case1-1 同僚・鎌田朱音


「それでは早速ですが、

最初のターゲットについて説明しますね!」



契約して1分後、相沢は履歴書みたいなものを鞄から取り出した。


「これって…。」

「はい。

ご存知の通り、佐々木様の同僚の

鎌田朱音さんが最初のターゲットとなります!」



そこには朱音の写真と、簡単なプロフィールが書かれていた。こいつが俺の同僚ってことを含めて、こんなことどこで調べたんだよと一気に怖くなった。でも聞けば聞くほど契約を解除したくなりそうだったから、自分の決意を揺らがせないためにも、その疑問は胸の中にしまっておくことにした。



「いや、ってか無理だろ。」



どうやって調べたのかももちろん気になるところではあるけど、どう考えても朱音は無理だと思った。

確かにこいつは、一番仲がいい女性と言える。毎日顔をも合わせているし、気兼ねなく話だって出来る。


でもだからこそ、"キスしてほしい"と言わせることなんて、絶対に無理だ。


そう思って相沢をにらむと、そんなこと気にしてない様子でまたニコニコと笑った。



「でも佐々木さん。

後になればなるほど難易度が高くなるってのが

このプログラムの特徴です。

なので鎌田様はシステムが判断した、

一番難易度の低い女性なんですよ。」



システムシステムって、なんだよその怪しいシステムは。

それに朱音が一番難易度が低いなんて、ありえるはずがない。


「ってかそれ成功したとしても、

そのあとまじで気まずいんだけど。」


もし仮に万が一、俺が朱音に"キスしてほしい"と言わせたとする。

だとしても、そんな関係になって次に会うのまじで気まずいだろと思って言うと、相沢は「あ、忘れてました!」と言った。


「ごめんなさい、説明がもれてました。

ターゲットにセリフを言わせることを成功した後、

特殊な装置を使って、

そのターゲットにはその出来事が

夢の中で起こったことだったと思ってもらいます!」


「要は"夢落ち"ですね!」と元気に付け足して相沢が言った。

夢落ちにしたとしても、それでも気まずいことには変わりない。やっぱりこんな怪しいプログラム受けるんじゃないかったと、俺は心底後悔した。


「あ、でももしかして途中で、

佐々木様がその人と付き合いたい!

と思った場合は、

そこでプログラムを終了させることも可能です。

あくまでも当委員会の目的は、

中途半端を矯正して

被験者に望みを叶えてもらう事ですので、

そこで終了しても成功とみなさせていただきます。」

「なるほど…。」



それを聞いて、俺の中にはすごく邪悪な考えが浮かんできた。

聞いたら幻滅されるかなと思ったけど、こいつに幻滅されたところで何が変わるんだと思いなおして、疑問は解消できるうちにしておくことにした。



「ちなみにさ。」

「はい。」

「キスは、しちゃっていいの?」


そんなことこいつに聞くことでもないかもしれないけど、してから契約違反だ!なんて言われるのも怖かったから恐る恐る聞いた。すると相沢は今までで一番の笑顔で、「もちろんです!」と言った。


