Interlude I XXXmas

 そりゃあ、「何度でも使ってくれていい」と言ったのは私だけれど、だからといってこんな役目まで負わされるとは。おー見晴らしいいねーさすが女性向け売りにするだけあるねーとはしゃぐの背中、を見ながら、果たして恋人らしさとはこういうものだろうかと思いもする。この後にすることまで考えるとなおさら。


 フォークリフト運転技能講習の修了を祝してご褒美がほしい。と言うのだが、ものの数日で終わる講習にさしたる達成感も無かろうし、そもそも受講のための費用を捻出したのは私である。ご褒美ね、豚の角煮でもつくろうか。めしじゃねーよ、イベントでしょうがよーとごねるので、映画でも行こうかちょうどスターウォーズの何かやってるしと言うと日帰りじゃねーよーお泊まりでしょうがよーと言う。皆目よくわからないので、何してほしいの。と直截に訊くと、クリスマス、ふたりで外で過ごそうよ。と、やけに神妙なおもちで言うのだった。

 クリスマス……別にいいけれど。どこか行きたい場所でもあるの。あるのってそりゃあれですよ、と言いながら人差指で宙を攪拌する。「言わなくても察しろ」の仕草だが、あれって何、はっきり言いなさい。とまどろっこしさに耐えかねてしまった。人差指を下げ、顔も伏せたは、わかってねーなー……と呻くように嘆息を漏らしたのち、不機嫌な顔でこう言うのだった。

 ラブホテル。がある場所なら、どこでもいい。

 とても上等な冗談とは言えないなそれは。冗談じゃねーっつのー、と今度は正面を見据えながらの嘆息である。クリスマスにすることったらそりゃーそれでしょー、それしかないでしょー、わたしらあんときのキス以外は何も恋人らしいことしてないじゃんー。私があなたの恋人だとは知らなかった。だってはかるが言ったんだよ、「何度でも使ってくれていい」って。え。あ……そういうこと、だと思ってたの。違うん? あなたの幻聴を和らげるための便利な道具として、なら、いくらでも使ってくれていいって意味。じゃあ合ってるじゃん、実際あれからだいぶ収まってきたわけだし。の言葉どおり、例の置き去り事件から一ヶ月半ほどが経ち、当初は頻発していた幻聴や摂食障害にも寛解が見られてきた。にとって、との外傷的な失恋は過去になりつつあるのだろう、おそらくは。心の傷に完治などありえないとしても。そのための仕上げだと思ってよー恋人ごっこでいいからさー。恋人ごっこ……実際これはごっこ遊びなのだろう。と取り結んだことどもを葬送するための。あんなのは何も特別じゃない、誰でも経験するありふれた痛みだったと腑に落とさせるための。そして、それを持ちかけたのは私だ。では、最後まで責任を持つべきなのも私か。道義的に考えたらそうなる。が、ただ。

 ねえ、。なに。根本のところで間違いがないかな。ラブホテルっていうのはね、男女または男男のカップル、つまり性行為に際して挿入を伴うふたりが、望まない妊娠や性病罹患のリスクを避けるためのホスピタリティを目当てに行くところ。女ふたりで挿入、するの。しないでしょう。わざわざ金出して利用する必要ないでしょう。いやでもムードいいじゃーん。あんな照明の何がいいんだか。あの非現実感がいいんじゃーん未体験ゾーンみたいなー。あのね、私は恋人ごっことやらに付き合うのに不服はないけど、だとしたらそれはあなたに現実感を取り戻させるためのものでしょう。非現実感を求めてどうするの。うっ、と急所をかれたようで物言いが止まる。じゃあもう普通のホテルでいいよ、とにかく二人でどっか泊まろうよー。ここの部屋でもいい気がするけれど。アニバーサリー感がねーじゃんそれじゃー、いいかはかる、人類の文化はなあ、「なんのお祝いか知らないけどとりあえず乗っかって面白おかしくしとけパワー」で発展してきたんだよ。文化的職業であらせられる作詞家先生が乗っかんないでどうするよ。べつに本職じゃないし……でも今いちばんメインの収入になってるやつだろ。まあね。なんだったらそれ作詞のネタにすりゃいいじゃん、構わんよわたしは、そしたら苦手だなーって言ってたラブソングいけるかもよ。私は仕事と私事は混同しないから。と去なしながら、ラップトップで福岡県内の手頃な宿泊施設でも検索してみる。女性のためだけのレディースフロア、ってのがあるよ。女性専用! やばいじゃんわたしらのためじゃん。 Hotelホテル Eclairエクレールなか川端かわばたか、価格も良心的ではあるね……予約してみようか。二人部屋? もちろん。空室ありそう? 今のところは。やったー行こう行こうよここ。ちょっと待って門司もじから博多、からのなか川端かわばたって往復いくらだっけ……博多駅のイルミネーション見ながら中洲まで歩くっしょクリスマスだよー。けちけちすんなってー。

