16 Tinker Tailor Dark Duke
Manners,
Maketh,
Man .
マナーが人を
しかし
大逆転、とか、阿鼻叫喚、とか、適切な語彙を探そうにも見つからない。というのは、リオでのあの展開を、結局のところ観客たちは歓迎して終わったからだ。ペルー公演以降絶対の一位を護っていたInnuendoが、その片割れであるウェンダ・ウォーターズの策略によって解体され、ユニットでなく個人パフォーマンスへの移行が突如として布告された。それは確かに、硬直した上位ランキングに不満を覚えていた観客にとっては好ましかったのかもしれないが、当のInnuendoのファンたちまでもが興奮を隠せていなかった。Dark Duke、漆黒のテーラードスーツに身を包んだウェンダ・ウォーターズのコンセプト動画は、瞬く間にInnuendoはもちろんχορός出場者のファンダム全体に伝播し、圧倒的にクール&シックな存在感でその場を占めた。
カタルシス、というのが適当なんじゃないかな。談話室の卓上にコーヒーを乗せながら
そんな悠長に構えてていいのか、とマグカップからミルクを啜りながら
ああ、やっぱInnuendoだけは内装違ったのか。だって一位だもんな、特別扱いも仕方ないね。ただ制作ブースと寝室の間取りは同じっぽいな、と室内を眺め回しても、やはりエリザベスの衣服や私物らしきものは見当たらなかった。きれいさっぱり片付けられた、ってことか。部屋の中央に据えられた豪奢な椅子、そこに
私の目的、か。簡単だよ。この地上で最も優れた「王」を仕立てることだ。
「王」。ああ。それって多分、性別は関係ないんだろうね。勿論。知においても美においても卓抜した存在を、自らの手によって仕立てること。それがエリザベスってことか。ああ、彼女は申し分のない素材だ。シェイクスピア四大悲劇の主演をすべて成功裡に納めるほどの、性別も時空も闊達自在に横断する才能。それこそ私がこよなく求めていたもの。プロフィール上では、エリザベスがあんたの作品を見て惚れ込んだって話だったけど。簡単だったよ、彼女の目に留まること自体は。ぜんぶ計画済みで売り込んだのか。売り込んだのではない、単に彼女が求めるであろうものを造って、置いておいただけだ。喰いつかずにはいられなかったろう、既存の美のイメージから逃れ出たい渇望は、彼女の主催するプロジェクトの作品群から伝わっていたからな。あとはお望み通りのものを捧げさえすればよかった。すげえこと言うな、欲しいものはあらかじめわかってましたってか。私は仕立屋だよ、それくらい出来て当然だ。エリザベスと一緒に世界的な名声を得て、あるとき頂点から突き落とす、ぜんぶ計画通り。ああ、順調にね。ただ、ここからだ。ここから這い上がってくれなくては。私が仕立てたものを纏うだけではない、もっと良いものになりうるか。それを試すためだけにやったのか。勿論その通り。
それじゃあ、あのっ、他にも必要なものがありましたら。と言ってみても、ええ、ありがとう。とだけ返される。それにしても、こんなところで生活できるんだろうか。キッチンとシャワールームはかろうじてあるけど、マットレスひとつ敷く程度の間取りしかない。もとの部屋とは違ってドアにセキュリティすらないし……しかし、あてがわれた手狭な部屋の真ん中でしゃがみ込んでいる女性が、あのエリザベス・エリオットの姿だとは、数時間前ならとても信じられなかったろう。あのっ、エリオットさん。呼びかけても、こちらに目を向けてさえくれず、何。と短く言うだけ。私、今夜はここにいますから、なにかご不便があったら言ってください。こんなことを
ドアを後ろ手で閉め、しゃがみこむ。どうしよう。こんな近くでエリザベス・エリオットとふれあえるなんて、私にとっては望外の喜びであるべき。なのに、こんなにも胸が踊らないのは……これからどうなるんだろう、このツアーも彼女も。わからない、私にできそうなことといったら、彼女が眠りにつくまでここにいることだけ。ああ、彼女はいったいどうやって朝を迎えたらいいのだろう。すべて悪夢だったらいいのにと眠りについて、何も変わっていない朝にまた目覚める……
お、やっと戻ったかミッシー。うん、ごめんね遅れちゃって。おおかたファンに詰め寄られてたんだろう。いやいや、今夜のミート&グリートは早めに切り上げて、そのあとウェンダに会ってきた。え? なんかエリザベスが部屋から追い出されてさ、どうしたんだろって思ったから。そ、そんなことになってるのか……で、一番キャビンから戻ろうと思ったらヤスミンが床にへたりこんでるから、どうしたのって訊いたらエリザベスが部屋移されたばかりで心配だから一晩中ここにいるって。逆にこっちが心配になったから、ふたりぶんの夜食持ってきて一応
