1-10. そのままでいいじゃないですか

 類が部屋の奥へと歩き、どかりと書斎机の前の椅子へ腰を下ろす。そしてそのまま、彼は机の上に頬杖をついて大きなため息をついた。

「どうしようかねえ、お客様に打ち明けるタイミング。ずっと男の子だと勘違いされたままっていうのも」

 そうなのだ。律が店の店頭に手伝いとして出るようになったのは、尋常小学校を出てから少しあと。学校を卒業し、店頭での使い走りの仕事や一日の流れなどを教えてもらっている準備期間中に、律の”誤って髪ばっさり切られる”事件は起こった。


 この時代、女児から大人に至るまで、女子は皆総じて髪が長い。というより、「女性らしく」長くあるべきなのである。つまりは女イコール髪が長い、という固定観念があるというわけで。

 そして当時、律の髪型と顔を見た客から、律はなんと少年と勘違いされた。


「大体、君があのとき外へほいほい一人でごみ捨てなんかに行くから」

「いやごみ捨てくらい行かせてくださいよ……」

 類の愚痴りに、律は思わず突っ込んだ。妙なところで記憶力のいい人だな、と少し舌を巻きたくなる。


 当時、髪を切られたことをきっかけに、短く髪を切りそろえた数日後。律は店の手伝いのため、一人でごみを捨てに早朝、往来へ出た。

 店の開店時間前から店の中から出てくるのは、店子やその手伝いしかありえない。早朝だというのにたまたまその日は、往来に呉服店常連のお客様が通りかかり。

「ずいぶん可愛い男の子が新人さんで入ったね」と話しかけられた律は訂正すべきか一瞬迷った。が。


 女は女らしく、年頃の娘の髪は長くあるべき――。そんな価値観が一般的なものだから、律がそのままの髪の短さで女の服を着て表を歩けば、好奇や侮蔑の視線を向けられるのは容易に想像できることだった。『年頃の娘があんな髪型をして嘆かわしい』、『なんてはしたない』。そんな言葉が聞こえるのは必至である。


 ましてや当時、少年と間違えられるくらいの短い髪型だったし、『出家でもしたのか』と揶揄されかねなかった。何より――自分がやってしまったことに幼子ながらショックを受けて泣いた梅子と、しきりに青い顔で平謝りする梅子の母親の顔が、その時の律の脳裏に鮮やかに浮かび上がり。


 律はにこやかに、「ありがとうございます、これから頑張りますのでよろしくお願いします」とだけ答え、訂正するのをやめたのだ。


 そこから先がまた、流れができてしまえば止められるものではなく。お客様に恥をかかせないようなタイミングで訂正しよう、と様子を見ている間にも、事態は進んでしまった。


「……君は良くも悪くも目立つからね。訂正するより前に、評判になるのが早すぎた。今やうちの看板少年だ」

 律目当ての客がすぐに舞い込む事態になり、今に至ると言うわけだ。

 ちなみに律目当ての客は圧倒的に女性が多く、その誰もが律を少年だと思った上で連日押しかけているのである。


「いや、ただの手伝いなんですけどね。販売の能力はまだまだ勉強中です」

「じゃあ、看板手伝いくん」

「……なんか語呂が変です」


 嘆く類につられ、律は自分の今の格好を見下ろす。昨日類が着ていたような紺色の落ち着いた男物の着物だ。

「そんなに似合ってないですか?」

「いや似合ってるよ、似合ってるけども」


 類は頬杖をついていた態勢をずるずると崩し、机の上に突っ伏した。律の場所からは、彼の後頭部しか見えなくなる。

「……まあ、君の考えも分かるけどね。一番気に病んでたのは、君の髪を切ってしまった梅子ちゃんたちだからね。君の髪を元の長さにまで戻すには年単位でかかってしまうし」

「いや、むしろびっくりさせて申し訳なかったです」


 律は曖昧に笑い、頭の後ろをかいた。類や周りの皆は嘆くけれど、律にとって髪の毛をばっさりやられたことは、正直そこまで衝撃ではなかった。そもそも自分の不注意が原因だし相手は子供だ。


 それに正直、表立っては言えないが一度髪を切るとなんと頭が軽いことか! ずぼらな律にとっては髪の毛の手入れなど面倒くさい以外の何物でもなかったし、実は個人的には少し楽だと思っていた。

 訂正しない一番大きな理由は、また別にあるのだけれど。


「君が申し訳なく思う必要はないよ。そもそもうちの親も従業員もみんなどうしてこうも調子がいいのか……」

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