「こちらからのリクエストは、

"キスしてほしい"と相手に言わせるだけです。

それから実際キスしていただいてもいいですし、

なんならセックスしてもらっても構いませんよ。」



また女子が軽々しく言う言葉ではない言葉を軽々しく言って、「あ、でも倫理とか道徳には反しないでくださいね」と相沢は付け足した。



「プログラム実行中は、

こちらの時計を身につけてください。」


そしてまだ戸惑っている僕に、相沢はよく見るスマートウォッチのようなものを手渡した。


「プログラム実行中に限り、

この時計から音声のみ聞かせていただきます。」


確かに撮影はしないと言われたけど、盗聴はするのな。

また深く聞かなかったことを後悔して、俺はついにため息をついた。


「もしプログラムに関係ないことで

聞かれたくないことがあるという場合は、

こちらのサイレントボタンを押していただきますと

聞こえなくなりますので、

安心してセックスしてくださいね。」


俺のため息なんて気にすることなく、相沢はまた付け足した。

今度は大げさにため息をついてみたけど、それも華麗にスルーされた。


「ちなみにですが、

ただ相手に"キスしてほしい"と

言わせるだけがクリアではありません。」

「え?」

「例えばですね、

"キスしてほしい"ってゆってみてと相手にお願いするとか、

脅迫して言わせるなどした場合は無効となります。」


言われてみれば、確かに言わせるだけなら簡単に出来そうだ。

ゲームだと言って言わせたり、紙に書いて言わせることだって、特に朱音に対しては簡単にできるだろう。



「相手が本当に"キスしてほしい"と

心から思っているということこそ、

重要なポイントとなります。」



思っていない"キスしてほしい"を引き出しても、どうやらそれは無効となるみたいで、相沢曰く本当に思っているのかどうかも"システム"が判断してくれるらしい。



「ちなみにですが、

"キスしてほしい"というセリフは

一言一句同じでなければいけない

というわけではありません。

あちらからキスを要求する言葉であれば

どんな言葉でも結構ですので、ご安心くださいね。」


何を安心したらいいのかわからなかったけど、それなら少しはハードルが低いかと思っている俺は、多分すでにこの女に毒されていると思う。

相沢は俺がどんな反応をしてもニコニコと笑った顔を崩さずに、"簡単でしょ"と言いたげな顔で俺を見ていた。



「お渡しした時計を携帯し忘れますと、

それも無効となるのでご注意くださいね。」

「えぇ…。」



めちゃくちゃ大事じゃん、これ。

相沢は軽く手渡したけど、もしそのセリフを言わせられたとしても時計を付けてなかったら意味がなくなると思うと心底ゾッとして、俺は早速腕に時計を付けた。


「普段は普通に時計として使えますので、

どんどん利用してください。」

「はい…。」

「じゃあ私はこれで…。」

「いやいや!」



概要だけ説明されても、どう考えても出来る気がしなかった。

普段からあんなにちゃきちゃきと仕事をしている相手にキスしてほしいと思わせるなんて、俺にはまったく方法が分からない。


「サポート、してくれよ。」

「普通、最初一度は頑張ってみるもんです!」



あれだけサポートするって言ったのに、相沢は急に厳しく言った。

絶対成功させるんじゃないのかよと思って相沢をにらむと、「しょうがないですね」と本当に呆れた表情で言った。



「まずは腕、少し鍛えましょう。」

「は?」


意味が分からない返答がかえってきて困惑していると、もっと困ったという顔で相沢に見つめかえされた。


「女性は男性のたくましい腕惹かれることが多いです。

佐々木様の腕は少し細すぎます。

男性としての色気を出すために、

まず腕の筋トレから始めてください。」

「はあ…。」


言っていることは確かに的確に思えた。

別に腕が細いってわけではないけど、筋肉隆々ってタイプでもない俺の腕は、一番中途半端なのかもしれない。

これを機にジムにでも契約してしまおうかと思った。




「あと一つ。」

「はい。」

「ヒントは、心の隙をつくこと。

これは朱音さんに限ったことじゃありませんが、

女性は心の隙に入り込まれると、

その人を頼りたいって思うものです。

それがキスしたいっていう欲望につながる場合が多いです。」


そうは言われても、朱音に心の隙なんて見つけたことが、5年間で一度もなかった。

これで難易度が一番低いなんて、幸先不安だろうと思って頭を抱えると、相沢はやっぱり元気に「大丈夫です!」と言った。



「はじめは慣れないかもしれませんが、

佐々木様なら大丈夫、達成できます!」

「はぁ…。」

「それでは検討を祈ります!

何かありましたらいつでもご連絡くださいね。」



そう言って、相沢は爽やかに去って行った。俺は机の上に残された契約書の控えとにらめっこをして、どうして契約してしまったんだと心底後悔した。





月曜日、なんとなく俺は早く出勤した。

今日から新商品が実際に導入されるまで本格的に忙しくなるからやることが多いってのもあるけど、そんな理由だけじゃなくてなんだか落ち着かなくて早く来てしまった。



朝のオフィスには嘘みたいに人がいなくて静かで、そのおかげもあって今日の準備を集中して進められた。


「よし。」


集中できたおかげで、いつもより早く準備が終わった気がする。

普段ならまだ出社すらしていない段階でいつでも行けるって状態まで終わらせられたから、珍しく自分で自分を褒めてあげた。



「おはよ、はやいね。」



するとその時、ちょうど後ろから聞きたくない声が聞こえた。



「あ、ああ。

おはよう。」



普段どうやって挨拶してたんだろう。

今まで意識したこともなかったはずなのに、中途半端矯正プログラムで頭がいっぱいになっている俺は、ぎこちなく振り返って朱音に挨拶をした。



「気合入ってるね。」

「ま、まあな。」



何も気負いすることなく話せるのがこいつと俺との関係だったはずなのに、普通の会話にすらまともに答えられない。


こんなんで"キスしてほしい"なんて言わせられるんだろうか。

一人目だっていうのに幸先が不安になって、大きくため息をついた。



「おはよう。はやいね。」

「あ、部長。

おはようございます。」


するとそんな俺を救ってくれるようなタイミングで、俺たちの部署の部長である坂上(さかうえ)さんが現れた。坂上さんはこの業界で20年以上仕事をしているベテランで、優しいし的確なアドバイスをくれる事で部下からの信頼も厚い。


