05 騙されう者は彷徨ぬ
やっぱ、
ええと、SoundCloudのアカウントが停止されました。まじすか。一体何やったの。何やったのていうか、わたし一年半くらい前からずっと曲上げてたじゃん。そのトラックでまあダズ・バンドとか、ファク・インクとか、あとハンコックとかチック・コリアとかピーター・ガブリエルとかベタなのまでサンプリングして使ってたから、権利関係のあれが一気に来て、それでアカウント停められました。急に? まあここ一ヶ月で再生数跳ね上がったしねー。アカウント停止ってことは、私たちと組んでから作った曲も聴けないってこと。あれはSpotifyとYouTube Musicに移してあるから大丈夫。だけどひとりでやってた頃の曲は全滅だなー、バックアップも取ってなかったし。取っときなさいよ。あんなのは過程だから振り返んなくていいんだよ。でも、ねえさんの曲のリミックス上げてる人たちいっぱいいますよね。ああいうのは禁じようがないよー、まあヒップホップ的な楽しみ方の一つだし。
しかしまあこの野球場さあ、ヤフオクドームよりちょっとキャパ少ないくらいなんだね。東京ドームくらい押さえるかと思ってたすけどねー。さすがに埋まらないでしょう。そうかな、いよいよ日本代表決定戦なんだよ、ごまんは来るっしょ。だいたい、今オリンピックのせいで諸々おかしくなってるわけだし、この会場でやれる時点で御の字でしょう。そうそう韓国代表決定戦見た? マジヤバかったよーAgustDみたいなファストラッパーが持っていってさ、超バッドアスだったなー。やっぱ各アジアの国でやってるんすね。まあ主催の本社がシンガポールだからな。そんな遠眼鏡でいいの、足元がお留守だけど。えっ。あなた、まだ今回の出場者一覧見てないの。いや見てないよ、いま着いたばっかだし。そうそう今回やばいすよねえさん。えっなに、なんかあったの?
驚かずに聞いてね。
うん。
|
え?
これ、と言いながら
そっちがホンモノ、ってことになってるらしいよ。
はあ!?
これ、と言いながら
……と、いうわけ。わかった? よーくわかったよ、ネット上でピーチクパーチクやってんのは聞く耳も見る目もないバカだらけってことが。ねえさんおちついて。もう、マジで……思うか普通? あっちのほうが明らかにコピーじゃん、サンクラの音源さえ聴いてれば誰でも真似できそうなことじゃん、覆面だし……なのにあっちの方がホンモノだとか思うか普通? あっちは単独の活動なのが大きいんでしょう、あなたはソロとして名が知られてたわけだし。あたしもそうだったわけっすよ。正直、あたし自分がメンバーとして参加してなかったら、キュウゾウがミュージシャンとクルー組んで活動はじめたって聞いたら、えーって思うかもしんないす。なんでえ……? やっぱ謎めいた孤高のリリシストってイメージだったすもん。ああ、世間的にはそっちのイメージが基準なのか……こっちが前進してるだけなのに……ちくしょー過去のイメージにしがみつく奴らばっかかこの世紀は……そりゃスターウォーズもあんな感じになるわ……
そういう経緯でね、今回の日本代表決定戦は、どうも「
ばたん。と、急に無言になるのはよくないな。なんかかけようかな。いやBluetoothスピーカー持ってきてないし、自分で静かにしてたいって言ったくせに。出前頼むか。何があるんだろ、ピザか。
あいーこっちで。どうも。あー個室で寝そべってピザって、すげーヒップホップぽい。スタジオじゃなくて楽屋だけど。赤いプラスチックカップもあれば完璧だったんだけどな、まあいいや。うわなんだこれ、全っ然薄いじゃん。全国チェーンの宅配ピザってこんなもんかい、だらしねえなー。まったく増税しやがるわ食べもんのサイズも小さくしやがるわ、全部自民党が悪い。一刻も早く日本の総人口の七割を移民で占めさせるべきである。そしてすべからく移民に選挙権を与えるべきである。「すべからく」を正しく使うことすらできないやつは日本人ではない。日本語もろくに読み書きできない日本人は日本から出ていけ。どう考えても次の日本語の担い手は移民しかいない。そして現状トップクラスの日本語の
すごいな
で、何話してたのあの人らと。いまわたしが作らせてるものが完成したら、真っ先に提供するようにって。金に糸目はつけないってさ。あの自動翻訳機とかいう? 機械ではないけど、まあそういったもの。すごいねー
