1-20. 兎角に人の心は分かりにくい
***
人とは誠に厄介な生き物である。本音と建前が違う、表情に素直に心情が出るとは限らない。
兎角に、人の心は分かりにくい。
「律くん、律くん」
ここは東雲呉服店の店内だ。忙しい時間帯をすぎ、接客にひと段落ついているため今しばらく店内には客がいない。律がほっと息をついていると、奥から類がこちらへ向かって歩いてきた。
「何でしょう」
「ほうら、やっぱり私の推理は当たっていたようだよ」
どうだと言わんばかりの自慢気な表情で、説明をすっ飛ばした類が律の目の前に手紙を掲げて見せた。
律はあっと声を上げた。差出人は千代嬢だ。
――この度、葉月良純氏と結婚することと相成りました。
そんな文面が律の目にまず飛び込んでくる。
「葉月氏もあのオルゴールについて、全て打ち明けたようだよ。まあお互いがお互いを想っていたわけだから、当然の結果だね」
「本当におめでたいですね」
この広い世の中で想い合う者同士が無事に結ばれるというのは、律から言わせれば一種の奇跡だ。律は思わず顔を綻ばせた。
手紙の内容は結婚の時期の報告と、類と律へのお礼、そしてよろず屋茶館で類が語った推測が、葉月氏自身が語ったものと見事に合致していたことへの感嘆だった。
「それにしても」
手紙を読み終わり、律は首を捻った。
「何故、葉月様はこんなまわりくどいことをしたのでしょう」
一見分かりにくいメッセージを贈り物にこめるよりも、普通に思いを告げればよかったのでは。それこそ、今回の相談がなければ『別れの歌』を贈られたと、千代嬢が勘違いしたままだった可能性もあったわけなのだし。
「それは多分、乃木嬢の出方をはかってみたかったのだろうね。率直に言えば、あわよくば少しは不安に思ってもらえたら……という意図もあったのだと思うよ」
「……はい?」
斜め上の回答に、律はぽかんと口を開けた。
「ああ、乃木嬢を不安にさせるためというか、不安な気持ちになってもらえるかどうかを見たかったというか」
「どういうことです?」
ますます眉を潜める律に、類は悪戯っぽい目つきで問いかけた。
「さては君、恋の駆け引きをしたことがないね?」
「放っといてください」
律が真顔で「続きをどうぞ」と手で示すと、類は苦笑しながら話を進めた。
「幼馴染とはいえ、家同士が決めた婚約だと聞いたろう? 葉月氏は不安になったわけだよ、乃木嬢が本当に自分を好いてくれているのだろうか、このまま話を進めてしまっていいものか、と」
「それでそんなことを……」
相手に対して何も想っていなければ、贈り物に対しても何も思わない。相手に対して想いがあるのならば、『別れの歌』を贈られたことに狼狽える。そして不安になるはずだ。
「一種の踏み絵みたいなものですか」
「例え方が独特だけど、まあそういうことだね」
類が苦笑しながらも頷いた。
「千代嬢も第三者から見れば分かりやすかったけれど、想いを本人の前で言葉にするのは難しいからね。もしかしたら、葉月氏の前では緊張して素直になれていなかったのかもしれない」
「分かりやすい……? ああ、でも不安にならなければここに相談にも来なかったでしょうしね」
律が相槌を打つと、類はニヤリと笑って首を振った。
「違うねえ、もっと分かりやすかったよ」
「……どの辺がですか?」
類の自慢気な顔にしかめっ面で返しながら律は聞いた。
「彼女、オルゴールのことを『ミュージカルボックス』と言っていたろう。私たちがオルゴールと言っても、頑なにその聞き慣れない名称を使い続けていた」
「……あれ?」
言われてみれば。律は記憶を掘り返しつつ、確かに千代嬢が『オルゴール』と言った記憶がないことに今更ながら気付いた。
「オルゴールのことを『ミュージカルボックス』と言うのは、イギリス英語だけだ」
「……ああ!」
律の頭の中でようやく全てが繋がった。何かを忘れているようなもやもやする感覚が残って仕方がなかったのだ。
「だから、千代様に『婚約者の方の留学先はイギリスか』と聞いたんですね」
「そういうこと。イギリス英語を使う地域で良家のご子息がこの時分に行く海外の場所といえば、やっぱり本国だ。そして葉月氏も英語は勉強しているはず。その彼が手紙に使う言葉を、千代嬢も一貫して使っていたのだよ。ほら、分かりやすいだろう?」
「……確かに、分かる気がします」
想い人の使っている言葉を、無意識に頑なに使ってしまう、真似たくなる気持ちは何となく律にも分かる気がした。
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