 あ。

 なに。

 ……このホテル、地下にパブがあるんだけど……ショーパブ? 違う、アイリッシュパブ。じゃあなおさらいいじゃん、はかるの好きなやつでしょ。違うの。何が? あの店だよ……私がと初めて会った、ときの、あの店。

 あ、あそこか。そう……あれの、階段出たとこのホテルか。、ここはやめよう。なんで。いやだめでしょう、色々思い出してしまうはず、せっかく忘れかけてた諸々も……大丈夫だよもう、どんだけ脆いと思ってんだよ。でもあなたの幻聴を無くすためにやるんでしょう、これは明らかに逆効果。いや、あのパブはべつにとの思い出の場所ってわけじゃないよ。むしろはかるが過敏なんだろ。との指摘に、それは、そう、かもね……と黙り込むしかなくなる。確かに、忌避しているのは私か。あの場所は、できれば存在すら知らずにおきたかった女との、初めての際会の場だったから。

 大丈夫だよ行こう。おー部屋の画像あるよいなだねー、と普段は使わない語彙ではしゃぐを見ていると、気遣われているのはむしろ私のほうかと疑う。大丈夫じゃないのは私か。いや、より正確を期すなら、これはまだ大丈夫とは言えない二人が、お互いのわだかまりにひとまずケリをつけるための儀礼。それを持ちかけてくれたのか、は。たとえそれが私の手前勝手な勘繰りだとしても。

 ここでいいじゃん。そうだね、行こうか。そう応えていた。


 そろそろ二〇一六年のベストアルバム一〇選きめなきゃねー、とギネスの泡でふちられた唇で言う。やっぱどうあっても『24K Magic』は外しようがないよなー、今年はこの一枚で決まりかと思ってたら『Awaken, My Love!』も来たからやっぱ年末になるまでわかんないよねー。あなた別にブログもツイッターもやってないでしょう。そうだけどさ、こういうのはとりあえず済ませとくのが大事なんだよ。よくわからないけど。はかるは今年のベスト映画一〇選つくってよ、わたしチェックしてないのあったら観たい。ああ、ベストはやっぱり『シング・ストリート』かな、サントラもすごく良いよ。知らない、なんのやつ? 『はじまりのうた』の監督。あれか! いい映画だったよねーあれキーラ・ナイトレイが報われて終わる話じゃないってのが良いよね、ハッピーサッドだねー。え……なんでわかったの。なにが? そのハッピーサッド、って言葉が、重要なものとして出てくるよ『シング・ストリート』で。まじか。うわーわたしあれかな、テンデンシーすごいのかな。セレンディピティって言いたいの。それだわ。テンデンシーじゃ Suicidal Tendencies だな、うわー縁起でもねー名前。はい、ハムだけじゃなくて野菜も食べなさい。このアイリッシュサラダうまいね、ドレッシングがいいんだろね。こういうのが好きなら今度カルパッチョつくろうか、あのアラブ系の人がやってる店あるでしょう、あそこのハーブとペッパーが合うかも。いいねー。てかアイリッシュとアラブって似てる気するよね、宗教違うのになんでだろうね。どちらも緑色を尊ぶ文化だからじゃない。そういうことか。

 と、いつも通りの他愛ない会話を過ぎ行かせるうちに、うわーもう一九じゅうく時じゃん、となった。ひとまず悪いことは思い出さなかったようでよかった、とは、もはやぜいだったので引っ込めた。部屋、行こうか。という私の言葉が、やけにそそくさとした気色きしょくを免れていないことに気付き、遅れて動揺するはめになった。のを見抜いたのか、その前に飲み物でも買っていきましょうよはかるさあん、と笑われた。そう、だね。


