっぱしになるよ! 約束する!
そうだ、どうして思いつかなかったんだ。クソに向かってクソと言うだけなんて、誰にだってできることじゃねえか。そんな場所で腐るつもりだったのか、俺は。
危ねえ。危ねえとこだった。俺が行くべきなのはクラブじゃなかったんだな。出会うべきだったやつは、ここにいた。
生産性が無いんだってよ。待合室のソファに腰掛けながら、テレビ画面に明滅している年末特番の予告に一瞥くれる。クソみたいな年だったな、二〇一八年も、なあ。まあ、良くはなかったかな。これからどんどん悪くなるよ、この国は。俺らみたいなもんの立場もな。安倍晋三閣下の奥方様の不妊治療はよくて、俺らの同性婚の法整備はダメらしい。ああ……クソだよな。知ってたけどな。この島国はクソまみれだ。
なら、どうする。今までみたいにただ皮肉言って終わりか。そっちのほうが、奴らにとっては都合いいだろうな。残念だったな、そんな大人しい真似はもうやめだ。クソをクソと言うだけなら誰でもできる。何の技術も要りはしない。ならどうする。何ができる。少なくとも、俺にはラップのスキルがある、どういうわけか巡り合った相方までいる、音楽らしいことをやるアテも。なら。
闘ってやるよ、クソったれども。これから、今から、お前らの望みもしないものをたくさん産んでやる。お前らは、この世界には自分の望み通りにならないものが存在することを、初めて思い知ることになる。だがそんなのはかわいいもんだ、俺らが今まで味わってきた理不尽に比べれば。そうだ、これはお前らが無視してきた奴らの歌だ。居ないことにされてきた奴らの歌だ。
俺らが唄うべきなんだ。俺らが聞かせてやるべきなんだ。耳を塞いだって無駄だ。そんくらい大声で唄ってやるんだ。俺ら自身の、俺らのための歌を、俺らの力で。
ANDYOURSONG。決まりだ。この名前で勝ちにいく。通り過ぎていった奴ら全員に思い知らせてやる、俺はもうそんなとこにはいないんだと。もう俺自身の栄光なんてどうでもいい。ここからは俺らだ。俺らの歌だ。
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