2-5. 天麩羅屋の悩みごと

「それで、手伝ってほしいことって?」

「僕らのお気に入りの天麩羅てんぷら屋が、少しばかり困っていましてね。また何かが起こる前に、盗人ぬすっとを見つける手伝いをしていただきたいのですよ」

「ぬ、盗人……? まさか現金が盗まれたとかじゃないですよね?」


 常盤氏の口に突然上った物騒な言葉に、律は目を瞬かせる。東雲呉服店でも常に全方位に向け注意を払っているが、盗人は本当に怖い。商品、備品、現金、どれもなくなっては商売上がったりだ。


「ああ、安心してください。今のところはそこまでではありません」

「今のところは、ということは今までにも何回かあったか、今後も続くことが予想されるってことかい?」

「流石ですね」

 類の言葉に、常盤氏が満足げに頷く。こげ茶色の髪の毛の下から、見目の良い猫目がふっと弧を描いた。


「そうです、これまでに何回もやられたそうでね。傘立て、店の扉の表にかける『開店中』の木札、営業時間を書いた紙、次回定休日のお知らせの紙……そういうこまごましたものが最近よく立て続けになくなっているそうで。営業時間の紙は偶然剥がれてどこかに行ったということもあり得ますが、それも何度もやられていると。もうそこまで来たら偶然ではなく、故意だと僕らは思っています」


「なるほどね。無くなったら困るけれども、被害届を出すまでもないものばかりだ」

「そういうことです。店主の方にはお世話になってますからね、何か僕らでお手伝いができないかと。協力してくれそうな人物に心当たりがあると言ったら随分喜ばれましてね」

「……で、そのご協力要員が」

「そう、僕らと君と律さんです」


 爽やかな笑顔でそう言い放たれ、類がため息をつきながら無言でずるずると椅子に沈み込む。そんな幼馴染の青年を尻目に常盤氏は品よく茶を口に運び、続いてあんぱんを手に取った。


「やっぱり美味しいですね、ここのあんぱんは。生地の食感が違う」

 上品にパンを齧りながら、好青年が呑気にしみじみとそんなことを言っている。対して律の隣の黒髪の青年は珍しく黙り込んだままだ。


 一体どうしたのだろう。律がちらりと隣の様子を伺おうとすると、何故か真面目な顔で無言のままこちらを見ている類の目と、まともに視線がかち合ってしまった。


 タイミングが悪かった、と頭の中で泡を食いながら、律は慌てて目を逸らして再び常盤氏の方向へと視線を戻す。来客の青年は目の前の律の内心もどこ吹く風で茶を啜っていて、律は動揺を悟られなかったことにほっとした。


 類の黒曜石みたいな目は、真っ向から見るには心臓に悪すぎる。


「律くん」

「はい」

 真剣な声で改めて名前を呼ばれ、律の背筋は一人でにぴっと伸びる。


「あんぱん、食べないの?」

 何か真面目な話をされるのかと思いきや、ただのあんぱん食いの督促だった。気が抜けたようなほっとしたような助かったような、謎の気持ちを抱えて律は大きく頷く。


「た、食べます食べます!」

「うん、お食べ」


 律は慌てて目の前のあんぱんに手を伸ばす。ころんと丸く、手のひらにちょうど収まるくらいの菓子パンの端っこを齧ると、柔らかくもしっかりと噛みごたえのある甘い生地が口の中に入ってきた。その味を噛み締めながら食べ進むと、ほんのりと上品に甘いあんこが顔を出す。


 しっとりもちもちとした生地と、それに包まれた小豆の餡。このパンを考え出した人は天才だ、と思いながら食べていくうち、律はあっという間にパンを食べ終わっていた。


 とどめに宇治の煎茶を口に含むと、これがまた美味い。口の中に広がった甘いパンの余韻をじんわりと茶の旨みがちょうどいい具合に中和していく。


「いやー、美味かった」

 ね、と類に話しかけられた律は大いに頷いた。間違いない。

「美味しかったです」

 上質な菓子パンと茶を口にしたことで、体の奥からほこほこと温まった。美味しいものは、幸せだ。

 が。そうのんびりとずっと余韻に浸ってはいられない。

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