 さっき飲んだのにまだ飲むの。と茶化されながらも、やはり缶ビール一本くらいの用心は必要かと思われた。素面しらふで無理だったら酒の勢いでも借りて、と思って。あー、そういうとき女どうしだと良いよね、酒のせいで反応しなかったとかあるもんね男の場合。そういう問題なの。そういう問題ではないのだった。二本のミネラルウォーターと一本の缶ビールをビニール袋ごと冷蔵庫にしまっても、この一室にただよう──たぶん私だけしか感じていない──居たたまれなさは、一向に霧消する気配がなかった。

 やっぱムード出すには音楽ですよ音楽、とわざわざ持参したBluetoothスピーカーとiPod nanoをペアリングしながら、ぜわしげに画面をスワイプしている。ゲイミュージックといえばいくらでも思いつくのにレズビアンミュージックはピンとくるものが少なすぎる件について。ああ、たしか菊地成孔がラジオで特集してたけどね。実際どうせいあいって言ってもまだ男女で不均衡あるよなー。何がいいかな、 SIMI LAB の MARIA のソロアルバムとかかな。あっiPod入れてねえや、うーん……ケイト・ブッシュとかなら合いそうじゃない。あーそれも入れてない、ちくしょーclassicさえ故障しなければなー。お、トーリ・エイモスのファースト入ってたわ、これだろ! Bluetoothスピーカーから、ほとんどポエトリーリーディングかと聞き紛うほどに抑制されたアカペラが流れる。これ一曲目じゃないでしょう、なんでシャッフル再生したの。なんだよはかる試したことないの、曲順までカッチリ構成されたアルバムをシャッフル再生すると新しい発見あるよ。まえに『OK Computer』をシャッフルしたとき『Fitter Happier』から始まって、うわーこれ新しいアルバムだって思ったもん。そういうもの……?

 いやーしかしトーリ様の歌声はいつどこで聴いてもクるねー。まあね。レイプ経験持ちの歌手ってどういう感じなんだろ、幻聴幻視あったりするのかな。さすがにわからないよ。でも、公言してるってことは過去につけられた傷も武器にしてるってことだからね、すごいと思う。そこはやっぱりヴァージニア・ウルフとは違うのかな。ああ……義理の兄から、だっけ。そう、彼女の外傷記憶は大戦だけじゃない、実際に受けた性暴力も。『灯台へ』のあれさあ……すごいよね。「ラムジー夫人、ラムジー夫人!」のとことか、つらすぎて読めないもんね。それもだし、大戦のことを直接書いていないにも拘らず残酷すぎるほどに作中の傷として刻印されてるのが──これは適切な賛辞なのかはわからないけど──天才だと思う。だね……あー、もし今夜さ、してる最中に幻聴はじまったらどうしようね。精神医学の知見では幻聴が頻発する時間帯は昼間から夕方って話だから、夜なら問題ないはず。ははは、そんななだめかたするやついねーよ。えっ。大丈夫だよ、の一言でいいのに。ああ……ごめん、大丈夫なはず。ふふっ。何笑ってるの。いやあ、はかるだなあと思って。

 どうだろ、そういうムードになってきたかな。いや、特には。というか、ムードほしいなら自分でそう言っちゃダメでしょう。あ、そうか。下手だねあなた。とするときもそんな感じだったの。いやー、正直あいつとするときはずっとリード取られてたからなあ。リード取られる、だと首輪に付けられた紐ってことになるけど。間違えた、リードされてた、だ。うわーちがうぞそんなプレイしたことないぞ。わかってる。ただ「頑なな否定」というのはフロイト的には……やめろってのーもう。あ、たしかトーリ様の曲にあったよなそういうの、なんだっけ、『Weather』……『Leather』? そうそう、たしかはかる高校の頃よく聴いてたよね。ちょっとかけてみようか。

 Look I'm standing naked before you. / Don't you want more than my sex. との唄い出しをハミングしてみる。すげえこと言うよなあ、ピューリタン真っ青。まあね。 weather と leather で踏むってのも、聴かされた後ではああなるほどって思うけどすごいよなあ。本当にね。ケイト・ブッシュの asunder と thunder の韻に匹敵すると思う……しかし、この曲は久しぶりに聴いたけれど、なんて緻密で謙譲な伴奏。の上に乗る、なんて不思議な凝視に貫かれた歌声。ああ、、この選曲は正解かも。と言っているのが自分なのかどうか、妙に不埒ふらちいぶかりを伴いながら、目の前の右頬にふれてみた。どうしたの。その気になってきた、かも。頰にあてた親指をつつと滑らせながら、耳朶みみたぶをこねるように触れてみる。なんだよ、くすぐったいよ。聴こえない? なにが? 声、私以外の。今のところは、ね。そう……

