1-15. 再会に乾杯を
「大体、全部かな」
「はい?」
短く答えた類の言葉に、律は首を傾げた。
「だから、大体全部」
「……ええ?」
「そんな疑わしそうな目で見なくても」
そう言われても、何もこちらは把握していないのだから判断しようがない。律が踏み込んで聞いていいのか迷っていると、類は微笑みながら言葉を続けた。
「いいよ、君のためなら何だって答えよう。順に説明していこうか」
「……すみません、お願いします」
類は頷き、右手の人差し指と中指と薬指を空中にぴっと立てた。
「私が気になったことはね、三点あった」
「うち一点は、先ほど教授に聞いていたことですね」
「その通り。まず一点目は『どこで製造されたか』。大体予想はついていたけど、確かめたくてね。やはりスイスだった」
そういえば、どうして類は製造国など気にしたのだろうか。律がぼんやりと考えながら頷いていると、類はうっすらと微笑んだ。
「そもそも不自然なのだよ。どうして千代嬢の婚約者は、オルゴールに手紙を添えて出さなかったのか。なぜ、後から説明の手紙を別で送るなんてことをしたのかとね。一緒に送ればいいじゃないか。ただでさえ海外便は値が張るのだし」
「……確かに」
その点は気にしていなかったが、言われてみれば確かにそうだ。律は小さく頷いた。
「そこで私は考えた。手紙とオルゴールを一緒に出さなかったのではない、一緒に『出せなかった』のではないかとね。なぜなら、オルゴールの現物が婚約者殿の手元にはなかったからだ。オルゴールそのものはスイスから日本へ直送、手紙はイギリスにいる婚約者が出したのではないかな」
「……でも、スイスからイギリスまでは距離がありますよね。婚約者殿はどうやってオルゴールを見繕ったのでしょう」
わざわざ留学先のイギリスからスイスまで移動していったのだろうか。
「見繕わなくても、目当てのオルゴールを作ってもらうことができるのだよ」
「目当てのオルゴールを作ってもらえる……? 注文か何かが出来るのですか」
律の質問に、類は満面の笑みで頷く。
「その通り! 日本から譜面を送り、それを元にしてスイスの優秀な職人がオルゴールを作る。そうした注文ができるのだよ。もちろん、そうした取引を普段からしている商売人か、財力がある人間にしかできないことだけれどもね」
そりゃそうだろう。律は突然の海外をも巻き込んだ話に頭を抱えた。お金持ちにはそんな大掛かりなことができるとは。律が知らなかったのも当たり前である。
「オルゴールだって作るのには時間がかかるのだから、おそらく千代嬢の婚約者は留学前に日本から『蛍』の曲の譜面を送っておいて、伝えられた出来上がりの目処を見計らって手紙を千代嬢に出した。これで大分すっきりする」
律は説明されたことを反芻しながらゆっくりと頷いた。そうか、注文ができるということであれば。
「なるほど、そこでさっき教授にお伺いした二点目の疑問ですね。教授にも見ていただいたけれど、オルゴールは確実に壊れていなかった。とすると、あの『蛍』の曲は元から二番までしか鳴らないように婚約者殿が注文させた、ということになりますか?」
教授も言っていたではないか。『ゼンマイをどのくらい巻き上げられるかによる、壊れているのではない』と。律がそう言うと、類は一瞬驚いた顔をしたのち、くしゃりと破顔した。
「説明が取られてしまったよ。君は納得が早くて助かる」
そう言いながら類はわしゃわしゃと律の頭を撫でた。完全に子供扱いだ。
「そんな君に、一つ頼みがあるのだよ」
「……何でしょう」
ぐしゃぐしゃに乱された髪を静かに直しながら、律は顔を上げる。
「君が昔習った、『蛍』の譜面と歌詞が載っている小学校用の歌集があるだろう? あれを今度千代嬢が来るときに出して欲しい」
「ええ、お安い御用です」
そう答えながら律は首を傾げた。類はこういう時、無駄なことは頼まない。もしかして歌詞に何かがあるのだろうか。
「あの、類さん」
「うん?」
「もしや、歌詞に何か」
言いかけた律の言葉に被せるように、閉じていた襖がガラリと開いた。陣内教授が黒い盆にグラスを三つ載せて和室に足を踏み入れてくる。
「いやあ、お待たせして悪かったね」
そう言いながら教授は律と類の前に颯爽と座った。
「いえ全然。その間に頭の整理ができたので助かりました」
「そうかいそうかい」
類の返しににこやかに笑いながら、教授がグラスを机の前に移した。青く色づく透き通ったガラスに切子模様が刻まれたグラスだ。
「謎は解けたかね?」
「ええ、もうすっきり」
すっきりしているのは類だけだ。律は心の中でそう突っ込みを入れた。新たに浮かんできた疑問を飲み込みつつ、教授と類のグラスに日本酒を注ぐ。
日本酒の瓶を置くや否や、律の前からグラスと葡萄果汁の瓶が横から伸びてきた手によってさらわれた。
「はい、君はこっちね。ほらグラス持って」
「あ、ありがとうございます」
律が口を挟む間も無く、渡されたグラスが類の傾ける瓶によって深い紫色の果汁で満たされていく。
こんな立派な果汁はなかなか飲めない。感慨深く黙って液体の表面を見つめていると、律の視界にふっと影がかかった。
「さっきの続きはまた今度にしようか」
そう耳元で囁き声が聞こえたかと思うと、影はすっと律から体を離して隣に座り直す。
「……」
律はその場に思わず固まった。
言い方がずるい。言い方が途方もなく、心臓に悪い。
「では、久しぶりの再会と謎の解決に乾杯しようか」
心の中で人知れず悶絶している律の前で、先ほどのやりとりが聞こえていなかった様子の教授が、にこやかにグラスを空中へ掲げた。律はハッとして、教授に続いて類と共にグラスを空中に掲げる。
「乾杯」
三人分の声が、チリンとグラス同士が軽くぶつかる小気味良い音とともに響いた。
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