21 Hardcore Peace


 今までの全部なんだったんだよ!? が一番早かった。ずーっとツアーしてきた意味ないだろお!? とハンが続き、ないよ、ないってイネスそれは! とミッシーが大笑いを添える。そりゃそうなるよなあ、当然の反応だ。それでもイネスは壇上での構えを崩さず、いいから、あれが決めたことだ! 今年一月から続いてきたこのχορόςは、次のロンドン公演の一発勝負で全てが決まる! 五組全員が公平な地平に立ったうえでの勝負だ。なにも文句ないだろ?

 観客のざわめきが、徐々に壇上の参加者たちの意向を窺う質のものに変異してきた。のを察したのか、それでいいよなシーラ、前回までの暫定一位として? と名指しで差し向けるイネス。呼ばれた側は、数秒間嘆かわしげに沈黙したのち、いや、やっぱ納得いかんぞ……勝っといてなんだその変更は。とオンマイクの低い声で述べた。だって、最後くらいは全員にチャンスが与えられるべきじゃん。とイネスは一言だけ返し、シーラはこれ以上継ぐ言葉もないのか、しばらく口をもごつかせ、溜息とともにマイクを下ろした。一方で、ふざけないで、本当にこのままロンドン公演を迎える気!? Defiantから一方的に恩賜を与えられたようなざまで? と傍らのエリザベスがおらぶ。なんで怒ってんの、そっちに不利ってわけでもないじゃん。手心加えられた感じが我慢ならないって言ってるの! 心外だなあ女王陛下、あれはあんたが言ったことを参考にしたんだよ。舞台は整ったと言うべきではないかしら。とエリザベスの口吻を真似たあと、せっかくなら、全員でやりたいじゃん。全員で今回のツアーの真価を競い合う、そういう勝負! と破顔するイネス。を前にして、エリザベスは不意を突かれたように黙り、半ば呆然としたままステージ中央を見つめている。ああ、面白いなあこれ。みんな、自分たちにとって都合のいい展開になっちゃったから納得いかないんだ。イネス自身も同じ理由でこうしたのに。やっぱ似た者ばかり集まってるんだなあ。

 てなわけでー、本当に次のロンドン公演で終わりだからな! あとそうだ、当日はいつもよりだいぶ早い開演時間だから、五〇分ごじっぷんくらい時間の余裕があるらしい。なんで、自由に好きなやつと組んでる時間ももうけよう! そうだ、それがいい。と一人で心得顔のイネスに、そうだってなんだよ、いま決めただろ!? とが突っ込む。そのへんも追々告知するからなー、じゃあみんな今日は来てくれてありがとー! 最後まで応援よろしくー! と手を振りながら退場するイネス、を見送るしかなくなる。




 ってわけなんだよ、ひどいだろ? 艦長室のテーブルにもたれかかり、マキの口端から逃げる煙を眺める。まあ良かったじゃないか、後腐れなく勝負できるってことだろう。そうだけどさ、今までずーっとあたしらが勝ってたのに。エディンバラ、マンチェスター、さらにダブリンであたしとが一位になったのを含めたら三連覇。なのにいきなりあんなことされてさー。と語尾を伸ばすと、マキは灰皿を叩きながら苦笑する。そしてまた、とくに気まずくもない沈黙が垂れる。ああ、マキ、わかんないかなあ。でもあたしから言うのも、せびってるみたいで嫌だしな。テーブルに顎を乗せて上目遣いでいると、マキはなにか観念したようにタバコをにじり、胸の前で腕を組みながら口を開いた。まあ、頑張ったよシーラ。今まで一等賞だったんだもんな、偉いよ。ああ、言ってくれた。ほめてくれた。やった、今まで一度もこんなのなかったのに。とか態度に出しちゃうと揶揄からかわれるから、でしょー、ロンドンでは絶対に逆転してやるから。とこっちも腕を組みながら言う。全員が公平なのだから「逆転」もないだろう。と指摘され、あっそうか、とつい目を丸くしてしまう、のを見てマキが苦笑する。

 おひさしぶりいー! と、背後から大音声だいおんじょう。振り向くと、あ。グランドマスター、と呼ぶマキの声。そうだ、そんな呼名なんだっけドゥの旦那。相変わらずド派手なスーツ姿で艦長室中央まで歩み入り、ほんとおひさしぶりねえ、あらヒメー! とこちらへ向けて手を振るので、右掌を向けて応じる。もうほんとやばいわよお今回のχορός、ダブリン公演からずっとケツに火ぃ着きっぱなし! あはは……まあ、色々あったから。マキちゃんもお元気そうでなによりだわあ、前に会ったときよりも顔色明るくなったわねえでもちょっと痩せたんじゃないー? とマキの眼前で人差指を揺らし、もちろんてんちゃんもねえーちゃんと食べてるー? ムチッとしてるくらいがちょうどいいのよあなたたちー、と入口に控えている副艦長へ向けて手を振る。

 ところでグランドマスター。マキは微笑を崩さず、本日はどのようなご用件で。と事務的に言う。ああそれねえ、もちろんχορόςのフィナーレに際しての連絡事項をいくつか……あと、終わってからのこともね……いつもの調子からビジネスの態度に切り替わったのを察して、じゃあ、あたし、出とこうか。と起立する。うん、そうね、気ぃ遣わせちゃってごめんねえ。とドゥの旦那は眉を寄せ、すまんな、今朝はあまり話せなかったが。とマキは申し訳なさげに言う。いいよそんなの、だってマキ初めてあたしのことほめてくれたんだし、とまでは流石に言わない。入口まで歩き、ドアを開いて静かに辞去する。

 しかし、終わってからのこと、か。ずっと続くかと思ってたけど、そういうわけにもいかないよな。また、マキと離ればなれになっちゃうのかな。仕方ない、Peterlooの仕事があるんだから……でも、できることなら、ずっと一緒にいたい。




xxISRBxx の発言:

でしょー、まさかあたしらが what’s in my bag の取材受けるなんて( *ˊᵕˋ)✩‧₊˚


ccBASS の発言:

 もともとアメリカのレコード屋の企画でしょう。アメーバレコード、だっけ?


xxISRBxx の発言:

今じゃいろんなレコード屋で有名人が来店したら動画撮らせてもらってるみたい。で、あたしらも今回ロンドンのラフトレードで(๑ᴖᴗᴖ๑)


ccBASS の発言:

 イリチもすっかり有名人だね (^ ^ )

 どんなレコードを選んだの?


xxISRBxx の発言:

