第21話 保護者面談
モニターに映る
「いえ、謝っていただいたところで……個人情報ですよ? どこからどうやって知ったのか、教えていただかないと困ります」
私も春山美波の個人情報を勝手に持ち出していたことはこの際棚に上げる。大体、こっちは自衛の一環のようなものだ。彼女の挙動があまりに不審だから、その真意を知る手掛かりが欲しかった、それだけのこと。いきなり相手の家に押しかけようだなんて、私は欠片も考えていなかった。何よりこのタイミングだ。どうしても
非常識だ迷惑だ、と。言葉に出さないだけで声にははっきりと滲ませてみると、モニターの向こうの中年女は一層身体を縮ませたように見えた。
『……娘のクラスメイトのお
「ああ……」
溜息をインタフォンのマイクに吐きかけると、雑音のようながさがさという音がモニターの画像を揺らしたように見えた。すると春山美波の母親はまたすみません、と呟いた。
一年の桜井さんという生徒は確かに生物部にいる。クラスまでは覚えていなかったが、春山美波と繋がりがあったということはE組だったのかもしれない。でも、人の住所を気軽に教えるとはこのご時世に意識が緩すぎる。私の顔と名前を晒し続けていた学校のホームページといい、教師の個人情報とは蔑ろにされるものなのか、なんて思ってしまう。
『あの……例の一件で言いすぎてしまったからお詫びのお手紙を出したい、と言っただけなんです。桜井さんのお宅では、私がこんなことをすると思って教えた訳ではないはずです』
私が眉を顰めたのがモニター越しに見えたはずはないだろうに。春山母は言い訳するようにぼそぼそと言った。そう、この口調もだ。前に会った時とは全然違って弱々しいから調子が狂う。申し訳なさそうにしたからといってこの無作法が帳消しになる訳ではないのに。失礼だという自覚があるなら初めからこんなことをしなければ良いのだ。
「私もプライベートの時間なんです。お話があるんでしたら、後日また学校へ来ていただけませんか」
ホームページの分の苛立ちも込めて、なるべく冷たく早口にマイクに囁く。とはいっても、生徒が何かしでかせば休日だろうと深夜だろうと教師が出向かなければならないケースはあるのだけど。でも、春山美波は私とは何の接点もない、と言って良いはず。保護者と自宅で個人面談をするような間柄では断じてない。
教師はいつ何時であっても教師であるべき、それが義務だしっかり果たせ、だなんて言い出さないだろうな、と。最初に会った時のこの女の剣幕を思い出して、怒鳴り声を予想して身構えてしまう。でも、インタフォンから聞こえたのはやはり弱々しい懇願するような声だった。
『ご迷惑なことは本当に分かっています。すみません。でも、学校では……他の先生方がいるところでは、無理なんです』
この女は、あの廊下にひとりで立っているのか。平野が脅迫状を突っ込んだあの廊下に、こんなに心細げな表情で、話している
モニターに映るのは、当然ながら相手の上半身だけ。でも、カメラを引いたように、暗い廊下にひとり佇む女の姿が見えた気がして、私の身体を寒気が走った。それは、もしそれが自分だったら、という想像が頭を過ぎったからかもしれないし、あの夜扉の外にいたであろう平野のことを思い出させられたからかもしれない。そのふたつの像は混ざり合って、更に気味の悪い、妄想めいた考えに私を導く。
この女、殊勝な振りをして私を誘い出そうとしているんじゃないだろうか。私の住所を聞き出したのは一体いつなんだろう。あの手紙を入れたのは、本当に平野だったのか? 敵は春山美波だけなのか? あの娘にして、なんてこともある? これも何かの罠だったりして……?
