case3-1 看護師・深山環希


あの後家に帰って時計を見てみると、今度はしっかり"congratulations"の表示が出ていた。

そして次の日、休日だというのに俺は早めに起きて、もうすぐ来るだろう人物の来客を待った。



ピンポ~ン♪



「おはよ。」

「おはようございます!

早いですね!」



こちらが言うセリフを言いながら、相沢が部屋に入ってきた。

すでに相沢が来る準備をしていた俺は、いつも通りの場所に座るヤツにコーヒーを出した。で。



「まずは、おめでとうございます。」

「ありがとう、ございます。」



せっかく砂糖を入れたことに全くコメントすることなく、相沢は冷静なテンションでいた。こいつのこういうところにも慣れ始めてしまったことに少しがっかりしつつ、自分のブラックコーヒーをすすった。



「しっかりと学び始めていますね!」

「え?」


何をだよ、と思って相沢をみた。すると相沢はいつものあきれ顔で、「佐々木様は…」と話し始めた。


「まず佐々木様は、

芦田様の変化に気が付きました。

明るい目の奥にある、寂しさを。」

「はい。」

「そして"自分は芦田様自身を見ている"と

お伝えになりましたよね。」



お伝えになりましたっけ?と思って相沢を見ると、ヤツはにっこりと胡散臭い顔で笑った。



「はい。

気持ちがない人とはしないと、

はっきり言ったじゃないですか。

きつい言葉にも聞こえますが、

"体だけ求めているんじゃない"と、

あの時しっかりと伝わったと思います。」

「なるほど。」


知ってはいたものの、全て聞かれていることにゾッとした。いつも誰かといると忘れがちだけど、"サイレントモード"とやらも使ってみないとなと改めて思った。



「そして最後に、

"頑張った"と言って相手を認めました。

かんっぺきな攻略でした。」


その言い方をされると、なんだか自分が冷たい人間のように感じられて嫌だった。

でも4人の女の人たちを踏み台にして、ラスボスを仕留めようとしている事には間違いがないから、文句の一つも言えないなと思った。



「今後も全ての方に対して、

その方法が有効となります。」

「有効て…。」

「しっかり応用できるよう、

頑張ってくださいね!」



やっぱり冷たい印象に違和感を抱いている俺の気持ちなんていつも通り考えてくれない相沢は、ガッツポーズをつくりながら楽しそうに笑った。


「あのさ。

キス、しなかったじゃん。」


キスをしたら夢落ちになると説明は受けている。

でもしなかったとき、俺との記憶はどうなるのか。


それをひそかに疑問に思っていた俺がそう言いだすと、相沢は俺が質問する前に「忘れてませんよ」と言った。


「気持ちの入ったキスが、

忘却のスイッチみたいなものです。

今回はされませんでしたので、

芦田さんはすべての記憶をお持ちです。」

「やっぱり…。」



まあそうなるよなと思ってはいたけど、実際に言われるとため息がでた。すると相沢はそんな俺の様子を見て、「忘れてほしくないんだと思ってました」と言った。



「関係をお持ちになったこと、

覚えててほしいのかと。」

「んなわけねぇだろ。」

「それならすればよかったじゃないですか。」



「当たり前でしょ」ってテンションで、相沢は言った。確かにそうなんだけど、俺は自分なりの信念みたいなものをもって、キスをしなかったのに。相沢にはわかってほしかったのにと悲しい気持ちを抱えている俺のことなんてしっかりと無視を決めて、相沢は鞄から3人目の"履歴書"を取り出した。



「早速次のターゲットを紹介しますね。」

「はい…。」


結婚相談所かよ、と思いながら手渡された履歴書を手に取った。


「深山、環希(みやまたまき)…。」


潤奈の時は顔を見た瞬間に、誰かはわからなくても会ったことがあるってことは分かった。でも今回は本気で何の手がかりもなくて、ジッと写真を見続けた。



「まだ一度も会ったことがない方は

初めてでしたもんね?」

「は?!!?」


必死で記憶を検索する俺に、普通のテンションで相沢が言った。



こいつ、まだ一回も会ったことないって、そう言った…?