最近好きなのでアンダーソン・パークとか、ルーツとしてもちろんヘイゼルいたころのファンカデリックとか、あとジェフ・ベックとヤン・ハマーのやつとか


ccBASS の発言:

 Scatterbrainがすごく速いやつ。


xxISRBxx の発言:

そうそう!あれ高校の頃がんばってコピーした( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )

ライブ版とは違うけどスタジオ版のストリングスのアレンジも最高すよねーって言ったら、動画回してる人うんうんって頷いてた(๑˃̵ᴗ˂̵)


ccBASS の発言:

 英国っぽいね (^ ^ )


xxISRBxx の発言:

 でしょー。ちぬんにもおみやげいっぱい買ってきたから( *ˊᵕˋ)✩‧₊˚

 ウェザー・リポートのよさそうなブートとか


ccBASS の発言:

 ありがとう (^ ^ )

 でも、東京で会えるならわざわざ送ってくれなくても大丈夫だよ。帰国したら会えるかな?


xxISRBxx の発言:

 今のうちにねえさんに今後の予定きいとこうかな

 ちょっと待ってて( ・ᴗ・ )


ccBASS の発言:

 うん、九三さんと測さんにもよろしくね。


 端末をオフにし、テーブルに置かれたマグカップを持ち上げる。ロンドン塔だけは見たくないから毎日塔の中で昼食摂ってた、ってやつ誰だっけ? とねえさん。モーパッサン、について書かれたバルトの随筆ね、エッフェル塔の間違いでしょう。とはかるん。あ、フランスだったか。なんかわかるよねー観光名所すぎてうざいっていうかさ、東京住んでたら東京タワーもそんな感じなのかな。いや、何処にいても見えるほど大きくないから。そうなん漁火ちゃん? はい、実際しょぼくれてるすよ。なんで塔ばっか建てるんだろね、雷避けかな。違うと思うけど。ジョイスってすごい雷嫌いだったんだってね。と、このままだといつもの調子で延々と脱線しちゃいそうだから、あの、ねえさん。とこっちから切り出してみる。なに。今ちぬんと連絡取ってたんすけど、あたしら全部終わったら東京帰ります? んー、そうだね、どうせ成田でも羽田でも関東に着くだろうし。いや、空路で帰るとは限らないよ。Yonahってもとは日本の船でしょう、返すとなればまた博多に戻るのかも。あっその線もあるか、忘れてた。漁火ちゃんは一度帰りたい? はい、とりあえずスタジオの人らに挨拶して、そのあとちぬんにも会おうかなって。私とイリチは東京に用があるけど、あなたはそうでもないからね。だね、帰ったらに確認しとこう。考えるのはそのあとでいい? はい、もちろんっす。

 しかし、と言いながらはかるんはコーヒーをひとくち。あなたも随分打ち解けたね、あの船員と。なに、? 喫煙所で駄弁ってたら仲良くなっただけだって。とねえさんはハーフパイントのビールをぐいっと。もう憶えてないでしょう、一月いちがつ頃はやたらと殺気立ってたよ、あの船員相手に。殺気ってなんだよ、そんなピリピリしてた。ええ。なんだか警戒心丸出しで話してた、はたから見てもね。う……それはあれ、あれだよ、あの時期ぜんぜん詞が書けなくて。と言うねえさんの声がやけに空々しい。それだけが原因? とはかるんはねちっこく訊く。なんだよ、わたしが他のやつと仲良くしてて悪いのかよー。はかるだって最近まいにちゾフィアと一緒にいるじゃん、あれなんなの。なんって、セッションに決まってるでしょう。ジャズのスタンダードるのにつきあってるだけ。ってこれ、あれじゃないすか、やきもちのやきあいじゃないっすか。ふたりともかーわいいー。と思うだけで口には出さず、皿の上のポテトを一本つまむ。

 でも実際さ、とねえさんが頭の後ろで腕を組む。なに。これ全部終わっちゃったら、離ればなれなんだよね……Shamerockとも、シィグゥとも、DefiantともInnuendoとも。寂しい? そりゃ寂しいよ、初めてだったからさ、わたしらよりも必死こいて音楽に取り組んでる人たちと一緒に過ごすのは。だからといって、この興行を一生続けるなんて無理なこと。わかってるよー、でもさ、はかるだって寂しいんじゃないの。なにが? なにって、もちろんヒメのこと。えっ。ヒメのこと、妹みたいに思ってるでしょはかるは。福岡で最初にやったときから気付いてたよ。

 と言われて、はかるんはコーヒーカップから手を離し、椅子に深く腰掛け、大きく胸を反らす。妹みたいに、じゃない。妹だと思ってる。なんだか、笑うとも嘆くともつかない顔。でしょ、アイルランドははかるの父方のルーツでもあるわけだしさ。そうね……だからといって、感傷に浸ってどうなるの。去ることも留まることもできない、しがみつくことはできないけど全く無しでも済まされない、そういうものでしょう、故郷ふるさとって。と言うのを聞いて、やっぱ、はかるんとあたしじゃ違うんだな、あたしは沖縄をそういうふうに思ったことないな、と黙ってしまう。でさ、いいのはかるは。いいのって、なにが。ちゃんとお別れ言わなくて。お別れって……まだロンドン公演の準備も終わってないのに、ずいぶん余裕だね。とか言いつつ、こうして観光きちゃったすけどね。それは今日だけだから……今までもやっとくべきだったよなー観光、トニー・アイオミが指切り落とした板金工場とか見たかったー。あるの……? さあ、でも訊いたら案内してくれたんじゃん? 英国ってどんなエグい史跡でも観光地にするイメージあるから。あはは、じゃ、このあとタワーブリッジまで行ったら戻るすか。だね。では道中、はかるくんはヒメへの惜別おわかれことばでも案文していたまえ……いい加減怒るよ。ふふっ、ダブリンのときみたいにならないようにしなきゃっすね。え……? 私、ヒメに対しても何かやらかしたの。漁火ちゃんトイレどこ? 向こう突き当たりっす。あっちょっと、待ちなさい、いい加減教えなさいって。




