1-7. それはオルゴール
切実な目でそう訴えかけた千代嬢は、口火を切るが早いが持っていた桜柄の大きな巾着袋の中から何かを取り出した。
テーブルの上に慎重な手つきで置かれたそれを、類と律はじっと見つめる。
「これは……」
「ミュージカルボックス、というものらしいですわ」
類の呟きにやや食い気味に答える千代嬢。そわそわとしながら紅茶をまた一口飲む彼女に類が「触っても?」と尋ねると、彼女は素直にこくりと頷いた。
「ああ、オルゴールですね。これは素晴らしい」
手に取り、オルゴールの蓋を開けながら類が感嘆の声を上げる。律もそっと隣からそれを覗き込み、思わず目を見張った。
木製のこげ茶色の蓋を開けると、箱の内側には透明なガラスが張られ、その下に幾つもの突起が付いた銀の筒が見えた。律が現物を見るのは初めてだけれど、これで曲を奏でるのだろう。蓋の裏側には蔦の葉と小鳥が描かれた彫刻が細かく刻み込まれており、一見しただけでも素晴らしい一品だった。
「細かくて意匠に凝ってますね」
「だ、ねえ。私もオルゴールは始めて見たよ」
律がほうと感嘆のため息を漏らしながら述べた感想に、類も頷きながらオルゴールの箱をじっと見つめる。
「私も……私も最初はそう思って、とても嬉しかったのです」
そう言いながら顔を俯かせ、千代嬢がテーブルにグラスを置く。カラン、と涼やかな音を微かに鳴らす氷。それをしばらくじっと見つめたかと思うと、思い切ったように彼女は顔を上げた。
「でも、今は不安で仕方がなくて」
「不安、ですか」
律がオウム返しにそっと尋ねると、彼女は唇を噛み締めて頷く。視線を迷うように彷徨わせ、千代嬢はすうと深く息を吸って吐き出した。
「……そのミュージカルボックス、壊れているのです」と言いながら。
***
類と律が千代嬢から聞いた話はこうだった。
千代嬢の幼馴染であり、家同士が決めた婚約者でもある華族・
因みに葉月家は、舶来品を取り扱う商いで近年財を更に増している華族だ。
「後から追って手紙も送られてきたのです」
「そこには何と?」
身を乗り出す類の前で千代嬢はすっと手を伸ばし、類の手の上にあるオルゴールの箱を指さした。
「近況報告と一緒に……『そのミュージカルボックスの曲は三番まであるから、そこに注目して欲しい』ということ、『今の僕の気持ちにぴったりだと思ったから贈る』といった趣旨のことが書かれていました。後はよく分からないのですが、『前の歌詞と"日本での乾杯"が大事だ』とも。何のことかよく分からないまま、ひとまず曲を聴いてみたのですが……そのミュージカルボックスはゼンマイを全て回し切っても、二番までしか鳴らないのです」
「なるほど、それで壊れていると思ったわけですね?」
類の質問に、俯きながら頷く千代嬢。
「あの……なぜ、千代様は不安になったのですか?」
律は引っかかるものを感じながら質問をする。
現在日本ではオルゴールは生産されていない。西洋文明を積極的に取り入れようとしているこの昨今、その技術をものにしようと政府が動いてはいるものの、まだ会得はできていないからだ。つまり、オルゴールを手に入れようとすれば海外から取り寄せるしかないのだ。
このような意匠を凝らした貴重な贈り物に、不安を感じるとは一体どんな状況なのか。律にはそれが気になった。
「千代さん……」
心配そうな瞳で、千代嬢の両隣のご令嬢が呟く。「大丈夫です」と言った千代嬢は、顔を上げて困ったように笑った。
「曲を、聞いていただければお分かりになっていただけると思います」
「ゼンマイを、回してみてもいいでしょうか」
「ええ、もちろんです」
千代嬢が頷くのを見届けて、類が箱の側面にある銀色のゼンマイに手をかける。
「うん、ここでストップだね。回し切ったらしい」
ぐ、と手を止めて類が呟き、そして手を離す。
類が手を離すや否や、箱からきらきらと音の粒子が舞うように、凛とした涼やかな音色が軽やかに流れ出した。律はその出だしにはっとして、顔を上げる。
「これは、『蛍』ですか?」
尋常小学校を卒業した者なら、全員が漏れなく習う有名な曲だ。
「蛍の光、窓の雪。
類が曲に合わせてしばらく口ずさみ、ふっつりと黙り込む。類と律は互いに無言で顔を見合わせた。
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