プロローグ-3 契約
電話を切ってからちょうど10分。
居留守を使うとか言っているのに部屋の掃除をしていると、来客を知らせるベルがなった。
「なんで家まで…。」
個人情報駄々洩れじゃんと、どこから漏れたのか頭の中で検索をかけたけど、それが分かったらこんなことにはなっていない。
相沢は一人で来るなんて言ったけど、もし10人くらい男を引き連れていたらどうしよう。
そう思いつつまずはドアののぞき穴から外を見てみると、そこには小柄で自分と同い年くらいの女性がスーツを着て立っていた。
本当に、一人か。
でももしかしたら死角に入っているって可能性も残されている。
まだまだ何もかも信じられない俺は、ドアのチェーンをかけて、深呼吸をした後そっとドアを開けてみた。
「夜分遅くに失礼します。
相沢です。
先ほどはお電話口で失礼いたしました。」
ドアを開けるや否や、相沢はにこやかにそう言った。
ほんとに、来た…。
何がどうなっているか全く分からないけど、さっきまでの酔いは完全に冷めていた。女一人とはいえ、全く知らない人を家に上げるってことには抵抗がある。そう思ってそのままジッと見つめていると、相沢はさらににっこり笑って「心配ならここで脱ぎましょうか?」と言った。
「そっちの方が怖いわ。」
自分の家の前で女が裸になっていたら、逆に俺が警察に通報される。
この様子では本当にやりかねないと思った俺は、観念して家のドアを開けて相沢を招き入れることにした。
「失礼いたします。」
相沢は営業に来た保険員のように丁寧に言って、玄関に入った。そして「どうぞ」と言ってそのまま招き入れると、キレイに靴を揃えて部屋に入ってきた。
まじでこいつは何者なんだ。
心の中は疑惑でいっぱいだったけど、呼んだのは自分だから自業自得だと自分に言い聞かせて、相沢をリビングのクッションに座らせた。
「どうぞ。」
他人なんて元カノ以来入ったことがなかったから心配したけど、冷蔵庫にお茶が入っていたから一応相沢に出してみた。
すると相沢は生意気に「気が利きますね!ありがとうございます!」と元気に言って、鞄をごそごそと漁った。
「それでは、改めまして。
中途半端矯正委員会から参りました、
相沢真凛(あいざわまりん)と申します。」
相沢はそう言って、机の上に名刺を置いた。
そこにはちゃんと言った通りの名前と委員会名が書かれていて、用意周到な詐欺だなと思った。
「当委員会の目的は、
被験者の中途半端を矯正し、
望みをかなえることにあります。」
「はあ…。」
「この度佐々木様は、
被験者候補として選ばれました。
おめでとうございます。」
"あなたは中途半端です"と言われて、なにがおめでとうなんだ、と思った。
でもそれを強く否定することも出来ないし、なんせ戸惑いでいっぱいになっている今の自分では気の利いた返しも出来なくて、ただただ渡された名刺を見つめていた。
「矯正までの手順はとてもシンプルです。
5人の女の人に、
"キスしてほしい"と言わせてください。」
「は?」
今までも意味がわからなかったけど、今までで一番意味が分からない言葉にいよいよ不信感を抱いた俺は、太一に見せるみたいな嫌悪感たっぷりの顔で聞き返した。すると相沢はそんなこと気にしないって様子で笑って、「簡単でしょ?」と言った。
「いや、まったく意味が…。」
「これから佐々木様には、
こちらから指定した5人の女性と接触してもらいます。
そしてあらゆる手段を使って、
"キスしてほしい"と相手から言わせるよう、
仕向けてもらいます。」
「いやいや…っ」
「ちなみに先にネタバレしますと、
5人目、つまりラスボスが有巣様となります。
5人目を攻略した時、あなたの中途半端は矯正され、
有巣様があなたのものになります。」
「いやいやいや…。
そんなのは…。」
もう何もかも理解できなかったけど、もし俺が5人の女の人に"キスしてほしい"と言わせたところで、香澄さんが俺のものになる保証なんて全くない。
「そんなのわからないじゃないか」と言おうとすると、相沢はそれを聞く前に「わかります」と言った。
「"把握"させていただいておりますので。」
さっきからそれなんだよ。
心はそう言っていたけど、もう意味が分からな過ぎて俺の口からは何も言葉が出てこなかった。するとそんな俺の様子を見て相沢はにっこり笑って、「よかったですね」と言った。
「いや、何がだよ。」
「だって、それだけであの有巣香澄様が
あなたのものになるんですよ。」
「それだけって…。
簡単に言うなよ。」
もうすべて意味が分からないからツッコミもしなかったけど、この中途半端な俺が香澄さんを除いても4人の女から"キスしてほしい"と言わせるのなんて、絶対に無理だと思った。
今まで27年間言わせたことがないのに、そんなことできるはずない。
そう思って相沢をにらむと、こいつはすごく不思議そうな顔をした。
「できませんか?