 ってわけで期待しててよションウィ! と端末の前で破顔するハンに、ええ、最後にチャンスが回ってきたね。と画面上で微笑するションウィン。頑張りなさいよ、もし本当に優勝できたら……結婚してあげるからね。え!? 本当!? 本当って、はじめからそういう約束だったでしょ。いやそうだけどさあ、このツアー始まってからずっと叱られ通しだったから……それは途中までの話でしょ。あなたたちシィグゥは、もうどこに出しても恥ずかしくない音楽ユニットに成長した、と思う。留保を置かれ、思うってションウィン……とつい苦笑が漏れてしまう。あたしは音楽に関して素人なんだからしょうがないでしょ。でも、周りを見渡してみなさい。あなたたちの音楽を支持してくれる人間はここまで増えた。なら、間違ってなかったってことでしょ? と私に視線を向けて笑う。間違ってなかった、か。「素人の音楽」、シィグゥ立ち上げ当初からのコンセプト。いろいろな屈曲があった、けど。そうだね、間違ってなかった。じゃあションウィ、ほんとに約束だかんね! ええ、あたしに自慢させてごらんなさい。まだ出版社の誰にも言ってないんだからね、あなたとのことは。おう、あたしら絶対勝つよ! ハンの意気を眺めてご満悦なションウィン、がこちらに視線を移す、ので、目を合わせて頷く。じゃあションウィン、三日後をお楽しみに。ええ。承知しないよ、あたしのハンに恥をかかせたら。わかってるから……いつもの苦笑いを浮かべると、ションウィンも馴染みの悪戯顔で応えるのだった。それじゃあね。じゃあ。愛してるよションウィー!


 ふう。あと三日、か。さすがにもう新曲こしらえたってしょうがない。残されたわずかな期間で最後の練習、それくらいしか。じゃあヤスミン、あたし行くから。あっ、うん。そうだ、ハンはこれから二時間くらい打ち合わせ。「DigDisディグディス」の、だよね。うん。イネスが言っていた通り、五組それぞれの幕間にコラボレーションの時間が割かれ、ハン教授キョウジュはχορός以前に「DigDis」の名義で発表したミックステープの楽曲を披露することになった。他にもはかるとゾフィアのデュオ、イネスの原案にウェンダが衣装と舞台演出をつけた「Black Celebration」、そしてもうひとつあるって言ってたけど。でもみんなすごいな、たった一週間でここまで用意できちゃうなんて。やっぱり普段から自分の創作を続けてきたからこそ。私には無いな、誰かと共同で分かちあえるようなゆとりは……じゃあヤスミン、すぐ戻ってくるから。あ、うん。


 仕方ない、すべきことをしなきゃ。当日のステージセットの確認しとこう、リハで怯える羽目にならないように。しかし、ウェンブリー・アリーナ……あんなに広い会場で私たち二人がパフォーマンスするって考えただけで……どうしようステージに立って全部飛んじゃったら、振付も歌詞も……あ、着信。ションウィンだ、何か伝え忘れかな。でもさっきはハンの端末だったのに……などと思いながら受話ボタンを押す。あ、ビデオじゃなくてただの通話だ。はいもしもし。ん、今そのへんにハンいない? え、さっき打ち合わせに行ったよ……ほんとにいないでしょうね、半径一キロメートル以内には? いや、さすがにそこまではわかんないよ……でも一時間は帰らないはず。と言うと、耳元から呼気が聞こえる。よし、じゃあいいね。はあ。さっき、ハンと一緒にいた状態では話せなかったことを、今から言うから。えっ、なに。唐突な緊張に生唾を飲み込んでしまう。あのね。うん。さっきはああ言ったけどね、もともと決めてるの。絶対にハンと結婚する、って。えっ。ふふっ、とせせら笑うようなションウィンの声。でもこれはいつもと違う、私を一方的に笑いのめす時のそれとは。誰を笑っているのだろう。自分自身を、か。優勝どうこうですらもうなくて、今回のχορόςでどんどん変わっていくハンを見てたらね。うん。隔週ごとに届けられる世界各地でのステージを観てたら……もう、決心がついた。この人こそあたしが添い遂げるべき相手だ、って。冷静を装いながらも、抑えられた熱がほのかに伝わってくる。そうなん、だ。ありがとうね。えっ。ハンがここまでまばゆくなったのも、あんたがそばにいてくれたおかげ。あたしは音楽の仕事は何もできないから……いやそんなことないよ、私もハンに教えられてばっかだったし。でも、ハンには音楽を突き詰める旅路の連れ合いが必要だった。きっと分け与えたんだと思うよ。あんたもハンに、多くのことを。

 分け与えた……そうかなあ。何そのだらしない返事、あたしが言うんだから自信持ちなさいよ。いやあ、でも……うん、そうなのかな。そ、う、なの。でね、あたしたちが式を挙げるときは、あんたにベストウーマンの役を頼みたいと思って。とこちらの気遅れをよそにションウィンが続けるので、えっと、その前にひとついい。と問いを置かざるを得なくなる。なに。韓国って、まだ同性婚の法整備がされてないよね……海外で式を挙げる、ってこと? ぷふっ、そんなことはどうでもいいのよ。あ、これはいつも通りの意地悪な笑みだ。まさかあんた、あたしたちがあんな旧態依然とした役所に認めてもらって結婚ーなんて七面倒くさいこと考えてると思う? 違うの? 違うよ、さしあたってはね。いつかこの国でも同性婚が可能になったら、そういう手続きは踏むでしょうけど。でも今は関係ない。アホみたいなプランニング会社に金払ったりエセ教会でライスシャワー浴びたりエセ牧師の胡散臭い祝福受けたりとか、そんなの言語道断でしょ、聖書だったらあたしらのほうがよっぽど読み込んでるっての。ははっ、そうかもしれないけど。じゃあ、公式に婚姻を結ぶわけじゃないんだね……? そう、それよりもっと別のこと。みんなに見せつけるの。勝手に結婚してやるのよ、誰でもウェルカムなパーティー開いてね。そうすればみんなわかるでしょ、好きな人と結ばれる社会のほうが絶対いい、って。

 そう、か。そうよ。強いなあションウィ。なに……ていうかあんたがその呼び方やめなさい。ふふっ、わかったよ。ハンにはまだ秘密にしとくから。ええ。これであんたもやる気になったでしょ。ははっ、それ、本人に直接言っちゃだめでしょ。あんたは単純だからいいの。もう……単純、か。確かにそうかも。じゃあ、本気も本気で頑張りなさいよ。わかってるよションウィン。君こそ忘れないでよ、シィグゥはもう二人だけじゃない。ここからは三人で闘うんだ。




 JFK

 と大書された紙をイネスが自慢げに掲げるので、えっと……なんの略。と問う。イネスは紙を裏返し、下部の余白に何か書き込んでいる。「Just For funK」! 誇らしげに読み上げる顔を前にしてミッシーもあたしも苦笑する。「funK」ってなんだよ。いいじゃん、アメリカとアイルランドの折衷って意味では、なかなかのネーミングだと思うよ? え。ああ、そういう……いや、ちょっと待てよ。じゃあそれロナルド・レーガンでもいいんじゃ……とあたしが漏らすと、ちょっとちょっとお、それはイヤじゃん、レーガンイヤじゃんー。とイネスが右手を押し付けて遮る。

