1-17. 助手は君一人
「ということは」
律の肩が、満面の笑みをたたえる類の両手にがっしりと掴まれる。律は硬直したまま、自分の肩の上に置かれたその大きな手を、恐る恐る見下ろした。
「これからも試着に付き合ってくれるということだね! いやー良かった」
さっきの沈黙と真剣な真顔は何処へやら、類がいつもの調子でにこにこと言い放つ。律は呆気に取られて口をぽかんと開けた。
「えっと……あの……?」
「ごめんね、君の反応があまりにも可愛かったものだからつい」
笑いに身を震わせながら類が言う。瞬間、律の頬はみるみるうちに自分でも分かるほど熱くなった。
「私が君を手放す訳ないじゃないか。私の助手は君しかいないのだから」
「……それはどうも、ありがとうございます!」
律はくるりと類に背を向けた。緊張が解けた疲労感が襲いかかってくると同時に、頬に密集してきた熱がまだ冷めない。が。
「あああ、もうすぐ午後の五時じゃないですか!」
ふと我に返って時計に目をやり、律は嘆く。陣内教授の元に行って以降、まだ類から何も他の情報は聞き出せていないのに。
「残念、時間切れ」
歌うような調子で言いながら類が律の肩をポンと叩いた。
「……ひとまず、千代様を迎える準備をしますね」
時間切れを宣告された律はため息をつきながら、千代嬢から預かったオルゴールを慎重にテーブルの上に出す動きにうつる。しばらくしてから部屋の入り口の黒い扉が、ガランと鈴の音を響かせた。
「ごめんください」
「ああ、乃木様。今日もいらしてくださってありがとうございます」
今日は一人で来た様子の千代嬢を、類がいつもの笑顔で出迎える。律の姿を見るなり、千代嬢はぱっと顔を明るくした。
「あら、小早川様。今日もそのお着物、似合っておいでですわ! すごく綺麗」
「千代様の方がお綺麗ですよ。萌黄色に菊の花のお着物、すごく素敵です」
切り替えろ、自分。律は自分に言い聞かせながらにこやかに千代嬢に言葉を返す。
「まあ、嬉しい。ありがとうございます」
「さ、乃木様。立ち話もなんですし、こちらへ」
恥じ入った様子で顔を赤らめる千代嬢を誘導し、類が部屋の奥へと歩いて行く。途中、彼はこちらを振り向き、「よろしくね」と口だけを動かした。律は努めて表情を平静に頷きつつ、お茶菓子の準備を始める。
今日は温かい紅茶に、イギリス・アメリカ式のさくさくしたショートケーキである。ケーキはビスケット状の生地にバタークリームやイチゴを挟んだもので、「バタークリームには温かい紅茶と決まっているからね」と言う類の謎の主張により、この組み合わせになったのだった。
「今日のお茶菓子も、とても美味しいです」
サク、とショートケーキを続きながら千代嬢がしみじみとそう言った。しばらくサクサクと食べ続け、お茶を一口飲んで息をついた彼女。類と律が見守っていると、千代嬢ははっと姿勢を正して食器を置いた。
「すみません、つい……。ほのぼのしている場合じゃありませんでしたわ。あの、早速本題に入ってもよろしいでしょうか」
「勿論です。私の助手も先ほどから早く早くと急かすもので。早速お話といきましょう」
一言余計だ。律が無言でじとりと視線を送ると、類は悪戯っぽく笑いながら椅子に座り直した。
「まずは驚きましたわ、先日すぐいただいたお手紙。オルゴールがスイスから、良純さんからの手紙がイギリスから来ていたなんて、よくお分かりになりましたね」
「当たっていましたか」
類が満足げに頷いた。律はその着物の袖をつつき、ひそひそと尋ねる。
「いつの間に手紙を」
「この前来ていただいてすぐ。おや律くん、嫉妬かい?」
「なんでそうなるんですか」
軽口を受け流し、律はなるほどと頷く。疑問に思った段階で、先に答え合わせのため千代嬢に質問を送っていたとは。「どうだ、合っているだろう?」という気概が感じられて実に類らしい。
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