1-11. 助手のお出かけ
「『売り上げが上がるならいいじゃないか』が信条ですもんね、店主様方」
「そうなんだよ……わが親ながらほんと困る」
「ブレなくていいじゃないですか」
律がそう言うと、類はうつぶせ状態から身を起こし、じとりとした目で律を見た。そのまましばらくじっとしていたかと思うと、彼は不意に大きく頷く。
「そうだ! 君が個人売り上げを落としてくれれば」
「穀潰し状態は絶対に嫌です。クビになります。というか、次期店主が何仰ってるんですか」
律の即答に、類はしょんぼりとうなだれた。
「あーあ、前は私目当てのお客様が多かったのに」
「自分で言うんですかそれ……」
嘆く類に向けて、律はお返しと言わんばかりにじとりとした目線を送った。この男、無駄に前向きでややナルシストなのである。その恵まれた容姿で下手に謙遜されるのも嫌味だから、もういっそここまでくると逆に清々しい。
「ま、今のところは仕方ないか」
ぼそりと呟き、類がゆらりと立ち上がった。
「じゃあ、そんな看板手伝いくんに助手を頼もう。早速ついて来てくれるかい?」
突然の話題の転換に、律は虚を突かれた後、一拍遅れて慌てて頷いた。
「あ、ああ、この前いらした千代様の件ですね」
律は答えながら、手元に視線をもどす。まだ紅茶の作業が途中になっていた。
すっかり粗熱が取れた紅茶をボウルに流し込み、中に氷を敷き詰めてある木製の箱の中に入れた。こうすれば箱の中が冷気で満たされ、紅茶も冷える。
「私が昔学校でお世話になっていた教授に、面会の約束を取りつけることができてね。この前お預かりしたオルゴールを見ていただくのさ」
「舶来品に詳しい方なんですか」
「そう。研究のため色々なところに渡航したこともある、見識の深い方だよ。さ、茶の仕込みも終わったろ? 行こう」
「はい」
律は頷き、扉を開ける類の後を追った。
***
律が道に足を踏み出すと、じゃり、という砂の転がる音がした。その隣を飄々と歩いていく類の足元からは、彼が足を運ぶたびにコツコツと小気味良い音が微かに聴こえてくる。
律は紺色の着物に草履。類は茶色の着物に黒い羽織り、そしてブーツという出で立ちで往来を歩いていた。
あたりを見回せば、日本式の門構えの建物に入り混じり、西洋風の洋館じみた建物が居を構える賑やかな市街地。往来には様々な人たちのさざめきが満ちていた。
この往来で夫婦や恋人以外の男女が連れ立って歩いている例は、限りなく少ないだろう。それぞれ歩く人々ひとりひとりの人生は知る術もないが、律でもこれだけは言える。
「この前のアイスティー、気に入った?」
問われて律が顔を上げると、類がしげしげとこちらを見遣っていた。
「さっき、茶葉をじっと見ていたから」
間違いなく、さっき何とか茶葉の出がらしを飲めないかと思考を凝らしていた時の様子を言われている。律は内心冷や汗をかきながら、顔は努めて平静に保ちつつ首肯した。
「あ……そうですね。この前千代様達にお出しした紅茶が美味しかったので」
「それは良かった。あのお茶を仕入れた甲斐があったよ」
てくてくと歩きながら、律は内心首を傾げた。確かあの茶葉、貰い物だと前に言ってはいなかったか。
「ああ、なるほど」
しばらく考えて納得した律は、深く頷いた。気持ち的にはぽんと右手を左手の平の上で打ちたい気分である。千代嬢から預かったオルゴール入りの巾着袋をしっかと抱えているため、両手が塞がっていて出来ないが。
「ん? 何が?」
「お客様のおもてなしのために、わざわざ仕入れてくださったんですね、あの紅茶。だけど千代様たちに気を使わせないため『貰い物』だと言った……ってとこですか?」
律が言った途端、類が自分の目の上に手を当てて天を仰いだ。今度は何の姿勢なのだろう。
「ああ、うん、君の思考回路はよーく分かったよ」
「はい?」
「微妙に惜しいね。君はもうちょっと行間を読む訓練をした方がいい」
微笑みながらばっさりと言われ、律は眉間に皺を寄せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます