第27話 崩れ落ちる確信

 違う絶対におかしい。春山美波が犯人じゃないはずがない。私はあんなに確信していたのに。もともと気に入らない生徒だったけど、そう疑ったことで彼女への嫌悪が確定して、だから母親を操ってやろうって気になったのに。そうだ――私は、根拠があって疑っていた。あれは、絶対におかしかった。その、証拠を突きつけてやれば。この女もしらを切り通すことはできないだろう。


「待って。じゃあ……じゃあ、あの日メイクをしてなかったのはなぜ?」

『あの日……?』

「ルビーちゃんのことがあった日。あの日、貴女はメイクをしていなかったでしょ? 泣いて……泣き真似をして、崩れるのが嫌だったんじゃないの? 初めから分かってたってことじゃないの?」

『あの日……どうだったかなんて……』


 やっと我に返って。そして、鋭く問い詰めたつもりなのに――春山はるやま美波みなみの受け答えがぼんやりとしているので、私は次第に苛立ってきた。いかにも無実のことで疑われている、って感じの曖昧さだったから。特に何もしていない日、他の日と区別がつかない日のメイクや服装、出来事。確かにいちいち覚えているものじゃない。こうだった、こうじゃなかったとはっきり言える方が怪しいのかも。

 でも、これじゃ本当に春山美波が何もしていないみたいじゃないか!


 みっともなく喚き散らす──自分の醜態を自覚しながら、それでも私はスマートフォンに向かって怒鳴らずにいられなかった。


「毎日メイクしているんじゃないの? しない日なんてあるの!?」

『え……? 体育の後とか顔、洗うし。起きるのが遅かったら手抜きの日だって……』


 首を捻りながら答える春山美波の姿、その、何を言っているのだろう、と訝しむ表情までが目に浮かんで、私は言葉を失ってしまった。言い訳や弁明でなく、ただの説明でしかない答え。懸命に言い逃れようと捻りだしたのではなく、本当に事実を答えているだけのような口調。その程度のことだったのか。全て、偶然だったというのか。泣き崩れて目の周りを汚していた生物部員と、綺麗な泣き顔を女優のように見せていた――と思えた――春山美波。その差に、何の意味もなかったというのか。


 いや、まだ認めない。疑っていたのは私だけじゃないんだ。母親でさえ、娘がやったんじゃないかと恐れていた。春山さんは何て言ってたっけ? 愛情があると、昨日までは信じていた娘のことを疑った切っ掛けは、お弁当の件だけじゃなかった。確か……そうだ――


「お母様は、貴女が怖がってないみたいだって言ってた。あんな事件の後なのに! 貴女が犯人だから、ってことでしょ? これ以上事件なんて起こらないと知っていたから、だから落ち着いていられたんでしょう! みんな、母親を虐める口実にするためだけに! そうでしょう!?」


 今度こそ、核心を突いたはず。母親にモンスターペアレントを演じさせるために騒ぎを大きくした、それこそが春山美波の動機のはずだから。さっき内心を見抜かれていたと知って私が動揺してしまったのと同じこと。人には分からないはずの動機を言い当てられたら、そこまで見透かされていたと知ったら、さすがに少しは隙を見せるはず。そう、思ったのに――


『ええ……?』


 スマートフォンから聞こえてくるのは、また要領を得ない溜息のような声。どうしてだ。どうしてまるで的外れなことを言ったみたいな反応をされてしまうのか。それとも、そういうことなのか。私は、真相を知っているつもりで――でしか、なかったのか。


『待って。先生せんせ。何言ってんの? なんか、おかしい』


 おかしいのはお前の言っていることだ! 危うく怒鳴りそうになる前に、春山美波の必死な声が耳に飛び込んでくる。さっきまでとはまた違った種類の必死さ。認めたくはないけれど、冤罪を訴える時、人はこんな調子になるのかもしれない。


『先生たちは、犯人分かってたんでしょ? だから私は怖くなかったんだよ。そりゃ、あいつに言えば面白くなりそうなことが起きてくれたなあ、とは思ったけど。あ、でも、ルビーちゃんが可哀想なのは本当だから!』

「犯人……?」


 春山美波が気安く、それに取って付けたようにルビーちゃんのことを呼ぶのがやっぱり気に障って仕方ない。でも、咎める余裕は私にはなかった。不快以上に、聞き捨てならない単語を聞いてしまったから。犯人。そんなの知らない。私は春山美波だと信じ込んでいた。この期に及んで、この女は私を惑わそうとしているのだろうか。父親に有利になるような、何かしらの証言をさせるために? でも、それにしても脈絡がない。犯人を教えてやる、ならまだしも。


 私の戸惑いが伝わったのか、春山美波の声も揺らいだ。自信なげに。こいつも、何かおかしい、と気付いたのだろうか。


『……そう、聞いたけど。先生たちは犯人大体分かってるって。生物部じゃない人。大事にしないためにこっそり話し合ってるって。そう……だから、分かった後であいつに夕実先生は悪くなかったじゃんって言うつもりだった!』


 春山美波がいちいち言い訳めいた余計なことを付け加えるのが鬱陶しかった。そんなことはどうでも良いのだ。今この女がいったのはもっと重要なこと、ではないだろうか。

 先生。それは、私以外の教師のことか。職員室での噂を聞いたとかそういうこと? ううん、やっぱりあり得ない。犯人の、目星だけでもついたなら私が聞かないはずがない。監視カメラの映像を確認するとか、そんな話にはなっていたけど、生物室の周辺に設置しているはずもないし。不審者が侵入したかどうかを確かめるくらいしかできていないはず。更に具体的な生徒を疑うなんて。それこそ、何も証拠もないのに。


「そんなことには……なってないわ……。私は、知らない……」

『え……』


 私と春山美波と。スマートフォンのこちら側と向こう側で同時に沈黙が落ちる。まだ早朝と言って良い時間帯、静まり返った中で、マウスのケージからかさかさという音が聞こえる。先ほどからの大声で目が覚めたのだろうか。うるさい、黙れと何か投げつけてやりたいけど。あいにく手元にあるのはスマートフォンだけ、さすがにこれを手放す訳にはいかない。


 そんな――どうでも良いようなことを考えているうちに、何とか舌を動かすことを思い出す。何よりも聞かなければならないこと。春山美波がたまたま母親の携帯をいじって私の番号を見つけた、この――そう言って良いのか分からないけど――幸運のような偶然。この巡り合わせがなければ知らないままだったかもしれないこと。今、聞かなければならない。


 私は今までとてつもない勘違いを犯していたような気がする。それに気付いて、更に踏み込まなければいけない。それが怖くて、情けないほど震える声。でも、そんなに気にすることもないかもしれない。


「誰なの? そんなことを言ってたのは……いったい……」

『それは――』


 答える春山美波の声も、何かを予感したかのように、掠れて弱々しい――今にも泣きそうなものだったから。

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