当然俺もそんな部長を尊敬していて、いつかバリバリと仕事が出来るようになりたいと思っている。

俺は変な方向に向かいそうになっていた気持ちを仕事に一旦戻して、お客さんのところに行く前に部長に色々と相談をしておくことにした。



「じゃあ、行ってきます!」

「はい。頑張って。」



約束の時間になって、俺は朱音と一緒にお客さんの元に向かった。

準備は万全にしたから問題ないんだろうけど、いつもこの時は少し緊張してしまう。それに加えて、俺には仕事だけじゃないもう一つのミッションがあって、何気なく電車に乗っているだけなのに、ソワソワと落ち着かなかった。



キスしてほしいって…。

ワンナイトしよって言わせるより難しくないか?



「ねぇ。」

「へ?!」



資料を見ている朱音の顔をチラっと見ながらそんなことを考えていると、朱音が唐突に話しかけてきた。心の声でも聞こえてしまったかと大げさに驚くと、朱音はすごく不審な顔をして俺を見た。



「え、なに?」

「い、いや。考え事してて。」

「しっかりしてよ。」



間抜けな顔で言う俺に、朱音は言った。


そうだ、今は仕事のことを考えないと。

やっと気を取り直した俺は、「洗剤のさ…」と質問をし始めた朱音の言葉にしっかりと耳を傾けて、仕事モードに入っていった。



「ありがとうございました!」



それから俺はしっかりと切り替えをして仕事をして、今日の段取りは滞りなく終わった。まだまだ大変な時期は続くけど、その第一歩が終わったということに、俺はプログラムのことなんてすっかり忘れて心底ホッとしていた。



「はぁ、緊張した。」

「お前も緊張するのな。」

「するよ、当たり前じゃん。」



行きの電車では少し空気がピリッとしていたけど、帰りは打って変わって柔らかい雰囲気になっていた。とりあえずお疲れとお互い言い合ってみたはいいけど、朝から気を張っていたせいでさすがに少し疲れてしまっていたみたいで、それからはなんとなく無言のまま会社に戻った。



「戻りました~。」

「おお、お疲れ。

どうだった?」

「とりあえずトラブルなく、

無事終わりました。」



俺たちの部署には最近あまり新人が入ってこないってのもあって、いつまでも若手扱いでかわいがってもらえる。だから二人で担当した仕事の一つが無事終わったと報告すると、部署の先輩や上司たちがみんな「おつかれ」とねぎらいの言葉をかけてくれた。



「疲れただろ。」

「はい、正直。」



坂下部長が寄ってきて、俺たちの肩を叩きながら言った。

俺が正直に答えるとその答えに部長は「はは」と笑って、「初めだからしょうがないな」と言った。


「よし。

今日1杯だけ飲みに行こうか。

二人の出陣お疲れさまってことで。」


月曜から飲みに行くのもどうかなと思ったけど、でも思ったよりも疲れているらしい俺は、まだ仕事の時間も終わってないのにビールが飲みたい口になっていた。朱音は嫌かなと思ったけど、まんざらでもない顔をしていたから、俺は部長の提案に「お願いします」と答えた。


「あ、俺も行きます!」


するとその他にもねぎらってくれるって先輩が何人か名乗りをあげてくれて、俺たちの部署は月曜から飲み会をすることになった。



「あ、じゃあ私お店予約しときますね。」



大人数になったからと朱音が店を予約してくれることになって、楽しそうな部署の雰囲気を感じていたらビールが飲みたい気持ちが加速した。完全に気が抜けそうになっていたけど、俺はまた仕事への気持ちを作り直して、今日のまとめとか次への準備を集中してすすめた。



