第二章 『てえぶるまなあ』はお静かに
2-1. 或る一人の襲来
それは、ある日の昼下がり。
「どうも、お邪魔いたします。類くんはいらっしゃいますか?」
コンコン、と扉を叩く音の後。よろず屋茶館の扉の鈴を静かにカランと鳴らしながら、部屋へと足を踏み入れたスーツ姿の男が一人。
色素の薄いこげ茶色の髪を程よくセットし、斜め右にさらりと流した前髪の間からは髪と同じ色の瞳がのぞいている。やや猫目のきりりとした目元に、シャープな顎に小さめの鼻、そして薄めの唇。どこかミステリアスさを醸し出す整った顔のその若い男性は、部屋の奥へお辞儀をしながら帽子を頭から取り、深々と一礼した。
「あれ、
律はカウンターの中から顔を上げ、たった今扉を開けて入ってきた華族の長身の男へ声をかける。
男性は顔を上げて律を視界にとらえ、口元をふっと緩ませてから少し首を傾げた。
「おや、類くんからは特に何も?」
「はい。今日は来客がある、としか」
「成程。今日の十五時からお約束をしていたはずなのですが」
「ああ、そういうことですか。流石ですね」
律は部屋の時計に目を遣り、浅く頷いた。今は十四時五十分。約束の待ち合わせとしてはやや早めながら、いい時間だ。カウンター後ろの台所にて、律は鍋を置いた竈の火を確認してからその場から離れ、来客の前に進み出た。
「すみません、類さんは今ちょうど席を外していて……おかけになってお待ちください。お帽子、お預かりします」
「ありがとうございます」
律は紺色の洋風の帽子を受け取り、それを丁寧に部屋のポールハンガーにかける。お客をソファーに案内しようと律が振り返ると、当のお客は律の姿をまじまじと見つめていた。
「常盤様? ソファーにどうぞ。こちらです」
「ああ、すみません。つい律さんに見とれてしまいまして」
律がお客用のソファーに常盤氏を誘導すると、彼は優雅に腰掛けながら臆面もなく笑顔を浮かべ、そう言ってのけた。
「あー……。お褒めの言葉、どうもありがとうございます」
いつもながら、この青年の思考回路は読めない。照れもせずに歯の浮くようなことを平然としれっと言うのが通常運転なので、そう言われても逆に冷静になれるというものだ。律は笑顔を引きつらせながらもとりあえず、深々と会釈をする。
「おや、僕の言葉を社交辞令だと思ってますね? 本心ですよ。その色をそんなにも可憐に着こなせるのは貴女くらいでしょうね」
律の今日の着物は、鶯色の地に手毬と白牡丹の刺繍が裾に向けて広がっている一品だ。帯はやや暗めの梅色で締め、全体的に落ち着いた雰囲気の装いだった。もちろん今回も類の見立てで、女物の着物である。
「それを仰るなら
律が努めて笑顔を浮かべながら話の方向転換を図ると、常盤氏は目をほんの少し見開いて首を傾げた。
「よくお分かりですね。流石は律さんだ」
「お分かりですねも何も……」
律が言いかけた時、呉服店とよろず屋茶館を繋ぐ扉がガランと大きな鈴の音を響かせた。
「もう来たって!?」
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