2-7. 或る一人の襲来その2

「やっぱり今日の類さん、何か様子がおかしいです。どこか具合悪いところでも?」

 律は少し引っかかっていた。


 いつもならばこの部屋にいる時は律に女物の服を着せたがる類が、今日ばかりは怖いくらい大人しかったのだ。律の『肇様の作戦案の件もありますし、男物の着物で行きたいです』との言葉に類は若干の抵抗の色を見せつつも、あっさりと折れた。いつもならもう一悶着どころか律が折れるまでしつこく説得を試みてくるのに。


 そうして律は、今この藍色の男物の着物を着ている。


「……いや、体はどこも悪くない」

「『は』ってことは他どっか悪いんですか」

「本当に何でもないんだよ、私の考えすぎかもしれないし」

「考えすぎ……?」


――ガラン。

 類が何かを言おうと口を開きかけた背後で、客の訪れの音を響かせながら、部屋のドアが勢いよく開いた。


「いやあ、遅くなりまして申し訳ございません。類のや……ではなく、類くんと律さんはいらっしゃいますでしょうか?」

 入ってきたのは常盤氏だった。かぶっている帽子を押さえながら深くお辞儀をし、すぐにぱっと身を起こして優雅に微笑む。それはそれは魅惑的な、昨日と同じミステリアスな微笑みだった。が。


「……」

 昨日とは違い、こっくりと深く品の良い茶色のスーツに見を包んだその青年を、律と類はじとりとした目で見やった。


「律くん。これ、違うよね」

「ええ、違いますね」

 類の質問の意図をくみ取った律はすぐに頷いた。そんな律の返答を受けて、類がのそりと自分の胸の下で腕を組む。


「今日は君一人?」

「質問の意図が分からないのですが、ご説明していただけますでしょうか?」

 常盤氏は爽やかな笑顔を崩さぬまま、軽く首を傾げた。その様子に類が大きなため息をついて口を開く。


「私にはね、事件物の物語の禁じ手の中でも一番苦手なのがあるんだ」

 言いたいことは何となく分かるけれど言い方がまどろっこしい、と律は頬をかきながら類を見上げる。一見謎の発言をされた常盤氏は肩をすくめた。


「どういうことです?」

「……とりあえず慣れない口調はやめても大丈夫ですよ、わたるさま。たぶん使い方が違ってます」

 律の言葉に、常盤氏は一瞬宙に視線を漂わせた。少しの沈黙が部屋に満ちる。


 律と類が黙って見守っていると、二人の方に視線を戻し、片方の口角を上げてニヤリと笑った。先ほどの『爽やかな』笑みではない、ニヒルな笑い方だ。


「あーあ、なんでだろうな。いつもいつも、すーぐバレる」

「やっぱりお前か、渉……!」

 突然口調が砕けた常盤氏相手に、類ががっくりと肩を落とした。その肩からは悲壮感がにじみ出ている。 


「で? 律」

 常盤氏改め常盤わたるが、兄のはじめとそっくりな顔で律の顔を覗き込んだ。

「何が違うって? 俺の言葉遣い、何かおかしいとこあった?」

「いえ、おかしくないです。二重敬語だっただけで」

「二重敬語ぉ?」

 律の返しに、常盤氏は思い切り『腑に落ちない』とでも言いたげな顔で鼻を鳴らす。


「『いらっしゃいますでしょうか』も『いただけますでしょうか』も、両方とも二重敬語です。肇様はその辺り、徹底的に使いませんね」

 そうですよね、と律は隣にいる類の顔を見上げる。類は苦笑しながら頷いた。

「その通り。肇の方はド真面目なほどきっちりしてるからね、色々と」

「……めんどくせ。言葉なんて、分かりゃいーじゃん。礼儀作法とか何とか、そんなに大事?」


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