第32話 対決
満面の笑みで、思考を垂れ流すように語り続ける
またか。また、私の性癖は見透かされていたのか。
「春山さんに聞いたんです。彼女に嘘を教えたって……。今日はそれが聞きたくて来たんです。どうして、そんなことをしたんですか!?」
これ以上は沢山だ。これ以上、この、無害な同僚と思っていた人の妄言を聞きたくない。他所から見た私の姿を知りたくない。だから私は彼を遮って本題に戻った。春山美波は切っ掛けのひとつだったはずだ。何年かの間、私を変な目で見て――それだけでも嫌だけど――満足していたはずの人が、急に行動に移した。平野とこの人の間に何があったかは分からないけど、あの少女もきっとこの人に見抜かれていた、それは間違いないと思う。
「面白そうだからですよ。彼女も
果たして大川先生はこくこくと何度も頷いて私の推測を裏付けてくれた。予想が当たったということ、その一点に少しだけほっとする。
それに、何も知らずに上手く立ち回れていると思っていたのが私だけじゃないことにも。あんな小娘よりも高い評価をもらっていたからって、全く嬉しくなんかないけど。しかも評価するのは大川先生の勝手かつ気持ち悪い基準によってなんだから!
「たっくんを知ってたからかな、そういうタイプに気付いちゃうんですよね、僕。これまではあんまり関わり合いにならないようにしてたんですけど……夕実先生は特別ですからね」
そんなコメントは聞きたくなかった。でも、これで戦果がひとつ。彼は自分が介入したことを認めたのだ。言質を取ることができた。それなら、次はもっとはっきりした告白を。
「ルビーちゃん――生物部の蛇の件、犯人はもう分かってるって言ったそうですね。春山さんはそれで安心して――って言うのもおかしいんですけど――母親を焚き付けたそうです」
最初から、この人は事態を遠巻きに見ていたのだ。春山夫妻を応接室に迎えた時、お茶を出したのはこの人だった。春山美波が昼食を食堂で購入しているところも見ていた。それならお弁当を捨てているのも察していたのかもしれない。そしてたった今認めた通り彼女の本性に気付いていたなら、父や母との関係だって推測することはできるかもしれない。だから――平野の件だけじゃなく――学校でも、この人は裏で糸を引いていたはずだ。
「仮にも教師です。本当に犯人を知っているんじゃなければそんなことは言えないですよね。大川先生がご存知のはずの犯人――蛇を殺したのは、貴方ですか」
それはもはや問いかけではなく確認だった。ここまでおぞましく歪んだ思いを恥ずかしげもなくぶちまけてくれたのだ。今さらそこを勿体ぶることはないだろうと思ったのだ。この饒舌さ、多分彼は私が驚き脅える姿を愉しんでいる。そこはさすが平野と血が繋がっているだけのことはある。ならば自分の犯行を自慢したい心理がきっとあるはずだ。蛇の道は蛇──彼が私を見透かしたのと同様に、私にだって、この人の程度が分かるはずだ。
果たして大川先生は、満面の笑みで頷いた。
「はい。あの気丈な夕実先生がどう反応するかなって思って。たっくんのことも思い出してくれたんですよね、さすがにショックを受けてたみたいで――なのに春山さんをすごい顔で睨んでて、とっても素敵な表情でした」
自分自身の手口を誇るだけでなく、大川先生の声にも表情にも、私への素直な賞賛が滲んでいた。にも拘らず全く嬉しくはないけど。――とにかく、彼は自白してくれた。どんなに変態的な考えを抱いていても罪にはならないけど、これは違う。
彼に口を割らせることができた。勝った、と思って。私は大きく息を吐いた。私がひと息ついたのを見計らったかのように、大川先生は身を乗り出す。
「――大事な話に、戻っても良いですか?」
「ええ。どうぞ」
私としては言質を取ることができたから彼の用件が何だろうともうどうでも良かった。早く終わらせて帰りたい、ただそれだけで。だからおざなりに頷いたのに、大川先生は気にも留めない様子で手を伸ばしてくる。半分ほど空になった彼のデザート皿と、ほとんど手つかずで溶けたシャーベットにフルーツが浮いている私の皿――その両方を押しのけて。
「僕と、お付き合いしてください。正式に、恋人として」
私の手を握ろうとしてきた指は、すんでのところで避けることができた。まるで虫が這ってきたのを払いのけるような勢い――でも、やはりというか彼が怯むことなんてなかった。
「ずっと前から憧れてたのもあります。でも、実際に夕実先生を知るにつれて本当の好意になったんです。特にここ最近の貴女は最高です。強くて冷静で賢くて――そんな人が怯えて、苛々して、それでも何とかしようと気を張っている、そんなところにぞくぞくしました。もっとずっと、僕の傍でそんな表情を見せて欲しいんです」
この場面を録画して、音声を消したら、きっと真摯な告白のシーンに見えるのだろう。いや、大川先生としては真剣そのものなのかもしれない。
