1-18. 『消えた三番目』

「類さんらしいですね」

「え、今のどこが!?」

「千代様、失礼いたしました。続きをどうぞ」

 首を捻る類を放っておき、律は千代嬢に微笑みかけながら先を促す。促された千代嬢は、着物の袖をもじもじと触りながら困惑したように口を開いた。


「あのう……『その先はこちらで』とのことで、それ以上はまだ東雲様から何もお伺いしていないのです」

 貴女もですかと言いかけた口をつぐみ、律は類を無言で見る。勿体ぶりの罪は重い。千代嬢と律、二人分の視線が突き刺さった類は悪びれる様子もなく紅茶を口に運んだ。


「そうでしたね。では、ご依頼の答えを説明しましょう。なぜ、葉月良純様が乃木様にそのオルゴールを贈ったのか。答えは『消えた三番目の曲』にあります」


「消えた三番目の曲?」

 同時に同じ言葉を言い、千代嬢と律は顔を見合わせた。

「何事にも、全貌をきちんと把握することは大切なのですよ」

 なんだか律にとっては既視感のあるようなことを言いながら、類は静かに微笑んだ。


「まず大前提として申し上げておきましょう、葉月様はわざわざあの二番までしか鳴らないオルゴールを注文したのです。オルゴールは壊れていませんよ」

「壊れていない……のですか。それなら、どうして」


 ぼそりと呟く千代嬢を相手に、類は安心させるような優しい調子で続ける。

「不安になることは何もないのですよ。これから説明しましょう。律くん、歌集の『蛍』の部分を」


「はい、ここに」

 律は机の上に学校で使っていた歌集をめくり、『蛍』の歌詞と譜面が書かれている部分を広げた。ここに、一番から四番までの歌詞が全て書いてある。内容はこうだった。


『蛍


一、蛍の光、窓の雪

ふみ読む月日、重ねつつ。

いつしか年も、すぎの戸を、

開けてぞ今朝は、別れ行く。


二、止まるも行くも、限りとて、

かたみに思う、千萬ちよろず

心のはしを、一言に、

さきくとばかり、歌うなり。


三、筑紫の極み、みちの奥、

海山遠く、隔つとも、

その眞心まごころは、隔て無く、

一つに尽くせ、國の為。


四、千島の奥も、沖繩も、

八洲やしまの内の、まもりなり、

至らん國に、いさおしく、

努めよ我が背、つつが無く。』


「これを見ると、乃木様が不安に思ったのも仕方のないことです。一番の最後なんて『開けてぞ今朝は別れ行く』……お別れの時が来ましたね、という意味になりますし、曲自体が卒業式に歌われ、『別れの歌』としての印象が強い。


 ですがこれを見て、おかしいと思いませんか? 葉月様は『この曲は三番まである』と仰った。けれど、蛍の歌詞は四番まで。原曲となったスコットランド民謡も五番までだ。キリの悪い『三番』を強調したのはなぜか――葉月様は乃木様に、『消えた三番目』へ注目して欲しかったのだと考えられます」


「確かにそうですわね……」

 千代嬢がぼんやりと頷く。多分律も同じ表情をしていることだろう。この話の先が全く分からない。


「葉月様は二番までしか鳴らないオルゴールを贈り、『三番まである』とわざわざ手紙で仰った。つまり、オルゴールが本来なら三番まで鳴るはずだと想定すると、三番は『消えた』ことになる。『消えた三番』と考えると、一つ思い当たることがあるのです。そう考えると、葉月様が手紙に書いた『前の歌詞が大事だ』とのお言葉とも辻褄が合う」


「思い当たること……とは」

 千代嬢が張り詰めた様子で身を乗り出す。


「『蛍』にはね、一度作詞者によって考えられたのにも関わらず、許可されず世に出なかった、つまり『前の歌詞』である三番の歌詞があるのですよ――『別るる道は変るとも 変らぬ心 かよひ』という歌詞が」


「別るる道は変るとも、かはらぬこころ、ゆきかよひ……」

 千代嬢がゆっくり噛み締めるように繰り返した。


「特に、『かはらぬこころ ゆきかよひ』の部分が許可されなかったそうです。理由は、その歌詞が心を通い合わせた『男女の間で交わす言葉』だという指摘があったからだそうで。つまり、その部分こそが葉月様の意図する『消えた三番目』ひいては『前の歌詞』なのではと」


 千代嬢は頬を染めて、じっと歌集の歌詞を見つめている。そんな彼女に向けて類は優しく話しかけた。


「消えた歌詞自体を単体で見ると『別るる道は変るとも、変らぬ心行き通ひ』……つまり、『遠く離れた道、場所に別れていても、変わらない心が互いに行き通っている』となるのです。あ、最後の一節は消えた歌詞じゃないので、無視してくださいね。意味が全然変わってしまうので」


 類の注釈に、律と千代嬢はゆっくりと頷いた。

 海や山々によって遠く離れていても、変わらぬ互いの心が行き通っている。心が通じ合っている。


 千代嬢の婚約者は「今の気持ち」と言ってこれを贈った。なるほど、現在の状況も併せてこんなぴったりなことがあるだろうか――。律は納得するとともに、心が暖かくなるのを感じた。


「それともう一つ、『乾杯』の話ですが……。乃木様と葉月様は昔馴染みですよね」

「え、ええ。でも、それがどうしましたの?」

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