付録
〔付録〕Howth Castle & Environs(戯曲版)
場所 アイルランド ダブリン湾
人物
χορός
93
Shamerock
シーラ・オサリヴァン
メリッサ・マッコイ
Innuendo
エリザベス・エリオット
グウェンドリン・ウォーターズ
Defiant
イネス・ンデュマ
ゾフィア・クロソウスカ
Peterloo
霧島
ブリジッド・オサリヴァン
アンガス・アポロ
3Rの構成員たち
A-Prime
パンゲア
ジンバブウェ
ゴンドワナ
その他
港湾労働者たち
警察官たち
ファンたち
ダブリン市民たち
第一幕
第一場 ダブリン港
曇天、早朝。
ダブリン港のゲート前に、ブリジッド・オサリヴァン、アンガス・アポロ、そして「
ブリジッド よろしいですこと? 皆様、アイルランドの興廃はこの一戦にございましてよ! あのふしだらな女どもの一群を、誰一人としてこの土地に入れてはなりませんわ!
3R構成員A ええもちろん! この真正なる信仰の土地に、
3R構成員B そうですとも!
アンガス もちろんですとも、高潔にして恭倹なる御婦人がた。外から来る脅威に対しては、かのハドリアヌスのごとく、あとよく知りませんが昔の中国の皇帝のごとく、高く壁を築いて防ぐのが常道です。我が聖パトリック党は皆様の抗議を全面的に支持しますぞ。あの野蛮人どもにわからせてやりましょう、土地には土地の流儀があるということを!
一同、ゲート前でシュプレヒコールを繰り返す。
騒ぎを聞きつけた主任が港内から出てくる。
港主任 なんですかこれは、いったい何の騒ぎですか?
アンガス これはこれは、尊敬に値する労働者よ! 日々の精勤ごくろうさまです、ダブリンは謹直なる皆様の働きによって成り立っておりますぞ。
港主任 それはどうでもいいんですが、すごい人数ですな。こう人垣を作られては、我々も仕事のしようがないのですがね。
ブリジッド 仕事のしようが? 不思議なことをおっしゃいますわ。皆様は今日いちにちお休みですわよ。
港主任 はあ?
3R構成員A お聞き及びでない?
アンガス 今日、正午過ぎになるはずですが、この港に一隻の船が訪れます。その船はなんとも胡乱な興行でアイルランドから木戸銭を巻き上げるのみならず、許し難い犯罪者どもがその舵を取っているのです!
3R構成員A そう! 私たち、尻尾は掴んでおりましてよ!
港主任 その船を拒むために、我々に協力しろと?
アンガス 率直に申し上げればそうなります、尊敬に値する労働者よ。
港主任 できん相談ですな、たかだか一隻の船のために港を封鎖しろなどと。だいたいなんですかその動機は、許しがたい犯罪がどうとか……
3R構成員B 確固たる証拠があるのです!
3R構成員A ええ、同志、あれを!
ブリジッド ええ、同志! 包み隠さず申し上げますわ、これから到来するYonahという船は、人殺しです、人殺しを乗せた船なのです!
港主任 はあ?
アンガス あの船を使って胡乱な商売を行っている、正確にはその後援をしているPeterlooというNGOがあります。そこに属する二名が艦長として任命されているのですが、人殺しです! かつて、PKOに従事してアフリカの地で虐殺を行った者たちなのです!
港主任 頭痛がひどくなってきましたな。いいですか皆さん、NGOだかPKOだか知りませんが、そんな出鱈目ばかり並べられると、苛立ちのあまり目の前の一人一人をTKOしたくなる衝動が抑えられませんな。
3R構成員A まあ、なんと暴力的な物言い!
3R構成員B 我々は平和的に交渉しておりますのに!
港主任 わかりましたから、もうお引き取りに……
主任の背後から、突如として喚き声が上がる。
港主任 なんだ、一体? おい君ら、いつも通りの支度はどうした?
港湾労働者A それが、私にもよくわからんのですが……
港湾労働者B 港の封鎖を求めて、ストライキが起こっているようです。
港主任 なんだと? さっきまで何事もなかったろう?
アンガス 天網恢々ですな、すでに事態は世間の知るところとなったのです。
3R構成員A おわかりでしょう、もうあなたひとりの問題ではないのです!
港主任 そのストライキというのは……
港湾労働者A なんだか、ヨナという船を追い払えとか……船ならヨナでなくノアではないのかと、いちおう問い返してはみたのですが。
港湾労働者B まったく要領を得ず……というか、その者たちもなぜ自分がストを起こしているのだか、よくわかっていないようでして……
港主任 (アンガスに向かって)貴様ら、我々の内部者を買収したな?
アンガス なんと! これはこれは、謂れなき誹謗中傷ではありませんかな! このアンガス・アポロ、白鳥もかくやの潔白さをもって今日まで生きてきましたぞ。まさか、我々の主張を通すために敬愛なるご婦人がたの夫たちにストをお願いしたなどと、そんなことが……
港主任 そこまで詳しく言っていないぞ、自分で全部告白したな。(港湾労働者に向かって)おい君ら、ストのやつらをこの厄介者どもに引き合わせて、顔見知りではないのかと……
港内での喚き声が音量を増す。
港主任 なん、なんだ、あっちでもか!
ブリジッド たいへん! これはもう事態の収拾のために我々が出向くほかありませんわ!
3R構成員A ええ、もちろん!
アンガス 尊敬に値する労働者よ、失礼しますぞ!
アンガスに先導され、港内に乱入する3R。
港主任 おい、まて、くそっなんだというんだ、宗教きちがいどもの狂気が、ついにダブリンまるごと呑み込んだか!
第二場 Yonah船内 艦長室
一三時三〇分頃 ダブリン湾。
停泊前、尾道が港内での異変を察知する。
尾道 申し上げます。
マキ 何か異変か。
尾道 はい、ダブリン港にて物資及び電源の供給を受ける予定でしたが、どうやら港が封鎖状態にあるようです。
マキ 封鎖? いつからだ?
尾道 ニュースサイト等を検索してみましたが、どうやら本日早朝に突如としてストライキが……しかもどうやら、限定的に、我々の入港のみを拒絶すべく起こされたらしいのです。
マキ Yonahのみを? わけがわからん、こちらは四ヶ月前に予定を報告済だし、諸々の費用も支払済だぞ。
尾道 それが……申し上げにくいのですが……
マキ なんだ、隠さず言え。
尾道 どうやら、Peterlooの……マキ様と
マキ 我々が一体何をしたと?
尾道 ええと……「
第三場 Yonah船内 一番キャビン デッキ付近の談話室
室内にはDefiantの二名。
入室する93の三名。
九三 イネス、これ一体どうなってんの?
イネス どうって、見ての通りとしか言いようがない。(スマートフォン画面内の中継映像を見せる)
九三 うわ、すげえ数。桟橋まで占拠してるのか。
イリチ めっちゃプラカード立ってるじゃないすかー。
九三 なんて書いてるんだこれ、ちっさくて読めない……
ゾフィア 静止画なら結構上がってるよ、(ニュースサイトの画像を見せる)ほら。
九三 なん…… “MASS MURDERERS on that ship” 。
測 “No Place for the Wicked” , “PURIFY THEM ALL with OUR PURITY” ……なんだか、やたらと宗教的な言い回しね。
イネス どうやら、カトリックの市民団体によるデモらしいんだよね。右派っていうか、聖書原理主義な感じの。
九三 え……? それなんか聞いたことが……
入室するShamerockの二名。
シーラ やっぱりあいつらか……
九三 あっ
メリッサ あれ、だねえ……
シーラ (溜息をつきながら)初めて会ったとき話したな、あたしの母親のこと……「
測 あのとき言ってた……まさか、ここまで大規模な団体だったとは。
シーラ いや、今回の騒ぎは水増しされてる。
九三 なにって?
シーラ あー、ニュースサイトでも略記されてるだろ……「
九三
測 (ニュースサイトの記事を読みながら)なんだか聖パトリック党の公式声明も出てるけど、これも共謀だと?
シーラ (頷きながら)そもそも、
九三 え?
メリッサ 竪琴はアポロンの神具であって、それと同じ姓を冠した男が音楽による表現の自由を全く解していない、という事実を
シーラ (遮って)解説やめろ、恥ずかしい。まあそういうことだ、前々から言論とか音楽とか出版物への道徳的規制を推し進めてたが、まさかこうして真っ向からぶつかるとは……
イリチ でもこの人たちの言い分わけわかんないすよ、スキャンダルとかなんとか……Peterlooていう、うちの艦長さんと副艦長さんの所属組織? がディスられてるんすか?
メリッサ だし、
測 えっ……
シーラ (頷いて)ゴールウェイから家出して、ミッシーの家族の世話になったときな。居場所のない子どもの権利を保護するNGOがあると知って。
メリッサ だから
九三 そっか……じゃあ今回
シーラ あたしの家出と関係ない、とは言えないな……
第四場 ダブリン港 周辺
ブリジッド 皆さん、あれです、ついに現れました!
3R構成員A あれがあの船!
ブリジッド あれがあの船です!
3R構成員B あれがあの船!
ブリジッド あれがあの船ですね! まったく、図体ばかりばかでかくて、まるで戦艦のようではありませんか! もしかしたら、我々の国を火の海にするつもりかもしれません! いえもしかしたらではないのです、本当に焼き尽くすつもりなのです、淫靡なる劫火でもって!
3R構成員A 比喩的表現です!
ブリジッド そう、比喩的表現ですよ、本当に火を放つわけではないですけど!
3R構成員B 比喩的表現ですね! しかしむしろそっちのが恐ろしいではありませんか、せっかく独立を勝ち得て、血まみれの英国人の腕から解き放たれ、ついに純潔なるカトリック国家として立ち直った我々が、他所からやってきた罪深き船団によって侵略されてしまう、文化的に!
ブリジッド そう、文化的に!
アンガス 恐ろしいことです、奴らはそこを狙うのです! うら若き魂に、安っぽい虚飾でもって
3R構成員B 神よお慈悲を!
ブリジッド こんな災厄を呼び寄せてしまった我々にお慈悲を! しかし、
アンガス ええ、ですが我々が実際にやるわけではありません!
ブリジッド それはもちろん!
3R構成員A 復讐するのは神であって、我々ではありませんものね!
ブリジッド そうです、我々はそのことをよく知っています! しかしこの国の運命を神に委ねてばかりもいられません、我々はあくまで、あくまで平和的に、あの罪深き船団を追い払おうではありませんか!
アンガス Amen!
3R構成員A Amen!
3R構成員B Amen!