無理という事であれば、
ここで被験者となることを
断ることも出来ます。」
「そうか。」
断れるのか。
酔いにまかせてなんだかヘンテコなやつを部屋にあげてしまったけど、これも人生経験ということでなかったことにしよう。
そう思って断ろうとすると、相沢はまたタイミングを見計らったように「でも…」と言って話し始めた。
「このプログラムを利用しなければ、
有巣様とこれ以上の関係になることは
おそらくないでしょう。
それでもいいんですか?」
そこは"把握"してくれてないのか。
でもこのヘンテコ委員会が把握してなくても、僕自身でも把握できる。
―――"おそらく"というより、"絶対に"ない。
「それでいいかと言われると…。」
「有巣様、どうでした?」
「そりゃもう女神でしたよ…。」
今まで色々と意味が分からな過ぎてあまり言葉を発せずにいた俺だけど、そこだけは断言出来た。香澄さんはこの世にあらわれた、女神だ。
すると相沢はそれを聞いて、またにっこり笑った。
「セックス、したくないんですか?」
「は?」
爽やかな笑顔に似合わないセリフを、相沢はサラッと言った。そして困惑する俺に念押しするみたいに、「したく、ないんですか?」と聞いた。
「したい、ですけど…。」
そりゃしたいかしたくないかって言ったらしたい。
煮え切らない俺がやっとはっきりした返答を出すと、相沢は「ですよね」と言った。
「プログラムを利用するかどうか、
もう少し検討してからご連絡いただいて構いません。
名刺に私のスマホの番号を書いてあるので、
決まりましたらそちらに連絡ください。」
「はぁ…。」
「でも一度断ってしまえば、
二度と招待が来ることはありません。
それだけはお見知りおきを。」
相沢は相変わらずにっこり笑ってそう言って、颯爽と去って行ってしまった。
最初は壺を売られるかもなんて思っていたのに、アイツは何の目的でここに来たんだ。
思ってみれば香澄さんと俺が二人で飲みに行くってのも十分不思議だけど、その後こんな不思議な出来事に巻き込まれるなんて。
「何とかしてくださいよ、香澄さん…。」
もう全部投げ出したい気持ちになって、とりあえず俺はベッドに横たわった。すると疲れていたってのもあってすぐに眠気に襲われて、すぐに意識がなくなっていった。
☆
目が覚めると、昨日の出来事は全部嘘なんじゃないかって思えた。
でも机の上には相沢の名刺が置いてあって、その紙一枚が昨日のことが全部本当だったんだと語りかけてきた。
「中途半端を、矯正…。」
酒が抜けて冷静になると、色々と疑問が浮かんできた。
どうして俺を知っているのか。
どうして"把握"しているのか。
もし矯正プログラムとやらを失敗したらどうなるのか。
料金は必要なのか…。
やるにしてもやめるにしても、疑問を解消しないことにはすっきりしない。
そう思った俺は、相沢のスマホの番号とやらに電話をかけていた。
「おはようございます!
お電話お待ちしてました!」
もう昼になっているのに、今俺が起きたってことをまるで"把握"しているかのように、「おはようございます」と相沢は言った。
まじで怖いな。
そう思いつつ、俺はいろんな疑問をぶつけることにした。
「ちょっと聞きたいんだけど。」
「はい、いいですよ!
あ。またお伺いしましょうか。」
「ああ、よろしく。」
昨日はあんなに警戒していたのに、今日はその警戒心が嘘みたいに相沢を呼び出した。
アイツはこれが仕事なのだろうか?