驚きすぎてそれ以降声も出ない俺を、相沢は不思議そうな顔で見た。



「あ、もしかしてどこかで会ってます?」

「会ってませんね。」



「ですよね」と言って、相沢はいつも通り淡々と説明を始めた。もういちいちこいつに何かを求めるのはやめようと心に決めて、履歴書に集中することにした。



「え、37歳?!」

「はい、年上のターゲットも初めてですよね!」



年上のターゲットが初めてどころか、10歳年上の女性と話す機会だってそうそうない。職場のチームのメンバーには40代の女性はいるものの、正直そこまで関わりもないし、関わったところで仕事止まりだし…。


ここまで同世代だったから何となく会話にも困らずに進んでこれたけど、話しかけて知り合いになるどころか、話すネタもないことに早くもゾッとした。



「有巣様も年上の女性ですので、

扱いも学ぶことが出来ますし、

一石二鳥のターゲットですよね。」

「違うと思います。」



やっとそこで小さな反抗をしてみたけど、相沢は動揺することなく「職業は看護師でです」なんていう説明を付け足した。



「どうやって出会えばいいんだよ…。」


ケガでもするか?

そう思って頭を抱えていると、相沢は「あ、大丈夫ですよ」と意味も分からないフォローをした。



「献血に行ってください。」

「はい?」


そう言われてよくよく履歴書を見返してみると、そこには"献血センター勤務"と書かれていた。



「いいことも出来るし、

ターゲットとも出会えるし。

いい機会ですよね。」



それが全くいい機会とは思えなかったけど、「この人は無理です」なんて拒否ができないことは、俺もここまでのプログラムを進行していくうえで何となく理解していた。


とはいえため息しか出ない状況にただ茫然として、俺はただしばらく思考回路を停止させたまま止まっていた。



「善は急げです!

お時間ある時に献血へどうぞ。」



まるで献血センターのスタッフみたいなセリフを吐いて、相沢は去って行った。俺はまた空になったコーヒーカップを見つめて、砂糖のお礼くらい言えよと厚かましいことを考えた。






「よ、し…。」



悪態はついているはずなのに、なぜか相沢の言う通り行動してしまう俺は、もしかしたらもう重症なのかもしれない。

相沢が帰った後はすぐになんか絶対にいかないなんて決めていたはずなのに、その日のうちに履歴書に書かれていた献血センターへと、足が勝手に向かっていた。



「ありがとうございます。

カードはお持ちでしょうか。」



今感じている緊張は、深山さんに会うというものだけではなかった。

今まで献血自体したことがなかった俺はなんとなくその慣れない雰囲気にすでに緊張しつつ、遠慮がちに「初めてです」と言った。



「ありがとうございます。

それではこちらのタブレットに

質問が表示されますので、

嘘がないようにお答えください。」



係員に言われるがままに、俺は質問に答えた。

血を分けるということは、思っているより大事なことらしく、そのタブレットには今までの病歴とか体重とか、海外渡航歴に関する質問がいくつか表示された。



「それではこちらにお願いします。」



その質問によってどうやら俺の血は活用できると判断されたみたいで、質問と医師からの問診が終わったら、今度は血液検査の場所に通された。その時点で注射をされると思ったけど、血液検査は指にチクっとさすだけの画鋲みたいなハリでやるらしくて、俺は肩に入っていた力を一旦抜いた。



「はい、大丈夫ですね。

では3番にお進みください。」



別に注射の針が苦手なタイプではないけど、初めてのことにはやっぱり緊張する。俺は案内されるがままに固くなりながらその場所にたどり着いて、リクライニングの効いた椅子へと靴を脱いで座った。



「お名前と生年月日よろしいでしょうか。」

「えっと…。


あ…っ。」



本人確認をしに来た看護師さんの顔は、まぎれもなく深山環希さんだった。名札には間違いなく"深山"と記されていて、俺の目も捨てたもんじゃないなと自分で自分を褒めてあげた。



「えっと…。」



目の前にいきなり深山さんが現れたことに驚いて質問に答えられずにいると、困惑した顔で深山さんが俺を見た。



「あ、すみません。

佐々木侑。

1993年6月17日生まれです。」



当たり前だけど自分の個人情報をさらけ出してそういうと、深山さんはにっこり笑って「ありがとうございます」と言った。マスクをしていたけど目だけでもすごくキレイな人だってことはわかったし、10個も年上には到底見えなかった。