第五場 Yonah船内 艦長室
艦長室内で聞き取り調査を行う警察。
デスクにマキ、入り口付近の扉に典午。
警察官A それではまあ、訊くも憚られることですが、あの団体が弾劾しているスキャンダルの真偽については……
マキ 応えるも愚かなことだ。真っ赤な嘘だと、いちいち言わねばならんのか。
警察官B いえ、愚にもつかぬ
マキ 私と
警察官A ええ、わかっております。貴重なお時間を頂戴して申し訳ありません。
警察官B 大浦氏におかれましても、
典午 ああ。
警察官A 了解しました、それではこれで……
マキ 待て、港は本当に解放されるのだろうな? この船はサン・ルイスからの長旅を経てここに着いたのだ、物資と電源の供給を受ける必要がある。
警察官A ええと、それに関しては……
警察官B まだ確言が……できかねまして……
マキ 何だと? 君たちは何の仕事をしてるんだ、今すぐ戻って、あの団体の弾劾がでっち上げだと認めさせたうえで散会させる、それだけの話だろう。
警察官A いえ、それが……
警察官B よしんば
マキ ふん、二段構えというわけか……ならばこちらとしてはダブリン港を告訴するまでだ。契約を履行せず、支払済の料金に相当する待遇を拒絶したとしてな。
警察官A ええ、こちらも港の主任に伝えてまいります……ひとまず、このまま停泊したままでお待ちください。
マキ 一刻もはやく事態の収拾に努めてくれ。
警察官B はい、それではこの辺で……
警察官、退室。
典午、後ろ手でドアを閉める。
マキ
典午 ああ。
マキ 抹消された、はずだな。もし我々が取り戻そうと望んだとして、記録自体もう残っていないはずだな……
典午 ああ、そのはずだ。
マキ ならばなぜ、あの団体に……
典午 あの場に居合わせた誰かが吹聴した……以外の可能性は考えられん。
マキ 居合わせた誰か。我々の知る限り、二人しかいないはずだな。我々二人を除いては……
典午 ああ、まず、いま霧島
マキ 彼女、だろ。
典午 それはどちらでもいい。
マキ
無言で頷く典午。
数秒間の沈黙。
マキ ではなぜ、彼女が。
数秒間の沈黙。
マキ 裁くためか、我々を。
典午 まさか……そんなに
マキ では、何のために。
典午 試すためではないだろうか……
マキ
典午
第六場 Yonah船内 一番キャビン デッキ付近の談話室
한나 ああもう、うるせえなー
茉莉 この部屋の中まで聞こえてくるって、相当だね……
メリッサ 停泊許してもらったのも、結果としてはマズかったかもね。あの人ら、誰一人としてダブリンには
シーラ 疫病かあたしらは……
メリッサ ていうか、ドラキュラ伯爵じゃん?
九三 え?
メリッサ ほら、ドラキュラって船に乗ってロンドンまで来たんでしょ?
九三 そうなん、
メリッサ そうだっけ。
シーラ 映画かなんかと間違えてないか?
한나 いやあれだよ、吸血鬼って水ダメでしょ確か。さすがに船には乗らないんじゃないの。
九三 だよね、危ないし。
한나 船酔いもしそうだし。
イリチ 吸血鬼って船酔いするんすかね。
한나 わかんないけど、いつも顔色悪いもんな。
九三 会ったことあるみたいに言うね。
イリチ 友達みたいっす。
한나 実はあたし吸血鬼モノのこと全然知らないんだけどね、ソン・ガンホのやつくらいしか。
九三 ソン・ガンホは顔色悪くないでしょ。
한나 確かに。
イリチ 意外っすね、クリスチャンの人って吸血鬼モノくわしそうなのに。
九三 そうかな。
한나 吸血鬼とキリストって関係あるの?
イリチ わからんすけど、十字架で殺せるじゃないすか。はかるんそのへんどうすか?
測 なぜ私に……会ったことないよ吸血鬼なんか。
イリチ いや、クリスチャンとして。
測 親がそうだっただけで、私は違うから。
メリッサ 敬虔なキリスト教徒だったけど、戦争で色々あって堕落したんじゃないっけ、ドラキュラって。
シーラ それはただの史実だろう。
メリッサ えっ、ドラキュラって史実版と脚色版があるの?
茉莉 三国志みたいな……
九三 八犬伝みたいな。
測 八犬伝は全部創作だから。
한나
九三 さすがアイルランド出身。
メリッサ えっ?
シーラ 関係ないだろう。
九三 でもアイルランド系でしょ『ドラキュラ』の作者って。「怪奇作品のオリジネーターはだいたいゲイかアイリッシュ」って、クライヴ・バーがエッセイで書いてた気がする。
シーラ え……? ミッシー、クライヴ・バーって誰だ。
メリッサ アイアン・メイデンのドラマー。
九三 あ、間違えた、クライヴ・バーカーだ。
測 クライヴ・バーカーはわかるのになんで『ドラキュラ』の作者は思い出せないの。
九三
イリチ アイアン・メイデンってフランケンシュタインの敵すか?
測 違うよ。
イリチ でもどっちも強そうじゃないすか、名前も似てるし。闘ったことありそう。
測 そもそも生き物じゃないから。
九三 いや、フランケンシュタインは生き物だろ。
測 ヴィクター・フランケンシュタインは生き物だけど怪物は生き物じゃないから。
한나 でもアイアン・メイデンのTシャツの生き物いるじゃん。
メリッサ あれはエディだから、アイアン・メイデンじゃないな。
한나 え? じゃあ、アイアン・メイデンの作者って誰?
測 アイアン・メイデンの作者って何。
メリッサ そもそも小説じゃないな。
한나 『フランケンシュタイン』は小説なのに? フランケンシュタインに花嫁がいるならアイアン・メイデンに作者がいてもよくない?
九三 多分あれだよ、夫のほうのシェリー。
한나 夫のほうのシェリーって誰。
九三 いや知らないけど、確かそっちも作家だったろ。
メリッサ あれでしょ、バイロン卿と友達の。
イリチ また名前増えたっす。
九三 バイロン卿ってドラキュラの敵?
測 違うよ。
シーラ ヴァン・ヘルシングと間違えてるだろ。
九三 そうだっけ……なんの話だっけ?
한나 『ドラキュラ』の作者って誰だっけ、って話。
測 違うよ。
Defiantの二名、入室。
イネス お待たせ。結果から言うぞ、ダメだった。
九三 ええ、交渉決裂?
ゾフィア うん、電源と物資の供給さえ受けたらすぐに去るからって譲歩したんだけど、それさえも拒絶されちゃって。
測 拒絶……じゃあ、このままホウスまで行けってこと?
イネス そうなるね……アイルランド公演が終わったら、スコットランドに接岸して、それで船での移動は終わりだから、いけるっちゃいけるんだけど……
한나 いやだめだろ、酒とか食いもんとか足せないし。
九三 タバコも。
測 そもそもツアー開始前に、各地の港に契約や支払は済ませてるんでしょう。
ゾフィア そうだけど、あまりにも団体の抵抗が激しすぎて。
茉莉 (テーブル上のラップトップを操作しながら)わ、うわあ……
한나 どしたん。
茉莉 いま上がった動画ですけど……見てください、これ。
ラップトップを取り囲む九三、イリチ、メリッサ。
九三 うわ、これ……
メリッサ 埠頭、だなあ。ホウスの。
イリチ 人びっちりじゃないすかー!
イネス ああ、もうそっちまで占められてるかあ……
測 っていうことは……
ゾフィア (頷きながら)今回の公演自体が危うい、ってこと。
九三 えー!
イネス 妥協して、ダブリン中止で次のエディンバラまでなんとか漕ぎ着けたら、ってA-Primeは言ってるけど……
九三 いや駄目だろ、だって今もう連合国だろ。ダブリンで公演中止しちゃったら、味をしめてスコットランドでも同じことやられるだろ。
メリッサ こっちはカトリックの影響力がそんなに強くないとはいえ、今日のと同じ人たちが来るのは確実だねえ……
室内、数秒の沈黙。
イネス どうする、シーラ。
メリッサ はは、なんで
イネス
メリッサ 関係ないよ、だって
メリッサの声を遮って起立するシーラ。
シーラ 関係ある。ここまでの事態になったのは、あたしのツケが回ってきたからだ。
メリッサ
シーラ だから妥協なんかしない。徹底抗戦だ。奴らの掲げてるお題目は、あたしが家の中で聞かされた文句と寸分も違っちゃいない。不道徳がどうとか堕落がどうとか。いつだって母はそう言って歌をやめさせてきたんだ。だからもう交渉の余地なんかない。奴らと言葉でわかりあおうなんて段階は、とっくの昔に通り過ぎてるんだ。
測 じゃあ……どうするの?
シーラ 徹底的にぶっ叩いてやめさせる。法的手段でもなんでもいい、非があるのはあいつらなんだからな。あの世迷言を黙らせた上で、こっちの要求を全部飲ませる。いかなる手段をとってもだ。
イネス By any means necessary, かい。
ゾフィア しかしシーラ、そうしたとして、火に油を注ぐ結果にならないかな。
シーラ なんでだ。
ゾフィア お母さんがあれだけムキになってる理由にあなたの存在があるってことは、さっき認めたでしょう。だからこそ、あなたが出向いて強硬的に接したら、もうお互いに
シーラ それが何だ。奴らが望んでるのはそういうことだろ。だったらお望みどおりにやってやる、奴らのナメきった態度に乗ったうえで、正しいのはこっちだってわからせてやる。
室内、数秒の沈黙。
九三 それは、違うんじゃないかな。
シーラ 何。
九三 もし今回のが、
シーラ ふん、お前らしくもないな、たわごと並べる奴らになびくのか。
九三 そうじゃない……そうじゃないんだ。
ゆっくりと起立する九三。
九三 それとは別の意味で……
シーラ 敗けって何だよ、このまま引き退がるほうが敗けだろ。
九三 違う。そうしちゃったら、
シーラ 何……
九三
室内、数秒の沈黙。
シーラ ミッシー、どう思う。
メリッサ ごめんね
シーラ 他のやつらは。
한나 あたしも
茉莉 私も、
シーラ イネス、ゾフィア、どう思う。
イネス
ゾフィア 私も同じく。まあ、宗教原理主義者たちのデモなんて飽きるほど見てきたけど、今回のは明らかに歯止めが効かなくなったパターンだよ。たぶん向こうも、自分たちが何を主張してるかさえ分からなくなってるんじゃないかな。あの人たちの言葉には、脅かされるくらいなら脅かしたほうがいいっていう、よくある怯えが透けて見えるから。
シーラ 怯え……か。93のふたりには……訊くまでもないな。
無言で頷く測。微笑むイリチ。
九三 じゃあ……
シーラ 好きにしろ、あたしはもう一切意見しない。対話で解決できるなら、してみればいい。本当にできるなら、の話だがな。
九三 ありがとう。じゃ、イネス、そういうことでいいね?
イネス おう。じゃ、
尾道、出てこない。
イネス
尾道、室内入口に投射される。
尾道
イネス 艦長に伝えてくれ、交渉はまだ続けると。港に出張ってる
九三 もちろん。
イネス ってことで、伝えたら、お前も昇降口のゲートで待っててくれ。
尾道 はいはい……
イネス 「はい」は一回でいい。あと
尾道 はい?
イネス 女王陛下と闇公爵様の姿が見えないけど、今どこ?
尾道 エリザベスとウェンダ様のことでしたら、前者はあのタコ部屋に、後者は王の御殿に、それぞれ控えておられます。
ゾフィア ウェンダは今回の事態について何も?
尾道 ええ、特に何も。というかアイルランド公演にもさほどご興味がございませんでしたようで、ブリテンでの四公演に漕ぎつけさえすればいい、とのことです。
한나 自分が勝つ前提かい、いけ好かねえなー。
ゾフィア エリザベスは保留、ウェンダは中止でも構わない、ってことね。じゃあ、
尾道、消える。
イネス それじゃ、準備といこうか。こっから骨だぞ
ゾフィア 港はもう、蜂の巣みたいなもんだと思って。
九三 そんくらい、自分で言ったことだよ。はやく行こう、もう
第七場 Yonah船内 艦長室
尾道 というわけで、これより昇降口に参ります。
マキ ああ、くれぐれも暴力沙汰にならないよう。
尾道 了解いたしました。
尾道、消える。
デスクの前に立ち、タバコの箱を取り出し、回頭して窓ガラス越しに空を眺めるマキ。
その後方の扉から四七が入室する。
四七 いやあ、それにしても、いい
第二幕
第一場 ダブリン港 内部
昇降口から四七を伴って降りる九三。
警察の保護のもと先導されるが、脇道に控えた3R構成員からの罵声が飛び交っている。
九三 そいじゃ、気張らずいきますかー。
四七 はい、いってらっしゃいませ。
九三 なんでだよ、お前も行くんだろ。
四七 なぜその必要が? 船内から港までなんて、迷いようがないでしょう。
九三 いや案内役っていうよりは、通訳役だよ。
四七 それはそうですが、通訳であればなおさら要らないと思いますよ。あの人々にも皆、GILAffeは入っているようですから。
九三 えっ。
四七 Defiantのお二人がビデオ電話で交渉しているのを見ておりましたが、始終ずっと日本語でしたよ。
九三 なんそれ、そこまで急速に普及してるのGILAffeって!? まだ解禁から四ヶ月くらいしか経ってないよ?
