2-11. 止めるのも面倒くさい
「よく言った、律。10時にって言ってあるから急がないと。ほら早く早く」
そそくさと律と類の背中を押しながら、渉が店の入り口から離れようとする。
「そうだね、行こうか。従業員口から入るのかい?」
「おう。ここを左にぐるっとまわった裏手」
「了解。行こうか、律くん」
あっさり会話の応酬をやめ、渉の言った方向に類はすたすたと歩き出す。やや早いその速度に、律と渉は慌てて小走りでついていった。
◇◇◇◇◇
「ごめんください」
天麩羅屋の裏口に回り、焦茶色の木であつらえられた引き戸を横に引く。年季が入っていそうな見た目ながらきちんと手入れされているのか、律の手で押してもあまり労することなく、扉はガラリと開いた。
扉を開いた先は土間だった。扉から十歩ほど奥に歩いたところに
「おや、お客様? 入り口はあちらですよ」
戸が開く音と律の挨拶の声が届いたのか、漆喰の壁の向こう側から姿を見せた女性が一人。歳は類や渉と同じくらいか、それよりほんの少し下といったところか。
小豆色の着物に深緑色の帯を締め、背筋をしゃんと伸ばした彼女は、数度瞬きを繰り返してしばらくそこに佇む。そしてゆっくりと首を少し傾げ――ややあって彼女はぽんと右手の拳を左手の平で打った。
「ああ、ひょっとして!」
「え?」
戸惑う律を尻目に、彼女はくるりと店の奥の方へ振り返った。
「店長ー! この前話してたお客さま、本当に来たみたいですよー!」
大声で彼女が店の奥の『店長』を呼ぶ声を聞き、類と律は顔を見合わせ、二人そろって渉を見た。
「『本当に』って言われてますけど、どんな話したんですか?」
「いやー、ちゃんと話はしてあるぞ。店長と」
律の問いかけに、渉が頬をかく。その隣で「とりあえず帽子は取ろうか」と言いながら、類が渉の頭から中折れ帽子を取り上げた。
「お、忘れてた。ありが……」
帽子の方へ手を伸ばして礼を言いかけた渉の手をひょいと避け、類が後ろへ軽くのけ反る。
「類お前、喧嘩売ってんのか」
「いいや、別に?」
「あああの、お二人とも」
しばらくそんな攻防を続けている二人を止めようと律が声をかけかけると、後ろからぬっと影が差した。
「渉様。まさか本当に来ていただけるとは」
深いところから響いてくるようなその声に律が振り返ると、眉も濃く、目鼻の大きな派手な顔立ちの初老の男性がそこに立っていた。驚いたようにぎょろりと目を剥く表情でさえも、その貫禄のある彼にはよく似合っている。
「やだなあ、冗談だと思ってたんですか長田さん」
「いえ、しがないうちの店の問題にお気を使わせて申し訳ないと……」
「しがなくなんてないですよ、僕も肇もこのお店の天麩羅は大好きなんですから」
そんなやりとりをはじめた渉と初老の男性の会話を聞きながら、律と類は再度顔を合わせた。
「『長田』ってお名前ってことは、ここのご店主様ですね」
「そうだね。それにしても、渉の一人称『僕』はやっぱり違和感……痛って」
ふふふと肩を震わせる類の背中に手刀が一発打ち込まれる。
「聞こえてるぞ、そこ」
「聞こえるように言ったんですーう」
またですか、と呟きながら律は遠い目をして類と渉のやりとりを眺める。もはやこう何度もあると止めるのも面倒くさい。
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