07 X列車で行こう
父は失敗したのか。
失敗したのだ、と母は言う。あの人がやったことは何もかも間違ってたが、最も酷かったのは、神に代わって愛を敷こうとしたことだと。人の身でありながら神の名の
それでは愛は、善はどこにいってしまうのか。人の世における美徳のようなものは。神の存在自体がすでに愛で善である、いつか神父がそんなことを
父は間違っていなかったのではないか、と娘は思う。あの人の誤ちは全て、愛と善のゆえだったのでは。愛と善で為されるものはすべて、過ち以外の何かにはなり得ないのでは。わからない、わかるはずもない。しかし考えてみれば不思議だ、そもそもこんな土臭い世で愛と、善と。物は落ちるし揺れるし砕ける、重力から逃れようもない場所で、それでも天の仕事を行うとは。父がしようとしたのはそういうことだ、人の身でありながら天の仕事を。そのようにしたイカロスが、ルシファーが、どうなったか皆知っている。 “non serviam” 、我は
一八世紀の啓蒙思想家は書いた、「僕たちの庭を耕さなければなりません」。一九世紀の小説家は書いた、「労働で神を手に入れるんですよ」。二〇世紀の詩人は書いた、「この土地に規律でもつけてみるかね」。誰も間違っていない、が、それぞれ半分くらいしか当たってない気がする。そもそもなぜこの世が。重力とともに神が存在するなんて事態が、なぜ有り得るのか。前提からおかしくはないか、どうしてそんなに軽々しく神と、土地と。自分の被造物と同じ闇のなかを這い回る創造者は、這いながらも創造することができるだろうか。天上の神と地上の者とでは、そもそも食い違ってるのでは。何によって? 言葉によって。「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。そしてこういうことになった、「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい」……
眼が覚めた、の一言で済ませばいいんだ。
もう着いたのか、の語尾があくびでぼやける。いや、まだだけどさ、お客。客? 新幹線だぞ。しかもこれ福岡まで停まらないはず……ああ、乗ってたんだよ、前から。前から? 目尻をこすりながら見上げる、と、いた。
Wassup folks? と、いやに甲高い語尾。
立ち話もなんだしと場所を移したくせに、連結部にて双方ともに立ち話をする羽目になる。タバコ吸う? いや。ほんとごめんねー座って話せたらよかったんだけど。寝台車でもあればな……『スノーピアサー』みたいなやつ? なんだそれ。ポン・ジュノの映画、とミッシーが注釈する。そういうのには詳しくないんだ、すまないが。いやいや全然。しかしまー狭いよねー新幹線って、移動のためだけのものだもんね。韓国でやったX-TRAINはもうちょっと本格的って聞いたよ。そうなん。鉄道公社が全面協力して、高速鉄道の車両一本まるごとχορός代表とそのファンの移動に充てたって。へえー。もともとファンイベントとツアーリングを一緒にした感じの趣向だったらしいすね、X-TRAINて。と、ワークキャップをかぶったショートカットボブの女が言う。そうそう、ただまあ大陸向けの企画だよねー。北米とか西欧とか中国あたりじゃ、X-TRAIN自体がライブになってるもんね。まじか。列車丸ごと借り切って、車内でライブとかトークショーとかミート&グリートとか。いいなー、やっぱこの島じゃ狭いよなー。
周囲を見廻し、洗面所にもトイレにも人がいないか確認する。ここなら、いいか。
ありえねえ。
ねえ
大丈夫か? と気遣いながらコーヒーを手渡してくれる。うんありがと、でも大丈夫じゃない、かな……あんたの場合は、決勝のあとぶっ倒れてたらしいから、単に案内が遅れただけだと思うよ。
とりあえず、と楽屋の椅子に腰掛ける二人。今日の打ち合わせから終わらそう。改めて
てな感じで、できるだけ
おし、さっき言ったけどわたしが