四七 まあ、一神教徒にとっては永遠のテーマですからね。バベル以前の普遍言語、的な。そりゃあ喰いつくでしょう。
九三 えーじゃあアイルランドの人でも直接日本語で話せるわけか。それって……キ、キモいー! なんか日本が世界征服した設定みたいじゃん。
四七 現実であるからには、受け入れませんと。
九三 うう……わかったよ、それはいいけど、
四七 大丈夫ですか、そんなへっぴり腰で。
九三 いやあ、さすがになんかあったら目撃者が必要だろ、あっちの言い分だけだと歪められちゃいそうだし。
四七 過ぎた心配だと思いますが。
第二場 ダブリン港 内部
背後から、硬直的な批難の声を浴びせる女性たちの声と、なんともやる気のない男性たちの声がかぶさる。
九三 (歩きながら)えっと……
四七 買収されて、適当にやってるのでは。
九三 こんだけの人数買収するって可能か? いくら政党がバックについてるとはいえ。
四七 単に、
九三 そんなに港湾労働者と結婚してるのか
四七 (ドアの前で立ち止まって)ワタシが同行できるのもここまでのようですよ。
港主任
九三 んー、仕方ないか。
港主任 対話の様子は撮影するというので、既にプレス陣も控えております。ので、滅多なことはしないと思いますが……
九三 ん、わかった。じゃあ
四七 はい、ご健闘を。
九三、会議室に入室。
と同時に、夥しい数のカメラによるフラッシュ。そこに被さる甲高い声。
3R構成員A 名乗りなさい!
九三 あー、福岡県から来ました
3R構成員B 皆さん、ついに、ついにです。準備はよろしいですね?
3R一同が目を見合わせて頷く。
プレスの撮影ラッシュが収まり、室内に静けさが戻る。
ブリジッド それでは、
九三 (歩きながら)は、はい。
ブリジッドと九三との、一対一の構図。だが、ブリジッドの後方には二〇人ほどの3R構成員が控えている。
ブリジッド 我々と直接会って話がしたいとのことですが、一体どのような御用向きで?
九三 いえ、シンプルなことです。この港を解放して、うちの船に物資と電源を供給してほしいなって。
3R構成員A それを断るために私たちは立ち上がったんじゃありませんか!
3R構成員B そうです!
ブリジッド (後方を見ながら)皆さん、落ち着いて。あくまで冷静にお話ししましょう。(前方に向き直って)さて
九三 って……なんでですか?
ブリジッド あなたがたが世界中で行っている公演とやらは、我々の道徳と真っ向から対立するものです。
九三 歌とダンスが……? そんなん世界中にあるじゃないですか、もちろんこのアイルランドにも。トラッドとかダンスとか、優れた文化がいっぱいあるでしょ。
3R構成員B 我々の文化と、あなたがたのふしだらな催しを一緒にしないでいただきたい!
3R構成員C 無礼です、いかにも無礼!
ブリジッド (後方を見ながら)皆さん、落ち着いて。(前方に向き直って)ねえ
九三 え……? だってツアーだし……これからスコットランドとイングランドでもやるし……
ブリジッド イングランドで? 結構なことじゃありませんか、あなたがたの凶暴な風習は、血まみれの帝国にはきっと似つかわしいものと思いますわ。だから、はやくあちらに向かっては? もうこの土地に用は無いでしょう?
九三 いやだから、言ったじゃないですか、電源と物資を供給してくれって。わたしらサン・ルイスから
3R構成員B 我々の施しに
3R構成員C なんて図々しい!
九三 あのね、寄港については数ヶ月前に
3R構成員B そのために渡した物資や電力は、結局は何に使われるのですか!
3R構成員C あのおぞましい、悪魔的な催しのためでしょう?
3R構成員A そうです! よりによって、我々アイルランドの人間にあんなものの片棒を担げと!? それはまるで、今から戦争しに行くから武器を売ってくれと言われているようなものです!
九三 どういう理屈でそんな……
3R構成員A 同じことじゃありませんか、ねえ!
3R構成員B ええ、まったく同じことです! 我々は金のために魂を、この真正なる信仰を売り渡しはしません!
ブリジッド (後方を見ながら)皆さん、落ち着いて。(前方に向き直って)……さて
室内、数秒の沈黙。
九三 あの、ブリジッドさん。わたしの質問を、ひとつくらい訊いてくれてもいいじゃないですか。
ブリジッド もちろん、聞きますよ。どうぞ?
九三 あなたがたが主張している、あのスキャンダル、ですけど。
3R構成員A おお、口にするのも恐ろしい!
3R構成員B 悪魔の仕業です!
ブリジッド あれが……どうかしましたか?
九三 冷静に考えて、あれは根拠のない誹謗中傷でしかないと思うんです。
3R構成員B 何を、知りもしないくせに!
九三 ええ、おっしゃる通りです、わたしは何も知りません、そのスキャンダルについては。ただ不思議なのは、皆さんが先ほどから、まるで事実であることを確信しているように見えることです。
3R構成員A 事実に決まってるじゃありませんか!
3R構成員B そう、直接私たちのところへ来て、教えてくれたんです!
ブリジッド (後方を見て)みなさん、静かに……
九三 (遮って)教えられた? ってことは、皆さんが独自に調査して掴んだわけじゃないんですね? 誰に教えられましたか? あなたがたにそのスキャンダルを吹き込んだのは、いったい誰なんです?
ブリジッド 答える必要はありません。大事なのは誰から教わったかじゃない、その事実が真か偽か、です。
九三 うちの
ブリジッド そんな
室内、数秒間の沈黙。
九三 ブリジッドさん。
ブリジッド なんですか……
九三 あなたの娘さんも、Yonahに乗ってますよね。シーラ・オサリヴァン。わたし、このツアー以前から、娘さんとは仲良くさせてもらってるんですが。
ブリジッド はあ、そうですか……
九三 あなたって、彼女が歌の道に進むことをよく思ってなくて、やめさせようとしたらしいですね。それで
3R構成員A それが一体なんですか!
3R構成員B 交渉とはまったく関係のないことです。(プレス陣のほうへ向かって)カメラ、止めてください!
九三 つまりあなたと、うちの
ブリジッド だから何だというの……
九三 だからなんじゃないですか? あなたが
ブリジッド まあ、なんてことを!
3R構成員A 本当に、なんということを!
3R構成員B それこそ根拠のない誹謗中傷じゃないですか!
九三 違うなら謝ります。ただ、あなたが何故あのスキャンダルに執着するのか、疑問はまだ片付いてません。誰から聞いた話を、どういう理屈で事実と思うのか、感情的にならずに説明してください。
3R構成員C 説明する必要などありません! 事実なのです、事実ったら事実なのです!
3R構成員B そうです!
3R構成員A 我々には正当な権利があるのです、あなたがたのふしだらな
九三 あの、それがもう根本的にわかんないんですけど……いったい何なんですか、ふしだらとか堕落してるとか、さっきから一方的に言ってますけど?
室内、数秒の沈黙。
ブリジッド あなたがたのような……ソドミーの申し子が存在していること自体、我々には堪え難いことなのです。
九三 ソド……何?
ブリジッド はっきり言わなきゃわかりませんか? 女性同性愛者どもの巣窟、ということです! よりによってそんな汚辱の
九三 拉致っておい、
ブリジッド
3R構成員A ええ、そうですとも!
3R構成員B だいたい
九三 なんだよ、わたしがつけたわけじゃないし……しかしすごいなあんたら、さっきからホモフォビアを隠そうともしないが!
ブリジッド 道徳的に堕落した人々を軽蔑して何が悪いのです! ねえ、皆さん!
3R構成員A そうですとも! 考えられません、あんな淫猥な歌を唄っている女たちが、よりによって同じ船内で過ごすなんて! きっと内部では連日連夜の乱交が行われているに違いない!
九三 なんそれ……あんたらの勝手な妄想だろ! あと女ばかりで乱交してたとして、それの何が悪いんだよ?
3R構成員A あっ! 皆さん、聞きました? 今あの人、認めましたわ! ほうらやっぱり、事実だった!
3R構成員B χορόςはソドミーたちの伏魔殿だわ!
3R構成員C なんてふしだらな!
3R構成員A 道徳的に堕落した者どもを、この神聖なるアイルランドに迎え入れるなど言語道断です!
九三 ちょっと、頼むから落ち着けよ……
3R構成員A もう
3R構成員B ええ、わからないなら何度でも言ってあげます、我々はあなたがたの悪魔的な
九三 あんたら……心の臓までキリスト教徒だな、歌とダンスの力をそんなに恐れるなんてさ! しかしキリストも言ってたろ、ええと、わたしは剣でなく笛で踊りましたとか……
3R構成員B 「笛を吹いたのに、あなたがたは踊らなかった」でしょう!
3R構成員A なんと、我々の聖典を恣意的に歪めて引用するなんて!
3R構成員C しかもあの人、キリスト教徒のことをひとしなみに侮辱しましたわ!
3R構成員A 性的に堕落してるうえに差別主義者とは!
九三 おま、どの口でそんな……
ブリジッド 記者の皆様、この軽蔑すべき人間の顔をしっかり撮っていってくださいね!
九三 ああ、ちくしょう、そうだなしっかり撮っていってくれよ! わたしの目の前の、軽蔑すべきご婦人方の姿をな!
ブリジッド 何を……
九三 この対話をどう報道するかは、記者それぞれの自由だからな。「ジャーナリズムの力は大きい。世界を説得しうるような有能な編集者は、すべての世界の支配者ではなかろうか」。トマス・アクィナス、じゃない、カーライルの言葉だ、あんたらはそもそも知らんだろうが!
3R構成員A ほんとに、侮辱の語彙ばかり豊富な女!
九三 いいか、わたしらは正式な手続きを経て入港しようってだけだ、もう前日に全部済ませてるんだ。そんなこともわからないならもう全員……
3R構成員C モーゼモーゼと、我々の前で穢らわしいユダヤの名前を出すな!
九三 は!? な、何だよそれあんたらの聞き違いだし、キリスト教だってユダヤと同じ一神教だろ!
3R構成員C 我々の真正なる信仰はユダヤとは何も関係がない!
3R構成員B そうだ、謂れのない誹謗中傷だ!
九三 何なんだよあんたら、無茶苦茶だ! もしかして新約だけで旧約のほうは読んでないのか? そんな雑さで一神教徒が勤まるのかよ?
ブリジッド まあ、穢らわしいソドミーが、よりによって我々の信仰を云々するとは!!
3R構成員A 神よお慈悲を!
3R構成員B おお、終末の日は近い!
九三 クソッ、そうだなもうおしまいだ、こんな連中が一丁前にキリスト教徒を名乗ってるとは! いいか、あんたらは自分自身でキリストの名を汚してるんだ!
ブリジッド 出ていけ、出ていけ、悪魔め!!