「それでは本日は400mlの献血で

よろしいでしょうか。」

「はい…。」



それがどのくらいの量かよくわからないまま同意したけど、大丈夫だろうか。不安なまま返事をすると、その不安を和らげるように深山さんはふわっと笑って「緊張してますか?」と言った。



「い、いえ…。」

「すぐに終わりますから。」



ふわっと笑ったけど、その笑顔の奥には「おとなしくしとけよ」くらいのセリフが隠されているのかもしれない。冷静な顔をしながら血圧を測る深山さんを見て、そんな失礼なことを考えた。



「アルコールのアレルギーは

大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です。」



円滑に準備を進める深山さんが取り出した針は、思っている倍くらい太いものだった。いや、もしかして大丈夫じゃないかもしれないと思いつつ目が離せないでいると、深山さんは「大丈夫ですか?」ともう一回聞いた。



「見てても、大丈夫ですか?」



その"大丈夫ですか?"は、アルコールがじゃなくて、刺されるところを見ていても大丈夫かという意味だった。大丈夫な気もしたけど、ここで倒れたりなんかしたら情けなさ過ぎて"キスしてほしい"と言わせることなんて絶対無理だと思って、俺は深山さんと反対の方向を向いた。



「ごめんなさい、

チクっとします。」


そう言って俺に触れた深山さんの手は、すごく冷たくてひんやりしていた。


あ、気持ちいいな。


なんて変態なことを考えていると、その時差し出した右手にチクっと衝撃が走った。



「あれ?」


痛くなかったと言えばうそになるけど、思ったより痛みが少なくて驚いた。

もしかして失敗でもしたのかと思って自分の手を見てみると、そこにはしっかり針が刺さっていた。



「違和感とかしびれたりとかありますか?」



疑問符を浮かべながら腕を見る俺をみて、深山さんは心配そうに聞いた。俺はその質問に首を大きく振って「大丈夫です」と答えた。



「むしろ痛くなくて

びっくりしました。」

「そうですか。」


深山さんは嬉しそうに笑ってそう言った。可愛らしい笑顔にいちいちドキッとしながら、冷静になるためにも手渡された冊子を読むことにした。



「ありがとうございました。

終了です。」



それから深山さんは近くにはいたけど、特に話をするタイミングもつかめないまま、思っていたよりすぐに献血は終了した。

もっと時間がかかるのかと思っていた俺は拍子抜けして、思わず「もう終わりか」と小声でつぶやいた。



「早かったと思います。

手も暖かいし、

血行がいい証拠ですね。

うらやましいです。」

「冷たいですもんね。」


思わず口がそう言うと、深山さんが「あ、すみません」と急いで俺に謝った。



「い、いえ。こちらこそ。」



ひんやりして気持ちよかったですとはとてもじゃないけど言えなくて、俺は椅子からゆっくりと降りた。ここで関係を進められるとは思っていなかったから予定通りかもしれないけど、少ししか話せなかったことを名残惜しく思いつつ、俺は献血センターを後にした。



「どうしろってんだよ…。」



出会うところまでは、なんとか達成した。

でも出会うってより出会わされているし、出会ったところで毎日献血にいけるわけでもないし…。


とりあえず献血が出来る体であることは分かったからよかったものの、今までで一番進め方が分からなくて、難易度があがるってこういう意味合いもあるのかと変に納得した。




~♪


頭を抱えながらトボトボと家に向かおうとしていると、ポケットの中でスマホが揺れる感覚がした。



「え…っ!!」



ポケットから取り出したスマホに表示されていたのは、"香澄さん"という文字だった。あれ以来ずっとメッセージのやり取りはしていたものの、電話をしたことは朱音とキスしたあの日以来だ。


声を聞くのだってあのデートの日以来だから電話がかかってきたってだけで胸はうるさく高鳴り始めたけど、とりあえず深呼吸をして落ち着けながら、慎重にその電話に出た。



「もしもし。」

「つむく~ん!

久しぶりっ!」



相変わらず天使のような清らかな声で、香澄さんは言った。

声だけで心臓が口から出そうになるのを何とかおさえながら、「久しぶり」と返事をした。



「まだ忙しいの?」

「うん、

でもだいぶ落ち着いた。」

「そっか。」



香澄さんから電話がかかってくるなんて、献血をした徳が早速効果を発揮し始めたかなと思った。今まで献血をしてこなかった自分を悔やみつつ、今後は定期的に行こうと決めた。



「香澄さんはどう?

