2-9. 全く役に立たない助言

「さて、ふざけてる場合じゃないね。そろそろ行こうか」

 自分の首に手を当て、こきりと軽く回してから類が微笑みを浮かべた。その背中を、やっとくすぐりから解放された渉がどつく。

「いや、『ふざけてる場合じゃない』って、始めたのはお前だろ」

「先にふざけ始めたのはそっちだろう? あと、部屋の中では帽子取ろうね」


 類が微笑をたたえたまま渉の方に顔を向け、ひょいとその頭から山高帽を取る。

「は? 別にふざけてないけど」

「なら、どうして君が来たんだい? 今日は肇が来ると思ってたんだけど」

 渉の頭から取った帽子をそのまま手でくるくると弄びながら小首を傾げる類に、「お前がやっても可愛くないからその仕草やめてくんない」と渉が小声で舌打ちする。


「肇が腹壊したんだよ。俺は今日、代理で来た」

「ふうん?」

 じとっとした目で渉を見やりながら、なおも帽子を指で回す類。それを取り戻そうとする渉と、身軽にその動きをかわす類という、謎の光景が律の前に出現する。

 百七十センチ後半くらいの背丈の長身の青年が二人、部屋の中で帽子を巡って攻防を繰り広げる光景は実になんとも言い難い奇妙さを醸し出していた。

 

「お二方、何なさってるんですかさっきから……天麩羅屋さんのお手伝いに行くじゃなかったんですか……?」

 さっきから全然話が進んでいないし、そもそも今日の目的を忘れていやしないか。律がそう思いながら時計を指さすと、青年二人がぴたりと動きを止めた。


「……律」

「何でしょう」

 渉からの呼びかけに応えながら、律はすたすたと二人の元に歩み寄り、動きの止まった類の手の上から帽子を取る。何の抵抗もなくあっさりと引き渡されたその帽子を、律はそのまま本来の持ち主の手にぽんと乗せた。


「律、あのさ、怒ってる……?」

 恐る恐る窺うように、上から渉の声が降ってくる。まさか、と律は首を振る。

 怒る要素はどこにもない。どこにもないが、いい加減出発しないとまずいのではないかという思いと、いい大人二人が一体何をやっているのかという純粋な疑問はあった。


「いいや、律くんは怒ってないよ。『いい大人が一体何やってるんだ』とは思ってるだろうけど」

「え、何で」

 図星だった律はぎくりと類の顔を見上げる。見上げられた類は苦笑しながら頬をかいていた。

「困ったね、大人とはいっても君と歳の差はあまりないはずなんだけど。私って君からしたらそんなにおじさんかなあ」

 なぜそういう方向に話がいくのか。ぽかんとしながら、律は慌てて首を振った。類は明らかに『おじさん』ではなく『青年』である。

「いえ、全然そんなことは」

「だよね? 私、まだ二十二歳だよ? 君とそんなに変わらないよね?」

「え、ええはい」

 謎の問い詰められ方に、律はたじろぎつつ頷いた。何となくだけれど、類から感じる圧が凄い。別に焦らなくてもよい場面なのに背中に流れる冷や汗を感じていると、後ろから肩を叩く手があった。

「ねー、もう飽きた。早く行こ」

 そのまま渉は右手で律の二の腕を掴み、左手で山高帽を被りながら部屋の出口の方へ歩き出す。

「ちょ、渉様」

「はいはい、行くから行くから」

 類がすかさず渉の右脇にすっと手を差し入れる。突然のくすぐり不意打ちに右手の力が抜けた渉を横目に、類は微笑みながら部屋の扉を開けた。


***

「ところで律くん。今日は従業員として手伝うって話だけど、そんな君に接客のコツを教えよう」

「はい?」

 店の位置を知る渉を先頭に、後ろに類と律が続く。そんな布陣で目的の天麩羅屋へと歩いていると、不意に類がそう言い出した。

 そう、先日常盤肇が律と類に持ち掛けてきた「協力内容」とは、律が従業員側として店内・店の裏を見回り、肇と類は客側の座席から客の様子を常に注意して窺ってみる、というものだったのだ。実際は渉が肇の代わりに来たというわけだが。


「接客のコツ、ですか?」

「そう。例えば湯呑み。あれをお客様の目の前に置くときは、持っていない方の手を底に添えて、一度緩衝材に使ってから置くと良い」

「ああ、確かに片手で湯呑みの側面持っているだけだと熱くて危ないですもんね」

 手で湯呑みを持っている想定で空中に手を動かして見せながら、律は納得して頷いた。

「いいや。そっちの方が品が良く見えるだろう?」

「……左様でございますか」

 ただ単に、自分の見え方のためだった。

 律は虚ろな目でとりあえず頷いて見せる。前を歩いている渉の肩が小刻みに震えているから、多分この会話はばっちり聞こえているんだろうなと思いながら。


「あともう一つ」

「今度は何でしょう」

 今度は渉も顔だけこちらを振り向いた。二人分の視線が集まった類は指を鳴らし、爽やかな笑顔で口を開く。

「困ったときは人を下から見上げるといいよ」

「……」

 律は目をぐるりと回して見せた。

 その威力は良く知っている。つまり上目遣いというわけではないか。

 それはただのあなたの得意技では、と言いかけた律はすんでのところで踏みとどまった。類がこちらに向かって身を屈めようとしているのが見えたからだ。

「あ、再現して見せようとしなくて結構です」

 律は真顔で類の行動を制止した。

「ちぇ」

 二人のやりとりを聞いていた渉が、苦笑しながら肩を竦める。

「律も毎度毎度大変だな」

「渉様なら分かってくださると思ってました」

「ちょ、二人ともひどくない!?」

 そんな全く役に立たない助言やらたわいない会話をわいわいとやっているうちに、三人は目的地に到着した。

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