 閉じていてくれたほうが気が楽だけども、こちらから強いてつむらせるかどうか迷う。などと躊躇していると、あのときは目隠ししちゃったよね。と機先を制される。ごめんね、わたしビビってたから。謝ることない。確かに、これは気まずいよ。あはは、友達どうしでもこんな見つめあうことないもんね。友達どうしで、どうしてこんなことしてるんでしょうね。あは、はかるさ、いやだったらやっぱ──との、一瞬の隙に付け入って、くちづける。ああ、この感じか。あのときもそうだった。たった数センチの身長差しかないはずなのに、やけに小さく思えるこの──

 唇を離すと、目の前の頰がほのかに気色きしょくづいていた。やっぱはかる、上手いね。そう……? そもそも、あなたそんなに経験あったっけ。少なくとも、わたしがしたことのある人では一番。そう思い込もうとしてるだけでしょう、誰だって目の前に据えられた膳が世界一の美食だと思いたがるもの──との底意地悪い言葉は、もちろん飲み込む。代わりに、より? とくすぐってみる。うん。あいつはまた別の意味で口がうまかったからね。きゅうぞうより? とのくすぐりには、ぶはははは、今その名前出すなよお、とはじけるような笑いで応えられた。ふふ、まだ連絡先残ってるでしょう、電話でもかけてみたら。ははは、今も同じ番号使ってるとは限らないよ。まったく、は何か腹に一物あってあなたに近付いてたのだとしても、あのきゅうぞうだけは理解できないよ、あなたを全くの恋愛対象としてのみ好きになるなんて。なんだよどういうことだよお。言葉どおりの意味。あははは。

 ねえ、。うん。これはあくまでごっこ遊びだから。私たちどちらも、本気じゃないから。わかってるよ。本気じゃないなら、何をやってもいい……よね。ごっこってそういうこと、のはずだよね。じゃあ、してみようか。うん。


 服、づかわなくてもいいよ。でも、シワになるのいやでしょう。いいよ、そのつもりのだし。まさかこれ、東欧に行った時に着てたやつじゃないよね……あれは捨てたよ、あんなもこもこしたの、九州の冬じゃ使いみちない。そう。うん。

 痛かったら言って。倒してもいいんだよ。いや、そこまで深く這入はいるつもりはないから……ないの。だって。わたしは、きて、ほしいよ。だって恋人どうしなんだよ、それくらい、するでしょ。恋人ごっこね。ごっこが、大事なんだよね……と萎えた語尾を耳元に聞きながら、ふいにビョークの Darling, stop confusing me with your wishful thinking. という一節が頭をよぎる、が、即座に黙らせる。死体ごっこか。目の前の患者を救いたければ、ひとまず人間の身体をモノとして扱わねばならない、という何年か前に付き合いのあった医学生の言葉が急に思い出された。「包帯は私が巻く、あとは神が治す」という決然として聞こえる格言の真の意味は、包帯も巻けない人間が神にすがる資格は無い、という極めて実務的な訓戒だと知ったときには、その酷薄とも呼びうるいやし手の心性にいささか索漠としたものだった。それでは私などは失格もいいところだ、医者ですらない人間が、素人治療の帳尻を合わせるためにこんな真似を──いや、逆か。平々凡々な日々の過ぎ行きのなかに、欠くべからざるいやしが孕まれている。終わりの見えない羊腸ようちょうたる耐え忍びのなかに──そういえば、患者patient忍耐patientは同じ語、か。

 やっ。何、ごめん。やめようか。いや、いいよ。いいけど、なんかやたらと考え込んでるみたいだったからさ。ごめん、集中するから──逆に集中しすぎてるんじゃないの。そうかな。この枕、脇に置いたら楽になるよ。うん……

 や、ぁ。ごめんなさい、痛かった。え、も、もーはかるばかじゃん。えっ。痛がってるんじゃないよこれは、普通してたらさ、やあ、くらいの声は出るじゃん。そうかな。ぷっ、ぶはは、そうかなって、すげえ馬鹿ばかづら。なに、こっちは真剣に言ってるんだよ。もっとがーってきていいんだよばか、はかる男とするときもそんな感じなの。いや……それとは流石に勝手が。だからもー、そんな気遣きづかわなくていいって。過保護なのは、厭。