ちゃんと食べてる?」

「なにそのお母さんみたいな質問。」


香澄さんは「もりもり食べてるよ」と言って、ケラケラと笑った。

やっぱりこの人と話していると、いつ死んでもいいレベルで幸せ感じるなと思った。



「香澄さんってさ。」

「ん?」

「自炊とかすんの?」



香澄さんの実家は確か東京だけど、大学時代からなぜか一人暮らしをしていた気がする。一人暮らし歴も長いんだろうから自炊もするのかなと純粋に疑問に思って聞くと、予想に反して「全然しない」という答えが返ってきた。



「仕事を言い訳にして

全く作らなくなっちゃった。

女子力足りてないよね。」



女子力なんて皆無でも、香澄さんは可愛いし天使なのでそんなことどうでもいい。むしろ香澄さんが女子力なんて身につけたら地球が滅亡するかもしれないから、やめてほしいと思った。



「つむくんは?」

「俺は結構するよ。

女子力あるから。」



そういう俺を、香澄さんはまたケラケラと笑った。最近の疲れなんて、この数秒で全て吹き飛んでしまった。



「作りに来てよ。」

「どこに。」

「うちに決まってんじゃん!」



う、ち…?

それはいったいどこ?内側外側の内?へ?え?



「香澄さんの?」

「そんなに嫌ならいいっ!」



香澄さんは楽しそうに怒っていた。

本気で頭の中が整理しきれていなかったけど、誤解されても困ると思った俺は、「いや、入っていいの?」と無意識に聞いていた。



「いいってゆってんじゃん。

何だと思ってるのよ、私の家。」

「聖域?」

「なにそれ。」



香澄さんは俺が冗談を言っていると思っているだろうけど、結構本気でそこは"聖域"だ。



そんな場所に踏み込んで、俺が、料理…?



今すぐ潤奈に連絡してあのサバの味噌煮の作り方を教えてもらおうかなとかんがえていると、香澄さんは「今からくる?」と軽々しく言った。軽々しく言うのは本気でやめてくれと思った。



「い、行く。」



心の声とは反対に、俺も軽々しく返事をした。

すると電話の向こうで香澄さんは、「掃除するから切るね!待ってる!」なんてもっと軽々しく言って、完全に俺の気持ちは置き去りになった。




おいおい俺。

香澄さんの部屋せいいき行くって、まじかよ?



それからはなるべく深く考えずに、香澄さんのマンションのある駅に行った。

そして近くにあったスーパーでテキトーに買い物をして、そのまま一歩一歩慎重に歩みをすすめた。



俺が香澄さんの部屋に行く。

料理を作る。



「正気の沙汰…?」



ではない。でも、嬉しい。


もしかして部屋に入れることになったのも、ここまでプログラムを進行してきたおかげかもしれない。未だに本気でプログラムのことを信じられていないけど、ちょっとは積極的になれたのかもしれないと珍しく前向きなことを考えつつ、俺は香澄さんに言われた部屋のインターフォンを押した。



「はぁい!あけま~す!」



キレたくなるくらい可愛い声と同時に、オートロックの自動ドアが開いた。潤奈の家に行った時家賃がいくらなのかって思ったけど、香澄さんの家の家賃はその倍くらいしそうだと思った。


場所も駅から歩いて10分以内だし、セキュリティは万全だし、香澄さんが住んでるのは13階だし…。



「釣り合わないにもほどがあるだろ。」



分かってはいるけど、木造築20年のマンションの2階に住んでいる俺が香澄さんと付き合いたいなんて思っていることが、おこがましすぎて泣けてくる。


これ以上考えたら部屋にも入れなくなりそうなくらい落ち込みそうだったからとりあえず気持ちを整えて、意を決してドアのベルを鳴らした。



「はぁい!」



香澄さんは可愛く返事をしたと思ったら、警戒心もなくすぐにドアを開けてくれた。

部屋着と普段着の間みたいなラフな格好をしている香澄さんの破壊力は相変わらず抜群で、宇宙まで心が飛んで行きそうになったけど、なんとか決死の想いで地球にとどめて「香澄さん」と言った。