九三、半狂乱の3R構成員の手によって揉みくちゃにされ、室外に放り出される。
第三場 ダブリン港 内部
四七 おめでとうございます。
九三 何がおめでとうだよ。
四七 (港の出口へと歩きながら)無事、交渉が決裂したようですので。これでおわかりになったでしょう、たとえGILAffeがあろうと、話の通じない相手には通じないと。
九三 まあ、ほんとにバベル崩壊後の大混乱って感じではあったけど……でも、ちくしょー、わたしもだいぶカッとなっちゃったな……話す前は冷静にいこうと思ってたのにさ……
四七 お気になさらず、最初から無理な話だったのですから。
九三 認めたくないけど……でもそうなんだよな、話の通じない人はいる。そういう人らが一方的に誰かを圧殺することも。ほんと、日本にいたときは気づかなかったけど、表現の自由なんて、地理的にも歴史的にもごく限られてる……
九三、足を留める。遅れて四七も立ち止まる。
四七 いかがなさいました?
九三 いや……ちょっと考えてて。こういうとき、
四七 急に……なんですか?
九三 あいつさ、口癖みたいにしょっちゅう言ってたんだよ、「この世界は変えられる」って。わたしたちが自明として受け取ってることは、実は地理的に歴史的に限定されたものでしかない、だからこそ人の手によって打開できるんだって。
四七 そう、ですか。
九三、立位の状態から大きく前屈する。
九三
四七 らしくもなく、思い詰めますね。もっとシンプルに考えたらいいのでは? アナタはアナタにできることをするしかない、とでも。
九三 わたしにしか……
数秒間の沈黙。
四七
九三 ……音楽……
四七 えっ?
九三、姿勢を戻す。
九三 ……やるしかないか。
四七 えっ、あの……
九三 (駆け足で桟橋の方へ向かいながら)そうだ、シンプルに考えよう! ほらさっさと戻るぞ四七。わたしにできることなんてひとつしかなかった。わたしたちは最初から、音楽をしにきたんだ。
第四場 Yonah船内 一番キャビン デッキ付近の談話室
一七時前。室内中央のテーブルを囲み、一同が座位または立位で集っている。
イネス “Dance Dance Dance Dance Dance to the radio” 作戦……?
九三 あるいは、 “They Shoot Horses, Don’t They?” 作戦。
한나 なにそれ。
測 映画のタイトル。日本ではたしか『ひとりぼっちの青春』とかいう邦題で公開された……
イリチ どんな映画すか。
測 観客の見てる前で、死ぬまで踊り続ける、みたいな。
イリチ へえー、楽しそうすね。
測 いや、すごくダウナーな映画だったけど……
ゾフィア で、それが一体?
九三 あと “When the last ship sails” 作戦とか “Learn to swim, see you down in Dublin Bay” 作戦とかも考えたんだけど……
ゾフィア いやもういいから、作戦名は。
九三 つまりね、簡単な作戦なんだ……あいつらが、
室内、数秒の沈黙。
一同 えっ?
九三 さっき
イネス そうだな、港からの供給を受けられない限りは……
九三 だから、それを逆手に取る。このまま出港して、ダブリン湾のあたりをぐーるぐーる回って、その間ずっと、船内でライブ配信をする。そうだな、最初にみんなでパーティーしたあの広間がいいだろう。その様子をχορόςの公式チャンネルで流すわけ。
ゾフィア ああ、ライブの代わりとして……
九三 正確には、ライブの正式な開催を求める抵抗運動として。もうホウス埠頭も抑えられてるんじゃ、この港を出たとしてもライブやれるとは限らないだろ。
イネス つまり、船内でのライブ配信を、
九三 そう。いつもの公演がいつもどおりに行われないとしたら、今まで観てくれてたファンたちも不審に思うだろ。すぐに何が起こってるか知りたがるはず。だから先手を打って、わたしらがライブを通して呼びかけるんだ、電力が切れるまで。
測 ええと……
九三 知ってるよ。それは港を出るときに置いてく。わたしらが本気だってことを思い知らせるんだ、本当に船を沈めるつもりだって。
室内、数秒の沈黙。
イネス いちおう訊くけど……正気?
九三 もちろん。
測 正気の人間は「正気です」なんて言わないけどね。
九三 もうこれしかないと思うんだ。わたしたちは全員、音楽をやりに来たんだろ。今回まさかの妨害に遭ったけど、でもよく考えたら、自由に表現できる空間なんて限られてるだろ。わたしたちも、今まさにその自由を脅かされてる。だったら戦うしかない、音楽で。
イリチ でもねえさん、さっき「沈没するまで」って言ってたすけど……
九三 言葉通りの意味だよ。もちろん、みんな一緒に沈んで死のうって意味じゃない。
メリッサ えっと、沈む前提で話が進んでるけど……
九三 最悪の事態を想定すべき、ってだけだよ。もちろん最良のシナリオとしては、訴えた結果としてアイルランド政府……じゃない、えっと
シーラ スコット=アイルランド連合国、略称SIUN。
九三 それ。その政府がダブリン港での処遇が不当なものだったと正式に認めたら、
한나 たしかに、それなら港の封鎖とホウスの占拠を同時に打開できるな……
九三 でしょ。
シーラ そうだが、な……
九三 うん。
シーラ 狂ってる。
九三 あー、言われると思った……
シーラ さっき「話し合いで解決する」と息巻いてたやつの言うことがこれか。電力がなくなるまで示威行動して、駄目だったら船ごと沈めと。
イリチ で、ねえさん、これあたしが一番気になってることすけど。
九三 うん、何?
イリチ 船が沈んだとして、人はまあ脱出すればいいすけど、Yonahに積んである機材、は……
九三 ああ、それね……ごめんだけど……助けられないな。
室内、数秒の沈黙。
イリチ (大声で)やだあー!! それ無理っすー!! あんまりじゃないすかあ、機材は何も悪いことしてないのに、いきなり塩水に漬けられて死んじゃうなんてー!! 無理っす、それないすわあ、あんまりっすわあー!! (号泣しながら)あー!!
九三 ご、ごめん漁火ちゃん(イリチの前に走り寄って)、まさか泣くとは。
イリチ (涙を拭いながら)だって、わかってるはずじゃないすかあ、この船どんだけすごい機材積んでるかあ……
九三 わかってるよ、でもミキシングコンソールとかは、さすがに搬出するのは無理。もちろん全部沈めるなんて言ってないよ、アンプとかエフェクタとかは、予備電源を港に下ろすとき一緒に出すつもり。いま
イリチ うー……ギターもっすかあ?
九三 もちろん、ただ配信中に使う一本は残してもらわなきゃだけど。
イリチ (息を整えながら)なんかもう、やる前提みたいすけどお……皆なんか言うことないんすかー? はかるんとかー?
測 あるけど……あるけど、もう十分わかってるからね、言ったところで思いとどまる人じゃないってことは。
九三 エヘヘ……
シーラ なんで嬉しそうなんだ。
メリッサ 嬉しそうでしかも照れてる。
イネス んー……どう思うソーニャ?
ゾフィア 時間的に考えて、根本的に事態を解決しうる案はそれしかないかもね……いや、狂ってるけどね。
イネス はは、だよなあ。いやー、最初に会ったときは思いもしなかったよ、
九三 エヘヘ……
測 だから、なんで嬉しそうなの。
シーラ 照れるのもやめろ。
測 いま「気違いですね」って言われてるんだよ、あなた、端的に。
九三 いや、でもこれ以外に無いと思うんだ。わたしたちは音楽のために来た。にも拘らず正当な待遇すら受けられずに引き退がるなんて、その時点で敗けだよ。理不尽な問題に直面したら戦うべきだ。ただし絶対に武力でなく、わたしたちの仕事、音楽で。
測 音楽で、ね。
九三 漁火ちゃん……いい? もし無理だったら、先に避難しといてもいいから……
イリチ 先にって、もうやるの確定なのが怖いっすわあ。
九三 はは、まあね。でも決めたことだから。
イリチ ねえさん怖い人だなあ、最初組むときから知っときゃよかったっす。
九三 はは、ごめんね。
イリチ 謝んなくていいっすよ。仕方ないなあー、やるしかないっすね。
九三 本当?
イリチ 文字通り、乗っ掛かった船じゃないっすか。ここで降りたらKATFISHの名が廃るっすよ。ただ……条件があるっす。もし沈んだとして、みんなかならず脱出できるようにするってこと。
九三 もちろん、それ第一に考えてるよ。
イリチ あと、Innuendoのふたりの同意も得てから始めるってこと。
九三 あ……そうだったね、うん、もちろん。
シーラ 忘れてたろ。
九三 そんなわけないじゃん、
室内中央のテーブル脇に尾道が投射される。
尾道
九三 おう、どうだった二人の意向は?
尾道 ウェンダ様は、そんなのは言語道断だとして、ライブ配信にも加わらないと……お荷物も既にまとめて、港に降りる準備を整えておいでです。
九三 そっか。エリザベスは?
尾道 話を聞いて、ずいぶん戸惑っておられましたが……ウェンダ様と同じく、ライブには加わらないと……
メリッサ
尾道 現在、四〇体ほどで同時に活動しておりますのでね、こんな重労働は初めてで……
九三 じゃあ、ウェンダとエリザベスは出港前に降ろすってことでいいか。
尾道 ええ、ウェンダ様に関してはそのように……ただ、エリザベスはまだ考えたいとのことで、部屋に留まっておいでです。
九三 うん。どっちにしても、避難準備だけは間違いのないように。じゃ、戻っていいよ。おつかれ。
尾道 はい……
尾道、消える。
第五場 Yonah船内 デッキ
荷物をまとめたウェンダ、昇降口に待機する。
尾道 お待たせしました……
ウェンダ ああ。では、私はもう行くからな。
尾道 はい……あの、
ウェンダ ああ。ではな。
ウェンダ、退出。
尾道 (独白)せめて、振り向いて
尾道、デッキ上から消える。
同時に、九三と四七がデッキに到着。
四七 指示の通り、船の予備電源と発電機は切除し、これから港に降ろします。
九三 うん、船自体の残存電力は。
四七 今まで通りの速力で駆動させて、ライブ用の機材も使うとなれば、一時間半も保たないかもしれません。
九三 そっか……まあ、十分だよ。
四七 船の機構は
九三 沈没可能、はは、まさか生きてる間にそんな言葉を聞くことになるとは。
四七 では、避難と搬出の準備は整ったようです。あとは……出港ですね。
九三 待って、その前に艦長と副艦長の同意が……
四七 あの人たち? とっくに同意済みですよ、イネス様や
九三 ずっと前から思ってたけど、
四七 ふん……死んだ目をしてる輩は嫌いなのでね。
九三 じゃあわたしのことは大好きってか。
四七 いえ、鬱陶しくギラギラしてる人も嫌いです。
九三 ははは……ねえ
四七 はい。
九三 今日、
四七 まさか、あの宗教きちがいたちの妄想の所産ですよ。
九三 でもだいぶ共通点あるじゃん、PKOでアフリカで民間人虐殺で。もしかしたらあれ、事実、ってこと……
四七 そんなこと言ったら、あの時ワタシがした話だって、でっち上げかもしれないじゃないですか。
九三 えっ? ああ……まあ、可能性としてはそうだけど。
四七 人の話を
九三 いや、まあね……でもね、言葉を言葉どおりに受け取るしかないんだと思うよ。それ以外に
四七 まあ、アナタみたいな人間はとくにね……
九三 うん。そいじゃ、あとよろしく。わたしは大広間にいるから。
四七 ええ。
九三、退出。
四七 (独白)言葉を言葉どおりに、ね。だから毎回ひどく傷付くんじゃないんですか、何をしたって。だからアナタは、母と一緒にいても……
数秒間の沈黙。
四七 (独白)だからアナタは、母に、あれほどまでに……
第六場 ダブリン湾 Yonah船内 一番キャビン 大広間
六体ほどの尾道たちが、広間内にPA機器を取り付けている。
一同、広間中央に座り込み、セットリストを練っている。
九三 最初は
한나 ん、あのパーティーみたいな感じだな。
シーラ でも駆動時間は限られてるわけだろう……配信開始から数分間、ストリーミングがちゃんと行えてるか確認する
メリッサ そうだね、ここからやるのは初の試みだし。
九三 で、一曲目が始まる前から、
メリッサ 一曲目以降のトラック出し担当、ってことでしょ。
九三 うん、さすがにずっと二人いてもらうわけにいはいかないから、パフォーマンスの番になったら片方が抜けるのを繰り返して。
한나 そこも
九三 よし、じゃあ肝心のセットリスト一曲目だけど……
シーラ もちろん93だろう、こんな無茶を始めた当人なんだから。
九三 だね……いきなり『Grace & Gravity』かますか。
イリチ あはは、沈むかもしれない船で『Grace & Gravity』って、笑えなすぎて逆に笑えるっす。
測 そのあとで、どういう経緯でこうなったかを説明する?
