1-16. たまには試したくもなる
***
「類さん、いい加減教えてくれてもいいと思うのですが」
「まあまあ律くん、落ち着いて。ほら折角可愛い格好してるのに」
「これ以上なく落ち着いています。落ち着いていないのは類さんです」
よろず屋茶館の空間に、二人のやりとりが響く。律はぐったりとソファーに座り込み、上機嫌そうな様子で立っている類を見上げていた。
千代嬢を迎える準備はもう出来ている。出来ていないのは、心の準備だ。
「私のどこが落ち着いてないって?」
「散々人を着せ替えさせたお方がよく言いますよ……」
律は頭を抱えながら今の自分の格好を見やる。鼠色に白い桜の刺繍を散らした着物に、海老茶色の女袴にブーツという出で立ち。
今日は千代嬢が来る約束の日なのだから、せめて大人しい格好にしてほしいと言ったのは律だ。
「大人しくてこれですか」
「おや、さっきのドレスの方がお好みかい?」
キラリと目を光らせる青年相手に、律は慌てて手を左右に振った。
「いえ、この格好が、この格好がいいです」
もう煌びやかな洋装は嫌だ。しかも今日は千代嬢も来るのだから。
「気に入ってくれて何よりだよ。やっぱりその格好も似合う」
「それはそれは、どうもありがとうございます……」
律は乾いた笑みを浮かべた。洋装も和装もどんとこいと言わんばかりに、どの格好も似合う張本人にそう言われても皮肉にしか聞こえてこないのである。
「類さん、騙しましたね」
「騙すなんて人聞きの悪い。私は嘘をつかないよ」
「言われた通りの服を着れば、教えてくださるって言ったじゃないですかぁ!」
我ながら強めの語気になってしまい、律は慌てて咳払いをする。対する類は抗議の声にも頓着しないと言った様子で微笑みながら首を傾げた。
「その通り。君に着てみてほしい新作の服は何着もあるからね」
律はぐ、と言葉を詰まらせた。確かに「新しい商品候補の服を試着してくれれば、千代嬢の依頼の残った謎を教えよう」と言われただけで、具体的に『何着』とは言われていない。
嘘はついていない。それは確かだけれど。
「まさかここまで何着も用意されてるとは思いませんでした……」
律は遠い目で呟いた。ここ数日で和・洋問わず、振袖やら小袖やら鹿鳴館のダンスパーティにでも行くのかといったようなドレスやらを、空いた時間に連日何着も着させられた記憶が蘇る。もはや多すぎて何度着替えたか分からない。よろず屋茶館に何故かある、専用の更衣室にも行き飽きた。
「だって服は人が着てみないと、実際どのように見えるか分からないものだろう? 君は適役なんだもの。この店で一番頼みやすいのは君だし」
類の言葉に、律は無言の抵抗を試みる。数秒間そのままでいると、類が深々とため息をついた。
「どうしても嫌と言うのなら、仕方ない。君に無理強いはしたくないからね。他の方に打診するしかないかなぁ」
「……っ!」
律はソファーからがたりと立ち上がった。慣れないブーツにヒールがあったことをすっかり忘れ、勢いよく立ち上がったその反動で視界がぐらつく。
「危ない!」
類の声が律の耳に届いたその直後、ソファーの前にある机に律の頭がぶつかる間際で類が律の腕をぐっと引く。ギリギリで事なきを経て、どちらからともなく二人は深く息をついた。
「す、すみませんでした」
「こういう時は、『ありがとう』って言うんだよ」
「あ、ありがとうございます……」
「うん、よろしい」
類が律の腕から手を離す。落ちる沈黙。
「あの、類さん」
「うん?」
律が恐る恐る口を開くと、類は真顔で律を見下ろした。
――ああ、この目は。
類の目を見ながら、律の背中はぴりりと引き締まる。
この目は、冗談じゃない時の目だ。
「……嫌なわけじゃないです、その、服の試着」
「……」
返ってきたのは類の沈黙。そのままの状態で見つめられているのを感じながら、律は自分の足元を見つめて言葉を濁した。
「えーと、あの……」
これ以上何を言えばいいのだろう。
どこまで言って、いいのだろう。
落ちる沈黙が痛い。何かを言わなければと律の頭が真っ白になる頃、類が何かを呟いた。よくよく見れば、肩も小刻みに震えている。
「……ふふふ」
「……類さん?」
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