「はい。」

「警戒心なさ過ぎです。

インターフォン鳴っても、

一応確認した方がいいよ。」


セキュリティが万全なことは分かっている。

オートロックのところで一度は俺の姿を確認しているわけだから、俺が来ることはだれが考えても明白だ。でももし万が一、俺より先に誰かが入って香澄さんの部屋を襲撃したら。


それがありえないわけではない容姿をしていることを自覚してほしくて、俺は強めに行った。



「はぁい、気を付けま~す。」



絶対に気を付けないだろというテンションで、香澄さんは頬を膨らませながら言った。本当はもっと怒ろうとしていたのに、それが可愛くてすぐに許してしまった自分を、今度は叱ってやりたい。



「どうぞ、入って。」

「お邪魔します。」



出来るだけ丁寧に言って、俺はついにその聖域に足を踏み入れた。

外観とか廊下から分かっていたはずだけど、勝ち組しか住めないようなマンションに一瞬めまいすら感じそうになった。



「ごめんね~汚いけど。」

「どこが。」



本音が思わず口に漏れて言うと、香澄さんは「そうかな」と言ってお茶目に笑った。もはや香澄さんはゴミ屋敷に住んでいても、キレイだと思った。



「すごすぎ。」



めまいを何とかおさえてリビングにたどり着くと、13階の窓の外には"The 東京"な景色が広がっていた。本格的に倒れてしまいそうな自分を何とか正常に保ちつつ、「めちゃくちゃ景色いいね」と口にだした。



「そう?

もう慣れちゃったから何とも思わないや。」



香澄さんは本当に何ともない様子でそう言った。

おい、相沢。このひと落とせるって本当だろうなと心の中で人任せにしつつ、持ってきた食材を机の上に置いた。



「何作ってくれるの?」



飼われたい。そう思った。

こないだまで潤奈にそんなのよくないと怒っていたはずの俺が、今度は飼われたいと思っていた。心の中で潤奈に「ごめんな」と言いながら、「パスタ」と答えた。



「え~!

つむくんおしゃれなもの作るね!」

「家でもよく作るからさ。」



香澄さんはおしゃれなものって言ったけど、パスタは手間もかからないしワンプレートで終わるからむしろ作るのは楽だ。潤奈が俺に出してくれたみたいな健康的なものを作れたらいいんだけど、そんな本格的なものを作ってこなかった俺は、無難にいつも作っているものを出すことに決めた。



「ん~じゃあ、

私サラダ作ろっかな!」

「作れるの?」

「失礼な!

そのくらいは出来るもん。」



そう言って香澄さんは、1人暮らし用のサイズではない冷蔵庫から、何やらおしゃれな草を取り出した。冷蔵庫のサイズは大きいのに、確かに食材は全然入っていなくて、一応調理器具もあるけど使ってないってのが分かるくらいにキレイだった。



「テキトーに使ってね。」

「はい。」



俺は言われた通り、遠慮することもなくその場にある調理器具を使って料理を始めた。香澄さんは俺が食材を切る手をみて、「うわ~上手~!」なんて褒めてくれたけど、俺はというと緊張して手が震えそうだから見ないでほしいと思っていた。



「あ、そうだ。」



食材を切り終わって火を使おうとすると、香澄さんはひらめいたっていう可愛い顔をして冷蔵庫を開けた。



「飲んじゃおっか。」



香澄さんがそう言って取り出したのは、高そうなシャンパンだった。俺の返事も聞くことなく香澄さんは慣れた様子でポンッといい音を出してシャンパンを開けて、これまた高そうなグラスにそれを注いだ。



「はい、つむくん。」

「ありがとう。」



香澄さんの部屋にいるってだけで特別なのに、キレイな夜景の見える部屋のキッチンで飲むシャンパンは格別だった。思わず「うっま」と口にすると、香澄さんは「おいしいね」と言って笑っていて、その笑顔を含めて美味しかった。



「なんかさ、

キッチンで飲むのって

楽しいよね。」

「わかる。」



俺たちは同じトーンで笑った。



幸せだ、と思った。



美味しいシャンパンを飲みながら、俺は最終的な仕上げに取り掛かり始めた。香澄さんはとっくにサラダを作り終えていたけど、俺の横にいて料理が出来ていくのをずっと見ていた。



