1-21. 一難去って、また一難

「ま、何はともあれ、収まるところに収まったわけだし、終わり良ければ全て良し。実にめでたいことじゃないか」

「そうですね」

 律は微笑みながら、店の中から往来をふっと見つめた。店先からは様々な人々が道を歩いているのが見える。


 今聞いためでたい話を意識しているからか、腕を組みながら歩く夫婦や恋人同士らしき人々がやたらと目に入った。


「……では、お二人は堂々と一緒に歩けるのですね」

 律は思わず小さく呟いた。


 年頃の男女で道を一緒に歩くのは、夫婦か恋人がほとんどだ。あとは従者と主人の関係で、それ以外の組み合わせはなかなかにない。そういう世の中において、想い人と晴れて一緒に道を踏みしめられるのは、律にとっては密かな憧れだ。


 律が自分の想い人と共に歩くためには、少年姿の従者であることが一番誤解を招きにくく、かつ恐らく一番長く一緒にいられる方法だった。

 堂々と、女の姿のまま隣を歩くことは、期待してはいない。期待してはいけない。

 だって自分は、ただの従業員で、助手なのだから。


 きっといつか類の隣に、正式に認められた、釣り合う女性が並ぶ日が来るのは分かっている。

 ――だからこそ、もう少しだけ。もう少しだけでいいから、隣を歩けますようにと願っている。


 だから律は、我ながらずるいと思いつつも、自分が女だと訂正しにくい状況にそのまま甘んじている。

 こういう時はこの見た目に感謝だ、女らしさはないけれど。律は心の中でそう呟く。


「ん? 外に何か気になるものでもあった?」

 ひょい、と類が律の顔を覗き込む。不意をつかれて律は思わず赤面した。


「何もないじゃないか」

 律の視線の先を追い、残念そうな声を出す類。人の気も知らないで、と思いつつ律は肩をすくめた。


「たまには何もないところを見つめたくもなります」

「ふうん? ということは、今君は暇だということかな?」

 ニヤリと笑いながら類が律を見下ろす。


「え、あの、暇ではないんですが。店番が」

「ちょうどよかった、君に着せたい服があるんだよ。あ、ちょっと律くん借りてくねー」

 店に控えていた他の従業員たちに声をかけながら、類は半ば引きずるように律を連行していく。


「ちょ、誰か助けてください……!」

「おや律さん、いつもご苦労さま」

「店のことは任せて、気にしないで行っておいで!」

 すっかりいつもの光景として定着してしまったからか、今や従業員たちもにこにこと頷きながら見送るだけである。四面楚歌とはこのことだ。


「君によろず屋茶館で着せる女物の服、見たお客様たちからの評判がいいんだよね。売れ行き好調だよ」

「はあ、お役に立てて何よりです……」


 女物を着せられても、類と外を確実に歩けなくなるだけで、得るものが何もない。けれどこの前提案されたように、他の誰かが自分の代わりに類の助手に収まるのも嫌だというのが本音だ。


 何と自分勝手なのだろう、という自覚はある。律はひっそりと自分自身にため息をついた。


「私としては、君を茶館の外へも連れて歩きたいのだけどね」

「いつも歩いてるじゃないですか」

 助手、つまり従者として。律が類に短く答えると、律の和服の袖を引っ張りながら前を歩く類が苦笑する気配がした。


「分かってないねえ。そういう意味じゃないんだけど」

 くるりと律の方向を振り返ったかと思うと、類はそのまま律の額を人差し指でつついた。地味に痛くて、律は思わず顔をしかめる。


「人の心は分かりにくいと言うけれど、君は中でも本当に分かりにくくて困るよ」

 どうやら律の胸の内のことは分かっていないらしい。律はほっとしつつ、ニヤリと微笑んだ。

「それは良かったです。お得意の推理はどうしたんですか?」

「うーん、難しくて無理かな。やっぱり当事者っていうのはやりにくいね……ってほら、そこで『訳がわからない』って顔しないでくれるかな」


 全く、と言いながら類は律の髪の毛をくしゃりと撫でた。撫でたと言うより、ぐしゃぐしゃにしたと言う方が正しいかもしれない。


「あの、前が見えなくなるのでやめてください」

 律は頭から類の手を引き剥がし、ぶるぶると髪の毛を振った。

「いや、髪が短いって便利ですね。髪が崩れても、すぐ元に戻る」

「ほらまたそういうことを言う……」

 類がどこか遠い目で呟くのをいいことに、律は隙を見て呉服屋店内に戻ろうと試みた。誰が何と言おうと、今日は店番があるのである。女装をしている暇はない。


「逃さないよ。明日実はよろず屋茶館にご依頼の予約が来てるんだ」

 俊敏な手つきで律の着物の襟を掴み、類が笑顔でそう言った。有無を言わさない満面の笑みである。


「私は料理が苦手だからね、君がいないとどうしようもない」

「……それだけならいいですけど」

 律が首根っこを掴まれたまま言うと、類はさっそくそのまま歩き出した。

「よしきた、さあ行こう。それと明日君が着る服も今日着る中から選ぼうか。候補はたくさんある」


「え、本当に勘弁してください」

 律は顔を本気で強張らせながら言った。千代嬢が依頼の答えを聞きに来た日のことを思い出したのだ。

 もうあんなにたくさんの女物の服を着るのはごめんこうむりたい。


「まあまあ、絶対似合うから」

「人の話を! 聞いてください!」

 あれよあれよと言う間によろず屋茶館の部屋まで連行され、律は類にとんと軽く背中を押される。


「はい、行ってらっしゃい」

 類に手を振りながら送り出されたのはいつもの通り、更衣室。


「えええ、これ全部着るんですか……!?」

「ではごゆっくりー」

 部屋にずらりと用意されている服に悲鳴をあげる律の後ろで無情にも部屋の扉が閉まり、律は一人きりになる。見る者がいなくなった律は、それはそれは渾身の大きなため息をついた。


 一難去って、また一難。

 けれど本音を話せば、類と過ごす時間そのものと、依頼人の謎を解く彼の様子を見られることは、律にとっては幸せなひとときだった。


 次のご依頼人は、どんな方だろう。無自覚のうちに微笑みを浮かべながら、律は用意された服に手を伸ばした。

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