とりあえず、とうぶんは金の心配いらないね。ええ、この国にはもうひとつ用事があるけどね。なんだっけ、ガリツィア地方? この辺の地理わかんないけど。そう、南のほうのウクライナ国境。そこに何しにいくの。わかりやすく言えば、装置の点検かな。点検? うん、どの程度修理が必要でどの程度使い物になるか。でもその装置って本のことでしょ。そうだよ。本が装置、っていうのが、いまだによくわかんないんだよなー。言葉の通りだよ。本、というか「書物」ほどよく組み立てられた装置はないでしょ。で、その「書物」ってのも、単に紙の束をまとめたものじゃないんでしょ。もちろん。なんだか
関係なくなる。
って、どういうことだろう。だからわたしは訊いたんだ、その訊き方が正しかったかどうかはわからないけど。
あのさ、ソクラテスの──いや、プラトンが記述したソクラテスの、か──有名な言い方があるじゃん、人間に関するものの存在を認めても人間の存在は認めない、馬の存在は認めないけど馬に関するものの存在は認める、笛吹きの存在は認めないけど笛吹きに関するものの存在は認める、そんな人間はいないだろうって。これ、
笛は笛吹きの父母と関係なしに在る。笛吹きは楽器職人と関係なしに在る。でも、笛も笛吹きもその父母も楽器職人も、これなしには存在し得なかった、ってものがあるでしょ? なに。わからない? わかんないよ。
沈黙。
これだよ、
おー、これがバルト海。そうだね、グダニスク湾。いちど来てみたかったんだ。来てみたかったんだって、観光気分かよ。ふふっ、
ねえ、
と、また唐突に、
愛してる。
数秒待ったが、さらに言葉を継ぐつもりはないらしかった。うん、愛してるよ、わたしも。ちがうよ。えっ。微笑みながら小さく首を振っていた。わたしが、あなたを、愛してるんじゃない。
沈黙。
愛してる。また同じ言葉。えっと
愛してる。
沈黙。
ねえ
沈黙。
よく、ここまで来れたね
じゃあ、特別に教えてあげる。
互いの
それだけだった。
そこでケストリッツァーとかエルディンガーとか飲めたんだけど、ついこのあいだ閉店しちゃってね。あちゃー残念すね。あれでしょ、輪っかのプレッツェルとか出る感じの。あるね。フォルクスワーゲンのハンドルみたいなやつっしょー? 輪っかのやついーなあ、あたしプレッツェルったらプリッツしか知らないす、まっすぐなやつしかー。やけに形にこだわるね。だってホンモノ知らなきゃだめじゃないすかー、だってあたしも、沖縄のもずく喰ったこともないのにもずく語ってるやついたら、すげえむかつきますもん。もずく語るって何。え、はかるん沖縄のもずく喰ったことないすか? じゃあこんど贈るすよ、あの味知ったらスーパーのやつとか戻れないすよ! ふふっ、ありがと。それはいいんだけどね、ふふ。え、なんすか。もずくを語る、って状況に、ふふっ、今まで居合わせたことがなかったから、その、ふふっ。えなんすか、ツボに入ったすかー? いや、ふふ、そういうのじゃないけど、もず、っぶ、もずく、もずくを語るって、そん、ふ、ふふ。めっちゃ笑うじゃないすかー! そんな面白かったすかー? ごめ、ただ、もず、ぶふっ。えーだって長崎のひともこだわりあるでしょー、なんかあの、風車とかー。長崎といえば風車なの。あごめんっす、冒涜っぽいすか? いや仕方ないよ、長崎=ハウステンボスってイメージは、どうしても。でも長崎=風車っていうのはドン・キホーテ=風車と同じくらい安直な連想であってね……はかるんその話は後でしましょ。あ、そうだね、もうちょうど開演時刻。あーついに決勝すねー、気合い入れなきゃあー。どうもねえさん戻ったっすー。
うん。なに、随分だらしないこと。あピザ残ってる、もらっていいすか? いいよ。ワインまで
不真面目な論旨を真面目に聞けというのは、何やら陰謀論に付き合わされるのと同じ惨めさがある。真面目じゃないのはあなただよ、というか、まともじゃない。なにが。今までの全てを
だって、言ってたんだよ、別れる直前に。何て。「わたしは
あのー、とイリチが後方から。何。話の途中すんませんけど、出順が決まったみたいっす。運営からの連絡でも来ていたのか、くだらない話に付き合わされて気づかなかったが──わたしらは。と、隣につけた
やるよ。
勝つよ。わたしは今までのわたしを乗り越える。
そして
さあ一番手はー、関東地区代表! あまりに多くの謎に包まれたリリシストがー、今日ついに、神秘のヴェールを脱ぐ!
キュウゾーウ!