「すご~い。

私も出来るようになりたいな。」



香澄さんは本当に感心した様子でそう言った。本気で女子力なんて身につけてほしくないと思っている俺は、「出来なくていいよ」と思わず口にしてしまった。



「え、なんで?」

「危ないじゃん。」

「危ない?」



料理なんてしていたら、手を切ってしまうかもしれない。火を使ったらやけどをしてしまうかもしれない。香澄さんの料理を食べてみたいと思わないこともなかったけど、香澄さんに降りかかるリスクは少しでも少ない方がいいと、俺は本気で思っていた。


なんて正直に言ったら完全に気持ちが悪い。俺は香澄さんの質問をテキトーにはぐらかして料理を続けていると、「でもな~」と香澄さんが少し残念そうに言った。



「出来たらかっこいいのにな~。」

「いいよ、俺がするから。」



やっべ、間違えた。

思わず大胆なことを言っている自分に自分が一番驚いていると、香澄さんは「ふふふ」と楽しそうに笑った。



「そっか、

つむくんがしてくれるのか。」



ニコニコ笑って嬉しそうにしてくれる香澄さんを、本気で一生守りたいとプロポーズみたいなことを考えた。でもさすがにそれを口にするだけの度胸はなくて、「うん」と答えるので必死だった。


それからはただ無心で料理に集中した。香澄さんは何やら楽しそうに話をしていたけど、俺はそれにしっかりと返事をしつつも、これ以上香澄さんという存在を意識しすぎないように頑張った。


そうでないとこのまま"好きだ"と、言ってしまいそうだった。



「はい、出来た。」

「おいしそ~!

お腹すいた~!」



存在を意識しなくとも、香澄さんは存在感抜群だった。

俺なんかの料理にいちいち喜んでくれるだけで尊くて、まだ食べてもないのにお腹いっぱいな気持ちでダイニングテーブルについた。



「いただきます。」

「はい、どうぞ。」



今日は俺の得意料理ともいえる、トマトとチキンのパスタを作った。いつも自分は美味しいと思って食べているけど、香澄さんの崇高なお口にも合うだろうか。俺はそこでやっと緊張しながら、香澄さんが一口目を食べるところをじっくりと見つめた。



「おいしっ。」



香澄さんは小さくそう言って、ニコッと笑った。

"美味しい"と言ってくれたことで一瞬はホッとしたけど、ホッとできないくらい笑顔が可愛かった。最近香澄さんの笑顔なんて何回も見ているはずなのに、かわいさに慣れる気配は全くなくて、むしろ毎回過去の可愛さを更新しているようにも思えた。



とりあえず、かわいい。



「つむくんってなんか器用だよね。」

「そう?」

「うん。

学祭のときとかも思ってたけど。

私不器用だから憧れちゃう。」



それから俺たちは、大学時代の話とか最近の話とかをしながらご飯を食べた。

最初は緊張して聞き役に徹していたけど、だんだんお酒も進んで俺の方からも話題をふれるようになった。香澄さんもなんだかお店で飲んでいるときよりふわふわと笑っていて、とても楽しそうだった。



「香澄さん、

学生の頃からここ住んでたっけ。」

「ううん、引っ越したよ。」

「まあそうだよね。」



学生の頃から住んでたと言われたら、もう産まれた瞬間からレベルが違うと悲しくなるところだった。とはいえ今だってしっかり差がついていることには間違いないかと思うと、思わずため息が出た。



「どうしたの。」

「いや、すごいなって。

俺なんて学生の頃と同じとこ住んでるし。」



ただ引っ越すのが面倒だという理由もあるんだけど、比べてしまったら一気に悲しくなった。

プログラムを進行したら本当にこの人とどうにかなれるんだろうか。

そこでまた疑問が浮かんでチラッと香澄さんの方をみると、さっきまでのふんわりした笑顔が曇ったように見えた。



「すごくなんか、ないよ。」

「ん?」

「ここ、お父さんの、マンションだしね。」



雲った笑顔のまま、香澄さんは言った。

何が香澄さんを曇らせているのかは気になったけど、そんな顔を見たらそれ以上踏み込むことが出来なくなって、「そうなんだ」と無難な返事をした。

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