1-14. 秘蔵っ子の弟子
「それにしても、類くんにこんな可愛らしい秘蔵っ子の弟子がいたとは。こりゃあ講義後も食事の誘いやらを断ってまっすぐ家に帰るわけだ」
「教授」
陣内教授の言葉にかぶせるように、類が笑顔のまま一言呼びかける。律はその笑顔を見てその場に固まった。
類の目が、笑っていない。
「誘いの断り文句が毎回『家で待っている子がいるので』だったからねえ」
しみじみと言いながら、教授が律の方向に視線を向ける。何と言ってよいのか分からず、律は戸惑いながら曖昧に笑みを浮かべた。『秘蔵っ子』と称されたのは初めてだ。
「あの、それは恐らく、本当は家の手伝いをするためかと思います」
学校の授業が終わると、類は確かにまっすぐ自分の家、つまり東雲呉服店に帰ってきていた。帰るなりいつも類がしていたのは家業の手伝い。時々、学校で学んだことを律に教えてくれたりと、学生ながら家業にも勉学にも、勉強熱心な人だなと思っていた。
「そうかい? それにしてはやたらに……」
「教授。今日はちゃんと持って来たんですよ。挽回させていただけませんかね」
自分の巾着袋の中から箱を取り出した類が、トンと机の上にそれを置いた。上質な桐の木箱である。
「教授が前に飲みたいと仰っていた日本酒です」
目を見張る教授の前で、類は箱を丁寧な手つきで開けた。ガラスの瓶の中でたぷんと揺れるのは澄み切った無色の液体だ。瓶に記された銘柄を見るなり、教授の目が輝いた。
「これでしたよね? 是非飲んでいただければと」
「いやいや、こんな立派なもん受け取れんよ」
教授は驚いた様子で元教え子だった青年を見返す。どうやらその表情を律が見る限り、日本酒は相当な上物らしい。
「お忙しい中貴重なお時間を割いていただいたのですから、そのお礼です。どうです、私と一杯、杯を酌み交わしていただけませんか?」
そう言いながら、類が再び巾着袋をゴソゴソとやり始めた。
「はい、律くんはお酒じゃなくてこっちね」
ひょいと律の手の上に別の小ぶりなガラス瓶が置かれる。
ラベルを律が見ると、それは葡萄果汁だった。
同じく律の手の上の瓶を見て、教授は面白そうに目をぐるりと回す。
「全く用意がいいことだ。そういうことなら、共に飲もうじゃないか。ちょいと待っていておくれ、今グラスを用意してくるから」
教授が顔を綻ばせて立ち上がる。慌てて手伝おうと後を追いかけた律を穏やかに制し、教授は部屋を出て行った。
静かな和室には、静かに茶をすする類と、すごすごと席に戻った律が取り残される。
「気にしなくていいよ、あのお方はある意味頑固だから。こうでもしないと手土産を受け取ってくれないだろうと思ってね」
席につき直した律に、類が語りかける。なるほど、つまり確信犯。
「私までいいんでしょうか。この葡萄果汁、色からして高価そうなんですが……」
「私も教授もいいのだから、いいのだよ。それより私はね、先程から君の視線がこちらに突き刺さっている気がして仕方がないのだけど。何か言いたいことでもあるのかな?」
悪戯っぽく微笑まれ、律はゴクリと唾を飲み込んだ。
「お聞きしたいことがありまして」
「何だい?」
「先ほどの会話だけで、類さんには何が解けたのですか」
話が逸れて分からず仕舞いだったが、ずっと気になって仕方がなかった。律が身を乗り出すと、「ああ、そっちか」と呟きながら類はくしゃりと髪をかいた。
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