1-6. かすていらと休息

「それに、これは『かすていら』じゃありませんか!」

 この部屋の壁のように暖かな茶色の屋根をした、柔らかいレモン色の直方体の焼き菓子。たっぷりの卵に、水飴と砂糖が練り込まれた生地がほんのり甘いお菓子だ。

 歓声を上げるお嬢様方の反応に、類がにこにこと頷いた。


「喜んでくださって良かったです」

 そしてふっと横目で律の方を見遣り、また視線を元に戻す。律はかすていらを載せた小さな皿を各人の前に置きながら首を傾げた。何なのだろう、今の視線は。


「どうぞ、お召し上がりください」

 類の一言で、各人めいめいに紅茶やかすていらに手を伸ばす。

「この紅茶、とっても美味しいです」

「本当ですわね。渋みもなくて香りもいいし、きりっと冷たくて。あっという間に飲み終わりそう」

 自分が用意したものを口にし、目を輝かせる客たちを目の前にした律は内心ほっとして胸をなでおろした。


「ほら、律くんも座って飲んで」

「……失礼します」

 類からの圧力を受けて、律は彼の隣の一人がけの椅子に座り、自分で昨日淹れた紅茶を口に含む。


 そのアイスティーはまさに至福の味だった。和紅茶、つまり日本産のアールグレイ。渋みがないのに、まろやかで深い味わいの紅茶をキンキンに冷えた氷を鳴らしながら飲む瞬間は、贅沢以外の何物でもなかった。


 取り合わせのかすていらもまた、たまらない。しっとりふかふかとした生地が、卵と砂糖のほんのりとした甘さと一緒に口いっぱいに広がる。


「あの……こんなに贅沢におもてなししていただいて、いいのでしょうか。しかもこの上ご相談に乗っていただくなんて」


 恐る恐る、といった様子でこちらの様子を窺うように口を開いたのは、ソファー席の真ん中に座ったご令嬢だった。落ち着いた淡い桜色の地に梅模様を散らした着物がよく似合う、可愛らしいお嬢様だ。長い三つ編みを生かし、結い上げた髪形からは上品さを感じる。


「ああ、気にしないでください。実はこの紅茶もお菓子も、うちの呉服店をご贔屓にしてくださっている方々からいただいたものなんです。私たちだけで独り占めするには忍びないと思っていたので、むしろ感謝をするのはこちらですね」

「あ、ありがとうございます」

 よどみない類の言葉に、ぺこりと礼儀正しく頭を下げるご令嬢。


「して、そろそろ本題に入りましょうか。乃木様、今回のご相談というのは?」

 類は桜色の着物のお客様に笑顔で言いながら、一人掛けのソファーの上で軽く座り直す。律は彼の目に一瞬だけ、鋭い光と好奇心の色が宿るのを見逃さなかった。人を冷静に観察するような、いや相手の心理人格までをも慧眼で見透かす、年齢不詳の仙人のような――そんな目を、彼は確かにした。


 またいつもの癖が始まった。一瞬心の中で遠い目をしてしまった律は、華族・乃木家の長女、千代ちよ嬢がぎゅっと両手を握りしめるのを見てはっと姿勢を正した。


「ええ、実は私もう我慢がならなくて……! どなたかにご相談していただきたくて、たまらなかったのですわ」

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