だとしたら休日にも深夜にも呼び出されて、アイツも大変なんだな。
やっと正常に戻った俺の頭の中には、話を聞いた昨日よりたくさんの疑問が浮かんできた。疑問がありすぎて紙にでも書きだそうとしていると、相沢がまた10分ピッタリに家のチャイムをならした。
「昨日ぶりですね!」
「はい、そうですね。」
「お邪魔致します。」
まじで何もんだよこいつは。
そうは思っていたものの、今度はチェーンをかけることなくドアを開けて、相沢を昨日と同じ場所に座らせた。
デジャブのように昨日と同じお茶を出すと、相沢は「ありがとうございます!」と元気に言った。
「では、なんでもお聞きください。」
「えっと、まずは…。
どうして俺が、選ばれたの?」
俺みたいに中途半端なやつなんて、世の中に腐るほどいるとおもう。
っていうか、そういうやつの方が多いのではないか。
その腐るほどいるやつのなかで、俺が招待を受けた理由があったのかと思って問いかけると、相沢は「う~ん」と珍しく考え込んだ。
「詳しくは企業秘密ですので言えませんが、
簡単に申し上げますと、
システムが被験者に適任だと選んだんです。」
「はあ…。」
全く答えにはなってなかった。でもこれ以上追及しても仕方がないと思って、次の質問移ることにした。
「昨日言ってた、手順ってやつだけど…。」
「"キスしてほしい"と、
女性に言わせるってものですね!」
言葉にするのが少し恥ずかしくてそう言ったのに、相沢は気にすることなくはっきりと言った。
「それ、失敗したらどうなんの?」
何が失敗かもよく分からないけど、もし俺が相手にそのセリフを言わせられなかったら?違約金、とか?
心配する俺とは反対に、その質問を聞いた相沢はにっこり笑った。
「大丈夫です。
失敗しても、ただプログラムが終了するだけで、
佐々木様には何の負担もありません。」
「そっか。」
とりあえずお金とか請求されないってのだけでも安心していた俺に、相沢はさらににっこりとして「それに…」と言った。
「成功するようサポートするのが、
私の仕事になっています。
絶対に成功に導きますのでご安心を!」
全く安心は出来なかったけど、相沢は自分の胸を叩いてそう言った。
「契約?するのにお金っているの?」
違約金がかからなくても、そもそも参加にお金がいるって言うならいよいよ詐欺を疑わなければいけない。そう思って質問すると、相沢はおかしそうに笑った。
「いえ、必要ありません。
このプログラムを通して佐々木様に
金銭的な負担をしていただくことはありません。」
「あ、デート代は別ですよ」と付け足して相沢は言った。
目的がお金じゃないとなると、なんなんだ?正直そこが一番疑問だった俺は、素直に聞いてみることにした。
「じゃあ俺は見返りに
お前らに何をしたら…。」
「佐々木様には
その過程のデータを取らせていただくという意味で、
デートや女性との接触等の記録を
取らせていただけばそれでOKです。
もちろん個人情報等は保護しますし、
撮影なども行いませんので、ご安心ください。」
「なんのために、やってんの?」
ただのデータ収集のために、こんなことするのだろうか。
そもそもなんのデータが収集されるっていうんだ。
タダほど怖いものはないという言葉があるように、お金の要求をされないという事にさらに恐怖を感じ始めた俺に対して、相沢はやっぱりにこやかなままだった。
「そこも企業秘密ですが…。
しいて言うなら
私自身としては、
佐々木様の明るい未来のために、ですかね。」
「はあ…。」
意味がわからない。
とりあえず何の意味も分からない。
質問したところで何も見えてこなかったことで、俺はここに相沢をまた呼んでしまったことをやっと後悔し始めた。
「それではやるかやらないかは別として、
こちらに契約書がございますので、
一度ご覧いただけますでしょうか。」
まだ何の返事もしていないのに、相沢は鞄から一枚紙を取り出して言った。相沢の言う通りその紙には"契約書"と書かれていて、とりあえず少しでも疑問を解消するためにも、それをじっくり読むことにした。
"契約書
中途半端矯正委員会(以下「甲」とする)と
佐々木侑(以下「乙」とする)とは、
甲乙間の中途半端矯正プログラムに関し、
以下の通り基本契約を締結する。
1.甲は乙に対して、金銭的要求を行わない。
2.乙は本プログラムについて、一切の他言を行わない。
3.甲及び乙は、本プログラムや契約を通して
知りえた相手側の機密情報を、
書面による承認がある場合を除き、第三者には開示しない。
4.乙は本プログラムを実行するに際し、
日本の法律に準拠すること。"
4までの内容はとてもシンプルなものだった。
要はこちら側に要求されているのは、「誰にも言うな」「犯罪はするな」ということだけであり、金銭的な要求がないと契約書で宣言してもらえるなら、こちらにとってはありがたいことだと思った。
でも一番気になったのは、最後の項目だった。
"5.乙は本プログラムを途中で終了する場合、
甲に対して自身の記憶への介入を承諾すること。"
「記憶への、介入?」
意味が分からな過ぎて思わず声に出すと、相沢は相変わらずにっこりと笑って「はい」と言った。
「もし途中で終了する場合や
契約に違反して他言された場合は、
特別な装置で記憶を消させてもらいます。」
「こわ。」
冷静に怖すぎるだろ。
今の気持ちを伝えるためにも思いっきりおびえた顔で相沢を見たけど、相沢はどうして?という顔をしていた。
「いわなければいい話じゃないですか。」
「まあそうなんだけどさ。」
そういうことじゃないだろ。
そこまで口に出そうと思ったけど、何を言っても通じなさそうだから言葉を途中で飲み込んだ。
「どうです?
いい条件でしょ。」
やっぱり保険を売りに来たレディみたいに、相沢は言った。
いい条件なのかもよく分からないけど、ただただ困惑するしか俺には出来なかった。
「大丈夫です!
きっと佐々木さんは
中途半端を矯正できます!」
いや、もうそういう次元の話じゃないんだよな。
またセリフを飲み込んで、とりあえず相沢の方を見た。するとこの女は懲りる事もなく希望に満ちた顔で両手でガッツポーズを作っていて、より怪しさが倍増していた。
「香澄さんと、
セックスしましょう!」
「やめろって…。」
可愛い顔して昨日から過激なことを何度も言うこいつに、なんとか絞り出してそう言った。でも相沢はそれでもやめることなく、「セックスですよ!セックス!夢のようじゃないですか!」と繰り返した。
「夢、のよう…。」
確かにそれは、夢のようだ。
想像しただけで年甲斐もなく夢精してしまいそうになるくらい、興奮もする。
まだ怪しくて何も信じられない。
でももしこれが本当で、香澄さんとどうにかなれる未来があるのなら…。
疑っている自分はまだまだそこにいたけど、何度も乗せられているうちにその気になっている自分がいることも、しっかりと自覚できた。
やっぱりこいつ、壺を売りに来たんじゃないか。
そうだとしたらめちゃくちゃ商売上手だと思って顔を上げると、相沢は屈託もなく笑った顔を崩していなかった。
「一緒に、夢をかなえましょう!」
もしかして、これって宗教の勧誘か?
金銭面じゃなくて信者を増やすことを目的に…。
その可能性も捨てきれなかったけど、そうだとしたらどんな宗教なんだよと自分で自分にツッコんだ。
「俺は…。」
どうしたいんだ。
今後このまま、中途半端な人生を送っていくのだろうか。
別にそれも悪くない。
普通の人とこれから恋愛をして、それは端から見たら中途半端なのかもしれないけど、それが俺にとっての幸せで…。
とびぬけたような幸せではないけど、着実に幸せになるのだってきっと悪くない。それにとびぬけた幸せにだって、きっと苦労はある。
イケメンにはイケメンの悩みがあるだろうし、香澄さんみたいな女神だって、悩んでいる事もあるんだろう。
でもそう決めつけて、チャンスらしいこの機会を、逃してしまっていいのだろうか。
これまで矯正しようとも思わなかったこの俺の中途半端を、誰かに矯正してもらえるなら、これはまたとない機会なんじゃないか…。
「大丈夫。
佐々木さんなら出来ますよ。」
迷っている俺に最後のとどめを刺すみたいに、にっこり笑った相沢が言った。
その言葉を聞いてやっと決心がついた俺は、膝に置いていた手をグッと握った。
「わかった。
やってみる。」
「わぁ!ありがとうございます!」
「ただし!
途中で無理だと思ったら遠慮なくやめるから!」
「もちろん、大丈夫です!」
それはつまり"記憶を消される"という事になるらしいけど、もうすべて忘れられるならそれはそれでいいと思った。
気が変わらないうちに俺はそのままその契約書にサインをして、それを確認した相沢は「これからお願いします!」と元気に言った。
「それでは早速ですが、
最初のターゲットについて…。」
最後は勢いで契約してしまった俺だけど、もう契約すると"把握"していたと言わんばかりに相沢がさっそくプログラムを進めようとするのをみて、やっぱりサインを撤回できないかと僕の中の警戒心が叫び続けていた。
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