うわ、この曲か。ちょうど一年前に作ったやつだな。ファンクネスには欠けるけど、まあかっこいいよな、わたしのトラックだし。おお、観客、こんな細かい歌詞まで覚えてくれてるのか。わたしが部屋で一人で録ってたときは、こんなの想像もしてなかったな。でもあのニセキュウゾウ、観客がレスポンス返してくれてる割には煽んないのな。今のとこは客席にマイク向けていいくらいだろ。ああ、うん、まあ、やっぱ良いな。一年前のレベルだとしても、わたしだしな。
どう? えっ。あのキュウゾウのお手前は。ヘタではないよな、まあよく似せてきたなって。もしかしたら、あのヘルメットを取ったら
え、うわ。ヘルメット、外しやがった。
割れんばかりの歓声がドームに反響する。あいつ、本当にこのステージで正体を見せるつもりだったのか。カメラのズームアップ映像がバックスクリーンに映し出される。ついに顔を曝け出した、その姿。
え、誰だ、あいつ。
誰だ。ほんとに誰だ。なんか、
わっつぁーっぷ、と、上ずった語尾がPA装置から伝達される。観客はまたしても大歓声で応える。えいよーとーきょーわっつぁっぷちょうしどう、ついにすがたあらわしたりあるきゅうぞう、にほんじゅうおれにやられたやつきゅうぞう、おまえらいっちょでかいこえでいえよほーおー。ほーおー。ほー、ほー。ほー、ほー。いえよほーほーほー。ほーほーほー。
なにあれ。
えぃよぅまさにあきらかになるこのいちにち、ださいにせものきゅうぞうのかおびちびち、みんなきづくことになるおれりあるしっ、き、っくするゔぁーすちょ、うやばすぎっ。
なんだあれ。
フリー……スタイ……ル? っすか? 本人はそのつもりなんでしょう。うまくはないっすね。ヘタって言っていいんだよ。でもお客さんすごいノってるすねー。まあ、幼稚なフリースタイル番組に慣れた客層からすれば、あれでもいいのかもね……キュウゾウがついに素顔を晒してラップした、って付加価値もあるでしょうし。
ようかおみせてみろよにせものー、おれしってるおまえがふるえてるのー、もうしょうぶはついてるめにものー、みせたぜおれがりあるきゅうぞう、ぶらぁっ。
あ、終わった。どうすかはかるん。「目にもの見せた」を二行に切ったあたりは良いなと思うけど、それくらいかな。あの声質で一人称「俺」はさすがにないでしょう、さらに言えばライムもフロウも未熟すぎ。やっぱそうすか、トラックに乗せてたときは気になんなかったんすけどね。ただのコピーにフリースタイルの技術は必要ないからね。あっ、なんか始まったっすよ。
でてこいよきゅうーぞうー、ふくおかのきゅうーぞうー、ふぁっくなきゅうーぞうー、しょうぶはまいくでつけねえとー。
え、煽りすかこれ。たぶん。ステージ出てきて、フリースタイルで勝負すれってことすか。たぶんね。うわー客も一緒になって煽ってるっすー。
でてこいよきゅうーぞうー、ふくおかのきゅうーぞうー、ふぁっくなきゅうーぞうー、しょうぶはまいくでつけねえとー。でてこいよきゅうーぞうー、ふくおかのきゅうーぞうー、ふぁっくなきゅうーぞうー、しょうぶはまいくでつけねえとー。
ああ、ようやくわかった。やにわにヘルメットを脱いでフリースタイルらしきものを始めたせいで、ちょっと判断が遅れたけれど。今ようやくわかった、あのニセキュウゾウを見ていて去来するこの感情。
可哀想。
あ、ねえさん……ちょっと。ステージ袖から無言で歩き出す、その背中を引き留める。
大丈夫。えっ、心配しなくていいよ、漁火ちゃんも。でもちょっとさ、行かなきゃだから。待ちなさい、決着は私たちで──いやだめだよ、そっちのがだめだよ。だってさ、と笑みを崩さずにステージのほうを指差す。あれのためにさ、とっておきの新曲やるなんてさ、もったいないじゃん。こんなところでお披露目したらあの曲が汚れるよ、だからやめよ。やめるって、棄権すか。まさか。にっこり、という形容が似つかわしい顔だった。わたしが、ひとりで行く。
でてこいよきゅうーぞうー、ふくおかのきゅうーぞうー、ふぁっくなきゅうーぞうー、しょうぶはまいくでつけねえとー。
すいませんマイク、手持ちでもらえますか。はい、予定してたセッティングは全部なしで、マイクだけでいいんで。それだけ。はい、どうも。
でてこいよきゅうーぞうー、ふくおかのきゅうーぞうー、ふぁっくなきゅうーぞうー、しょうぶはまいくでつけねえとー。でてこいよきゅうーぞうー、ふくおかのきゅうーぞうー、ふぁっくなきゅうーぞうー、しょうぶはまいくでつけねえとー。
あ。行って、しまう。止めなくていいんすか。いや、もう……止めようがない。あのニセキュウゾウも、観客も、
ーぞうー、ふぁっくなきゅうー……
うおーっ!