 え。え……違うよ。過保護には、してない。え、ええ、はかるがこんな動揺してるの初めて見たぞ。だって、が変なこと言うから……変なのははかるだろお。うわーまさかそんな顔するなんてな、カメラ回してたらよかったかな今からでも撮るか。撮ったらこのホテルごと燃やす。冗談でもそんなこと言うなよ。だったら揶揄からかわないで。おっいいぞエンジンかかってきたな、その調子。やーい血も涙も無い鉄の女あ、アイリッシュ版サッチャーあ。ほんとに怒るよ。もう怒ってるだろー、どーだ悔しかったらこっち、に、あ、


 愛することは殺すことではない。そのふたつは同じではない。どう考えても違うのだった。しかし、どう違うのかは誰も教えてくれなかった。殺さずに愛する方法なんて、一体どうすればよいか。ほとんど曲芸ではないのか、お互いの身体をたわかがしやりながら、それでも決していじめ殺しとは違う歔欷きょきを響かせるなんて。そんなことを、本当に人類はやりつづけてきたのか。私がに、いま眼下に組み敷かれているこの肉体にさといてみせたあの言葉は、本当にありふれたことだったのか。言うなればこれは、夜に口をつぐんだままではいられなかった楽器どうしの演奏ではないのか。 When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again.


 心遠しんどおい。指先のアルミ缶の冷たさが、辛うじて現実らしきものを繋ぎ留めてくれていた。なに終わってから飲んでんだよ。仕方ないでしょう必死だったんだから。そもそも爪切っときなさいよあなた、こういうことするつもりで来たんでしょう。はかるこそ肘でおなかに重心かけるのやめろよ、すごい苦しかったぞー言わなかったけど。言いなさいよ。言わねえよ、べつにそんときはかったんだから。なに……なに言ったあとで恥ずかしがってるの、馬鹿じゃないのあなた。馬鹿だとしたらわたしら両方が、だ。

 大丈夫かな、隣の部屋に聞こえなかったかな。知ったことじゃない。あれ、スピーカー落ちてた……電源切れてるし。ムード出すために音楽かけたはずなのにな、全然気付かなかったな。行為自体が音楽だからでしょう。はかるって、そういう恥ずかしいこと平気で言うよね。恥ずかしいならもう止めたらいい、音楽聴くこともこういうことも。極端だよなー。でもたしかもそういうこと言ってたな、音楽と求愛は同じって……やめなさい、せっかく終わったのに。あなたそもそも忘れる気ないでしょう。と、お互いにつたなくあることしかできないれあいの熱をあらけさせるための、不毛な言葉の投げ合いだった。うわあもうすぐ二三時。ご感想は。なんの。なんのじゃないでしょう、果たしてこのセクシュアル・ヒーリングに効果はあったかって訊いてるの。ああ、今すぐはわかんないけど……とりあえずは、のとはまったく別だったよ。当たり前でしょう。でも思った以上にはかるは過保護で怖がり屋さんってのがわかってよかったなー。怖がりって何。傷つけるのを怖れてる、って意味。ああ……まあ、とどめ刺しちゃったら困るからね。少年院上がりがそれ言うと説得力あるな。

 まあ、何にしてもね。うん? もう二度としないでよ。なにそんなにいやだっ──違う、今日のことじゃなくて。えっ。自殺ごっこなんて、二度としないでよ。ああ……そっちか。当たり前でしょう、そもそもあのせいでこうなったんだから、私たちの関係は。ほんと、いま思い返すと馬鹿なことしたなーと思うよ。自覚があるなら、なおさら誓って。なにを。もう二度としないって誓って。あなたとにどれだけのことがあったか、私は知らない。し、訊こうとも思わない。たとえ未だに、深く根を残してるとしても、全部をこそぐことは無理だとしても。それでも、生きていかなきゃいけないよ。うん……ごめん本当。あのときは、心配かけちゃった。謝ってほしいんじゃない、ただひとつ。もう絶対しないって、誓って。うん……もう、絶対しない。