「よし、もう行くぞ。」

「は~い。」



終業時間が来て、飲み会に参加する人たちは全員でお店に向かった。

朱音が予約してくれたのは駅から近いこじゃれた居酒屋で、最近できた話題の店という事もあって月曜でも賑わいをみせていた。



「お~いい感じ。」

「さすが鎌田さん。」

「佐々木では見つけれないよな。」

「ちょっと、塩谷(しおたに)さん。」



いじられつつもしっかり下座に座ろうとすると、今日は主役だからと先輩の塩谷さんが俺と朱音を真ん中に座らせた。今日は無礼講だからと部長も楽しそうに言って、全員先輩とか上司とかそういう事は気にせず席に着いた。



「それじゃあ、

佐々木君、鎌田君。

今日は本当にお疲れ様。


乾杯!」

「「乾杯!」」



今日、俺はこの瞬間のために頑張ったと言っても過言ではない。味とかそういうものの前にのどごしを感じるべくビールをグッと流し込んで、大げさに「はあ~!」と言って今日の緊張を吐き出した。



「お、いい飲みっぷり。」

「ありがとうございます。」



ここでありがとうと言うのが正解なのか分からないけど、部長の言葉にとりあえずお礼を言っておいた。


「さっき岩田さんからもお礼の電話が入ったよ。

二人ともよくやってくれたって。」


岩田さんは俺たちが担当しているお客様のトップで、今日も立ち会ってくれた。岩田さんも長く勤めているってこともあって部長とは友達みたいな関係らしく、今日の経でさっそく連絡をいれてくれたらしい。


直接言われるよりも人伝に聞くと、よりうれしくなってしまう。


俺は大げさに「あざす!」と言って、またビールを喉に流し込んだ。



「佐々木、お前なんかやる気だな。」

「もちろんっすよ。

塩谷さんも油断してたら危ないですよ。」

「調子乗んなよ、お前。」



俺はこの部署の、アットホームな雰囲気がとても好きだ。

大先輩にだってこんな冗談を言っても許される雰囲気があるし、そのおかげもあってチームワークよく仕事が出来ていると思う。


他の部署の同期の話を聞いていると、出世争いでぎすぎすしているところもあるらしいから、ここに配属されて本当に幸せだったと思う。


「そんな仕事にやる気になるってことは

彼女でも出来たか~?」


塩谷さんは俺たちの2つ上の先輩で、こうやってふざけてはいるけど頼りにしている先輩だ。年が近いってのもあるけど相談もしやすくて、普段からプライベートな相談に乗ってもらう事も多い。


彼女が出来たら塩谷さんには聞かれる前にいうだろうなって思いつつ、「残念ながらその影もありません」と正直に答えた。



「つまんね。」

「塩谷さんはどうなんですか?」

「ノーコメントで。」

「俺と同じ状況なんですね。」



でも残念ながら塩谷さんもモテるタイプではないらしく、数年前に1回彼女がいたことはあるけど、その人と別れてから女性の影は一切ない。俺たちはお互いに同情しつつ1杯目のビールを飲みほして、次のジョッキを注文した。



「つむつむ、

今日はありがと。」

「だからパズル型ゲームの…」

「はいはい。」



塩谷さんが別の人にいじられはじめたのを見て、隣に座っていた朱音がジョッキを差し出してきた。俺は来たばかりの新しいジョッキを、「こちらこそ」と言いながら合わせた。



「まあ、ここからがスタートなんだけどね。」

「そうだな。」



珍しく真面目な話をしながら、朱音もビールを豪華に流し込んだ。その光景があまりにも男前すぎて、俺は思わず笑ってしまった。


「なによ。

いいじゃん、別に。」

「うん、悪いって言ってない。」

「これが私の癒しなの。」



ビールが癒しの20代女子ってどうなんだよ。

そう思ってみたけど、人に文句を言えるような立場じゃない俺は「そっか」とあっさり答えた。



いや、でも待てよ?

そもそもこいつって、彼氏とか、いないよな?


そこまですっかりプログラムのことは忘れていたけど、そもそも彼氏がいたとしたら俺みたいなイケメンでもない同僚に"キスしてほしい"なんていうだろうか。



「どうせなら男にいやしてもらえよ。」


今までそんな簡単な疑問すら浮かんでいなかったことを後悔しつつ、今がチャンスだと俺はすかさず聞いた。


「そんな人がいればいいんだけどね。」


俺の言葉に、朱音は少し悲しそうに笑ってそう言った。

悲しそうな顔をするところなんて見たことがなくてそれ以上踏み込めそうにないと思ったけど、とりあえず彼氏はいなさそうだってことが確認できた。


酔いも合わせて気分が良くなっていた俺はそれからもプログラムを進行することなんてすっかり忘れて、月曜の飲み会を心の底から楽しんでしまった。

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