扉一枚。相手と私を隔てるのはそれだけ。鍵もチェーンも、こうなってみると何の安心も与えてくれない。警察? 呼んだところで何になるだろう。 平野が扉を叩いているならともかく、中年の女、それも勤め先の学校の保護者となれば取り合ってくれないだろう。第一、警察の応対にはドアを開かなければいけないじゃないか。
『娘の……美波のことで……。
黙りこくった私のことをどう思ったのだろう。春山美波の母親はいっそ縋るような声でモニターに語りかけている。開かない扉に対して呼び掛け続ける姿を想像するとやはり不気味で――でも、一方で誘惑されてしまっている。だって、あの少女の本性について知りたいと思っていたところだったんだから。誰よりもそれを良く知っているはずの存在が、自分から来てくれたのは、僥倖と言って良いんじゃないか? もちろん、美味しそうな餌をぶら下げられているということなのかもしれないけれど。それに――
この母親は、娘とは違うはずだ。春山美波の言動と、ゴミ捨て場で見た
「……分かりました。でも、家だと困ります。すぐに出るのでちょっと待っていただけますか」
例の画像を収めたスマートフォンを握りしめながら、私はインタフォンに向かって囁いた。モニターの中の女が明らかに表情を緩めるのを視界の端に収めながら、室内へ身を翻す。部屋着ではなくて、もう少しちゃんとした服に着替えようと。
それに、蛇がとぐろを巻き、生餌用のマウスが蠢く部屋に客を入れる訳にはいかない。それくらいの判断力は、まだ残っていたのだ。
* * *
モニター越しの会話で少しでも恐怖を感じたのが馬鹿馬鹿しく思えるほどに、実際に顔を合わせた春山美波の母親は疲れ切った中年の女に過ぎなかった。自宅のマンションのほど近く、比較的大きな道路に面したファミリーレストランで向かい合ってみての感想だ。恐らくは質の良いであろう衣服もくたびれて見えるのは、この遅い時間にこんな店でたむろしている客層に混ざっているからか、あるいは安っぽいほど明るい照明やインテリアのせいだろうか。
「本当にすみません……先日のことも。あの、お詫びを……」
「いいえ、受け取れません。そういうことになっていますので」
私と春山さん――一応はさん、と付けるべきなのだろう、こうしてまともに話すことができている以上は――の間で、百貨店の包装紙に包まれた箱が差し出されては押し戻される。確か、春山美波が父生物部に持ってきたチョコレートと同じところだと思う。近場にでもあるのか、行きつけなのか。外商、という縁遠い単語が頭を過ぎったりもする。――いずれにしても、百貨店のステータスを見せつけるかのようなやり方は、一家揃ってのことなんだな、なんて穿った見方もしてしまう。中に缶の感触がするからクッキーか何かだろうか。まさか時代劇よろしく商品券なんかが仕込まれているなんてことはないだろうけど。でも、教師と保護者という立場で、余計な詮索を招きかねないことは避けるに越したことはない。
結局、箱はいったんテーブルの隅に置くことにして。親子にも友人同士にも見えないであろう私たちにわずかに好奇心を覗かせるウェイトレスに、私は取りあえずコーヒーをふたつ注文した。
「今日は、ご家族は――」
「主人は仕事で遅いんです。娘も、塾で……」
「そうですか」
あの大企業に勤めているなら、多忙ということに不思議はない。一年生であっても塾に通っているのも珍しいことではないし。でも、春山さんの態度からは、夫や娘の目を盗んで抜け出してきた、という気配が漂ってくる。やはりこの家族の実体は、一見したところの印象と全く違っているのだろうか。
「……あの時は、ご多忙の中よく来てくださったんですね、旦那さん」
この女性が私をわざわざ訪ねて来た理由、娘の美波についてのこととやらを、問い質したくて堪らない。でも、相手がしおらしくしている以上は当たり障りのないところから始めるしかできないだろう。それに、春山さんの夫、春山美波の父親の社会的地位を知るほどに、平日の昼間に休みを取ったらしいことも不自然に思え始めていたのだ。
私の言葉が彼女の心のどこにどう触れたのか、春山さんの口元がひきつって笑いのような表情を作った。もちろん全く楽しくも嬉しくもないらしいのは、伏せた目線から分かったけれど。
「あれは、見張っていたのだと思います」
「見張る……?」
呟かれた言葉も謎めいていて、オウム返しに繰り返してしまう。すると、春山さんは顔を上げ、私と真っ直ぐに目を合わせてきた。
「私が、ちゃんとやるかどうか。ちゃんと、というのもおかしいですか……。あの、最近はモンスターペアレントというのでしょう、そんな風に振る舞えているかどうか」
そして彼女は、
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