 まあユニット名はそれでいいが、曲はどうするんだ? 簡単だよ、ミッシーとあれが選んだ定番のブレイクビーツに乗せる。シーラがメロディ担当のボーカルで、あれがラップ担当で、ソーニャがサックスで、ミッシーがDJやりつつMC。そんだけ! おおざっぱな……でもブレイクビーツってそういうことだし。リリックは今までやってきたフリースタイルのでいいよね? もちろん、時間さえ超えなければいくらでもトップオブザヘッドやっていい。もちろんソーニャのソロパートもね。ていうか今日ゾフィアは。はかると練習中。忙しいな、もう二日ふつかしかないってのに……とりあえず、どのネタをどれくらいのBPMでやるか決めよ。おう、一応っとくぞ、ソーニャにも渡せるように。もちろん、じゃターンテーブルこっちあるから。




 お待たせ。制作ブースのドアを開けると、DAW画面上には各種パラメータが整然と映し出されていた。おうはかる、ちょうどミックス終わったとこだよ。と言いながらが目配せし、とりあえず頭から聴いてみましょ。とイリチが引き受ける。ええ、お願い。


 ……これは……どう。いえ、この曲、私は初めにキーボード録ったきりだけど……ここまでのものになるとは。と言葉を詰まらせると、でしょ。とイリチが笑う。完全にネクストレベルに行ったんじゃないかな、作曲でもラップでも……まず、これだけ長大なギターイントロがある時点で実験だもんなー、Eric B. & Rakim の『Put Your Hands Together』のギター版みたいな。ああ確かに、その感じね……最初はリフしかなかったはずだけど、このイントロはイリチが付け加えたの。と訊くと、そうすよ、もっとゴージャスにしたいーと思って。Emイーマイナーの開放弦を活かしたフレージングすけど、単なる短調だけじゃなくてモードも混ざってて、最後ディミニッシュで半音下のキーに行くんす。と懇切に説明してくれる。そこからメインのリフに繋ぐ、か。すごいよイリチ、これはあなたのお手柄。えへへー、はかるんに作曲褒められるなんて滅多にないすよ。

 じゃあ、と改めてDAW画面を眺める。音源は完成したってことだから、あとはこれを演れるようにしないとね。あと二日かー。正確にはもう午後だから、一日と一〇時間ちょとすね。うわーいよいよって感じだな……今すぐトラックダウンすればマスタリングは間に合うと思うけど。音源出すタイミングどうしよ、前日? それとも開演数時間前? スケジュール的に考えても、出番直前に発表すべきじゃないかな。会場の客たちはいきなり新曲で始まったことに驚いて、配信で見てるファンたちは音源が既に発表されてることに驚く。ん、それが一番いいね。じゃマスタリング終わったらおのみちに段取りしとかなきゃな。というか。なに。肝心の曲名は? この曲はデモの時からワーキングタイトルさえなかったけど。ああ、それね、もう決まったよ……『93』。が勿体ぶって言うと同時に、イリチも微笑する。セルフタイトル、ってこと。おう。なるほどね、それに値する曲になってると思う。でしょー、最後の公演のド頭を新曲で飾るなんて、そんな無茶するのはわたしらくらいだろうし。と笑うの顔に私もつられてしまう。『93』、か。聞き取れただけでまだ読んでないけど、歌詞のテーマは? 簡単だよ、「愛」。また、大きく出たね。シンプルだからこそ一番深いテーマだろお。わたしに、いや、わたしたちに起こった「愛」のすべてを込めた。言いながらノートを渡す。 “We live, live, live with love. We kill, kill, kill with love. We feed, feed, feed on love…” ふふっ、こんなフックをウェンブリーで合唱するなんて。最初のワンコーラスでこのフックだけでも憶えてほしいなー、そこが勝負の分かれ目だと思う。あたし、いまだにウェンブリーでる実感ないすよ。だよねー、きゅう万人だっけ? フルのときは一五じゅうご万人って聞いたけど。じゅうご……おええ。ふふっ、そこに集まった全員がまだ知らない曲で勝負する。わたしら以外だれも知らない曲でね。それってなんかすごい不思議……ってあれ、前にもこういう話したよね。そう? わたしの部屋で『好きなように唄いやがれ』作ったとき。そうそう、きゅうぞうさんが言ってたやつ。ああ、あの時……ほんと不思議だなー、あれからまだ一年も経ってないのにさ、まさかウェンブリーでなんて。ほんと、奇縁としか言いようがない……じゃあさ、あとはもう楽しもうよ。全部が絡まりあってここまで来たんだ。生まれも育ちも国籍も違う人らを相手に、それでも伝えてやる、持ってってやるって、喧嘩腰で楽しむしかない。そうだね。っすね。じゃあ、トラックダウンしましょうか。あちょっと待って、ボーカルのオートメーションで気になるとこが。あたしも、イントロのリバーブちょっといじりたいっす。ええ……?




 それがお前の選んだ相手か。と、初対面でいきなり指示語で呼ばれたことに憤る気にもなれなかった。目の前の、背は低くても雅量と冷徹を兼ね備えた雰囲気の老嬢を前にして、私自身も少なからず気遅れしていたからかもしれない。前々から話は聞いていたけど、こうして対面するのは初めて。エファ・エプスタイン、ウェンダのお婆様。

 はい、彼女が私の「王」です。と毅然として返すウェンダの横顔を茫と眺める。「王」、ね。お前が決めた相手なら、もう婆が言うことは何もない。見せておくれよ、ウェンダ。仕立屋としての半生をかけてあつらえた作品、それそのものによってお前自身が超えられるさまを。晦渋な言い回しに戸惑う私をよそに、ウェンダは黙して頷く。はい、まさにそのことだけを考えて生きてきました。今日がその日です、彼女が──私の双眸そうぼうを覗き込むウェンダ。彼女こそが、私が造った、そして私を壊すに値する、最高傑作です。わからない、なんだろうこの祖母と孫娘の問答は。関係節の使い方が複雑すぎる。動揺をおもてに出さないように努めていると、エファは背中を向け、ステージ袖の関係者控室へと戻っていった。

 ウェンダ。なんだい。あなた、「私を壊すに値する」とか言っていたけど……言ったよ。わかるだろうリズ、真の藝術家は、自らが生み出したものによって圧倒されなくてはならない。まさかあなた、この公演のあと死ぬ気じゃないでしょうね……馬鹿を言うな、そんな三文芝居に興ずるものか。単にこういうことだ、リズ。このウェンブリーで、Innuendoは死に、そして生まれ変わる。私も君も、どちらもね。それって……ふふっ、今までずっと起こってきたことじゃない。エディンバラでもマンチェスターでも、いったい何度殺されてきたか……ふっ、そういうことだ。ではリズ、今回も相変わらず始めよう。私と君どちらも、途中で弱音を吐いたら地獄落ちだぞ。地獄なら何度も落ちたわよ、そしてそのたび揚がっていった。私たちにはもう上も下もないわ。では、その円形の地獄めぐりをこそ。ええ、見せつけるとしましょう。


“Let us go then, you and I, When the evening is spread out against the sky.