まさかほんとにでてきたぜ! えびばでぃ、いいかこれはふり、ふりーすたいるだあー、かちまけきめんのはおまえらだあー、かんきゃくのこえがでかかったほうのかちだぜー!
うおーっ!
ようようきゅうぞう、ついにあえたな。きょうここでしょうぶをつけようぜ、そしてわからせてやるぜおれがほんものだってこと、まずはせんこうこうこう……
黙れ。
ぅえっ?
もういいから、黙れ。黙って聞け。とりあえず許す、お前が今やったことは許す。お前がなんか、自分の持ち時間も、それどころか大会のレギュレーションまで全部無視して好き勝手はじめたことも、とりあえずは許す。あとは全部わたしが片付けるから、もう黙って聞け。この悪ノリに付き合った観客のことも、とりあえずは責めない。ただ黙れ。静かにしてくれ、頼むから。
沈黙。
ビートなんか要らないし、韻を踏むつもりもない。ただ言葉だけだ。言葉だけでやる。
わたしがキュウゾウだ。姓と名は
で、そこのガキ。お前だ、お前。他に誰がいる。お前のパフォーマンス観ててわかったよ、よく勉強したな。たくさん練習したんだよな、わたしのスタイルに似せるために。ほんっと必死こいてわたしの真似してくれたんだな。すごいよ、褒めてやるよ。すごいよお前。何がすごいって、自分のものにならないものにそこまで夢中になれるってことが。わたしからすれば過去の遺物でしかないスタイルの模倣に、そこまで一生懸命になれたってことが。
わかるよ。わたしだってそうだった。自分とは別のものになりたかった、だからキュウゾウを名乗ったんだ。書いてるうちに、唄ってるうちに、もう自分自身とは言えない別の何かが育ち始めたから。でも、お前は違うよな。同じようで違うよな。わたしは自分とは別のものになりたかった。でもお前は自分以外の誰かと同じものになりたがった。キュウゾウに。そのためには出来上がったもんのコピーさえしとけばよかった。きっと、お前はわたしよりもキュウゾウのことをよく知ってるんだろうな。
じゃあ。
キュウゾウになってしまった
お前、そもそも音楽に救われたことはあるか?
小学生の頃、親が仕事で使ってたテープレコーダーに自分の声を吹き込んで遊んだりとか、中学生の頃、好きなラッパーの違いで同級生と殴り合いの喧嘩したりとか、高校生の頃、友達に教えてもらった音楽理論を使って初めて作曲らしきことをしてみたりとか、そういう、お前の人生に音楽が寄り添っていた瞬間って、あるのか? 音楽に掴み掛かって、あるいは音楽に掴み掛かられて、ズタズタになってボコボコにされてそれでも音楽のおかげで救われたって、そんな瞬間、あるのか?
わたしにはある。
お前、あるのか? 友達に貸すために毎週学校にヒップホップのCD一〇枚ずつ持ってって、少しずつわたしの好きなもんを理解してくれるようになって嬉しかった、そんな経験は? 仕事先で知り合ったギタリストが、まさかわたしの
ねえだろ。ねえだろうよ。あるはずがねえよ。お前には何もない。
いいかクソガキ。二度とは言わない。一回で聞き取れ。
言いたいことは山ほどある。が、この一言で十分だ。
キュウゾウからキュウゾウへ。この一言でお前を殺す。いいか。
音楽をナメるな。
失禁、かな。カメラに抜かれてしまった以上は、もう、どうしようもない。あの子が
泣かしちゃったすね。まあね。これって、ねえさんの勝ちってことになるんすか。さあ。ただ大会のレギュレーションを無視してバトル始めたのはあっちだから、運営に裁決でも仰ぐしか、
……じら……
え。
……ぅ、じらぁ……
まさか。
何処にいんだボケがアアアアアアアアァ!!
見てんのわかってんだぞコラアアアアアアアアアアアアアァァァ!!
まずい。
何処だコラアアアアア、
あ。
ステージ袖、なんだ、なにがあった。担架、担架おねがいします。おい、どうした、あのステージで横になってるやつか。ちがいます、下です。下? おい……どこに落ちた、撮影班? カメラドリーの上です。セキュリティ、起こせ。起こせるか。意識は? なに? おい頭動かすな、担架、
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