 あ、はは、よーやくわかったぞーこの場にぴったりの選曲。と、ベッドの上を跳ねながらiPodに飛びつく。何。あったあったキンキのベスト盤。あはは見てよはかるこのタイトル、『39』だってよ。わたしの名前逆さにしただけだよ奇遇だね。だから、それが何……と酔いのせいか軽い頭痛を覚えていると、 Bluetoothスピーカーからしとやかなピアノのイントロが流れる。これファン投票のベスト盤の一曲目だよーすごいよね、シングル曲ですらないのにね。ああ……たしか聴いたことが。これ作詞作曲キンキだって聞いたときはウソじゃーん絶対ゴーストじゃーんって思ってたけど、いまの二人の活動見てたら納得だよね、こんくらい作れて当然だなーってなるよね。と、最初から返事など求めていない語りを一方的に放りながら、心配性すーぎーなあなーたはー、電車にのーせーるのーを厭ーがるー、と唄い出す。まるでかよーわーいおんーなーのこー、みたいでなーんだかうーれしいのー。どこがか弱い女の子だか、電車どころかいきなり東欧行ったくせに。ははは。いやこの曲はじめて聴いたときね、わたし、つよしとこういちって絶対デキてるんだと思ってたよ。じゃなきゃこんな歌書けるわけないじゃん。実体験と作品は関係ないから。

 でもさ、作詞家のはかる先生。なに。キンキとかもとかなめとか、異性の視点からこれだけの歌詞を書けるひとってやっぱすごいなーと思うよね。うん……あれ、どうした、不服? 不服ではないけど……ちょっとね。だってこういう歌詞の書き方は、自分以外の性の立場を搾取してる、とも言えるわけでしょう。えっ。本当は言う権利すら無い、勝手に内面化した異性の声を代弁してる、と。あー……作詞やってる側からすると、どうしても考えざるを得ない。フェアじゃないんじゃないか、って。そっか……確かにね。

 いや、釣られて何を言ってるんだ私は。作詞家としての技量では彼らの足元にも及ばない私が、いったい何を偉そうに。ごめんなさい、聞かなかったことにして。いや、正しいと思うよ、はかるが言ったことも。でもわたし思うんだけどさ……なに。搾取とか代弁とかじゃなくてさ、大事なことは他にあるんじゃないかな。えっ。たとえばさ、間違ってはいないことを、どれだけ美しく言えるか、ってことだと思うよ。本当にいいことって、誰が言ってもいいことだと思うよ。違うかな?

 ああ……そう、かもね。でしょ。ごめんなさい、本当にその通りだね。えっやめてよ言い負かそうとしたんじゃないよ。わかってる。でも……少し驚いた。なに。がいつのまにか、そんなことを言えるようになってたなんて。はははなんだよ、どんだけ子供扱いしてたんだよ今まで。それも含めてごめんなさい、と思って……

 そうか、も、もう子供じゃない。それなら。

 ちょっといいかな。なに。大事な話があるから、こっちに来て、ちゃんと座って。なんだろ。スピーカーこのままでいい? うん。


 生真面目に正座するその姿が、なんだか仔猫めいていじらしくなり、つい頭を撫でてしまう。なーにやめろっての。。はいはい。あなたは、もう私なしでも大丈夫だと思う。両眼が頓狂に見開かれる。独り立ちすべきだよ。就職が決まったら、ひとりの部屋で暮らすべき。引越の費用くらいなら出せるから、春までにはそうしよう。こちらの言葉を受けても、さほど驚いたふうはなかった。おそらく、本人にも心の準備があったのだろう。

 うん……そうだね。年度末までに見つかればいいけど。きっとうまくいく、はず、これからはね。うん……あのさ、あは、こんなにちゃんと言うの照れくさいけどさ。何。本当にありがとう、はかる。今まで一緒にいてくれて。はかるがいてくれなかったらわたし、どうしようもなかった。泣きそうなとき笑い、笑いそうなとき泣く、それがだったなと、ふいに高校時代の日々が光って戻った。陽炎かげろうめいた酩酊に襲われる、が、目の前の両眼を見据え、気にしないで、お互い様。と返すことはできた。いつか恩は返すから。ゆっくりでいい。ほんとに誓うから、もう二度としないって。それはさっき聞いたから、もう言わなくていい。

 その代わりさ、はかるも誓って。えっ、何を。すくなくとも今夜は、朝まで一緒にいてくれるって。そんな当たり前のこと……との口走りが制される。だって、はかると並んで寝るのなんて初めてだし。それに、寒いからさ、あの夜みたいに……ああ。大丈夫、あんなことを思い出させはしな──ちがうよ。えっ。逆だよ、思い出したいんだ。微笑を浮かべながらつぶやの姿を、なんと形容したものか。まるでショッピングモールの迷子センターに保護されながら泣きじゃくりもせずに泰然として親の帰りを待つ少年のようだった。