Like a patient etherized upon a table;

Let us go and make our visit.”




 大したことなんだよ、世界にこれだけ多くのものが存在するってことは。ってあなたは言ったけどさ、。さすがにここまでは考えてなかったよな、一〇万人以上の前で唄うだなんて。もはや超現実的、と言えたらいいんだけど、不思議に肉体の感覚は去っていなかった。だってこのアリーナに集まったのは、ただ音楽を愛するだけの人間、わたしと同じように。そいつらがわざわざ出掛けて、これだけの数が集まった。見たいものや目的は違ったとしても、ただ音楽のためだけに──うん、。本当にすごいことだよ、これは。

 幸か不幸か、この世界では通じることになってる、わたしらの母国語が。最初の予選でANDYOURSONGとやったときとは違って、今や英語で話さなくても大抵の人には通じる。それってすごく気持ち悪いけど、でも使うしかない。生まれ持ったものを使うしかないんだ。英語圏の人もこんな感じなのかな、世界中のほとんどで母国語が通じてしまう気持ち悪さ、みたいな。ははっ、じゃあロンドン。今回はわたしたちからやらせてもらうぞ。


 今、今ここに集まってるやつら全員が、何を、誰を、何処を、どういうふうに愛してるか──そんなことはどうでもいい。みんなそれぞれ持ってるんだろう、愛すべき人を、物を、祖国を。まず、ひとつだけ言わせてくれ。その愛はお前を救いもするし、壊しもする。愛は一筋縄じゃいかない。お前はその愛で誰かを救い、自身救われもするだろう。しかし同時に壊し、壊されもするだろう。人への、物への、祖国への、盲目の愛によって。今じゃそこらじゅうに溢れてる、手前勝手にのたうちまわり、喘ぐだけの愛が。

 だからって、わたしは愛することをやめろなんて言わない。

 逆だ。愛で、愛で闘え。

 愛のために、ではなく、愛で闘え。お前自身を救い、壊しもする、その愛で闘え。もっと良い愛、次に来る人々への愛で。勝ち負けなんてそんなもん、後に来るやつらが勝手に決めんだよ。前に打ち倒されたやつらの武器を、後に来たやつらが新たに鍛え直して、今のとこ優勢であるやつらを打ち倒す。そうして打ち倒されたやつらの武器がまた他のやつらに拾われて……っていうのが、永遠に続く。人類が滅びない限り、どの土地でも、どの島でも、どの国でも、どの時空でも。勝ったり負けたり勝ち直したりがずーっと続く。

 なんの問題がある?

 なんの問題もねえな。

 Wassup Wembley? わたしたちは今夜、愛を教えにきた。言語とか人種とか世代とか、そんなのは全部どうでもいい。愛が闘う場所に上がる覚悟があるのなら、全員まとめて面倒見てやる。愛する人がいる? 愛する物がある? 愛する国がある? ならオーケー、リングに上がりな。でも、これだけは言わせてもらう。お前らが何をどういう風に愛していようと、わたしらの愛が一番強い。それは音楽、だけじゃない、この世界を埋め尽くす全ての音への愛だ。

 わたしらの名は『93』。愛と音楽でりにきた。




 それではあー、もう発表するしかないわねえー。メキシコから始まってロンドンに到った今回のχορός、優勝の栄冠に輝くのは──

 ドゥさんの煽りに続いて、アリーナの大画面に五組の名前が表示される。その右横には得票数が示されたバーが。Innuendoを筆頭として勢いよく伸びゆく数値、が、最終的に示したのは。

 なーんとお! 最後の最後で大逆転! 紳士淑女の皆さぁん、あんたがたが選んだのは、レペゼンジャパン、93の三人よお!

 穹窿きゅうりゅうに大歓声が反響する。アリーナからの拍手喝采、を前にしても呆然とするばかりで。かたわらの両眼を見つめても、やはり空惚そらとぼけていて。やったっすよねえさんーはかるんー! と飛び込んできたイリチの腕を首元に受けて、初めて実感らしいものが追いついてきた。あはは、泣くなよ漁火ちゃんー、だってえ、思わなかったじゃないすかあ、本当にいけるなんてえ……いきなりねえさんが長ったらしい演説はじめたからもうだめかもってえ……なんそれ、あれが効いたんだよねえはかる。と笑う、の頭越しに、微笑とともに拍手しているヒメの姿が見えた。背を反らすと、教授キョウジュも、ハンも、ヤスミンも、イネスも、ゾフィアも。まだ呆気にとられているこちらへ、静かな喝采を向けてくれていた。

 それでは、93の三人、こちらへー! と促され、アリーナ中央の花道に照明が灯る。えっ、と気遅れする私たちの背中を、ほら行ってきな、とハンが、しっかりやれよ、とヒメが押してくれる。ああ、うん、ありがと。駆け足で向かうに私とイリチも続く。バーミンガムでまさかの展開があったわけだけど、それにしたってこんな結末になるなんて、あなたたち自身も想像してなかったんじゃないかしら? とドゥさんがマイクを向けると、あはっ、ほんとそうです。新曲で始めるってのも、勝負ってよりはむしろ破れかぶれだったんですけど……でも、これだけ多くの人らに届いたんだなって、そのことが本当に嬉しいです。ありがとうロンドン、愛してるよ! が叫ぶと同時に、ふたたび歓声の波濤がアリーナを打った。