九三 うん、フリースタイル混じりでね。たぶん
測 字幕の自動生成と同時通訳機能に支障がないよう注意しておいてね、
尾道 (機材を運びながら)はい……
九三 で、次はDefiantに出てもらいたいんだ。
イネス んー、いつもみたいな大掛かりなステージセットは使えないから、やっぱ『Funky Presidenta』かねえ。
九三 そのあとの転換込みで、
한나 ん、じゃあここで抜けなきゃだな。Defiant、
茉莉 無、無理だよ。
九三 じゃあ漁火ちゃんのギターソロでいいんじゃない、暗転とともにジャーンってイントロ。
한나 お、よさそう。
メリッサ その間にわたしらが準備してShamerock、って流れか。せっかくだからイリチ、今回ギター弾いてよ。
イリチ マジすかー! 『Hell-Bent』のギターなら完コピしましたけど!
メリッサ あはは、準備万端じゃん。じゃここまでの流れで……だいたい
シーラ 順調にいったらな。あとは……もうバラけてやってもしょうがないから全員集合、だろう。
九三 うん、それしかない。(Defiantと
한나 あー、それ観られなかったやつ!
イネス リンキン・パークか、あれならすぐ憶えられるな。
ゾフィア じゃ、その場にいる全員で『Bleed It Out』……からの、DJブースからループで出す曲も欲しいね。
한나 なんのネタがいいかなあ……
イネス そりゃ、ヤバいやつらのオールドスクールだから『Live At The Barbeque』だろお。
メリッサ おお、いいね! ワンループだし、あのフックなら誰でも唄えるし。
イリチ これ
九三 そう、A-Primeにも協力してもらって、ダブリン港での待遇が不当だったことを訴えかける。連絡はもう取れたよね?
イネス 確約済みだよ、今回のが中止になったらあっちの株価もガタ落ちだからなあ。
九三 よし、このへんからは、配信画面にSIUN政府へのメッセージを出して……
シーラ それで、どうする?
九三 あとはもう、皆を信じて演り続けるしかないね……
測 皆って、この配信を見ることになるファンたち。
九三 それと、港に集まってる
シーラ ふん……それでも、最後の一押しに欠けるんじゃないか。『Live At The Barbeque』は別にいいが、何かこっち側の主張に沿うネタがないと……
一同、沈黙。
測、手元の譜面ファイルを矯めつ眇めつする。
測 これ……かな
九三 (測の手元の楽譜を覗きながら)おお……これだろ! イネス!
イネス (受け取る)うん……? あっは、よくこんなお誂え向きの!
ゾフィア (イネスの手元を覗き込みながら)ぷっ、ははは、学校で何度
測 私も、
한나 (ゾフィアから譜面を受け取りながら)あー、ライブにうってつけだな!
茉莉 わかんないけど、難しい曲なの……?
イリチ ボーカル担当のひとは、途中でチャントが出てくるんで、それを繰り返したらいいはずっす。メロディはサックスのと同じなんで。
イネス よし……じゃ、この曲を電源喪失まで
九三 実はこの曲、日本のヒップホップの名曲でもネタとして使われてるんだよね、『OVER THE BORDER』っていう。
イネス ぶはは、
ゾフィア じゃあ……演目の打ち合わせはこれでいいね?
一同、周囲の顔を見回し、頷く。
機材を設置している尾道とは別の尾道が、室内中央に投射される。
尾道
九三 うわっ。
尾道 予備電源、発電機、機材や私物など、排出可能な船内の荷物はすべて港に降ろしました。
九三 ん。
尾道 いやあもう、大変な騒ぎで……これはなんだ、爆発物ではないのか、テロだ、一体何をするつもりだ、などと……
九三 あはは、結構結構。生憎のところ、わたしらが使うのはピースフルなフォースだけどね。
シーラ じゃ、港の
イネス ん、それがいい!
茉莉 あの、
尾道 ええと、まだ部屋に残っておいでです……まもなく出港ですと、伝えたのですが……
茉莉 ……そう。
尾道 避難準備は完全に整いましたので、出港後も繰り返し注意は促します……それでは。
尾道、消える。
イネス じゃ、行くかい。
ゾフィア うん。
シーラ まったく、故郷もすっかり遠くなった……
メリッサ あはは、だよねー、祖国に入れてすらもらえないなんて。
한나 逆に考えるべきかもよ、
茉莉 あ、そっか……配信中にリアルタイムで行動してくれるかも。
イリチ 配信かあー、ちぬんに今のうち連絡しとこ、「これで最期の演奏になるかも」って。
測 アイルランドまで飛んできちゃうかもよ。
イリチ そしたらちぬんにも参加してもらうっす。
測 ふふっ。それじゃ……行きましょうか。
頷く九三。一同退出。
九三のみ広間に残り、回頭し、ライブの準備が整った室内を眺めまわし、息を大きく吐き、両手を腰に当てて胸を張る。
九三 これがわたしらの戦争だ。
第三幕
第一場 ダブリン港
一八時。夕陽が傾いている。
依然として港内を占拠している3Rと聖パトリック党。しかし、周囲には騒ぎを聞きつけた市民が列を成し、はやくも異変を察知したファンが押し掛けてカウンターのデモを行っている。
ファンA よう宗教右派ども、ずっと出ずっぱりらしいが、今朝のお祈りはちゃんと捧げたんだろうな?
3R構成員A なん、よくもそんな物言いができるわね、世俗に毒された享楽主義者が!
ファンB あんたらが陰謀論に取り憑かれたイカレだってのはわかったからさあ、もうさっさとどいてくんない? あたしらはね、
3R構成員B なんという……我々の偶像とあの淫婦どもを一緒にするとは。
ファンC 同じ偶像には違いないでしょ。ひとつ決定的に違うのは、あんたらの救い主と違って、こっちには音楽とユーモアの才能があるってこと!
3R構成員C ああ、なぜこのような穢れた言葉を聞かねばならないのか! 神よお慈悲を、かの涜神の徒どもは知らないのです、自らが口にしたそのことによって、たったいま天国への道が閉ざされてしまったことを!
ファンA おー、なんか俺ら天国出禁になったらしいぞ!
ファンB いいじゃん、最初から行くつもりないし!
ファンC 天国天国って言うけどさあ、そんなものがあるとして、あんたら本当に行きたいの?
ファンA 賭けてもいいが、そんな天国に行ける奴らなんて、全員、一人の例外もなく、クソ野郎だぞ!
3R側とファン側との衝突が次第に大きくなる。
同時に、接岸していたYonahの昇降口が揚げられ、突如として駆動を始める。
ブリジッド なん……なんですか?
アンガス 不審な積荷を降ろしたと思ったら、いきなり……ははあ、これはきっと退却ですな! 我々の根気強さに屈して、尻尾巻いて逃げよったんですよ! 皆様、勝利です! 我々の誇り高い国土から、淫婦どもの船を追い出しましたぞ!
歓喜のシュプレヒコールを上げる3Rと聖パトリック党。
が、数秒後にファンのスマートフォンに通知音。
ファンB (画面を見ながら)なに……配信開始? えっだって、まだ開演時刻じゃないでしょ?
ファンC それに、船まだあそこだし……(画面をスワイプしながら)えっ!?
騒ぎは徐々に3R側にも伝播し始める。
3R構成員A 同志……
ブリジッド いったい何事ですか?
3R構成員B あの淫婦ども、どうやら船内にたてこもり、海上でライブをするつもりのようです。
3R構成員C しかも、その様子をネットで配信するなどと……
ブリジッド ふん、大したことではありません。そんな児戯めいた訴え!
アンガス (画面を見ながら)いえ、これは……まずいですぞ……
ブリジッド どうなさいました?
アンガス あいつら、ダブリン湾に……あの船を沈めるつもりです。
第二場 ダブリン湾 Yonah船内 一番キャビン 大広間
広間の西・南・東側には、それぞれフィクスのカメラを見張る尾道たちが待機しており、正面入口付近にはステディカムを持った尾道がスタンバイしており、他にも音響や照明やカメラスイッチ担当の尾道たちが位置についている。
広間では、シックの『Everybody Dance』がDJブースから流れている。
九三 (カメラ撮影範囲の外で)よし……声明文のアップも公式アカウントでの告知も完了、配信の音質と画質も整ってきた。
測 この曲が終わったらもう出番。
イリチ
尾道 了解しました。
DJのプレイがバックスピンで停止し、同時に室内の照明が暗転。
『Grace & Gravity』のギターリフが始まる。
イリチ、測、九三の順でカットインし、パフォーマンスが始まる。
同時刻、港のファンたち。
ファンA なん……これ!?
ファンB まさか、あの船の中でやってるの!?
ファンC 間違いないよ、聞こえるじゃん、あっちのほうから!
同時刻、大広間。
イネス (カメラ撮影範囲の外で)
尾道 しかし……そのぶん電力の消耗が速くなりますが。
イネス いいよ、
ダブリン湾を遊弋するYonahから、港の方向へ大音量のサウンドが伝達される。
同時刻、世界中で配信を視聴しているファンたち。
ファンD (キーボードを打ちながら)何これ、今回のχορόςってこれなの?
ファンE (フリック入力しながら)もう始まるなんて聞いてないんだけど!
ファンF アイルランドのやつらいないの? 外のあたりどうなってる?
同時刻、大広間
ゾフィア イネス……パンゲアから連絡あったよ。いつものコメント量の五倍だって。
イネス ふふん、いい調子だな。
ゾフィア あとこれはフォーラム情報だけど、ガーディアン紙の取材陣が港に到着したって。
イネス よし、どんどん広がってくれよ……じゃ、次は
九三のフリースタイルが終わるとともに暗転。
『Funky Presidenta』のサックスのイントロとともに、ストロボ照明が明滅する。Defiantのパフォーマンスが始まる。
同時刻、港のファンたち。
ファンB きたー!!
ファンA フゥゥゥゥゥゥゥゥゥウウ!!
ファンC 何度聴いてもアガるわーこのイントロ!
ガーディアン紙の取材陣が双方のデモに殺到する。
記者A こんばんは、ちょっとよろしいですか?
ファンA えっ? あっはい。
記者A 今回、
ファンA ああ、カウンターていうか、文句言いに来ただけですけどね。(湾の方向を指差し)でもあれですよ、いきなり船が動き出しちゃって。
記者A (指差された方角を見ながら)出港して、ダブリン湾を回っているのでしょうか……?
ファンA はい、でも、声明には「沈むまでやる」って物騒なこと書いてますよ。
ファンB さっき港でたくさん荷物降ろしてたし……本気なんじゃないですかね?
記者B よろしいでしょうか。
3R構成員A なに……勝手に撮らないで、肖像権の侵害!
記者B 今回、
3R構成員B 批難って……私たちは私たちの信仰を護るために行動しただけよ!
3R構成員C これだから左派の新聞は信用ならない!