 思い出したいんだ。朝に目覚めて、好きな人の肩が見えるって光景が、どんな感じだったか。

 祈りなのかもしれない、と思った。明日の朝にも、あなたが変わらずにここにいてほしいと望むことは。少なくとも、今すぐいなくなりはしない、と信じることは。




 聖夜とやらに男どうしでやりあうこと自体、ひとつの報復なのかもしれない。何に対しての。こういうふうに産んだ誰かに対しての、か。たぶん違うな。もっとどうしようもない、抗いようもないけど抗うしかない何かに対しての。


 よかったよ。そうか。よかったならよかった。済んだものを枕元のゴミ箱に放りながら、個室の錠に手をかける、と、ちょっと待って、の声で制された。もうちょっと話してかないか、な。語尾で急に弱気になったのがわかり、不意に噴き出してしまう。いや、いやならいいんだけど。いや、いいよ。いやじゃねえよ。言いながら、また人工皮革張りのマットに寝そべる。

 どこ住み。北九きたきゅう。まじか、俺もだよ。そうなのか、いやあ、まさか君みたいな金髪のイケてる子に相手してもらえるとは思ってなくて。そうか? いや、もう今モテるウケって、スリきんのイケメンばっかって感じだろ。へえ、気が知れねえな。こんなとこまで来て痩せっぽちのガキとやりたいなんてな。言いながら、隣る巨体をあらためて眺めると、なんだか今にも泣き出しそうな気配。なんだどうした、もしかして初めてか。いや初めてじゃないけど、えっと、今までで一番よくて……そうか。こっちもドストライクなタイプ見つかってちょっと驚いてるとこだ。えっ。なんだかすっかり涙声。こん、なのが、か……自分でこんなのとか言うなよ、いいじゃねえか髭クマは需要あるだろ。そんなことないよ……朝まで粘っても一度もないのとかザラだったし……へえ、勿体ねえな。そりゃその場にいた奴らが馬鹿だったんだよ。

 ロッカー前まで一緒に戻りながら、連絡先いいですか、とおずおず言うから、なんで丁寧語だよ、と返す。えっ。いいに決まってんだろ。くぬぎって呼べよ、本名だ。ああ……ありがとう。ええと、ハクって呼んでくれたら。ハク。うん。憶えやすくて良いな。ありがとう。

 LINEのQRコードをスキャンしながら、あの、引かずに聞いてほしいんだけど、と言い出すから、なんだよ、と返す。いや、むしろ引いてくれていいんだけど……何だよ、さっさと言えよ。あの……やけにでかいサングラスをかけながら言う。おれ、本当はゲイじゃないんだよな。は? 突っ込まれるの好きなのにノンケなのか、無理があるだろそれ。いやそうじゃなくて……とサングラスにかかった指先が慄えている。ああ、そういうことか。LGBTの、T? 首の脂肪に深いシワが刻まれる。どうでもいいよ。首の脂肪がアルパカみたいに伸びる。穴があいてるって意味ではゲイもトランスも同じだろ、まあ同じ人間どうし大した違いはねえさ。え、今の言いかた……あれだろ、 SIMI LAB の『Show Off』の MARIA ヴァースだろ。え、なんで知ってんだ、 SIMI LAB 好きなのか。うん。珍しいな、ヒップホップ好きでこういうとこ来るって。はは、それはお互い様だろ。まあ、な。

 今日は泊まりか。まあ。北九きたきゅうのハッテン場でもよかったんじゃねえか? いやせっかくのクリスマスだし、こっちのが人多いかなと思って……久しぶりにこっち来たけど、なんか、福岡市内のクラブ入り浸ってた頃思い出すな。おやこう通りとか? ああ、一時期は通ってたけど……最近はバトル系のシーンがあまり好きじゃなくて、遠のいたかな。俺と全く同じ理由だな。ラップバトルの現場とかな、腐りきってるぞ。ヒップホップって本来、気の利いた表現で他人の愚かさを撃つものだろ。なのにあいつらって、勝つため成り上がるためならどんな下劣な罵倒も平気でやるんだよ。相手のプロフィールにからかえそうなネタがありさえすれば、嬉々としてそれを嘲笑しやがる。お前がゲイなの知ってるぞ、とかな。中坊の陰口と同じだ。えっ、出たことあるのか。ラッパーだよ俺。BargainShadeって名前で活動してた。でももうバトルのシーンとかどうでもいい。どころかもう、自分の人生でさえどうでもいいわ。早く核弾頭落ちてこねえかな、このクソみたいな島国に。