 さて優勝したからにはあー、Dyslexiconがお望みのことをなんでも叶えちゃうわけだけどお、どうするう、なにお願いしちゃう? と再びマイクが向けられる。えっ、そんなのあったんですか? とが漏らすと、ぶっはは、知らずにやってたのお。とドゥさんが大笑いを添える。えっと、お望みのこと、ですか。いきなり言われても……ええと、そうだな。はい、思いつきました。なんでもいいんですよね? ええ、文字通りなんでもよお。ただ、Dyslexiconの財力をナメるようなこと言ったら全部ナシねえ。あはは、いや、大丈夫だと思います。さあ、93の望むことはなにぃ? あの、なんか、帰って、城みたいなの造りたいです! と言うの目の前で噴き出してしまう。えっなにはかるー? だって、そんな頭の悪い願いごと……いいじゃん叶えてもらえるんならー。たしか漁火ちゃん東京にスタジオ持ってたよね。そこを改造するのでも増築するのでもいいけど、とにかく最高の機材と環境を備えた城みたいなの欲しいです! オッケー、じゃあそれ叶えちゃおうじゃなあい。今後もχορόςの公式サイトで続報を伝えるから、みんな目を離さないようにねえ。それでは改めて、今回の優勝者にでっかい拍手をー! スタジアムに歓声と喝采が満ち、その中央で私たち三人は抱き合った。遥か遠くの土地に来て、それでも、こんなにも近くに感じられるなんて、思いもしなかった。




 まったく、あんな勝たれ方をするなんて。もちろんイネスが言った通り、あんなのはただの一発勝負。実力よりも運とタイミングがものを言う、そういう鉄火場。しかし前回の優勝者がクロージングセレモニーの挨拶なんて、ほとんど辱めでは。でもいい、どうでもいい。形式的なことは形式的に終えるしかないのだから。これもまた女王陛下の務め、不本意ながらね。

 さあ、最後だよリズ。ウェンダに背中を押される。黙して頷き、スポットライトが照らす通路を遠望し、ステージ中央に歩み出る。マイクが備え付けられた壇上に立ち、正面を見据える。客席の照明も青系統のものに変わっていた。マイクの位置を調整し、懐から封筒を取り出す。あとはウェンダの用意した原稿をその通りに読み上げる、たったそれだけよ。頑張りなさいエリザベス、って、あれ。


 白紙なんだよなあれ。えっ。そうそう、さっきウェンダから相談あってね、「リズにとって最もふさわしい閉会スピーチとはどんなものだろう」って。えー、あいつがわざわざ相談。ヒメが「そんなの即興でいいだろ」って言ったら、ウェンダちょっとびっくりしたみたいだったけど、すぐに同意して。用意した原稿読ませるってていで送り出して、壇上で白紙だって気づかせるようにした。なんそれ、タチ悪いなあヒメ。いいだろ、あいつ今まで計算され尽くしたことばかりやってきたんだ、最後くらい即興させてやろう。はは……大丈夫かなあエリザベス。


 なんてことを……ウェンダ、最後の最後に一杯喰わせたわね。本当に信用の置けない……ステージ袖に控えている姿を凝視するが、背中を向けたきり微動だにしない。お前の言葉で語れ、ということか。はあっ、と溜息ひとつ。仕方がない、やってやるわ。


 今回のχορόςを閉じるにあたって……まず、五組の参加者全員に敬愛の情を表明します。すべての公演を追ってくれたファンには説明の要もないことだけれど、私は様々な面で彼女らと競い、衝突し、助け合ってきました。このχορόςは、ひとりではできないことを学び取るにおいて最良の環境であったと、今になって実感しています。

 本当に……色々なことがありました。私の一身に限っても、あまりにも多くの浮き沈みがあった。ご存知の通り、隠していた半生や本名まで晒されてしまってね……それも信じていたパートナーの手によって。しかし、それもまた必要な迂路だった。ウェンダ・ウォーターズ、彼女が私にしてくれたすべては、人と人との関わり合いから藝術論に至るまで、あまりにも多くのことを再考するきっかけを与えてくれました。他の誰にもまさる感謝の念を、まず彼女に贈ります。

 そして。

 今、このウェンブリー・アリーナに集まっている皆様に、伝えたいことがあります。

 本当におかしなことに、現在この世の中は、匿名であればいくらでも尊大になれるという、奇妙な原理に則って動いています。隠れた場所からいくらでも誹謗を投げつける、その権利が誰に対しても保障されている。もちろん、それを一概に悪いとは申しません。その振る舞いが如何に卑劣なものでも、言論の自由の一形態ではあるのでしょうから。でも、それでも、私は皆様に申し上げたい。

 当事者になることを恐れないでください。

 ステージの上では、誰もが当事者です。音楽は、我慢のならない物事に対する異議申し立てとして、最良の手段です。その代償として、いつ如何なる時でもステージで殺されかねない危険性を、誰もが負っています。偉大なるキース・ムーンは、ブルズアイの模様がプリントされたシャツを着てステージに上がっていた。しかし、不幸にも斃れたヒップホップアーティストの数の多さを偲ぶにつけ、もはやそのような態度も殊更の意味を持ちません。あの人々は自らの行いに、振る舞いに、創作に、一度も言い訳などしなかった。ただ文句がある、変えたい何かがある。だからこそ自らの仕事を続けていたのです。政治家のようなしかめっつらではなく、堂々たる破顔とともに。

 だからこそ、もう一度言います。

 当事者になることを恐れないでください。あなたの心身を匿名のままに束縛する、その奢りと怯えとを同時にもたらす悪癖に、決して屈服しないでください。この世界は問題に満ち満ちています、これからもそうでしょう。だからといって、何もしなくていいことになるでしょうか。何も感じられないならどれほど良いことでしょう。何も聞こえない、何も見えない、浮世の憂さとは無関係なところで憩えるとしたら、どれほど良いことでしょうね。しかし、それは不可能です。我々は誰かの手によって分娩されてしまった。感官を備えて生まれてきてしまった以上、もう逃げることはできません。何が言えるでしょう。何が書けるでしょう。どのようなことを、どのような新しさあるいは古さで、唄いあげることができるでしょうか。わかりません、すべてあなた次第です。あなた自身が、自らの試行と鍛錬の結果として考えるべき事柄です。Innuendoも、Defiantも、シィグゥもShamerockも93も、誰一人としてその務めを怠けたことなどありませんでした。さあ、皆様。私たちに出来てあなたがたに出来ない理由などあるでしょうか。ありません。もちろん一つの道だけがあるのではありません。無限の表現があり、無限の組み合わせがあるでしょう。皆様はそれを選び取らなくてはなりません。見通しのつかない回り道を経ることにもなります、それも私たち全員が経験済みです。その果てに、それでも自分の仕事を続けることができたなら、いつしか私たちは巡り逢うでしょう。似たような傷を、別のしかたで癒したあなたの姿を見て。私たちと闘うことになるでしょう、ともに闘うことにもなるでしょう。その日が来るまで、しばしのお別れです。私の名はダイアナ・パトリシア・ドロワ。であると同時に、エリザベス・エリオット。どちらの名でも、あるいはどちらでもない三人目として出逢うことになろうとも、ひとかけらの容赦もない敵対と友愛の眼差しであなたに相対することを誓います。あなたがたの輝ける日々にすべての藝術の祝福を。ショーは続かなくてはなりません。またお会いしましょう! ありがとうございました!