そんなことより。と言いながら一歩詰め寄る。どうしたの
明日、明日、また明日。時の
おはようございます、とドアの外から声が。遅れてコンコンと二回ノックが。いや、逆だろう。ノックしてから入室許可を乞う、の順だろう。これだから小金持ちの娘は躾が……娘? そうだ
あのっ、元気、出してくださいね。サンドイッチをかじると同時に
沈黙。単なる事実を述べているに過ぎない、のに、どうしてこうも沈鬱な気色を纏うか。居た堪れなさを誤魔化すためにティーカップを持ち上げると、いい加減にしてください。と、嘆息混じりの声が漏れる。いい加減に、してください! 真正面から睨みながら、剥き出しの語気で迫ってくる。どれだけ泣き言を並べたら気が済むんですか! 貴女が、エリザベス・エリオットが、そんな逃げ口上を平気で言うなんて! 逃げ……あのね
とだけ言うと、黙り込む。そうだ、結局ここに収まる。ひとりでは何も創れない、その意味で
エリザベス・エリオット。ちょっと部屋まで来い、取引だ。いちおう言っておくが──お前に拒否権は無い。
ファンミーティング……? そう。
どうして──一瞬言葉を詰まらせるエリザベス。どうして、そこまで。彼女の口からここまで緩い言葉が漏れるとは。対して
やるべきだと思います。代わりに私が沈黙を破る。エリザベスの椅子の背もたれに手をつき、やるべきだと思います、新しい貴女を見せるチャンスです! と目線をあわせて言う。きっと、彼女自身も決意はできているはずだ。だってさっき言っていた、「χορόςにおいての私は、最初からウェンダと共にあった」と。でも、何もあの人だけがエリザベスのパートナーってわけじゃない。他のやり方を試してもいいはずなんだ。
そう、ね。まさか、あなたたちと共演する羽目になるなんて──私も墜ちたものだわ。と苦笑混じりに言う、のを聞いて
おい、
はは、なんか大変そうじゃん。あ。いつのまにか
コントロールルームを退出すると同時に、窓外からの日差しに目が眩む。ファンミーティングかー、ライブよりゆるめなのは助かるけどさ。珍しくこちらに話題を振ってきた
だからケツが重すぎるんだってー、もっとこうスッと動かせないかなー? と
事前に告知済だったとはいえ、サン・ルイスのCouncil Clubブースには大勢の観客が集まっていた。この壇上から確認できる限り、あたしらとエリザベスのファンがちょうど半々ずつって感じか。Innuendoの公式マーチャンダイズらしきものを身につけている者も少なくないが、そいつらは一様に不安げな
ようこそ集まってくれた。と挨拶がわりの一言を放り、群衆をひととおり見回し、知っての通り、これから皆に見てもらうのは、ソロになってからのエリザベス・エリオットの初舞台だ。と言うと、奴のファンとおぼしいやつらが固唾を飲むのがわかった。ここにはShamerockのファンも大勢集まってるだろう。あたしとミッシーが奴と組むと知って、驚きや不安があったかもしれない。だから、前もって言っておく。もしあたしらのファンで、今から見てもらうエリザベスのパフォーマンスがダメダメだった場合、遠慮なくブーイングを浴びせてくれ。と右手の親指を逆さにしながら言うと、群衆は笑いが半分、無言の
言い終わると、観客の何人かは拍手や口笛で応え、もう何人かは涙ぐんだ目を向けていた。さ、あとは論より証拠だ。今回のコンセプトは “The Nth Summer of Love” 。たとえ地球上のどこだろうと、いつだって夏は愛の季節だ。スーツ姿のやつらもTシャツのやつらも、金持ちも貧乏人も、みんな混ざってバカみたいに踊れ! いくぞ、おそらく今夜だけのコラボレーション、SOS feat.Ex、トラックのプロデュースはProfessor-M feat.Hosanna!
四人分ジョッキ追加でー! いやーもう無限に飲めるな。しかもブラジルの港町でこの気候でって、最高のシチュエーションじゃん。
でも実際さ
ひとりになったからといって、何もできなくなるわけじゃない。むしろひとりであることは、誰かと繋がるための必要条件なのかもしれない。などと思春期めいた想念を弄んでしまうのは、あの子の歳若さに当てられたせいか。私とは何もかも違うはずの、シーラ・オサリヴァンの
スマートフォンのブラウザを立ち上げ、シーラ・オサリヴァンの名前で検索してみる。彼女のことを今からでも──遅すぎるけど──知っておくのもいいかもしれない。げっ、本名、シーラ・パトリシア・オサリヴァン。パトリシア……即座にタブを閉じ、眉間に指を当てて眼を瞑る。まさか、彼女も……か。
ピコン、と通知音。見ると、
ばかな子。デッキチェアに寝そべりながら、
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