やっぱり英語圏からはるばる福岡まで来るファンは少ないらしく、モニターから見る限りではほとんどがアジア人の観客だった。しかしもうちょっと大きいハコでもやれそうなもんなのにZeppとはねえ。初めての日本ツアーだからこれくらいが順当でしょう。ただやっぱ、この音楽性だと観客の顔が近いハコのほうがやりやすそうだな。グランジやエモを経過したロックに、ビートはヒップホップマナーで、でも編曲はメタルっぽさを押し出した感じ。
と新鮮な気持ちで楽屋のモニターを眺めてるうちに、もう出番一〇分前となる。漁火ちゃんは
と、一曲終えただけでこの歓声である。うわー楽しい。楽しい。二人増えるだけでこんな賑やかになるのか。ウータン・クランてステージ上がるたびにこんな多幸感なのかな……と客席の顔を眺めてるうちに、 We’ve got another shit! と
あちー、一二月だってのに。めっちゃ暖かく迎えてくれたじゃないすかー。彼女らのファンだから、χορόςもチェックしてくれてたのかもね。考えてみりゃそうだよな、いらん心配しちゃったなー。
おつかれー。ああ、そっちこそ。思ってたよりずっと盛り上がったよ! あのメドレーやって正解だったあ。でしょー。アイデア出してくれてありがと、わたしらの客層にもぴったりの選曲だったな。いやー、わたし場の空気を最大限に引き出すセンスがあるっていうかさ。ははは、自分で言うか。あと、若いファンたちに「やっぱ自殺はいけません」って伝えたくてさ。なんだそれ、取ってつけたような。いやいやわたしが唄うと説得力あるってば。ええ? まあ……このことも追々話しましょうか。
あっち方向に
どうなったかというと、酒が全部持っていった。スペシャルゲストのわたしらが司会進行という体で、かんぱーい、とともに二人が日本語で話し始めた、のは衝撃をもって迎えられたが、そんな違和感はギネスの泡とともに消えていった。ケルト協会の人らは「いやあやっぱり音楽は言語を超えますねえ」と情感たっぷりに言ってたけど、全然そういうことじゃないと思う。
同じ言葉が話せるとわかったとたんに馴れ馴れしくなるんだな、日本人って。とトイレから帰ってきた
大したことなんだよ、世界にこれだけ多くのものが存在するってことは。
ねえさあん集合写真とりましょー、と、だいぶ出来上がった感じの漁火ちゃんが飛び込んでくる。なに、どしたの。
じゃ、道中気をつけて。そっちもな。ほんと共演できてよかったよ、またやりたいね。ああ、こちらこそ良いツアーファイナルだった。宿どのへん? 歩いてすぐそこ。じゃ気をつけてね、またχορόςで。ああ、会うことになるかもな。おつかれっした
本当に、また会うことになるかもね。と、タクシーのドアを閉めながら
数秒の沈黙。が、やにわに破られる。一度、帰ろうと思うの。長崎? 静かに頷く。この一ヶ月で諸々の整理をつけたら、ね。あの人の場所は知ってるけど、まだ一度も行けてないし……気持ちの整理をつけるにはいい機会かも。だね、行ってあげなよ。ねえ
あなたがどんな酒を好んでいたかさえ、うまく思い出せない。そもそもうまい酒を飲んだことがあったろうか、あの生活水準で。知らない、私はあなたのことをよく知らない。最も近しい存在であるはずの娘でさえ、あなたに深く
だからひとまずは、この
長崎。あまりに多くの異種を孕み、あまりに多くの中絶を強いられたこの土地、
よりによって大晦日に呼び出しかよ。いいじゃん、さすがにこの日まで塾やってないっしょ。まあ、昨日で一区切りだったけどな。今年の子らも大丈夫そう? お前な、この
で、なんでここ。え? なんで
救い、かあ。救い、だろ。自分にできないことをしてくれる誰かがいるってのは。誰かにできないことをやれる自分になれたってことは。そう、か、もね。そうだ。ありがと
ありがと、
わたしが愛したもの、憎んだもの、植えたもの、摘んだもの、得たもの、喪ったもの、すべての結果としてここにいる。わたしと無関係だったはずの何かたちが、偶然のうちに絡まりあって、こうしてひとつの歌を
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