記者C リーダーのオサリヴァン氏、および聖パトリック党首のアポロ氏にもコメントを頂きたいのですが。
アンガス なんですか、嘘偽りは申しませんぞ、私は信教の自由を護るためにここにおります、もちろん表現の自由も大事でしょうがね。
記者C オサリヴァン氏、あなたの実の娘であるシーラさんはPeterlooの預かりということで、今回の抗議は私怨によるものではないかとの見方が広まっていますが……
ブリジッド よくもそんなことが! 私怨などと!
同時刻、Defiantがパフォーマンスを終える。
と同時に『锡鼓』のイントロが流れる。薄らかな照明とともに
同時刻、世界中で配信を視聴しているファンたち。
ファンG (キーボードを打ちながら)한나언니♡
ファンH (フリック入力しながら)茉莉加油!
ファンI ヤバいこれ全員ぶんやるの? すごくない? ってかいつまでやるの?
同時刻、大広間。
九三 おつかれ、もう大騒ぎって感じだよ。
イネス (画面を見ながら)ガーディアン、NME、ハフィントンポスト……よーしどんどん広がってるな。
イリチのギターソロの間、画面に大きめのフォントで声明文の字幕がオーバーラップする。
ギターソロ終了と同時に、Shamerockが入場。『Hell-Bent』のパフォーマンスが始まる。
同時刻、世界中で配信を視聴しているファンたち。
ファンJ (キーボードを打ちながら)WTF
ファンK (フリック入力しながら)えええええこんな共演なかったでしょ今まで!?
ファンL ツイッター落ちた? 落ちてない? コメント欄はまだ生きてるみたいだけど。
ゾフィア おつかれー
茉莉 (受け取りながら)ありがとうございます。今、港の様子は……
イネス (画面を見ながら)
한나 (画面を見ながら)おー……たのむよ怪我人だけは出るなよ。
ゾフィア ネット上では、ファンによる署名運動も始まってるみたい。
茉莉 署名って、今回のSIUN政府に訴えかけるための、ですか?
ゾフィア もちろん。
한나
九三 えーと、スピーカーの音量最大にしたら思ったより減っちゃって………あと
한나 ええ!?
イネス すまん、
九三 いいよ、そのおかげで外部まで伝わったみたいだし。
ゾフィア 署名の数もすごいことに……このままいけば、SIUN政府も即座の対応を取らざるを得なくなる。
茉莉 うん、でも……
数秒間の沈黙。
한나 どしたヤスミン?
茉莉 ……ちょっとごめん한나《ハンナ》、私、デッキのほう見てくる。
한나 デッキって、避難用の?
茉莉 うん、でも脱出するわけじゃないよ。ちょっと、やっとかなきゃいけないことがあるの。
第三場 ダブリン湾 Yonah船内 避難用デッキ
同時刻、デッキチェアに寝そべり、夕陽を浴びながらスマートフォンで中継の様子を視聴しているエリザベス。
茉莉がデッキに歩み出てくる。
茉莉 エリザベス!
咄嗟に画面を隠すエリザベス。
茉莉 観てくださってたんですねっ。
エリザベス ええ……良いパフォーマンスだったわ。
茉莉 ありがとうございますっ。あの、この船、あと三〇分くらいで沈んじゃうらしいです。
エリザベス 知ってるわ、数分おきに
茉莉 そう、ですか……
数秒の沈黙。
茉莉 あの、エリザベス……
エリザベス (遮って)言わなくていいわ。どうせ、貴方は来ないんですかとでも言うつもりでしょう。
茉莉 そこまでわかってるなら……
エリザベス 行かないわよ。今回ばかりは、私の出る幕などない。
茉莉 そんなはずありません、貴女は今回のχορόςで一番のアーティストじゃないですか!
エリザベス 個人として、なら、間違いなくそうでしょうね。しかし……あなたがたには皆パートナーがついているじゃない。その肝心のパートナーに裏切られたばかりの私には、あなたがたの共演の中に居場所を得ることなど許されない。
茉莉 そんな……
エリザベス 実力や才能どうこうじゃないわ。これは私の……プライドの問題なの。
数秒の沈黙。
茉莉 プライドが、何ですか……
震えながら拳を握る茉莉。の方を向くエリザベス。
茉莉 プライドが、何だっていうんですか! そんなもの、ただ傷付くだけじゃないですか。プライドなんて大事にするものじゃないです! むしろ、前進するためには傷付けなきゃ、プライドを!
エリザベス 傷付ける……?
茉莉 現に、私はたくさん傷付けてもらいましたよ、貴女に。貴女に及ばないって、貴女の真似事くらいしかできないって、χορόςに参加する前からずっと傷付けられてましたよ、こんなすごい人がいるのに私は、って……でも、そのおかげでここまで来ました。もう私にプライドなんてありません。滅茶滅茶にされて、ズタズタにされて、そのおかげで今の私になったんです。価値ある傷がある限り、人は前進できるはずです。これはエリザベス、貴女が教えてくれたことですよ。
数秒の沈黙。
エリザベス 今度は、私も傷付けと。
茉莉 はい。
エリザベス 切って、傷を、開けと……ふふっ、言うようになったわね。名前を憶える価値すら無い凡人と、最初はそう思っていたけれど……
エリザベス、デッキチェアから立ち上がり、退出しようとする。
茉莉 あっ、あのっ。
エリザベス、デッキから通路への境界線上で立ち止まる。
デッキに立っている茉莉の方へ、振り向かずに言う。
エリザベス
茉莉 はい!
エリザベス 随分なことを言ってくれたわね。お返しに、あなたにひとつ命令があるわ。
茉莉 はい、あのっ、なんなりと。
エリザベス (髪を束ねていたシニョンを外しながら)私、メイクはずっとウェンダに任せっぱなしだったの……手伝ってくれるかしら。
茉莉 ……あ……は、はいっ!
両名、デッキから退場。
第四場 ダブリン港
同時刻、ダブリン港。
もはや大混雑の様相を呈している現場に、A-Primeの三人が到着する。
パンゲア なんと、こんな規模に……
ジンバブウェ 二〇分前の画像とは比べ物にならない。
ゴンドワナ (群衆に向かって)通してください、通してください! 我々、χορόςの運営を仰せつかっているA-Primeの社員です!
パンゲア
3R構成員A 同志、また交渉だとかなんとか……
ブリジッド (遮って)交渉すべきことなど何もありません! なんですか、あれほど我々のプライドを踏みにじっておいて! どうしてですか、どうして放っておいてくれないのですか! 我々は信仰を護り抜きたいだけなのに!
パンゲア ええ……? そもそも今回の騒擾はあなたがたの……
ブリジッド (遮って)やかましい! χορόςの運営ですって? 穢らわしい、悪魔の手先め! あの淫婦どもを利用して金儲けとは! 信じられない、そんなにも堕落した人間がこの世にいるだなんて! だれもその不正を糾そうとしないだなんて!
パンゲア だから、あの……
ブリジッド 死にたいんでしょう!! 沈みたいんでしょう、あの船と一緒に!! じゃあそうさせてあげたらいいじゃありませんか、ええ、こちらとしても望むところですよ!! 助け舟を出す必要なんてありません!! もちろん港に迎え入れる必要もね!! 死んでもらいましょう!! あの淫婦どもには当然の罰です!! もちろん、沈没によって汚染されたダブリン湾の浄化費用は、すべてそちらに出していただきますからね!!
アンガス (宥めつつ)あのう、オサリヴァン氏……記者が見ている前ですぞ……「死んでもらいましょう」などというのは……
ブリジッド (手を撥ねのけて)触らないでください!! あなたまでそんな及び腰ですか!! 道徳的に堕落した者が集団で溺死してくれたとして、それで何の問題がありますか!! 素晴らしいことじゃないですか!! 聖書にもあります、ええと……星が水源に落ちて……豚が死んで……水が苦くなったと……
アンガス あのですなあ……
パンゲア 交渉に応じなかった場合、我々としては広範にわたり不利益を被ったとして、膨大な額の賠償金を請求せねばなりません。少なくとも、港での供給拒絶に伴う賠償は不可避です。これ以上罪を重ねてもよいのですか?
ブリジッド (小声で)罪などと……
パンゲア えっ?
ブリジッド (小声で)罪などと……(急に大声で)
第五場 ダブリン湾 Yonah船内 一番キャビン 大広間
同時刻、大広間。
九三 (独白)あと二〇分、か……そろそろ、覚悟決めなきゃな。
カメラには、最後のサビに入るイリチとShamerockの姿が映し出されている。
イネス (画面を見ながら)
九三 (画面を見ながら)おっ……「各国大使館、χορός参加者に対するダブリン港の待遇に抗議の意を表明……」ついにここまできたか。
イネス SIUN大統領府にも、抗議の電話は殺到してるらしい。あと一押しなんだが……
九三 うん、でもここでこっちが態度を軟化させたら……
イネス 通るもんも通らない、か。やっぱ、政府が直接に港を動かすまでは。
九三 やり続けなきゃいけない……ただ、セットリストも残り少ないな。
『Hell-Bent』のアウトロとともに、『Bleed It Out』の陣形に入ろうとするDefiant、九三、測、한나。
イリチにイントロの合図を目配せするメリッサ。
しかしその瞬間、正面入口の扉が大きく押し開かれる。
侵入を察したステディカム担当の尾道が、正面入口を映す。
エリザベス マイクを
茉莉のアレンジによる髪型と衣装で現れたエリザベス。
その姿を背後から眺めて陶然とする茉莉。
その姿を正面から見据えて苦笑するシーラ。
ヴァースの準備を整えていたメリッサは、にっこりと笑い、即興でエルガーの『Jerusalem』を唄い始める。
シーラも同調し、大袈裟に手を振りつつ唄う。
意を察したエリザベス、毅然とした笑みとともに入場する。茉莉もその後に続く。
シーラ ヘタレでハッタリの女王陛下、もうとっくに逃げたと思ってたが。
エリザベス ふん、沈む船から逃げ出すのはネズミだけだわ。女王たる者の風格は、如何なる苦境にも乱されないのよ、この世の終わりにおいてさえね。
メリッサ よーしじゃあ始めようか、 here we go for the 100th time!
メリッサの煽りに応える一同。
メリッサ Hand grenade pins in every line!
メリッサの煽りに応える一同。
メリッサ We gon’ … We gon’… We gon’ bleeeeeeeeeeeeeeeeeeed…
メリッサの煽りに応える一同。
メリッサ Bleed it out, Mu’tafikaaaaaaaaz!!!!!!!!!!
同時刻、世界中で配信を視聴しているファンたち。
ファンM (キーボードを打ちながら)これだけ署名を集めてもSIUN政府は公式声明を出さないのか?
ファンN (フリック入力しながら)大統領府は何をやってる! この国は表現の自由を認めないばかりか、外国からやってきたアーティストたちの、命がけの主張をも黙殺するのか!
ファンO これはχορόςがどうとかじゃない、人間性の問題だ! ただ公演を行いに来ただけの人々を見殺しにするのか、という瀬戸際だ!