 それは、違うだろ。サングラス越しの表情は窺えない、が、こわが変わったのは明らかにわかった。それは違うだろ。ああゴメンな、俺セッキョーかますタイプのやつ無理なんだわ。説教じゃない。だったらなんだ……創ればいいだろ。目の前の身体を見上げる羽目になる。なんださっきよりデカいな、ずっと猫背だったのか。つくるって何を。作品を。なにもヒップホップはバトルだけじゃないだろ、いちから自分の作品つくって、それで認められる、そういう勝ち方もあるだろ。は、今更かよ……もうおせえよとっくに二〇歳はたち過ぎちまったし。無理じゃない。右手をとられる、汗ばんではいないが不思議に熱い。ひとりでやる必要はないはずだろ。何だったらおれもやる。ラップやったことあんのかよ。ないけど……カラオケでしかないけど……じゃあ、今からやればいい、遅くない。勘弁しろよ……だってすごい確率だろ、ヒップホップ好きの男ふたりがこういう場所で出会うって。

 ヒップホップ好きの……男ふたりが。

 そうか。まだ、誰もいないはずだ。ゲイのヒップホップクルーなんか。いや西新宿パンティーズがいるけど、少なくとも福岡には。

 ってことは、これ、あれか。勝算、なのか。


 そうだな。えっ。いける、かも、な……ほんとうか。お前こそ本当なんだろうな、いちからラップ始めるって。当たり前だろ、言った通りだよ。よし、そしたらな、うちの姉貴がクラブDJやってるから……トラックなんとかなるかもしれねえ。そうなのか! ちょっと話してみるよ。できあがったら送る。そのかわりお前、本気でやれよ。ヘタクソとは組まねえぞ。もちろん! すぐにいっぱしになるよ! 約束する!


 そうだ、どうして思いつかなかったんだ。クソに向かってクソと言うだけなんて、誰にだってできることじゃねえか。そんな場所で腐るつもりだったのか、俺は。

 危ねえ。危ねえとこだった。俺が行くべきなのはクラブじゃなかったんだな。出会うべきだったやつは、ここにいた。


 生産性が無いんだってよ。待合室のソファに腰掛けながら、テレビ画面に明滅している年末特番の予告に一瞥くれる。クソみたいな年だったな、二〇一八年も、なあ。まあ、良くはなかったかな。これからどんどん悪くなるよ、この国は。俺らみたいなもんの立場もな。安倍晋三閣下の奥方様の不妊治療はよくて、俺らの同性婚の法整備はダメらしい。ああ……クソだよな。知ってたけどな。この島国はクソまみれだ。

 なら、どうする。今までみたいにただ皮肉言って終わりか。そっちのほうが、奴らにとっては都合いいだろうな。残念だったな、そんな大人しい真似はもうやめだ。クソをクソと言うだけなら誰でもできる。何の技術も要りはしない。ならどうする。何ができる。少なくとも、俺にはラップのスキルがある、どういうわけか巡り合った相方までいる、音楽らしいことをやるアテも。なら。

 闘ってやるよ、クソったれども。これから、今から、お前らの望みもしないものをたくさん産んでやる。お前らは、この世界には自分の望み通りにならないものが存在することを、初めて思い知ることになる。だがそんなのはかわいいもんだ、俺らが今まで味わってきた理不尽に比べれば。そうだ、これはお前らが無視してきた奴らの歌だ。居ないことにされてきた奴らの歌だ。

 俺らが唄うべきなんだ。俺らが聞かせてやるべきなんだ。耳を塞いだって無駄だ。そんくらい大声で唄ってやるんだ。俺ら自身の、俺らのための歌を、俺らの力で。

 ANDYOURSONG。決まりだ。この名前で勝ちにいく。通り過ぎていった奴ら全員に思い知らせてやる、俺はもうそんなとこにはいないんだと。もう俺自身の栄光なんてどうでもいい。ここからは俺らだ。俺らの歌だ。




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