 おー、やりきった。すごい拍手、さすがだねえ。ちょっとヤスミン……ごめん、だってえ、あんなの聞かされたらあ。ははっ、そうだね。当事者になること、か。当事者として、この場に立ち会えてよかったな。じゃ、そろそろ……あれ、なに、まだいるけど。なにしてんだろ。拍手が止むの待ってるんじゃないか?


 ……とはいえ、今回、このエリザベス・エリオットがポッと出の東洋人に勝ちを盗まれてしまったとは、まことに遺憾です。いつの日か復讐すると誓います! 次回のχορόςでケリをつけましょう。次回もありますよね! きっとあるはずです! Innuendoのファンを名乗る者たち、それまで英国われわれの一挙一動に注目するように! 英国われわれは各員が義務を尽くすことを期待するわ! RULE BRITANNIA!!


 ぶっははははは、最後の最後に! RULE BRITANNIA!! って、おー大合唱起こってるぞ。あははは、宣戦布告じゃん。いやあ、こう真正面から言われると怖いなー。ふふっ、演説で持っていったのに、演説で持ってかれたな。ちくしょーそう考えるとなんか悔しい……いいすよ、こっちもやってやるっすよ。次回、か。うん。ふふっ。次回、ね。




 まだー? ちょっと待って、これのどっちか……もう何でもいいから始めなさいよ。いや重要じゃん、乾杯の音頭だよお? と言いながら、DJブースで選曲を決めあぐねるミッシーとハン。すでに大広間にはYonahの全員がグラスを片手に立っている。あーオッケー、じゃあ流します! 針が落とされ、インナー・ライフ版の『Ain't No Mountain High Enough』が流れる。と同時にとイネスが絶叫する。なんでこの曲……とエリザベスはいぶかり、ほら、最初でみんなで踊ったときの。とゾフィアが応える。知らないわよそんなの。そういやInnuendoはいなかったな、じゃあ今日がその夜だよ。はい、じゃよろしく。おっし、それじゃあ五ヶ月間みんなお疲れさまでしたー! 今回の旅の無事と興業の終了を祝して、かんぱーい!


 向こう側ではウェンダがおのみちを労い、エリザベスがイネスと語らっている。はかるとゾフィアが親しげに話し、ミッシーとイリチが音源制作についてテクニカルタームを交換している。シィグゥのふたりはビデオ通話で宴の模様を映しながら歩いている。ああ、これで本当に終わりか。皿にサラダを盛ってドレッシングをかけていると、おつかれヒメ。とが隣る。ああ、おつかれ。瓶とグラスがぶつかる音。まあ、誰に勝たれようと、どうでもよかったけどな。と前置きなしに言い訳めいたことを放ると、はは、ほんと誰が勝ってもおかしくなかったよ。とが引き取る。ダブリンのときは、ほんと、世話になったな。世話って、ただ作戦の提案しただけだよ。だが、がいなかったらあの状況は動かなかった。母もあれできっと目が醒めたろうし……ヒメ、あれからお母さんには会ってないの。ああ。お父さんにも? いつか会わないと、とは思ってるんだけどな。そっか、まあ、はかるもそうだったよ。えっ。ちょうど福岡でShamerockとやったあとさ、気持ちの整理つけるためにお母さんの墓参り行くって。え……はかるの母親って、もう。あ……ごめ、これ内緒にしといて、あいつ自分のこと明かしたがらないタイプだからさ。ああ、もちろん、それはいいが。

 でさ、ヒメ。瓶をぐいっと呷ったあとでこちらを見る。なんだ。これ、まだはかると漁火ちゃんにしか言ってないんだけど……しばらく日本で過ごす気ない? 日本で……って、何の用でだよ? もちろん、今までと同じように音楽。終わってからドゥさんと話したんだけどさ、今回これだけの成功を納めたからには凱旋の来日公演いけるっていうんだよ。まだ詳細なスケジュールは出てないけど、今年の夏にもう一度同じメンツでやれるかもって。それもまた、急な話だな……みんなのスケジュールが合いさえすれば、だけどさ。そのあいだ滞在できる場所もこっちで用意するから。例の城、か。そうだよお、みんなで暮らしながら音楽やれる環境。そこでまた過ごせたら、はかるもすごく喜ぶと思うんだ……ヒメがよかったらだけど、だめかな?

 グラスの中のものを飲み下し、一息つく。もちろん。えっ。いいに決まってる。ミッシーは今後もリリース予定が詰まってるからわからないが、あたしは大丈夫だろう。お招きに預かり光栄だよ、。とグラスを上げると、ありがとー! とも笑顔で瓶を添える。


 リズ。なに? 電話だ、君のお父上から。げっ……なに、出なくていいわよそんなの。いや、私のほうからかけたんだ。なに余計なことしてるの!! ええ、はい、代わりますね。さあリズ。ちょっと……おーおつかれ、開演から観てたぞー、残念だったなー僅差で。そんな慰めいいから……最後のスピーチもなかなかだったぞ。閉会式までの短い時間でよく考えたな、まさか前もって用意してたわけじゃないよな? してたわけないでしょ、わざわざ負けたとき用の式辞なんて……でもまあ、よくやったよ。まさか解散しないよな? するわけない。じゃあいいな、結局は次の仕事が救いだよな。頑張れよ、ウェンダにもよろしくな。って、ちょっと待って。なんだ? 父さん……どう思う? 私たちがやってきたこと……すごいと、思う? あーすごいとは思うけど、あんま理解はできないな。えっ。だって、なんであんなエグいことばっか唄うんだ? もっとリアムの『Songbird』みたいにホンワカしたさあ……それ、は、父さんの趣味でしょう。もちろんそうだよ、俺とお前は違うからな。それでいいだろ、俺はお前みたいな音楽は創れない。だから比較するまでもない。それ、は、そうだけど……父さんは娘が親離れしてくれて嬉しいよ。たぶん、母さんも喜んでるんじゃねえか。うん……じゃあな、俺も明日早いんだ。わかった……ありがとう、父さん。母さんも。おう。