でも、私にはふざけた物言いとしか思えなかった。だって、これはルビーちゃんとは別の件の自白にも等しい。あの脅迫状や、春山さんと会った後の人影――嫌っているとかいう平野と組んで、私が怯える様を見て楽しんでいたと言っているのだ。それをこれからもして見せろというのは一体どういうつもりなのか、何をするつもりなのか――想像することさえおぞましい。
「お断りします」
だから答える言葉は、強がりでも威嚇でもなく心の底からの、そして間髪を入れない拒絶だった。
「私がここに来た理由はまったく逆です。――もう、こんなことは止めてください。私には関わらないで。
ひと息に告げると、大川先生の顔がくしゃりと歪んだ。音声のない映像なら、ドラマの恋破れた場面になるのかも。でも、実際には私は気持ち悪いことこの上ない執着を撥ねつけただけ。大川先生だって、可哀想なフラれた人なんかじゃない。
だってこの人は男で私は女だ。あの夜に尾行めいたことをされて思い知らされたように――スニーカーの色からして、あれもこいつだったんだろう――力では敵わないし走っても逃げられない。店内では何もないはず、と言い聞かせてもなお、こうして個室にいることさえ気分が悪くなりそうになってくる。
「そんなぁ。そんな、ひどいこと言わないでくださいよお――」
大川先生が腰を浮かせてこちらへ手を伸ばしたのを見て、パニックに陥りそうになって――私は椅子を蹴倒すように立ち上がった。派手な音を立てて椅子が床にぶつかる。その音を聞きながらバッグに手を突っ込み
「この会話――録音してました。クラウドに保存する設定にもなってます! だからこれを奪っても壊しても無駄。これ以上私につきまとうなら、ルビーちゃんのこと、学校に言います!」
それは、集音マイクを取り付けたスマートフォンだ。大川先生の招待を受けてから今日までに、録音用のアプリを調べて、バッグの中にしまったままでも明瞭な音声が録れるように練習しておいた。だから私のパソコンには今夜の会話のデータが転送されている。大川先生がルビーちゃんを殺したのを認めたところも、全て!
「それは……困るなあ……」
ゆらり、と。大川先生も椅子から立ち上がる。言葉通りの困惑顔で、まるで私が我が儘を言っているかのような表情で。
「つきまとうのを止めてくれたら言いません。ルビーちゃんは……どうせ、悪いだなんて思ってくれないんでしょうし。証拠も残してないんでしょう。しばらくして有耶無耶になって、部活が再開できるなら、それで良いです」
スマートフォンを奪おうとしてか大川先生が近づいた分だけ、後ずさる。と、壁が背に触れてこれ以上は下がれないと知らされてしまう。ああ、弱気を見せないと思っていたはずなのに。それにルビーちゃんのことだって。絶対復讐してやるって思ったのに、どうしてこんなに下手に出るようなことを言ってしまうんだろう。
「そういうことすると、僕だって夕実先生を脅しちゃいますよお?」
もう脅してる癖に! 今さら何を言い出すんだ!
追い詰められた――こっちが条件を出しているはずなのにおかしいけど――状況も忘れて、また子供のように拗ねた顔をする大川先生を睨む。そうすると一転して笑顔になって、私の苛立ちでさえこいつを喜ばせる種になってしまうのかと思うと絶望しかない。
そしてまた一歩、彼我の距離が縮められる。
「夕実先生の住所とか、たっくんにバラしちゃいますよお?」
「は……?」
更に一歩。辛うじて普通に会話をする時の距離感。そしてまた一歩進めば、ほとんど身体が触れ合う距離になる。
「手紙とか、マンションの前で待ってたのとか、どっちも僕です。何するか分からないんだからたっくんに教えたりなんかしませんよ。あの夜お会いしたのは僕っていうのは、さすがに気付いてくれてたでしょう? あんなに近づいたんですから。それに次の日はあんなに全身で警戒して、でも一生懸命僕を睨もうとしてたでしょ。春山さんに向けてたのと同じ目で。嬉しかったなあ。彼女のこと、ずっと羨ましかったんですよねえ」
うっとりとした表情で、大川先生は滔々と語った。春山美波にさえ嫉妬していたかのような物言い、その不気味さ。私の怯えようを思い出したのか、楽しそうに細められた目に宿る狂気めいた執着。でも、それより何より私を揺り動かし、なけなしの平静さを奪った事実がある。
「じゃあ……じゃあ、平野は……!?」
そうだ。この異様な告白に気圧されて忘れてしまっていた。私は、黒幕は平野だと思ってたいたんだ。動機は復讐で、大川先生は共犯者に過ぎないと。でも、大川先生の今の言い方だと、平野は何もやっていない。関わっていないことになってしまう!
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