同時刻、『Bleed It Out』が終わると同時に、素早くカメラからフレームアウトする九三。
第六場 ダブリン湾 Yonah船内 一番キャビン 通路
大広間を出て、すぐに四七を見つける。
九三
四七 あと
九三 うん……あのさ、最後のお願いがあるんだ。
四七 なんですか。いまさら港に戻してくださいと泣きついても……
九三 (遮って)もう一度、港へ行ってほしい。避難用ボート使っていいから、もう一度、直接、
数秒の沈黙。
四七 伝令、というわけですか……
九三 うん。
四七 この期に及んで、アナタは……まだ話し合いによる解決が、ありうるとでも。
九三 うん、信じてるよ。やるだけのことはやったんだ、今なら考えを変えてくれるかもしれない。
数秒の沈黙。
九三 じゃ
四七 ちょっと待ってください。
四七、九三の眼前まで歩み寄る。懐のポケットから一葉の写真を取り出し、九三に手渡す。
九三 (手の中のものを見つめながら)これって……
四七 ええ、母が、諸国を放浪するあいだずっと手放さなかったもの。
九三 わたしが撮ったやつだ、安物のポラロイドで……あれたしか職場の飲み会のビンゴゲームでもらったやつだったっけ、もう捨てちゃったなあ……
四七 母は常に肌身離さず持っていましたよ、「この写真で初めて教えられた」、「わたしがこんな姿をしているとは知らなかった」と。
九三 もーわけわかんないなー、いきなりポーランドに置き去りにしたり、そのくせ遊びで撮った写真を大事に持ってたり……
九三、苦笑しながら、渡された写真を四七の手に返す。
九三 いいよ
四七 え、なぜ……
九三 だって、わたしは沈んで死んじゃう可能性あるけど、
数秒間の沈黙。
九三 てゆーか、そんなこと言ったらこっちが「なぜ」だよ。なんで今そんなもの取り出したの? なんかお別れが近くなって、寂しさみたいなの感じちゃった? 後悔したくないから、的な? なーんだ、お前もけっこう人間らしいとこあんじゃん。
四七 ……失礼します。
写真を懐のポケットに収め、九三に背を向けて退場する四七。
九三 あっ、もー……じゃ、また逢ったら、
第七場 ダブリン湾 緊急避難脱出用ボート
ボートのエンジンを駆動させ、脱出する四七。
すでに陽が沈みかけている。
四七 (独白)ふっ、考えてみれば笑えるな。あの時と違って、今はワタシに生殺与奪の選択権がある……まったく因果な巡り合わせだ。この伝令の役目を放棄して、何もしなかったとしたら……あの船は本当に沈むのだろうな。いや役目を果たすにしても、あの宗教きちがいたちに話が通じる余地など無いじゃないか……なのにあの人は、こうしてワタシを……
ボートのモーター音だけが響く。
四七はうなだれ、ボートの穂先を見つめる。
四七 (独白)わからない……本当にわからない。すこし掴めたかと思うと、またわからなくなる……母があの人を愛した理由も。なぜあの人が、これほどまでに……音楽の力を……
四七、体育座りの姿勢で目を伏せる。
四七 (独白)どうして、ここまで……あんなに自分の命を顧みない人は見たことがない。ワタシもそうだと思っていたけど……ワタシとあの人とでは、命の捨て方が違う。ワタシは最初から、何も望んでいなかっただけ。だが、あの人は、望みすぎるあまりに……しかしわからない、何を望んでいるのだろう。自分の欲を満たすためでも、誰かの愛を勝ち得るためでもない……
四七は顔を上げ、進路を見定める。
早くも、港の桟橋が見え始める。
四七 (独白)……「この世界は変えられる」……
第八場 ダブリン湾 Yonah船内 一番キャビン 大広間
『Live At The Barbeque』を使用したサイファーも長引き、最後の曲に繋ぐため、おずおずと目配せを交わす一同。
そこに九三が入室する。
九三 (マイクを握って)Wassup! みんな楽しんでくれたかな、残念だが、次が最後の曲だ。文字通り、わたしらにとってのスワンソングになるかもしれない。どういう意味かは、まあ、この数十分後には明らかになってるだろう。
譜面台を見ながらステージを窺う測とゾフィア。
九三 もうこれ以上、言うこともないだろう……何しろ、時間がないんでね。次に
DJブースで待機するメリッサと한나。
九三 それじゃあ、観てくれてありがとう。ほんの一瞬でも、わたしらの音楽があなたの人生に関わったことを、心の底から、誇りに思うよ。
マイクスタンドの前で待機するシーラとエリザベスと茉莉。
アンプの前でチューニングを合わせるイリチ。
その姿をカメラで捉える尾道たち。
室内を見回し、静かに頷く九三。右手で測の方へサインを出す。
九三の手が降ろされた瞬間、ピアノのイントロを奏でる測。
八小節分の演奏ののち、ゾフィアのサックスと한나のビートが同時に入る。
ファラオ・サンダースの『You've Got To Have Freedom』を用いた、最後のジャムセッション。測のコンピングに、한나のビートが加わり、ゾフィアのサックスがフリークアウトし、シーラとエリザベスと茉莉のコーラスが挟まれ、イリチのギターがメロディとコードを融通無碍に変奏し、九三とイネスが即興でラップを乗せる。
ゾフィア (独白)ウケるなあ。まさかこの曲をこんなふうに
イネス (独白)まさか沈む船で、なんてねえ。エル・パソにいた頃は色々ぶっ飛んだステージやったけど、さすがにこれは思いつかなかった。やっぱ陸地ばっかじゃな。うん、ここまで来てよかったな。しかし、砂漠で渇いて野垂れ死ぬのと、船で沈んで溺れ死ぬのと、どっちが悲惨だろ。いや、生き延びるのが一番悲惨か。いつだって死ぬのが一番簡単。だったら難しい方に挑戦するだろ。ここで最高の演奏やって、生き延びる。ん、結局いつもと同じだな。
한나 (独白)あっさりこういうことになっちゃったけど、どうしよ、沈没したら死んじゃうかな。そしたら母ちゃんには悪いことしちゃうな。いやそうでもないか、結婚相手が兵役中に死んで、そんで娘も船が沈んで死んだとなれば、母ちゃんむしろ治っちゃうかもしんない。それはそれでアリかな。あっ
メリッサ (独白)おー、ジャズの曲にスクラッチ加えるなんて新鮮。おもしろ、한나《ハンナ》もいつもしない感じのビート打ってるし。こりゃいい、何時間でもできそうだ。あっでも沈んじゃうのか。あは、わたしだけ夢中になってて逃げ遅れるとかありそう。そしたらジョー姉もアニー姉も悲しんじゃうかな。悲しむ顔は、見たくないな。じゃあこれを土産話に持って帰ろう。いつだってニコニコしてるのがいいよ、ねえ
シーラ (独白)ずっとループの曲だなこれ……まあいい、たまにはこういうのも。たまには、って、そうだこれ最後になるかもしれないのか。それはよくないな。うん、どう考えたって生き延びるのがいい。もう母がどうとか、正直どうでもよくなってきた。どんな状況だろうと、音楽やって生き延びる。家出した時だってそうだった。じゃあミッシー、何も望まずにあたしらは唄おう。そうだ、希望を捨てた後の歌は、いつだって最高のメロディだった。
エリザベス (独白)たりららってぃーらー、たりららってぃーらー、って、ずっと繰り返しねこの曲。退屈ではないけど、この私が添え物のバックコーラスに徹するなんてね……ふん、これくらいで傷付くプライドなら捨ててしまえばいい。
茉莉 (独白)たりららってぃーらー、たりららってぃーらー、って、ずっと繰り返しだあこの曲。でも한나《ハンナ》楽しそう、こんな曲もあるんだなあ。世界って広い。まだまだ私の知らない音楽でいっぱいだ……このままじゃ終わりたくないな。音楽でも、まだ訪れたことのない国でも、人間関係そのものでも、私の知らないものをいっぱい知りたい。もっと、ずっと、変わり続けたい。母さん、あなたの娘は、色々あって沈没する船の中で唄うことになりました。なんて言ったら、悲しむよりもまず笑っちゃうよね。そう、変わり続けるってそういうこと。幸せとか不幸せとかじゃない、それよりもずっと厄介なこと。でもきっと価値がある、こうしてエリザベスとも一緒に唄えるんだ。こんな日が来るなんて夢にも思わなかった。だから、もっと続けよう。生きて、生きて、傷付き続けて
イリチ (独白)あー、ほんと、ここにちぬんいてくれたらなー。ベースライン無いの寂しいっすー。はかるんが低音部補ってくれてるけど、右手のソロが忙しくてあんま気ぃ遣ってないかも。仕方ないっすね、沈んじゃうかもしれないんだから。あ、まーたずっとねえさんのほう見てるー。もう、ほんとはかるんだなあ。でも、いいっすね。いいグルーヴじゃないっすか。これいいな、もう死んでもいいな。だけど、死んでもいいなってのは、いつだって死に損なった側の感慨なんすよね。あはは、ねえさんから学んだのってそれかも。まだまだ死ねない死ねないって言い続けて、いつのまにか逝っちゃうんだ。だからその
測 (独白)あと一〇分、か。あと一〇分で、港から何の連絡も無ければ──あっ、ちょっと、イリチ……本当にあの子は、小癪なアヴォイドノートを入れてくる。私が低音部を支えているからといって好き放題して……ならば、私も好き放題やればいい。もともとそういう曲なんだから。それにしてもこの譜面、持っててよかった。ひとりで弾くだけなら練習曲だけれど、誰かと居合わせたらセッションになる。お互いが持ち寄ったものを、ぶつけあうだけの戯れ。しかし本気の戯れ。もし私が、高校時代に
九三 (独白)最高。最高。最高だな。なんて楽しいんだろう。みんなで同じことをやってるはずなのに、みんな別々のことをやってる。同じように違ってて、違ってることだけはみんな同じ、みたいな。でもそうじゃん、そうやって集まったやつらじゃん。ツアー始まった当初はどうなるだろうと思ってたけど、まさか船が沈むとはねえ。とはねえってわたしがそうしたんだけど。でもこういうことだよ、完全に安全な時代なんて無いんだ。逆に言えば、完全に壊れきった時代なんてのも無い。いつだって半分は無事で、半分は壊れてて、そうしてお互いのまだ壊れてない部分を、お互いを
Freedom!
Yeah, Freedom!!
You've Got To Have!!! Freedom!!!!!
You've Got To Have!!! Freedom!!!!!
You've Got To Have!!! Freedom!!!!!
You've Got To Have!!! Freedom!!!!!
You've Got To Have!!! Freedom!!!!!
You've Got To Have!!! Freedom!!!!!
You've Got To Have!!! Freedom!!!!!
You've Got To Have!!!!! Freedom!!!!!!!!
第九場 ダブリン港
四七、港に到着。
パンゲア あ……あなた確か、Yonahの……
周囲の群衆を無視し、ブリジッドの眼前まで至る四七。
四七 (高圧的に顔を寄せながら)ひとつ質問があります。
ブリジッド なん……です?
四七 あなたが昼頃ずっと喚いていた、Peterlooがらみのスキャンダルとやら、ですが。
四七、懐のポケットから写真を取り出す。
四七 もしかして、この女から聞いたものではありませんか……?
ブリジッド、四七が提示した写真をひったくる。
ブリジッド ああ! そうです、そうです、この人でした!
警察官A え……本当ですか?
ブリジッド この人です、昨日、
警察官B (四七に向かって)君、なぜこの写真を持っているんだ?
四七 その人とは知り合いでね……
ブリジッド 知り合い! 本当ですか、では、今この人がどこにいるか教えてくださいまし! この人の証言さえあれば暴露できるはずなのです、あの人殺しどもの許しがたい罪を……
四七 知りたい、ですか?
ブリジッド ええ、もちろん!
四七 この写真にうつっている、あなたにスキャンダルのことを教えてくれた女性について、本当に知りたいんですか?
ブリジッド お願いです。教えてくださいまし!
四七、周囲を見回す。
群衆の視線が自分をめがけているのを確認し、一呼吸おき、話し始める。
四七 (大声で)この女はな、世界中の紛争地帯で、児童誘拐や人身売買を斡旋してる、極悪非道の
ブリジッド、膝から崩れ落ちる。
四七、写真を拾い上げ、警察官に渡す。
警察官A ええと……あなたが仰っていたことですが、信じてよいのですか?