 ってことは、この全員で日本公演やれるってことか! Defiantのスケジュール次第なんだけど、どう? もちろんいいよ! やったーまたみんなでできるんだ。ていうか帰りの段取りはどうなってるんだ、Yonahこれ返すんだろ? うん、だからその流れで日本に行きたいなら残ってもいいって。でしょ? ええ、滞在用のビザはDyslexiconが準備するとのことです。おー、じゃ今年の夏はそれでいこうソーニャ! んー……えっなに、なんか不都合? いや日本公演自体は大丈夫だよ、ただ私は一回帰るかも。ロシア? うん、ちょっと用があってね、イネスたちには遅れるかも。そっか、まあ夏までには間に合うだろ。もちろん。あー日本か、初めて行くなー。わたしも東京はあんま慣れてないんだけどねー。まったく、これっきりで縁が切れると思ってたんですが。なにー、ちょっと前まで寂しがってたくせにー。ええ、寂しいですよ今でも。いつか別れなくてはならないのですから。なんだそれ急に悲観ぶって。まあ、延長されたぶんは楽しみましょうかね……なに、も日本に残るの? ええ、例の城まわりの面倒はPeterlooが見ることになったので。じゃあいいじゃん、これからもよろしくなー。ええ、よろしく。


 あはは懐かしー! 確かに、もう遠い昔みたいだ。なに? ほら、最初の顔合わせで撮ったやつ。あ……はは、懐かしー! 列車の床に座って撮ったやつ。オールマンブラザーズのジャケみたいじゃん、いい絵だなー。これが撮ったんだよね、いい仕事したじゃん。ふふっ。どうですか女王陛下これ見て。ふん、別に何もないわよ……これからいろんなことが待ち受けてるとも知らずに……うるさいわね、それは全員同じでしょう。だね、いろんなことがあった。でも、それも全部……全部なに? 恥ずかしいから言わなーい。ぶはは。どうするこの画像、公式HPに載せる? それともプリントしてTシャツにする? いやでも、これはわたしらだけの宝にしたいなー。それわかるすー。だね、とりあえず今夜はこれ肴にして飲もう。もう散々飲んでるでしょう。そうだった。


 宴もたけなわ、ってところか。広間の真ん中で盛り上がるみんなを置いて、正面入口からトイレに向かう。と、あ、マキ。通路の暗がりに立っていた。ふ、ずいぶん飲んだな。と言いながら右頬をさすってくれる。打ち上げなんだからいいでしょ。マキも飲んでる? いや、私は。我慢することないのに、せっかく艦長の役目から解放されたんだし。あんなのは誰でもできることだ……と苦笑する頬に影がさす。それより、シーラ。なに。まだ確定ではないのだが……私も日本に滞在することになる、と思う。えっ。本当!? ああ、Peterlooの仕事ができてしまってな。そういえばドゥの旦那と話してたね。じゃあ、またマキと一緒に過ごせるってこと? の城に滞在することになれば、な。やったー!

 と、あたしの喜色とはあべこべに、なにか重たいものを浮かべているマキ。なにか、あったの。いや、特にはないのだが……逸れていた視線が、ゆっくりとこちらを向く。お前には、言っておかなくてはな。今回、日本に滞在することになった理由。

 なに。

 アーイシャが帰ってくる。


 数秒間の沈黙。

 帰ってくるって、日本に。ああ。彼女も自分の仕事で世界を巡っていたからな。それが一段落ついて、ひとまず東アジアの国に滞在先を探していると。地理的、時間的に適するのはおそらく日本だろうと、グランドマスターから通達があった。てことは、マキと一緒にアーイシャも……黙して頷く。そういうことになるな。そっ、か、それが次のマキの仕事……




 とりあえず、準備はしておけよ。というマキの言葉の意味をはかりかねて、いつのまにかデッキのさきまで歩み出ている。準備、か。彼女、アーイシャとはいちど顔を合わせたきりだけど……ひとまず東アジアまで帰ってきた、なら無事だったってこと。そう願うしかない。エリザベスも演説で言ってたな、「あの人々は自らの行いに、振る舞いに、創作に、一度も言い訳などしなかった」……

 ああ、考えてどうなることでもないのに。しかし夜は涼しいなここ、もう五月も終わるのに。しかしあたしひとりでいると、あのダブリンでの酒宴の賑わいを思い出して無性に寂しく……あ。やあ、アナタもですか。。いや、ただ考え事してたらここに来ちゃって……と遅れて言い訳めくあたしをよそに、は懐から何か取り出す。ツシュッ、と宵闇に火花が瞬く。ああ、タバコか。こいつも吸うんだな、初めて見たけど。あれは何、マキのと同じラクダのやつ……じゃないな、ラッキーストライク。煙をふかすの横顔を眺めながら、それのと同じだな、とふいに訊いてしまう。ええ、のものですよ。えっ。先程、の左ポケットからこれを、右ポケットからこれを、と言いながらタバコの箱とライターを順番に示す。持ってきたのです。だいぶ酔っていたようでしたから気付かれませんでしたね。おい……欲しいなら一本くれとでも言えばよかったろ、ケチケチ拒むようなやつでもないし。と咎めると、後で戻しておけば問題ないでしょう、と言いながらデッキチェアに腰掛ける。ほんとよくわかんないやつだな、と思いながら口の先のもえぐいを見つめていると、依然として視線を地平線の彼方に向けたまま、が言う。

 安らげてしまうのも、考えものですね。こうも静かだと、妙なものが聞こえてきませんか。

 妙なもの。いや……べつに。とだけ小声で返すと、はそうですかとも言わず、タバコを横咥えにして黙っている。なんだろう、何が言いたかったんだろう。独りで過ごしたいから出ていけ、という遠回しの当て付けか。ならいい、あたしは用もないわけだし。じゃ、それ、ちゃんとに返しとけよ。とだけ念を押して、通路入口へと踵を返す。

 どうして、こんなものが……いんでしょうね。も、マキも。

 あたしに言ったのか、それともただの独言ひとりごとか。どちらにしても応えようがない。ただ、左肩だけ傾けて彼方を窺うと、の右掌に落ちた灰が、そのまま左手の指によっていらわれ、そのまま両掌で揉み潰されてゆくのが見えた。妙なものが聞こえてきませんか。ふいに耳元でかざく音が人語のように響き、戦慄わなないて一歩たじろぐ。何を、前にしているわけでもないのに。は突風に吹かれてもじろぎせず、そよぐ煙とくずおれる灰を構いもせず、ただ自らの身体を抱き、ゆっくりと香油を塗り込むように両腕を交差させていた。

 と同じ匂いになりたいのかもしれない。そう思った時には、既に踵を返していた。見てはいけないものを、見てしまった気がして。



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