2-2. いつもと違うと調子が狂う
「やあ、類くん」
珍しく慌てた様子で部屋に入ってきた類に向け、常盤氏はひらりと手を振ってソファーから立ち上がった。
類は手早く手に持っていた風呂敷包みをカウンターに置き、ずんずんこちらへ歩いてくる。今日は抹茶色の落ち着いた着物に紺色の帯と言った出で立ちだが、その行動は全く落ち着いていない。
「類さん、今日のお客様は常盤肇様だったんですね」
律は言外に「なぜ事前に教えてくれなかったのか」という皮肉も込め、小走りに歩く類にそう言った。いつもはさらりとどういったお客様が来ると伝えてくれるのに、今日に限っては事前の情報はほぼないに等しかったのである。
「ああ……うん、そういうことになるね」
なんだか歯切れが悪い。律がそう思って類を見れば、当の本人は「待たせてすまないね」と苦笑しながら常盤氏と握手をしている。どことなくほっとしたような笑い方だった。
何となく、今日の類の様子は変だ。そういえば律の服を選ぶ時はいつもこちらが後ずさってしまうくらいに乗り気なのに、今回に関してはそれがあまりなかった。いやいつもの勢いを続けられていても中々に心臓に悪いので、別にいいのだけれど、と律は心の中でひっそりと思ってみる。
いくつかの着物を試した後、躊躇うように薄く微笑みながら「うん、これでいい」と呟いた類に違和感を感じたのはつい昨日のことだ。そうして決まったのが、律が今日着ているこの着物。
何が「これでいい」なのかは深く聞けぬまま、今に至る。
「それはそうと。肇、ちょっと待っててくれるかい」
こほん、と咳払いをした類が常盤氏に向き直り、ソファーを勧めた。
「もちろん、いくらでも待ちますよ。そもそもまだ約束の時間には早いですしね」
「悪いね」
にこやかに礼儀正しく頷く常盤氏に手を合わせてから、類は律にくるりと向き直った。
「律くん、一人にしてごめんね。さ、お茶菓子用意しようか」
「あ、はい……って類さん、座ってて下さい。私やりますから」
すたすたと調理場の方へ歩き出す類に慌てて呼びかけながら、律はその背中を追いかける。律への返事もしないまま、類は部屋の壁に沿って並ぶチェストから湯呑みを取り出し始めた。
「はい、これ。お湯はそろそろ大丈夫かな?」
「ああ、お湯ならさっきの火加減だとまだ大丈夫かと思って一瞬席を外してしまいました……。すみません、すぐに見てきます」
類の言葉に、律ははっとなってカウンター裏の台所に向かった。
明治に入って二十数年が経つが、台所の洋風化はまだあまり進展していない。昔ながらの様式の竈の火加減を律が確認すると、穏やかな火がそこに揺れていた。その上に乗る鍋の中の透明な水は湯気を立て、ゆるやかにお湯へと変貌しているから、確かにそろそろ頃合いかもしれない。
「お、ちょうど良かったみたいだね」
ぽん、と頭の上に柔らかな手が乗る。その手の平の温かさを感じながら、律は肩を落とした。
「はい、ありがとうございます。火から目を離してすみません」
「どういたしまして。……って、なんでそこ謝るの?」
「火から目を離してしまったので」
律が火と湯の様子を凝視しながら答えると、類の苦笑する声が頭の上から聞こえた。
「その理由を答えろって言ったんじゃないんだけどね」
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