四七 もちろんですよ、ワタシも被害者ですからね。あのときPeterlooに助けられなかったら、一体どうなっていたことか……
警察官B わかりました。場所を設けますので、事情聴取に協力していただけますか?
四七 時間ならいくらでも割きましょう。ただ、港の封鎖を解いてあの船を迎え入れてくれたら、の話ですがね。
警察官A もちろんです……(アンガスのほうを向いて)おい。
アンガス ひいっ。
警察官A わかってるんだろうな、愚にもつかんデマに流されて、港湾労働者をたらし込んで、半日近くも港を封鎖して……然るべき処罰を受ける覚悟はあるんだろうな?
アンガス あ、え、いえっ、私の一存でやったわけでは……
アンガス、地に伏したブリジッドの背をつつくが、何の反応もない。
警察官A (警察官Bに向かって)お前はそっちのほうを頼む……(群衆へ向けて)いいですかみなさん、これをもちまして港のストライキは終了です! 今回の騒ぎを持ち上げた
ファンA χορόςについては? Yonahはどうなるんだ?
警察官A、無線で本部との連絡を取る。
警察官A SIUN大統領から、公式声明です。「客船Yonahをただちに寄港させよ。船体及び乗組員の安全を確保したうえで、当初の契約通りに電力と物資を供給すること」!
カウンターのデモを行っていた側は歓喜の声を上げ、
3Rおよび聖パトリック党側は悲嘆に沈む。
警察官A ホウスへの交通網も、まもなく回復されるはずです。公演を観に行かれる予定の方は、運営側のアナウンスを確認してください。(パンゲアの方を向いて)あとはいいですね?
パンゲア あっ、はい。(群衆に向かって)それでは、今回のχορόςをお待ちいただいた皆様、これから開演時間の調整に入ります! おそらく、予定の三〇分後が目処になるかと……
それぞれの目的を達して、三三五五解散する群衆。
四七 (独白)これくらいは許されるでしょう、母よ。あれほど
警察官B それでは、署までよろしいですか?
四七 もちろん。知ってることは何でも話しますよ。(写真をはためかせながら)こいつはね、モリアーティも青ざめるほどの大犯罪人ですから、そうですね、国際指名手配くらいがちょうどいいと思いますよ……
第一〇場 ダブリン湾 Yonah船内 一番キャビン 大広間
タグボートに随伴され、接岸準備が整う。
尾道 残存電力、稼働時間換算であと三分……危ないところでした……
イネス ははは、
尾道 もちろん、
九三 あはは、考えてみりゃそうだ。でもほんと、何から何までよくやってくれたよ、尾道が今日のMVPだよ。
尾道 はい……(小声で)できればその言葉はウェンダ様から聞きたかったですな……
尾道、消える。
同時に、船外からアナウンスが発される。
港主任 お待たせしました、客船Yonahの皆様、これより電力と物資を供給します! 可能な限り迅速に行いますが、お待たせしてしまうと思われますので、心ばかりの軽食を用意しました。よろしければ……
イリチ おー、差し入れっすよ。
한나 いいじゃん、よくわかんない緊張して腹減ったー。
茉莉 行きましょう、エリザベスも。
エリザベス ええ、ここまで付き合ったんだからしょうがないわね……それにしてもウェンダ、一体どこにいるのかしら……平気な顔で卓を囲んでたら、ただではおかないわ……
笑い声とともに退出する一同。
シーラ、広間に放置されたラップトップの前に立ち止まる。
シーラ (小声で)ファンの署名、か……
屈み込んで画面を凝視するシーラ。そこには、ファンがSIUN政府に客船Yonahの保護を求める署名のリストが、 html ファイルで表示されていた。
シーラ こんな数が……
シーラ、ctrとfのキーを押し、ブラウザ検索窓を立ち上げる。
試みに “stanislaus” と打ち込む。
そこには、彼女の実父と同姓同名である “Stanislaus O’Sullivan” の名が表示されていた。
メリッサ (船外から)
シーラ いや……(嗚咽を抑えて立ち上がり)いま行く。
第一一場 ホウス埠頭
ホウス埠頭。
Yonahの接岸から開演準備が整うまでの間、桟橋は関係者以外立入禁止となっている。
九三 (昇降口から)あ……
한나 本当にいやがった……
桟橋には、ウェンダ・ウォーターズが、一時間前に船から降ろした荷の側に立っている。
ウェンダ 遅かったな。
イネス 遅かったなじゃねーよ、なにひとりだけ先に行ってんのよ。
ウェンダ なにって、公演のために決まっている。海上で珍奇などんちゃん騒ぎがあった気がするが、目もくれず埠頭で待っていた。前乗りしたのは私で、遅刻したのは君たちだ。褒められるならまだしも、責められる謂れはない。
エリザベス (眼前に立って)ウェンダ……
ウェンダ やあエリザベス。
エリザベス 一応訊くけど、配信、観ていたのかしら?
ウェンダ 配信? 『シャーロック』最新エピソードの、か? 生憎だがもう観ていないんだ、シーズン3からいきなりつまらなくなったからね。
茉莉、エリザベスの隣に歩み寄る。
茉莉 エリザベス……どうします? ドロップキックくらいしときます?
エリザベス (掌を上げて制しながら)いえ、よしましょう。確かに、ここでこいつを海に突き落として、この(ウェンダの脇に積まれている荷を指しながら)荷でも投擲してとどめを刺したい衝動を抑えるのは難しいことだわ。
茉莉 そうですね、誰も見てませんし。
エリザベス しかし、我々は知的にも美的にも洗練された淑女。そんな酔漢めいた暴力衝動に屈するのかしら? いいえ、屈するわけがないわ。ウェンダ、あなたにはいつかステージの上でやり返す。楽しみに待っておくことね。
ウェンダ ああ、エリザベス。掛け値なしに楽しみだよ、その言葉が本当になるのであれば。
一同、埠頭に降りる。
ウェンダ (見回しながら)それでは……くだらん騒ぎで開演時間が押してしまったが、これよりχορόςアイルランド公演の開幕だ。知っての通り、ユニット単位でなく個人投票での新方式となって初の公演となる。くれぐれも観客を裏切らぬよう。以上、Dark Dukeは各員が義務を果たすことを期待する。
ウェンダ、船内に戻る。と同時に数名の尾道たちが現れ、荷を船内に運び込む。
한나 (茉莉のほうへ歩み寄りながら)ヤスミン、けっこう強くいったねえ……
茉莉 え、そ、そうかな。
シーラ (船内に戻るウェンダを横目で眺めつつ、メリッサの肩を叩きながら)代わりに怒ってくれる奴らがいてよかったな。
メリッサ えー?
一同、それぞれ船外でストレッチしたり桟橋から景色を眺めたりするが、船内に戻っていく。
会場設営準備のため、数名の尾道たちが降りてくる。
シーラとメリッサは、ホウス埠頭から感慨深げに岬を遠望する。
シーラ 帰ってきたな。
メリッサ ああ。故郷に錦だねえ
シーラ まさか、むしろほっとしたよ。色々因縁深い故郷だけど……肝心の人は、見てくれてるってわかったから。
メリッサ そっか。じゃ、今夜ばかりは一位以外の選択肢ないよー。
シーラ 当たり前だ。
シーラとメリッサ、掌で一回叩き、手の甲で一回叩き、ぐっと握った拳を突き合わせる。
両名、笑いながら船内に戻る。
第一二場 リフィー川 イースト・リンク・トール・ブリッジ
終演後。埠頭を離れたYonahは、SIUN大統領府からの特別招待を受けて、ダブリン港からリフィー川に沿って航行する。
九三 (デッキから)おおー!!
リフィー川を挟んだ両岸には、控えめな照明とともに、料理や果物を乗せた木箱が
測 これ、本当に全部……
メリッサ やるじゃんーうちの政府!
シーラ そうか……ちょうど
Yonahの駆動が止まり、両岸に接する。
群れ集まったダブリン市民たちが、その姿を見上げる。
ダブリン市民A
ダブリン市民B キュウゾーウ!
ひとまわり歳下のファンたちからの歓声に、笑顔で応える九三とシーラ。
九三 (眼下の光景を眺めながら)おっ、なんあれ、ギネス? すごい数
シーラ (頷きながら)振る舞い酒だろうな、あたしらへの。
九三 やったータダ酒だー!
シーラ 喜び方に品がない……(苦笑しながら)いや、初めて一緒にやった福岡でもこんな感じだったな。
九三 そうだ
シーラ ああ……そうだな。告知はここで済ませとこう。
九三 じゃ……(尾道からマイクを受け取りながら)どうもダブリン市民の皆さん、日本語で失礼します! さっきの公演で投票一位となった
シーラ 同じく同率一位となったシーラ・オサリヴァンだ。
九三 わたしらのどっちが新ルールを起草すべきか、は保留のまま終わったけど……ここまでの道すがら話し合って、さっき決めたんだよね。
シーラ ああ。基本的には以前通り、ユニット単位のルールに戻す。だが、投票枠は個人枠を廃してユニット枠のみに絞る。もう今後、めんどくさいことをしでかす輩が出てこないようにな。
九三 ちなみに、そのめんどくさいことをしでかしたウェンダ・ウォーターズは、既にブリテン島に前乗りしてるらしいでーす。この船にはいませーん。なんでだろうね?
シーラ さあ。故郷が恋しくなったんじゃないか?
九三とシーラのMCを受けて大いに笑うダブリン市民。
その両岸から、SIUN政府からの嘱託を受けて歓待の任を受け持ったパブの給仕たちが、デッキまで上がってくる。
九三 (1パイントグラスを受け取りながら)あ、どうもお。あらあ、綺麗な泡!
シーラ (1パイントグラスを受け取りながら)ん、どうも。伝えた通り、うちの船に下戸はいないぞ。
デッキの内部が、瞬く間に五月祭の収穫物を活かした料理の数々で埋められてゆく。
九三 (南岸へ向けて)ありがとう市民! わたしらも今日いろいろなことがあった! でもどういうわけか生きてるな!
シーラ (北岸へ向けて)皆がどんな仕事に就いていようと、それはすべてこの地上を豊かにするための務めだ。誰かが土を耕して種を植えてくれたおかげで、今こうして料理が出来上がっているようにな。
両岸は(主にタダ酒目当てで駆けつけた)市民たちでひしめいている。
その中の一人、南岸側のパブの主人が、グラスを片手に歩み出る。
ダブリン市民C (デッキを見上げながら)親愛なる
シーラ 気にするな、元はと言えばあたしの母親だ。あたしらに謝罪を受ける謂れなどあるだろうか、今回の公演が実現したのは、他ならぬ(両岸くまなく掌で差しながら)君らダブリン市民のおかげだろう!
九三 ほんとありがとうー抗議とか署名とか! 助かったよ!
大いに沸くダブリン市民。
ダブリン市民C 身に余るお言葉! ところで
九三 あ、そうか! じゃ、乾杯の音頭おねがいします
九三に背中を押され、デッキの舳先に立つシーラ。
眼下では、市民が思い思いの料理や酒を持ち出しながら、路上で音楽を演奏または放送している。
九三 ははは、こんな光景、数世紀前の人間からしたら悪魔の祝祭そのものだろうね。
シーラ ああ……(咳払い)じゃ、やるか。親愛なるダブリン市民よ! 我々はついにここまで来た。あとはブリテン島での四公演を残すのみだが、こうしてアイルランドで歓待を受けたことは、我々全員にとって大きな喜びだ。とくに……あたしにとってはな!
両岸の市民とYonah船上の一同から大歓声が上がる。
シーラ そして市民よ、我々は今夜、ひとつの勝利を祝すべく
両岸と船上から「自由に!」の唱和が挙がる。
唄い手たちと市民たちによる酒宴は、夜更けまで続いた。
χορός 試金 @IntegralVerse
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