2-8. だから警戒してたのに

 うんざりしたような口ぶりで、常盤氏が天井を仰ぐ。

「そこに関しては同感です。言葉は時代とともに流動的に変わるそうですし、特に二重敬語の問題は曖昧で私もよく分かりません。何が正解か間違いかなんて問題、もしかしたら意味がないかもしれませんし」

「……へ?」

 常盤氏からきょとんとした顔でまっすぐ見下ろされ、その視線の圧に律は思わずたじろいだ。


「俺の味方してくれんの?」

「いや、律くんが言ってるのは味方とかそういう問題じゃなくて、ね」

 律の隣から類が苦笑交じりに答える。

「一般論だろう? 律くん」

「え、はい、そうです」

 律は言葉少なに慌ててこくこくと頷く。寒いわけでもないのに、冷気に当てられたかのように背中側が冷え冷えとした。


 律が日々の接客業の中で蓄えた力は未成熟ながらも多々あるが、その一つが『場の雰囲気や客の気分を、言われなくてもそれとなく窺うこと』だ。まだまだ勉強中の身ではあるが、そんな律にも類から発される冷気はひしひしと感じることが出来た。

 ここは素直に頷くが吉だと、本能と経験の両方が言っている。


「まあつまり、私たちが言いたかったのは肇と渉の見分け方の一部だよ」

 類がそう言いながら肩をすくめる。いつの間にか主語が大きくなっているが、律は場を読み、口をつぐむことにした。

 類は間違いなく、この話を畳みにかかっている。


「成程ね。まあ確かに、肇の方は言葉遣いも俺よりちゃんとしてるしな」

 納得したらしい常盤氏が唸りつつもこっくりと頷いた。

「そんで? 類がさっき言ってた『事件物の物語の禁じ手の中でも一番苦手なもの』って何? そもそも何なの、禁じ手って」

「うーん、そうだね」


 質問を受けた類が、腕を組みながら唸る。

「ほら、相撲とか将棋とかであるでしょ? 禁じられている技とか手。あれと似たような感じで……言うなれば、そう、『反則』だ」

「どゆこと?」

 言葉を探しながらゆっくりと語る類の言葉に、常盤氏が訝しげに眉をひそめる。そりゃそうだ、と律は内心頭を抱えた。類の説明は説明になっていない。


 そしてこの様子だとそろそろ常盤氏の機嫌も心配だ。『常盤肇』の方はどんな状況でも微笑みをたたえたまま丁寧な姿勢をいつも崩さず、怒りを露わにすることはないが、同じ外見でも『常盤渉』の方は違う。

『渉』は類と張る、いやそれ以上の気分屋だ。良く言えば裏表がなく、悪く言えば気持ちの赴くまま行動しがちだ。機嫌を損ねるとそれなりに火消しが大変になる。

 案の定、ひたすらまどろっこしい説明をする類に向けた視線はさっきよりも温度が下がっていた。


「類さん」

 早くこの状況を収集しなければ、と律はため息混じりに口を開いた。

「この前読んでいた事件モノの本の犯人がだったとか、まさかそういうオチですか?」

「その通り! よく分かったね」

 にこりと笑って、類が指を鳴らす。「左様でございますか」と肩を落とす律の隣で、まさしく常盤家の『双子』の片割れの弟である渉が、無言のまま片眉を上げた。


「いやー、分かるかいこの気持ち。結末までドキドキしながら読んだら最後の最後で犯人は双子の二人一役だった、ってオチだったんだよね。しかも双子だっていう事前情報もなし。私は思うよ、双子ならその情報を先に読者に向けて開示すべきだ。でないと読者に対して公平じゃないだろう?」

「まあ、読者は『書かれていないこと』を把握しようがないですからね」

 その肩透かし感は何となく分かる。律が頷くと、類は満足そうに微笑んだ。


「その点、君らはまあ分かりやすかったから許す。渉はいつも待ち合わせに遅れてくるし、肇の方がど真面目にマナーを守る。帽子とかね」

「……なんで俺、勝手に文句つけられた上に勝手に許されてんの? しかも俺への評価、地味にひどくない?」

 憮然とした表情でぼやくと、渉はすっと目を細めて類を見た。


「ねー類、俺が煙に巻かれるの嫌いだって知っててそれやってる?」

「知ってるさ。だから敢えてやってんの」

「何それ、意味分かんね」

 なあ、と律へ同意を求めながら渉が律の頭にのしりと腕を置いた。話を振られた律は「諦めましょう」という表情を浮かべてため息をつく。

「いつものことです。類さんのやることなすことに逐一意味考えてたら、身が持たないので」

 普段から振り回されている身としての経験談だ。つつかれたりのしかかられたり後ろから驚かされたり、本当にこっちの身にもなってほしい。惚れた方が負けだとは分かっているから何も言えないけれど、と律は遠い目をして考えるのをやめた。それよりも、と思考を別の方へ転換する。


 のしかかられたりといえば、頭上の重量感が増した気がするのだが。そろそろ腕を退かしてほしい、と律は自分の頭にかかる渉の重さに抗いながら顔を上げようとした。

「あの、渉様」

「ちょ、類、ほんとやめろって」

 重いですと申告しようとした律の言葉に被せるように、ぶはっという渉の笑い声が聞こえる。それと同時に頭の上が一気に軽くなり、律は目を丸くした。


「俺、くすぐられるの弱いんだけど」

「さっきから思ってたんだけど、距離が近い。もうちょっと離れて」

「あ? 何……って、ほんとちょっと待って笑い死ぬ」

「ほんとにさあ、隙あらばだよね。……だから警戒してたのに」

 渉へのくすぐり攻撃を続行しながら、類がどこか遠い目をしてぼやく。

「は? 何の話?」

「こっちの話」

 眼前で繰り広げられる二人の謎の光景とやりとり。ぽかんと硬直していた律の目と、類の目が合う。

 二人の目が合った直後、類は渉の脇腹からぱっと手を離した。

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